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英介の言った通り、十分ほどで夕月も森から戻ってきた。
しかし、彼の顔は行った時と大して変わらず、拍子抜けだった。
その後続けて、乃亜、瀬堂、八逆の順に、次々と肝試しが行われた――のだが、皆、案外怖くなかったようである。
最初は震えるほど怯えていた乃亜だったが、戻ってきたときはどうしたわけか、ケロリとしていた。
彼女曰く、「作り物感ありすぎ」らしい。
今回ばかりは夕月も乃亜に同調して、
「そうそう、見た瞬間人形だってわかるんだもんな」
などと、瀬堂をからかっている。俺の反応で、少しばかり高くなっていた鼻も、そのせいでへし折られたようだった。
作った本人の瀬堂はもちろんだが、こういうのには弱そうだと思っていた八逆も、ほとんどノーリアクション。ビビっていたのは俺だけで、また何とも言えず恥ずかしさを覚え、顔が熱くなるのを感じた。周りが暗いのが不幸中の幸いだった。
「ひゃっ」
八逆が突然、女々しい悲鳴を上げた。何事かと見てみると、慌ただしく腕を払っている。
「虫、虫が……」
腕に虫が止まったらしい。この時期の森の中では、よくあることだ。しかし、肝試しには殆ど反応を見せていなかったのに、虫にはこれほど敏感になって恐れ戦くのだから、不思議なものだ。
彼の腕から離れるのが名残惜しそうに、虫は八逆の周りをまとわりつくように飛び回った。まるで妙ちくりんなダンスでも踊っているか、気でも違ったかのように、鬱陶しい虫を追い払おうと、四肢をばたつかせる八逆。
それを見て夕月が呆れた。
「虫ぐらいでぎゃーぎゃー喚くなよ」
「そうは言っても……」
ようやく諦めた虫が何処かへ飛んでいった。
「ふう、やっといなくなった」
冷静になると、さっきの醜態が恥ずかしくなったのか、顔を赤らめて、八逆は話を逸らした。
「……ところで、天司さん、結局いませんでしたね。てっきり脅かしに来ると思ってたんですけど」
「言われてみりゃそうだな。まあ、俺の前に現れなくて、あいつは助かったけどな」
と、夕月は拳を強く握った。
少し懲らしめてやろうという意味合いなのだろうが、物騒で仕方がない。
また天司への愚痴になるのも何か嫌だったので、俺はさらに話を別の方向に持っていこうとした。
「そういえば、不入斗くんもまだ戻ってきてないですけど、遅くないですか?」
何気なく凛に訊いてみたが、彼女は思いの外心配している風ではなかった。
「いえ、ここと街を車で往復するだけで三時間はしますし、買い物する時間も考えたら、四時間くらい掛かるかもしれないですから。まだ十時前ですからね。戻ってきてなくても、不思議じゃありませんよ」
「わざわざ買い出しに行かせてしまったのに、結局蝋燭で済ませちゃって、何だか悪いような……」
「気にしないで下さい。私たちは皆さんと違って、お金を貰ってここへ来ているんですからね」
「彼の食事の方は大丈夫なんですか?」
「もしかしたら街で何か食べてくるかもしれませんし、そうでなかったら、私が適当に作りますから」
彼女はお気遣いありがとうございます、とぺこりと小さく頭を下げた。
最後の英介の番がやって来て、彼が森の中に姿を消すと、
「終わるとやることなくて暇だな」
と夕月が言い出し、結局そのまま自分のコテージへと引っ込んでいった。
時間を確認するためか、凛が携帯を取り出した。画面を一瞥し、すぐにしまおうとしたのだが、目敏い乃亜が携帯のストラップに食いつく。
「あ~、それ、可愛いですね」
ひよこのような形をした、何かのマスコットキャラクターのストラップだ。随分昔のもののようで、すっかり色褪せて汚れてしまっている。
凛は彼女の視線に気付いて、携帯をしまう手を止め、ストラップを掌に乗せた。
「あ、これ? 中学の時の修学旅行で、兼人から貰ったものなんです。兼人も違う色のやつを付けてるんですけどね」
凛は懐かしむような目で、そのストラップを眺める。
それを聞いて、乃亜はにやにやしながら、
「へえ~? ってことは、お揃いなんですね~」
と彼女を見返す。すると、凛は顔を赤らめて、慌てて携帯をポケットにしまった。
「ち、違うから。これはそういうのじゃなくて……」
バーベキューの時に、英介のせいで逃げられてしまった乃亜は、ここぞとばかりに凛と不入斗の関係性を色々聞き出そうとしている。
しかし、途端にガードが固くなった凛から、さらに聞き出すのは無理だと諦めたのか、今度は逆に乃亜が昔を回顧し出した。
「でもいいなあ……。私、女子からは色々貰ったけど、男子からはそういうの、一度も貰ったことないから……」
羨ましそうに凛を見つめる乃亜。彼女は大きな瞳を僅かに細めて、どこかしら寂しげな表情だった。
それから暫く、英介の帰りを待ちながら、残った俺たちは雑談に花を咲かせていた。
その最中、喉が渇いたと言って、乃亜が飲み物を取りに向かった。
俺はというと、また十五分程度で戻ってくるだろうと踏んで待っていたのだが、英介は遅かった。待てども待てども、一向にやってこない。
相当に恐れ慄いて立ち往生でもしているのか。あるいは道に迷ったか。
そのまま彼が森に姿を消してから三十分が経過し、胸騒ぎも激しくなった。中で何か起こっているのか。
「探しに行ったほうがいいんじゃないか?」
と提案してみたものの、瀬堂にあっさり止められた。
「下手に行ってすれ違いになったら大変だよ。もう少し様子を見たほうがいい」
それもその通りだ。冷静になって考えると、この暗い中、まともな明かりもなしに、当てもなく彼を探しに行くというのは、二次遭難などという事にもなりかねない。
と、その時、森に広がる闇の奥から、小さな明かりが見えてきた。ぼんやりとした輪郭のその明かりは、徐々に大きくなっていく。その明かりに照らされ、戻ってきた英介の顔がはっきりと見て取れた。手には御札がしっかりと握られていた。
無事に戻ってきたことに、取り敢えず一安心しながら、
「随分と遅かったじゃないか。何してたんだ?」
と尋ねようと、口を開きかけたその時だった。
――絶叫。
俺たちの後方から、けたたましい悲鳴が聞こえてきたのだ。