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契鬼伝説殺人事件  作者: 東堂柳
第三章 第一の殺人
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4

 トーンの高い叫び声。女性の発したものだ。

 山の中に轟いた、鳥の断末魔のようなその声は、俺たちを一瞬で非日常の世界へと引き剥がした。


「あれ、初刈の声か?」


 気付いた瀬堂は、一体何事かと怯えている。


「キャンプファイヤーの方からじゃないか? 何かあったんだろう。行ってみよう」


 俺は慌てて、声のしたほうに駆け出していた。

 気の強い乃亜が悲鳴を上げることなど、普段ならまずない。もしもあの悲鳴が、本当に彼女のものだったとしたら、何かしら尋常ならざる自体が起こっているに違いなかった。

 走っている最中、突如として不安に駆られた。しかし、他のみんなもそれは同じようだった。一様に顔を強張らせている。

 だが――。

 キャンプファイヤーの許へと駆けつけた時には、その顔からさらに血の気が失せ、完全に蒼白になってしまうことになる。


 そこは――、まさに地獄絵図であった。


 焚き火の揺らめく不安定な明かりに照らされた木のテーブルに、歪んだバスケットボールのようなものがごろりと転がっている。今度のそれは、鳥の死体などではない。

 明らかに人間の頭部である。

 そしてそれが、今まで姿をくらませていた、天司徹の頭部であると認識するのに、それほどの時間はかからなかった。

 見開かれ、血走った両眼。苦悶に歪む眉。だらりと舌を垂らした口。重力に逆らえずに、下に向かって垂れた頬の筋肉で、まるで別人のような表情に変貌しているものの、見覚えのある派手な金髪に耳のピアス。これは間違いなく、天司である。

 不気味なほどの静けさの中に、ぽたりぽたりと雫が垂れる音。赤く染まった雫がテーブルから垂れているのだ。恐らくはそれが、彼の頸動脈から溢れ出た血液であろう。

 更に視点を移してみると、残りのパーツもすぐに見つかった。

 焚き火の傍らに胸部、腰部、両手足。すべてがバラバラに切断されていたのである。天司の服を纏ったそれらは、まるでごみの様に、無造作に投げ出されていた。ぐちゃぐちゃの切断面。筋肉の繊維や、骨や脂や皮。身近に存在しているものであるが、普段直接目にすることのないそれらが、俺たちの精神を抉り取る。

 生温かい風に乗ってツンとした鉄の臭いと、肉の生臭さが鼻腔を刺激した。その刺激は、さらに食道から胃へと移動し、内容物を押し上げようとする。胃液が逆流してきた。俺はすんでのところでそれを押さえて、再び飲み込んだ。口いっぱいに酸い味が染みわたり、また吐き気。その繰り返しである。

 英介や瀬堂も口元を押さえて、込み上げてくる吐き気を抑えている。

 しかし、それができなかった八逆は大木の幹に手をついて、食べたものを全て戻してしまっていた。

 凛などは、ショックで膝からくずおれた。発見者の乃亜が、その彼女を気丈にも支えようとしている。


「これは……一体……」


 全身の力を振り絞って発した声は、たったそれだけだった。

 しかし、一度声を出せると、金縛りから解かれたように、喉が自分の意思で動いてくれると感じられる。

 お陰で少し冷静になることができて、周りをよく見ることができた。

 紙皿や割り箸などを纏めたゴミ袋が破けて、中身が散乱している。クーラーボックスもいくつかひっくり返っていた。保冷剤や解けた氷がぶちまけられている。テーブルに置いておいた飲みかけのペットボトルは、どれもこれも横倒しになっていた。バーベキューグリルも倒れていて、支柱が歪んでしまっている。

