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第5章『あすたらびすたべいべー』

 はじめは小さな違和感だった。

 朝、起きてみるとゆにこが動かない。

 いつもなら新聞配達についてきて帰りのコンビニで電池をねだるのだが、珍しく目を覚まさない。

 まあ、たまにはこんなこともあるだろうと思って新聞配達を終えて帰ってくると今度はゆにこが居ない。

 綺麗に布団は畳んでるし、押し入れの中も片付けてある。

 いつもならだらしなく散らかしたまま出掛けてるのになぜだか綺麗になっている。

 嫌な予感がしてしばらく家で待っているとゆにこがのそのそと戻ってきた。


 「ただいまですー!」

 「おう、おかえり」


 何事もなかったかのように帰ってきたゆにこに俺は怪訝な瞳を向ける。


 「ん?どうしたですか?」

 「いや……」


 どうしたものか聞こうと思ったが、何故だろうか途端にどうでもよくなった。


 「飯にすっか」


 ゆにこの胸元に六角形のバッジなんかもともとついてただろうか?

 飯を喰って学校に行くと、ほたてが珍しく遅刻する。


 「珍しいな。優等生キャラを演じてるお前さんが遅刻なんて」

 「調整に時間がかかりましてね。いろいろと女の子はデリケートなんです。今度、昭彦さんにメンテナンス依頼してもよろしいですかね?」

 「斜め四五度から力一杯叩く以外の直し方知らねーよ」


 朝が妙に静かでどこか違和感を覚える。

 こんなものかと思えば、確かにこんなものだろうと思える。

 学校が終わって気がつけば家でぼーっとしてた。

 時計はいつの間にか七時だ。

 バイトに行ったはずなんだけど、何をしたかあんまし覚えてない。


 「なんだか、おかしいな」

 「ふぇ?」


 飯をもさもさと喰っていたゆにこが不思議そうに俺を見上げる。


 「なんか、一日があっちゅう間に終わる」

 「……充実した時間を過ごすと体感時間が短くなるという奴ですか?」

 「いや……なんだか一日何したかよく覚えてねえ」


 俺はぼりぼりと頭を掻く。

 腹の按配も悪く、珍しく飯を残してしまう。

 ラップをして冷蔵庫に入れようとしたら今朝には無かったおかずがけっこう大量に入ってたりする。


 「……なぁ?ゆにこ。今日、志乃来たっけ?」

 「ふぇ?あぁ……どうだったですかね。来たような気がするです」


 ゆにこもどこか曖昧に答える。


 「気がするって……おめー、曲がりなりにもロボットだろうに。こう、一度見たものはバビっと覚えてるモンじゃねえのか?ポンコツになったんか?」

 「ポンコツとは失礼ですねっ!記憶領域は正常ですよ!なんなら今日一日の昭彦の声、全部再生してみせるですか!?」


 俺は疑問に思い、首を傾げるとゆにこに頼んでみた。


 「なら、ちょっとバイト中の音声再生してくんねえか?」

 「ふぇ!?」


 ゆにこが驚いたような顔で俺を見る。


 「ほ、本当にやるですか?」

 「ああ、どうにもスッキリしねえんだ。面倒かもしんねえけどちょっとやってみてくれよ」

 「でもでも、凄く時間がかかるですよ」

 「どのみち寝るまでにやることなんざねえんだから、別にいいだろ」

 「それならなんかして遊びたいです」

 「遊びたいっつってもなぁ……お前とトランプしても面白くねえんだよ。お前、手札の傷とか全部覚えてるだろ?神経衰弱とかポーカーやってもモロバレだろう」

 「そーいう昭彦こそトランプ全部覚えてるとかありえないですよっ!はじめて遊んだ時にびっくりしたですよっ!」


 そう、割と記憶力はいい方だったりするんだ。


 「でもお前の方が記憶力はいいだろ?なら、ちょっとお前の知ってる範囲でかまわねえから今日の俺のやったこと辿ってみてくんねえか?」

 「あー、うー」


 ゆにこの野郎があらぬ方向に顔を向ける。

 こいつの嘘を考えるときの癖だ。


 「記憶メモリも沢山残してると邪魔だから、色々と消してるですよ」

