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『あ、俺、兼人だけど、悪い』
受話器から聞こえてきたのは、不入斗の声だった。それにいち早く反応したのは凛だ。
「は?」
意味がわからないというように、顔を顰めている。
録音された不入斗の声は、彼女の内心の疑問に応えるかのように、はっきりと聞き取れる声で、弁明を始めた。
『そっちに戻るの、明日の朝になりそうだ。今、松本の駅前にいるんだけど、ばったり笠見先生と会っちゃってさ。十六の時以来会うの初めてだから、話が盛り上がっちゃって。「俺ももう十九ですよ」なんて言ったらさ、「マジかよ、俺も歳を感じるなあ」とかなんだとか言ってたから、「大事なのは歳じゃなくて、中身ですよ」なんて言って慰めてあげたりなんかしてね、はは』
ふぅ、と不入斗の吐息が受話器から漏れた。息継ぎもせずにまくし立てるように話したせいで、口が疲れたらしい。
あまりに日常的で、屈託のない彼の話を聞いていると、またもやあの惨劇が嘘のように感じる。
ほんの少しの無音。もう終わったのかと思ったが、さらに彼の声は続いた。
『まあ、そういうわけで、今晩はこっちで先生と飲んでいく事になっちゃったから、後はよろしく頼むわ。明日の八時半までにはそっちに着くから、そのつもりで』
メッセージが終わると、凛は語気を荒らげた。
「何これ。こっちが今大変なことになってるっていうのに、一体何考えてるのよ! 何が、そのつもりで、よ!」
まだ出会ってから短いが、終始おしとやかにしていた彼女だっただけに、これには俺も少し面食らった。不入斗の口調を誇張して、おちょくるような声真似まで披露している。
しかし、「落ち着いてください、凛さん」と宥めに入ると、すぐに我を取り戻したようだった。
「すみません。つい……」
彼女も精神的に不安定になっているのだろう。何とかバランスを保っていたそれが、今の不入斗のメッセージが引き金になって、崩れてしまったという事か。
「しかしこうなると、彼の帰りを待って、明日朝一番に、彼の車で警察を呼びに行くしかないな――」
英介は腕を組んで難しい顔だ。
「つまり、少なくとも一晩はここで過ごさなきゃならないわけだ。出入り口全部にちゃんと鍵を掛けておく必要があるな」
そこへ、凛がおずおずと申し出た。
「あの、実は、その……裏口の鍵がないんですけど、どうしますか? そのままにしておくのはまずいですよね」
「鍵がない?」
英介は顔を顰めた。
「そんなはずはないと思うんだけど」
「槻さんの言っていたところにはなかったんですよ。探したんですけど、見つからなくて」
叱責されるのを恐れてか、凛は目を伏せて、手をもじもじさせている。
しかし、英介は彼女を別段責め立てる様子もない。鍵の管理について何の身にもならない追及などするよりも、今は、鍵がないならどうするかという対策を考えているようだ。
悩んだ挙句、彼は一つの提案を出した。
「そうなると、裏口には交代で見張りを立てたほうがいいかもしれないな……」
至って普通でシンプルなアイディアだが、それが一番いいだろうと俺も思った。殺人鬼が中にいようと外にいようと、全員で眠りこけてしまうというのは、あまりに不用心だ。常に何人かは起きていて、異常が発生したら即座に対応できるようにしておくべきだろう。
凛もそれには同意見のようで、頷きながら英介を見返している。
「そうですね。他はしっかり鍵を掛けておけば、気付かないうちに入ってこられるということもなさそうですし」
「それはどうかな?」
意味ありげな口調の瀬堂。彼は何かを危惧しているようだ。
「どういう事だ?」
と訊き返す英介に、彼は脅かすような口調で言った。
「僕たちは夕食の時からずっと、ここのコテージの鍵を開け放しにしていたはずでしょう? その間に天司さんを殺した殺人鬼が入り込んで、もう既に中に潜んでいるかもしれない」
「それは、……あり得なくもないな」
英介は深刻な顔で、彼の意見に同意している。
「やだ、止めてよ」
乃亜が口を覆った。姿の見えない殺人鬼を探そうとでもしているのか、部屋の中をキョロキョロと見回している。
「じゃあまずは、このコテージの中をひと通り調べるのが先だな」
そういうわけで俺たちは、ねぐらの安全を確保するべく、メインコテージの部屋をすべて見て回ることにした。