 まるで動物が暴れまわったように、荒らされていたのだ。


「と、とにかく、一旦コテージに戻ろう。それから、それから……」


 英介はすっかり動転して、呂律の回らない舌でぶつぶつと言っているが、誰の耳にも届いていない。皆、どうにかして平常心を取り戻そうと必死になっているのだ。


「まず警察を呼ぼう。話はそれからだ」


 俺はきっぱりとそう言い放った。警察という言葉に、ぴくりと瀬堂や八逆が反応する。


「け、警察……。でも……」


「仕方ないだろ。どう見てもこれは殺人だ。この場はこのままで、一旦全員でコテージに戻ろう。夕月も呼んできたほうがいいな」


「じゃ、じゃあ、私が……」


 まだ貧血気味なのか、ふらふらした足取りの凛が言い出した。


「いや、無理をしなくても……」


「大丈夫です。何かしていたほうが、気が休まります」


 彼女は聞く耳を持たず、そのまま一人で夕月のコテージに向かおうとしたが、流石にそれでは危険なので、英介に一緒についていってもらうことにした。

 残った俺たちは、一足先にメインのコテージへと戻り、警察に電話をかけつつ、英介たち三人を待つことになった。


「ど、どうしてこんなことに……」


 震える唇を動かしたのは八逆だ。嘔吐したせいもあってか、乃亜や瀬堂よりもよっぽど顔色が悪いように見える。もともと、神経質でグロテスクなものが苦手なせいもあるのだろう。青さを通り越して真っ白だ。半袖から伸びた腕には鳥肌も立っている。全身から血が抜けてしまったようだった。


「ま、まさか、例のバラバラ殺人の犯人が、本当にこの近くに潜んでるんじゃあ……」


 吃りながら、青ざめた顔で呟く八逆。

 それを聞いて、乃亜や瀬堂もギクリとしていた。あのおぞましい死体を見るまでは、余りにも荒唐無稽な話に聞こえただろうが、この状況ではとても、そんなバカなと一笑に付すこともできなかった。むしろ、今はそう考えるほうが至極自然とも言える。


「兎に角今は、誰がやったかよりも、警察に知らせるのが先だ」


 俺は何とか、動揺している三人を落ち着かせようとした。

 コテージまでの道のりが、そのたった数分の距離が、とても長く感じられた。頭の中では、いろいろな考えが止めどなく湧き上がり、渦巻いていたからだ。本当に逃走中の頭のイカれた殺人鬼がやったのか。だとしたら、早く逃げるべきではないのか。それとも俺たちの中に犯人がいるのか。だとしたら、それは誰なのか。まさか伝説の中の契鬼が、現代に姿を現したのではないか。そして天司のみならず、俺たちを一人ひとり――。

 ありもしない妄想や雑念に惑わされ、まるで状況を整理することができなかった。

 とにもかくにも、警察に電話しなければ。話はそれからだ。

 コテージに着いた俺は、一目散にリビングの電話に手をかけた。落ち着いているつもりだったが、手が震えていて、何度か押し間違いそうになった。それでもなんとか110をプッシュした。

 しかし――。

 いくら待てども、受話器からはうんともすんとも音が聞こえてこない。何度掛けても、どこに掛けても、結果は同じだった。

 繋がらない。それどころか、コール音さえしないのだ。

 他のコテージに繋がる内線はまだ生きているようだが、外部に繋がらないのでは意味がない。

 やられた。

 これは、恐らく外線の電話線を切られたのだろう。天司を殺した犯人の仕業か。

 苛立ちを抑えきれずに、乱暴に受話器を投げつけた。


「くそっ。ダメだ、繋がらない!」


「そ、そんな……」


 愕然とする乃亜。脱力した彼女は、ソファに倒れ込むように腰を下ろした。

 信じられないと言わんばかりの瀬堂が、受話器を手に取り、自分の耳で確かめた。しかし、彼がやっても結果が変わるわけではない。顔が余計に絶望の色に染まっただけだった。

 その後すぐに英介たちがコテージに入ってきた。


「どうだった、警察は? なんて言ってた? どのくらいで来るって?」


 矢継ぎ早に訊いてくる英介に、俺は肩を落として、ただただ首を振るしかなかった。そして、その意味を悟った英介もまた電話機に駆け寄り、自分でそれを確認した。

 凛の方は、相変わらず不安に押し潰されそうな顔色をしているが、先程よりは少し落ち着いているようだった。

 ここへ来る途中、あの惨状を目の当たりにしたのだろう。流石の夕月も、顔が強張っていた。

 無理もない。

 バラバラ死体はおろか、普通の人間の死体だって直接見たことのない、ただの大学生だ。耐性なんてあるわけがないのだから。

 不幸にも何度か事件に遭遇したことのある俺だって、あんな酷い損壊を見たのは初めてだ。未だに、脳はショックを受けている。


「どうすればいいんだ……」


 受話器を元に戻し、英介は頭を抱えた。

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