 「今日のことくらいはあんじゃねえのか?」


 言葉に詰まるゆにこが嘘だということを雄弁に語っている。


 「でもでも!今日のことでも必要ないことは忘れるです!」


 そう言うゆにこが必死だった。

 俺は釈然としないものを抱えたまま、溜息を吐き出しあきらめることにした。

 何かに追われているあのどうしょうもない焦燥感に捕らわれ続けながら。


 大作が珍しく俺を真剣な眼差しで眺めていた。

 こういう時は決まって大作が厄介なことを抱えている。

 楠大作の天才とは人に理解されるものではないから、色々と問題を起こしやすい。

 それがどんなことであれ、大作に解決できるものであれば大作は一人で解決してしまう。

 だけど、そうでない場合、こうして顔に表れるのが人間だ。

 かくいう俺もまだまだ修行が足りないから顔に出るから人様のことをどうこう言えた義理じゃあない。

 人間、辛い時ぁ辛いからぬ。


 「……おう、大作、なんぞ?」

 「ん、ああ……」


 歯切れの悪い大作を逃がさないように俺はじっと睨み据えると、大作は視線を宙に泳がせた。


 「なんでもない、と言ったところでお前はバカの勘繰りをするだろうから俺は言っておく。まだ、お前の出番じゃない。けっこう厄介な事態でお前に助けを求めることもあるかもしれない。その時には躊躇わずにお前に声をかける。これは決して、俺がお前に迷惑をかけたくないとか、そういうことじゃない」

 「ややこしいな。いつものお前さんらしくねえ」

 「ややこしいんだ。お前に話してやってもいいが、理解は難しい。それを今、話したところで理解は得られない」

 「それなら――」


 俺はいつものように横を向いて、そこに居るはずの。

 何を言おうとしたんだっけ?

 また、違和感を覚える。


 「……あー、うん、そうなんだろうな」


 俺はガリガリと頭を掻きむしりながら大きく息を吐く。

 確かに安堵の表情を見せる大作に俺はうやむやになりそうな手応えを逃がさないように追いすがる。


 「なあ?大作」

 「なんだ?」

 「お前さんがいつぞや言ってた。物事はいつだってシンプルだ。いっぱいっぱい複雑なモンがあるように見えて、それらをスッパリ切り払ったらそこに残るのはいつだって単純な問題なんだ。そいつは俺も理解できる。お前さんは確かに、そう言ったな?」

 「記憶には無いが確かにこの天才が言いそうなことではあるな」

 「こっから先は俺の考え方だ。俺が携帯電話とか嫌いな理由って知ってるか?」

 「難しいからだろう?操作が」

 「別にちんまい電話使うくらいなら俺だってできる。便利だってことも知ってる。バカにすんな。俺が嫌いなのは携帯電話の契約のさせかたが卑怯くせえからだよ。携帯電話の契約ってのはちんまい字で人に見せたくないことをたくさん書きまくって読むのをしんどくしてるだろ?簡単じゃねえのはその中に人に見せたくないモンがあるからわざと難しくしてる。そのシンプルさで訴えても後ろ指さされるやましさがあるから難しくしている。そんな卑怯くせえ連中が卑怯くさく売ってるモンを使うとてめえもそれが当たり前かと思うのが嫌なんだよ」


 理解の早い大作が何かを言おうとする前に俺は告げる。


 「なあ、大作。難しくすんな。すっぱりとマブ唄えや」

 「……バカだから面倒なんだよなぁ昭彦たんは」


 大作は諦めたように肩をすくめて苦笑するが、より真剣な目で俺を捕らえた。


 「俺はお前に嘘をついている。だが、嘘には許される嘘がある。それは善意のためにつく嘘だ。お前が何を言っても、この天才はまだ嘘をつき続ける」


 大作がきっぱりと俺の本心を切って捨てた。


 「……いつかはマブ唄えや」

 「ありがとう」


 俺はまんじりとした焦燥感がちりちりと背中を焼くあの嫌な感覚を抱えながら大作を前に小さく溜息をついた。






 部屋に戻るまでの記憶が無い。

 どこか、身体が鈍く、だるい。

 風邪を引いた訳じゃあないんだろうが節々が痛む。

 ずきずきと痛むのはどっかで転んだからなんだろうか?

