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その時、夕月がコテージの玄関で、さっきに脱いだばかりの靴を履こうとしていた。呼び止めて訊いてみると、
「電話が繋がらないなら、こっちから行くしかねえだろ」
と、さも当然のように言い放って、外へ出ていった。
そうだ。
何故そこに思い至らなかったのだろう。
電話が通じなくとも、まだ完全に孤立したわけではないのだ。今までの経験から、勝手にそう思い込んでしまっていた。そればかりか、他のみんなにもそう思わせてしまっていた。
自分の浅はかさと愚かさを悔いた。
「俺も行くよ」
夕月の後について、外に飛び出した。
その後から、瀬堂や八逆、乃亜と凛がやってきた。英介も一人残されるのは嫌なようで、慌ててコテージから出てくる。
結局全員でマイクロバスの方へと急いだ。
メインコテージと吊り橋、それとキャンプファイヤーの場所との位置関係で、どうしてもその道中、あの惨劇の舞台の傍を通らなければならない。俺たちはできるだけ死体から目を逸らし、急ぎ足でその横を通り抜けた。
果たして、吊り橋は落ちてはいなかった。
暗くてよく見えないせいもあり、どれほどの高所に架けられているかなど、この時は考えもしなかった。ギシギシ軋んだ音を立てる吊り橋を、前を走る夕月の背中を追って渡る。
軽自動車は不入斗が乗っていったのでなくなっていたが、マイクロバスはしっかりと昼に停めた場所にあった。脆弱な体力の瀬堂が、息を切らしながらやってきて鍵を開けると、いの一番に夕月が乗り込む。
しかし、そのあとに続いて乗ろうとした瀬堂は何かに気付いたように、はたと立ち止まった。かと思うと、何度か足をバスのステップに乗せたり降ろしたりして、首を傾げている。
「まさか……」
彼はバスに乗らずに、タイヤの横に屈み込んで、そこへスマホの光を当てた。僅かな光量だが、ないよりは余程ましだ。タイヤの様子が、ぼうっと暗闇の中から浮かび上がった。
空気が抜けて、ぺしゃんこに潰れたタイヤ。そのゴムの表面には、明らかに故意につけられたと思しき、大きな穴が開いていたのである。
「なんてこった」
俺はそれを見て、他のすべてのタイヤも確認したが、思った通り全てやられていた。英介が後ろのトランクを開けて、スペアを確かめたが、そっちも使い物にならないようだった。
異変を感じた夕月が降りてきて何事かと尋ねてくる。
「タイヤが全部パンクしてるんだよ。きっと犯人がやったんだ」
「何だよくそっ」
夕月は舌打ちして、怒りを拳に乗せてバスの壁面を力いっぱい叩き、街へと通じる道の先を眺めた。その先はカーブになっていて、暗い森の中へと消えている。
「仕方ない。こうなったら、歩いて山を下りるしか……」
「それは危険です」
凛が慌てて止めに入る。
「ここからだと、一番近い集落でも車で一時間以上はかかるんですよ? 徒歩だとどれだけ時間がかかるか……。それに、街灯もない夜の山道を、まともな明かりも持たずに歩くのは危険すぎます。クマやイノシシみたいな野生動物と鉢合わせたり、崖から滑り落ちたりなんかしたら、それこそ命を落としかねませんよ」
ここの地元の人間である凛の言葉には、ほとんどパニックに陥っている俺たちでも納得してしまうだけの力があった。それを聞いて、夕月の中で固まりつつあった決意が脆くも崩れた。
夕月はやり場のない苛立ちをぶつけるように、今度は傍に落ちていた石を蹴飛ばした。
「畜生! じゃあ俺たちは、少なくとも朝までここで缶詰ってことかよ!? 殺人鬼の狩場になったここに!」
彼の怒りは夜の山の中をこだました。
まだやっと十時四十五分を迎えようとしている時分。人間一人を彼岸へと呑み込んだ夜は、まだまだ終わりはしない。そして、この一生頭について離れないであろう程の悪夢さえも、まだただの始まりに過ぎなかったのである――。