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猫の秘密


私は猫である。

名前は「アイ」とかいうらしい。


以前、ご主人より名前を授かった私だったが、未だその意味は謎だ。

胃弱で口が悪いご主人本人は教えてくれない。理由も知らない。私のご主人は大変な吝嗇家なのだ。


そこで私はご主人の生徒(私のご主人は英語教師なのだ!)に聞こうと思ったのだがこれも未だ叶わず。

何故?そんな理由は決まっている。ご主人が許してくださらないからだ。正直なところ、猫たる私に人間の都合など至極どうでもいいのだが、ご主人だけは違う。

私はまだこのボロ汚い家と、めしと、主人の温かい膝は気に入っているので素直に命令をきいてやる。

ふむ、我ながら賢い猫だと思う。こうならば褒美の一つや二つほしいところだ……

と、考えていると上から秋刀魚やら主人の左手やらが降ってくるので、私はここが離れられないのであった。


さて、そんな私のところにも好機はやってくる。

ある日、麗らかな春の日差しの下、縁側でひなたぼっこをしていた私に声をかけるものがあった。


「猫!いるんだろう、猫!」


拙い英語に目線をあげると、垣根越しにひょこひょこと黒い巻き毛がみえる。

ありゃ、これはご主人の生徒であるな。面倒だ……と思ったが、ふと名前のことを思い出し私は彼を招きいれた。

彼の名前はミケ。糸目が特徴的な猫顔の男児である。


実のところ、私は彼が苦手だ。カヨのように遊び甲斐がないというのもあるし、彼は天彰院様のご祐筆の妹さんのお嫁に行った先のおっかさんの甥のひい孫さんだから、というせいもある。

テンショウイン?ゴユウヒツ?――最初は意味がわからなかったが、どうやらそれはこの国独特の身分の呼び名であるらしい。そしてそれにかかわりを持つ彼の家は凄まじく偉い、そうだ。


全くもってバカバカしい話だ。猫に身分を説いてどうだとゆうのだろう?しかし、彼は当然その身分がこの家でも(そして私にでさえ)通じると信じており、その高飛車な態度が私は苦手だった。


「猫!またねてたのか、猫?」


子ども達はいつもそういってべたべたと私の身体に触る。

彼も例外ではなく、私の珍しい金の毛並みや、琥珀色の瞳をまじまじとながめてほぅっと息をついた。

そして、うつらうつらと半ば船をこいでいる私の横で、勝手に母国語で学校やら家での愚痴やら悩み事やらを話はじめ、しまいまでくると私の顔をじっとみる。


何を期待しているのか私はうすうす感づいていたが、決して自分からは近づかないようにしていた。

彼は私になついてほしいのだ。

自分だけの猫になって、自分だけに尽くして欲しいのだ。

しかし私はとても誇り高い猫だから、いつも何も言わず、何もせずそこにいるだけだった。

彼ら、彼女らが落ち着くかご主人が帰ってくるまでずっと。


だが、今日は違った。


ふいにあたりに沈黙がながれ、彼のながいながい話が終わったのを、私を悟った。

そして元から用意していた台詞を紡ぎだし、この胸のとっかかりをなくそうと思った。

すなわち、私の名前である『アイとはなにか、』という命題についてである。


―――…それを尋ねた時のミケの顔を、諸君にもお見せしたかった。


ぽかんと大きく口を開き、いつもつんとすました冷めた目を驚きで丸くする。いやはや面白い見世物だった。かくして私はまた人間の面白さを一つ知った。

そうして見事な阿呆面を私に晒した後、ミケは言った。


「それ、本当に先生がつけた名前か?」


こくん、と頷くとミケは眉をひそめた。

ミケは年齢のわりに大人っぽい仕草をする。なるほど、彼に聞くのは案外いい判断だっただろう。彼は頭もよさそうだし、私の問いの答えも知っているに違いない。


「それは――……」


もにょもにょと言葉を濁すミケ。なんだ、あのご主人のことだからそう大した意味はないと思ったが、違うのか。はやくいえ。


私がせかすと、彼はぱくぱくと金魚のように開けたり閉めたりしていた口をぎゅっとつぐんだ。

日本男児、日本男児といつも煩い彼らしからぬ行いである。

眉をひそめる私に、彼は顔を真っ赤にさせながら、おそるおそる口を開いた。


――しかし。


ようやくミケが次の言葉を続けようとした時である。

がらりと乱暴に玄関を開ける音が聞こえてきたと思ったら、どたどたと五月蝿い足音が鳴り響いた。

どうやらご主人のお帰りのようだ。

私が振り替える間もなく、体が浮き上がったかと思うと、次の瞬間私は貧相なご主人の腕に抱かれていた。

顔をあげると、むっと口をへのくちに結んだ主人が顔を赤くしている。


「×××!」


そして、なにやら異国の言葉でミケにむかって罵ったかと思うと、彼を追い出し、ぴしゃりっと障子をしめてしまったのだ!

その間、私はなすすべもなくそれを見守るばかりである。


ご主人はその後私を寝床に連れて行くとそっと布団の上に私を下ろした

手をぶらぶらと無意味に動かしているのは、あの数分の移動でつかれきったからであろう。ご主人は本当に貧相で情けなく日本男児とは思えないからだのつくりをしている。


「ミケと何を話していた?」


ゆっくりと穏やかな声でご主人が尋ねるので、私は素直にアイの意について聞いたと言った。

途端真っ赤になったご主人に名乗るなと命じられる。何故だ。この国では名は体を表すという。私は私自身の名の意味を知りたい。

そう告げたところ、今度はもう夕食に一生秋刀魚がでてこないぞ、と脅された。


私は誇り高い猫であった。けれど誇りではめしは喰えぬ。喰えぬものを後生大事に抱いているのは猫道に反する。



と、いうわけで私はななしではないが名乗れない、秘密の猫になった。



私は猫である。

名前はまだ、いえない。



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