 何だかとても疲れた俺は自分の部屋で壁に背中を預けて天井を見上げていた。


 「……あきひこ、大丈夫ですか?」


 おずおずと尋ねてくるゆにこがおろおろしている。


 「んあ?……ああ、大丈夫だ」

 「えと、その、なんか、元気が無いですよ?」

 「まあぬ。だけど、今まで元気が無いのが当たり前だったわけだからまあ、元気っちゃ元気なんだろうさ」


 俺はのろのろと立ち上がろうとしてふらついて尻餅をついた。


 「痛ぇ……」


 ぼんやりとする頭を振り大きく息を吐く。


 「あ、あきひこ、つ、疲れてるなら動かない方がいいですよ」

 「ンな甘えたこと言ってられっか。疲れてても生きてくためにしなくちゃなんねえことは一杯あんだ」


 みっともない姿は見せられないと、震える膝に力を入れて立ち上がろうとする。


 「だ、ダメですっ!」


 ゆにこに押さえつけられ、俺は座り込まされた。


 「……なあ、ゆにこ。俺ぁお前が辛くても尻を蹴飛ばした。そんな俺だから、てめえが辛くても自分のことは自分でやんなきゃなんねえってのはわかるやな?」


 ゆにこがたじろぐのがわかった。


 「……俺にみっともねえ真似させる気か?」


 俺はゆにこを睨み付ける。

 ゆにこはたじろぎ、それでも俺を真っ向から見据えて言った。


 「みっともなくてもいいです。それでも昭彦は私の……殺害対象ですから」


 ゆにこと俺は黙ったまま座り込み、大きな溜息を繰り返した。

 俺はじっと壁に背中を預けたまま、静かに浅く呼吸を繰り返す。

 何だ?何が俺を焦らせている?

 記憶が無いこと?   

それは気がついた発端でしかねえ。

 問題の本質はいつだって遠くて近い場所にある。

 それだけを覚えていりゃあ、その他のことはいつもどうでもいいはずだ。


 「すん……」


 ゆにこが鼻を鳴らして、考え込む俺の膝の上に丸まってきた。


 「……どうした?」

 「こうしたいから、こうしたです」


 ゆにこはもぞもぞと身体を丸め、猫のように俺のあぐらの中に収まった。


 「意味不明だでか」

 「……私にもわかんないです。でも、こうしたいです」


 ゆにこは不安そうに俺の腕に抱きつき、顎を乗せると大きく息を吐いた。

 きゅるきゅるとモーターが回る音みたいなのが鳴り、ゆにこの角から僅かに粒子が零れる。

 所在なげに俺はゆにこの頭を撫でてやると、大きく息を吐いた。


 「……昭彦は私を怒ってるですか?」

 「何で」

 「……殺しに、来たから」

 「何にだって理由はあんだろ。それに、今更だ」


 ゆにこは俺の服をぎゅっと掴んで、角を胸に押しつけてきた。


 「……なんだ?今日はやけに甘えるじゃねえか」

 「可愛いですか?」

 「……ちょっとうぜえ」

 「……そこは可愛いって言って欲しかったです」


 ゆにこは膨れるとどん、と俺の腹に腕を回してきた。


 「なあ、ゆにこ。何にそんなおっかながってるんだ?」

 「何も怖くないですよーだ。これでも最新型のターミーネッタですし」


 俺は大きな溜息をつくとゆにこの頭を撫でた。


 「……昭彦に撫でられると、少し気持ちいいです………ほんの少しですよ?」


 いつまでも素直じゃねえゆにこに苦笑する。


 「あきひこぉ……」

 「……ん?」

 「ずっと、一緒に居たいって言ったら迷惑ですか?」

 「……おめえさんには帰る場所や、収まるべき場所があるだろうに」

 「それは昭彦も一緒です。昭彦こそ、本当なら何事もなくこの時代を生きて、みんなに愛されて死ぬはずだったです。私達が来たせーで、昭彦の人生は滅茶苦茶ですよ……本当に、恨んでいないですか?」

 「おめーが来たことをいまさら無かったことにできるかよ」


 俺はゆにこの背中をさすってやりながら答えた。


 「……昭彦、ありがとうです」


 ゆにこは俺の腕の中で、安心しきったように力を抜く。

 モーターの音が、心なしか心地良いリズムを刻んでいた。

 遠い未来から来た殺戮ロボットが俺の中で今にも壊れそうな決意で動く。


 「昭彦、いっぱいいっぱいありがとう。だから、私はやるです」


 俺の膝の上を飛び降りたゆにこがいたずらめいた笑みを浮かべた。


 「あん?」

 「あきひこの喧嘩、私が買って来ますですっ!そのために、行ってくるです」

 「あに言ってるんだお前?」


満面の笑顔で笑った。

 そして、どこか少し寂しげな目で呟いた。


 「バイアス・ジ・ビエスタ起動。デストロイドロックブレイク……元気でね!マイターゲット」







 気がつけば新聞を配っていた。

 朝の冷気がやけに冷たく感じる。

 だるく、重い身体を引っ張って自転車のペダルを漕ぐ。

 いつだって必死に生きてきた。

 今日も、これからも、この先も。


 「はぁ……」


 吐き出した吐息が白く、赤く焼ける朝の空に溶けてゆく。

 細めた目の向こうにゆっくりと登る朝日にどこか寂しさを覚える。

 この時間になると、決まって空を見上げる自分がちょっとおかしい。

 感傷に浸る年でもねえくせに一丁前に。

 俺はそんな不様な自分がなんか嫌で、ブルゾンの襟を正す。

 配達が終わると自分にゃにつかわしくない小さな女の子のキーホルダーがついた家の鍵を弄びながらコンビニの前で足を止める。

 電池を買う用事なんざ無いのに、なんだか買わなくちゃいけない罪悪感があんのはなんでだろうかね。

 俺は缶コーヒーとマンガン電池を買うと首を傾げながら精算を済ませる。

 誰も居ない家に帰ると、着替えるとそのまま少し待ってみる。

 早く学校に行けばいいのになんだって待ったりするんだろうな。


 「ふんむ……」


 タンスの中にゃあ、昔誰かから預かった女物の衣服が沢山入ってやがる。

 なんで入ってるのかは良く思い出せないが一着足りないことだけは何故か覚えてる。


 「……俺って変態だったっけか」


 エロいのは認めるが、それは少し無理がある。

 けっこう大事なことだと思うが、どうでもいいかと捨て置くと学校に行くことにした。

 登下校中はなんか妙にそわそわする。

 別に誰かと登校する訳でもねえのに、誰かに会うんじゃないかと落ち着かない。

 教室についても周りをうろうろ見回して、楠の大作が見つかると何かが足りないような気がしてならない。


 「なぁ、大作」

 「……なんだ?」

 「俺、なんか忘れてる気がするんだが、何だかわかるか?」

 「俺はいつお前のお母さんになったんだ。俺は天才であってお前のお母さんではないからな。お前が何を忘れてきたのかまではさすがに知らんわ」

 「だよな。俺は一体何を聞いてンだろかや」


 なんだか無性に不機嫌になってくる。

 なんか引っかかってる。

 だけど、そんなもんかとも思えてくる。

 それがどうにも許せない自分が居るから不機嫌なんだ。


 「なあ、大作さんや」

 「なんだね昭彦さんや」

 「人間、惰性に流れたら肉の詰まった糞袋って誰が言ったっけや?」

 「この天才ではないことだけは確かだ。推測するに、一般的に頭のいい奴でもないだろう。頭のいい奴は惰性に流れるために一生懸命になるからな。思うにそんなバカなことを言いそうなのはお前くらいしか思いつかん」

 「なんだっけな、その考え方。消防法でもねえし」

 「消去法だ。可能性の全部を否定して、残った可能性を帰納的に断定する論法だな。天才としては未知の可能性を見ないようになるから嫌いな考え方だが、一番有効な方法でもある」

 「ああ、聞いたことがあんな。ただ、その未知の可能性を含めてしまうと、最も正解に近い答え以外の可能性を全部否定しなくちゃいけないから、なんだっけ……デビルライト!になるんだっけな」

 「悪魔の照明?ライトじゃなくて証明な。元々、ヨーロッパの土地の所有権を争う裁判の最中に生まれた言葉らしいがな。消極的事実を片っ端から否定するのは無理だという話だな」


 消極的事実がどうとかなんとかどうでもいい会話でもある。

 だが、いささかそれすら俺はなんか引っかかってしまう。

 そんなことを気にする程頭が良い訳じゃあない。

 ただ、俺の積んできた経験が引っかかったことをそのままにせずに胸にストンと落ちるくらいスッキリさせなければならないと言っていた。

 そうでなければ、あいつとの喧嘩にも勝てない訳だったからで。


 「……あん?」


 俺ぁ、別に高校に通うようになってから喧嘩はやってねえ。

 小坊や中坊の頃はバチバチやりあってたはずなんだがどこのどいつとやりあってたのか思い出せねえ。

 これだ。

 これが引っかかりの根っこだ。

 そう確信する。


 「……なあ大作母さんや」

 「どうしたんだい昭彦坊主」

 「俺、昔、結構喧嘩してたっぽいけど、俺、誰と喧嘩してたか知ってるかや?」

 「若年性健忘症なうえに、あれだ。不良漫画とかで昔、俺はどこそこの誰それとタイマンでやりあって勝ったとかいう武勇伝を人に語らせるアレかね。残念だが天才は取っ組み合いの喧嘩にもの凄く弱いのだぞ?そういう時は危険な薬品を使うことに決めている」

 「……あー、もうちっとなんだがぬ」


 ホームルームが始まる鐘が鳴る。

 結局、忘れていたのは宿題だった。

 先生も俺が宿題を忘れていることを珍しがっている。

 あんまし頭はいい方じゃねえが、じじばばに銭出してもらって行かせて貰ってる高校で宿題サボるような義理筋は欠かすようなことは自分でもしないはずなんだが。


 「なんだか、疲れているな?昭彦さんや」

 「天才様はきちんと宿題やってきてるんだろう?」

 「いや、お前の嫁に見せて貰おうと思って……まあ、なんだ、忘れてしまった訳だよ」

 「天才が宿題を忘れるとか話にならんぞ……ってか、お前、今、お前の嫁とか言わなかったっけ?俺は人生の墓場に足を突っ込んだ覚えはねえぞ。そういや志乃の奴の姿が見えないな」


 そうだ、志乃。志乃に宿題見せて貰おうかと思ってたんだ。

 あいつのノートはあれで俺に分かり易いように注釈まで加えてくれてるから凄い助かるんだ。


 「習慣とは怖いものだな」


 大作が妙にバツの悪い顔をしてやがる。


 「風邪なんか引いたことのねえ志乃が珍しい。どれ、ちっくら今日帰りに様子でも見てくるかや」

 「……お前こそ珍しい、風邪でも引いたのか?今日は帰って休むといい」


 確かに頭が痛くなるほど、重い。

 吐き気とだるさ、胸のむかむかを覚える。


 「義理事じゃい。確かに俺も……なんぞ風邪っぽいが志乃に世話になってんのは確かだ。これで……痛ぇな……看病にも行かないようじゃただの糞野郎じゃねえか」


 俺はぺらっぺらな財布の中身と相談してとりあえず、玉子とネギを買ってきゃむこうで粥でもこさえてやれるだろうと思い、粥ってどうやって作ったか考えてみるが自分の人生で粥をこさえたことがないことに気がつく。

 でもまあ、なんとかなるだろうと思い、大作の後ろからこっちを見てる金髪美人を見て頭を振る。

 そういや外国からうちのクラスに留学してきてる奴だったと思い出すが、長い名前を思い出せず、とりあえず、無性に昔、耳吊りで穴をあけたほたてを思い出して首を傾げる。

 学校が終わるまでけだるさは続き、終わる頃にはいよいよもって目眩が酷くなった。

 だけど、俺はのろのろと重たい身体をひきずってスーパーで買い物をする。

 買い物篭で十分なのに、カートを押してる自分にどこか違和感を覚えながら玉子とネギだけを精算する。

 レジ係の佐藤さんが俺に微笑んでくれる。


 「今日はあのちっちゃい子、一緒じゃないんだ」


 ちっちゃい子?

 ああ、あの。


 「ええ、ちょ……痛ぁあっ!」


 頭をハンマーでぶん殴られたような衝撃が襲う。

 本当に風邪か?

 脳溢血とかじゃねえかと心配するくらいの頭痛に悶えていると佐藤さんが心配そうに俺を見ている。


 「だ、大丈夫?き、救急車呼ぼうか?」

 「救急車より……レッカー車の方が必要だったり」


 苦笑してみせてさらに頭痛が酷くなる。

 俺はそそくさとその場を離れると、玉子とネギを抱えたまま、スーパーの入り口にあるガシャポンコーナーの前で息をつく。

 頭痛は治まったが、胸のむかむかが止まらない。

 一端家に戻ろうと思ってポケットから鍵を出すと、角の生えた女の子のキーホルダーを手にして、そういやこれはここで当てたモンだと思い出す。

 ガンダムのガチャポンをしようとして、隣のプリなんとかのガチャポンを回したんだっけか?

 でも、見てみるとこれと同じ人形はおいてなかった。


 「っかしいな……」


 俺は首を傾げてスーパーを出ると先に見舞いを済ませようと思った。

 動けない程きっついのは志乃も一緒だろうから。






 俺は志乃の家につくと、唖然とした。

 激しい頭痛が頭をぶん殴り、脳天から股の先まで貫き、それが過ぎるとばらばらと記憶の糸がほぐれていく。

 空き屋となっている高級マンションの一室にはガムテープで目張りがされており、電気メーターが埃を被っていた。

 鍵がしっかりとかけられた志乃が叔父や叔母と暮らすマンションには人の気配が全く無かった。


 「何でだ?」

 「……だから、言ったはずです。理由を知るべきだと」


そこに居たのはクラスに来た留学生。

 いや、カウンターネッタの一二番。


 「……ほたてか」

 「その名前、私はあんまり好きじゃあありません」


 ほたては俺をじっと見つめながら続けた。


 「作戦番号一九一番がエリートターミーネッタであるというのは一部の側面で正解です。彼女はこの先八千万年の世界を相手に戦ってその全てを殲滅させるだけの火力を有しています。本来、当該時代における人間一人を抹消するのは彼女の性能をもってすれば有り余る火力なんです」

 「何を言ってる?」

 「作戦番号一九一より以前にも、あなたの殺害を試みたターミーネッタは居たということです」


 俺はその可能性の一つを知っている。


 「本来であれば自然に即した流れであなた一人をこの時代から抹消すれば済む話で、そういった作戦の場合、火力戦に優れるターミーネッタより情報操作能力を重視したターミーネッタの方が適任です。情報戦に特化した個体が火力戦に移行しても当該時代におけるどんな軍事力をもってしても対処できるものではないのですから」

 「俺は……ゆにこ以外にもターミーネッタに会っている?」


 俺の中の全ての疑問が繋がっていく。


 「事象収斂性におけるあなたの存在をそれでも危険と称した我々の時代では作戦番号一番をあなたに差し向けました。彼女は執拗にあなたを自殺に追い込むことに執心し、それがいつしかあなた個人へ対する執心に変質し、あなたを殺害しようと送られたターミーネッタの悉くを翻弄しました」

 「……翻弄?」

 「つまり、騙されたのですよ。あなたを発見することに至らず、未来へ帰還させた。私も天才楠大作の助言が無ければそのターミーネッタを発見することができませんでした」


 どういうことだ?何を言ってやがる。


 「あなたは、一度、あの遊園地でその個体に会っているはずです。答えをお見せしましょう。これ以上は大作氏のオーダーといえど、隠し通せるものではありませんから」






 景色が変わった。

 どこまでも落ち、上昇してゆく感覚がマーブル模様に彩られた崩壊した町並みの中に自分を置く。

 ビルの残骸が立ち並び、どこか酸っぱい匂いを散らすこの空間はとても居心地が悪い。

 崩壊したビルには人の顔が苦悶を浮かべたまま黒い染みとなってこびりついており、それがゆらゆらと揺れて、俺を見上げ、何かを叫んでいた。

 針のように突き出した鉄骨には風化した骨が絡み、かさかさと揺れている。

 剥けたアスファルトからは敷き詰められたケーブルが燐光を放ち、縦横無尽に走っていた。比喩ではなく、文字通り這うように蠢いている。

 緑色の燐光が僅かに足場を作り、俺を支えると隣に武装を展開したほたてが浮遊していた。


 「同位相にある後退時間軸に入りました。時間が後退する感覚は現代の人間には耐えられるものではないので私の機能で体感時間の概念を逆行させています……大作氏には今まで通りに感じられると説明すれば事足りると言われています」


 空を白い羽虫の大群がうねり、泳いでいる。

 その真ん中で赤い燐光が鋭角に走り、羽虫を燐光に飲み込んでいく。

 その傍らを青白い燐光が渦巻き、羽虫を飲み込み渦を巻く。

 それらが弾け、赤い光がふらふらと地面に突き刺さり激しく燐光をあげる。

 俺はこの景色を知っている。

 あの赤い光も知っている。

 赤い光の中、鋭角的な装甲に身を包んだ志乃がよろよろと起き上がっていた。

 裂けた腕から赤い燐光が零れ落ち、ゆにこと同じシャフトが見えた。


 「……バイアス・ジ・ビエスタダウン。第三領域での認識制御を四種並列実行。損害認識を別次位相へ転換、転換率……一〇、九、八……」


 志乃がほたてに連れられた俺を見て赤い燐光を収める。


 「……志乃」

 「あ、昭彦……こ、これは……」


 狼狽える志乃を見たのははじめてだった。

 志乃の身体を包むのは多分、未来の装甲かなんかだ。


 「み、見ないでくれ」


 志乃は泣いていた。

 胸元にある六角形のレドームが赤く発光している。

 瞳がぶぅん、と音を立てて揺れた。


 「わ、私は……」


 俺はここに来て全てを思い出した。






 ガキの頃の記憶だ。

 両親に連れられて遊園地に遊びに行った俺は大いにはしゃぎだった。

 親父は夜と週末にしかいねえから親父に遊んで貰えるってのが子供の俺にとっちゃものすごく珍しく、それでもってとてつもなく楽しいモンだった。

 その親父が遊園地に連れて行ってくれるっていうんだ。

 色んな乗り物に乗れるし、アイスだって食べられる。きっと、帰りはレストランかラーメン屋でハンバーグセットか味噌ラーメンが食べれる。

 それだけで無意味にテンションをあげられるのが子供で、俺だってその時ぁそれで幸せになれるガキだったんだ。

 お袋とメリーゴーランドに乗った。

 風船を貰ってはしゃいで転んで、膝を擦りむいて、親父とゴーカートに乗ったんだ。

 それからミラーハウスに行って、お化け屋敷が怖いってぐずってたんだよ、俺は。

 でも、親父がどうしても俺と一緒に行きたくて俺は泣いてダダをコネたんだ。

 だってよ。ギロチンで真っ二つにされてるゾンビが入り口に吊されてるんだ。

 前に見たホラー映画のような怖い化け物が一杯いて脅かしてくるんだ。

 俺は泣きながら走って逃げたんだ。

 でも、親父やお袋からそんなに離れた場所には行かなかった。

 売店のテーブルにしがみついて泣いてたんだ。

 ここまで泣けば親父やお袋もホラーハウスには行こうとはしねえだろってガキの心理でやっただけだったんだ。

 空が、一回だけ赤くなったんだ。

 それから気がつけば誰も居なくなった。

 あれだけ騒がしかった遊園地が一瞬で、静かになったんだ。

 親父も、お袋も居なかった。

 他の人も居なくなったなんてその時ぁわからなかった。

 ただ、俺がダダをこねたせいで親父とお袋が怒って居なくなったと思ったんだ。

 親父はじじいの息子だけあって、俺があんまりわがままだと厳しく叱った。

 だから、俺はまた怒られると思って、謝ろうと思って親父とお袋をさがして回ったんだ。

 ミラーハウスの中にも、メリーゴーランドにも、ゴーカート乗り場にも、まだ乗れないジェットコースターにも、親父やお袋は居なかった。

 俺は泣きそうになって、泣いたら親父に怒られると思って泣くのをやめた。

 男の涙ってのは自分のことで流しちゃいけないんだ。

 その意味がわかるのはまだ先だったけど、俺は親父に怒られたくなくて、必死に泣くのを止めたんだ。

 そん時だ。

 そん時に、赤い光の中にあいつが居たんだ。

 小さな、女の子だった。


 「殺害対象、永峰昭彦を確認。周囲の認識操作、段階一を完了……これより、周囲の状況操作に移行する」


 俺の方を恨めしそうに見ていた。

 俺はきっと親からはぐれたんだと思ったんだ。

 幼稚園で同じ組の女の子と玩具の取り合いで喧嘩した時、家に帰ってお袋に怒られた。

 男の子が女の子に手を挙げちゃいけない。

 男の子は女の子を守ってあげなくちゃいけない。

 親父とお袋が居なくなった俺は、二人に戻ってきてもらいたくてそいつの手を取ったんだ。


 「……永峰昭彦の意識の錯綜を確認。意識領域の狭量から現時点、必要最小限の認識改編を行う。認識情報割り込み容量を確保……刷り込み、開始」

 「名前、なんての?」


 俺は多少どぎまぎしながら名前を聞いたんだ。


 「作戦番号一番。ターミネッタCNオペレーティングタイプ。名乗ったところで覚えていられる訳はなかろうがな。今からお前は死ぬ」

 「しぬ?さ……たねしぬ?」

 「ターミーネッタCNオペレーティングタイプ。まだ、ろくに発音もできない子供が私の最初の抹殺対象とはな……」


 なにやら不機嫌そうにぶつくさ言っていたあいつが、俺はてっきり親父やお袋が居なくなって寂しくて喋ってるんだと思ってたんだ。


 「うん、大丈夫だよ」

 「……大丈夫とはな。現状を全く理解していないのも困りものだ」

 「お父さんとお母さん探そうね」


 俺はあいつの手を取って遊園地の中を探し回ったんだ。


 「……貴様、一体なんのツモリだ?」

 「お父さんきっとこっちいる」


 親父とお袋に見つけてもらうために、俺はあいつの居るはずもない両親を一生懸命捜したんだ。

 昭彦、偉いぞ。

 そう褒めて貰いたくて、また、一緒に親父やお袋と遊びたくて、あいつの手を引っ張って遊園地中を探したんだ。


 「……どこに連れて行く気だ?害意は無いようだが、行動が意味不明すぎる」

 「大丈夫だかん!お父さんとお母さん俺がみつける!」


 俺は泣き出しそうになるのを必死に堪えていた。

 女の子の前で泣くのはみっともないことだってのは知っていた。


 「名前、なんての?」

 「……ターミーネッタCNO。認識制御の間だけの位相退避なのだが……まさか子守をすることになるとはな」

 「しぬ?」

 「CNOだ」

 「しーえの?」

 「好きに呼べ」


 諦めたあいつがどこか退屈そうに見えて、俺は自分の持っていた風船をくれてやったんだ。


 「これ、やる」

 「いらん」


 あいつは俺の風船を振り払い、不機嫌な顔をしたまま俺を睨み付けた。


 「鬱陶しい奴だ。貴様は絶対私が手を下してやる。生きているのを後悔するくらいの酷い目に遭わせてやる。貴様が死んだ後、貴様の死体に唾を吐きかけ、蹴飛ばしてやる。今から覚悟しておくといい」


 がーがー喚くあいつは俺から見たら、親が居なくて不安になってヒステリックをおこしたようにしか見えなかった。

 だから、俺はポケットから飴を手にとるとあいつの口にねじ込んだんだ。


 「っ!……ぶふぁ!何をする貴様!……飴?」

 「おいしい?」


 俺は屈託なく笑ってやると奴は鼻で笑うように俺を見下したんだ。


 「ふん。つくづく訳のわからぬ奴だ。貴様の顔が苦渋に歪むのが楽しみでしょうがない。せいぜい、楽しませてくれよ?」


 それは凄惨な笑みだったが、俺はとりあえず機嫌を直してくれたんだと思った。


 「しーえの」

 「ターミーネッタCNO……長期間の滞在になりそうだ。この時代での仮称を定めておかねばならないのも事実か」


 一人でぶつぶつ呟くあいつが、また寂しくなったら困ると思って俺はあいつの顔をこっちに向けて大きな声で叫んだ。


 「たみねた、しの!」

 「なんだやかましい!」

 「泣くな!いたくても、じぶんのためにないちゃだめなんだぞ!それはかっこわるいんだぞ!」

 「貴様をいずれ、散々泣かせてやる。泣くのを諦めて自分で死ぬ日が来るのを心待ちにしてやる。貴様の最後は決して他の誰にも譲らん、私が、お前の手で、殺してやる」


 元気を出したと、思ったんだ。


 「それでいいんだ!」


 あいつは驚いて、それから笑ったんだ。

 傑作だったんだろうよ。

 てめえが殺される相手にそれでいいとか言われたんだからな。


 「覚えておけ、永峰昭彦。私は貴様が死ぬ最後までつきまとってやる」


 俺の景色はそこで終わったんだ。

 青い空を見上げながら、俺は遊園地の職員に手を引かれていた。

 色々とアナウンスをかけてもらってるのは知ってた。

 職員のおっちゃんがソフトクリームを買ってきて俺に喰わしてくれた。

 でも、それは本当は親父やお袋と一緒に喰うもんだと思うと、俺はいつまでも手の中で溶けていくソフトクリームを眺めるしかなかった。

 夕方になって、夜になって、パトカーが来たんだ。

 パトカーの中は煙草臭くて、親父の匂いがした。

 黒い革張りのソファは親父の車より立派で、運転席の横には格好いい機械があってアニメのようになんか格好いい声が流れていた。

 パトカーに乗れたことを幼稚園で自慢しようと思っているうちに警察署についたんだ。

 怖いお巡りさんがガミガミやりながら一生懸命、電話してた。

 ベンチに座っているうちに眠くなったんだ。

 親父やお袋にダダをこねたから、あいつの両親を捜せなかったから俺は親父やお袋に見捨てられたんだと思ったんだ。

 空調の効いてない警察署の中で、明滅する蛍光灯を見ているうちに凄く、寂しくなったんだ。

 泣きはすまいと膝を抱えて震えていると、警察官のおじさんが「坊主、偉いな」って撫でてくれたんだ。

 全部、全部知ってそう言ってくれた姿が親父みたいで不覚にも涙を流したんだ。





 思い出した。

 叔父の家でぞんざいに扱われた影に、あいつの姿があった。

 どうしょうもない中で泣きはすまいと震えていた。

 そんな俺を引き取ってくれたじじのところでも、こいつは俺の目の前に現れたんだ。

 もう、こいつと出会ったことすら忘れてしまっても、こいつの方は忘れてはいなかった。

 こいつは俺を殺そうとしてたんだ。

 嘘じゃなくて、本当に。

 でも、俺は俺を愛してくれた人の愛を嘘にしたくないから。

 だから、必死に、必死に不様になるまいと。

 負けないように必死に、必死に生きてきた。

 憎むことを覚え、恨むことを覚え、そして、耐えることを覚えて。


 「……お前は何故、そこまでして」


 勝つことを決めたんだ。

 はじめてあいつとの喧嘩に勝った時、俺は自分をがんじがらめにする全ての不条理の一つを確かに、自分の手で打ち破れた気がした。


 「俺のじいちゃんが言ってた。男は女に手を挙げちゃなんねえ。だから、これで手打ちにしようや。いつまでも殴り合ってると疲れンだわ」


 唖然としていたあいつの顔を思い出す。

 でも、どれもこれもそれも全部、全部。





 「彼女が作戦番号一番、ターミネッタCNオペレーティングタイプ。まさか多峰田志乃というそのままの名前で居るとは思いませんでした」


 こいつが作ったんだよ。





 俺は目の前でぼろぼろになってうずくまる志乃を見下ろし、大きく息を吐いた。

 志乃は俺に懇願するように泣き始めた。


 「すまない……私は嘘をつき続けた。お前から大事な物を奪ってしまった。お前が当たり前に受け取れるものを、私が、奪ってしまったんだ。私は不様だ。それでも、お前には恨まれたくない、憎まれたくない、だから、不様な嘘をつき続けたんだ」


 俺は赤く染まった空を見上げて大きく息を吐いた。

 恨んでねえと言えば嘘になる。

 だけども、それにゃあ理由があって、そいつはこいつらにとっちゃのっぴきならない事情なんであって。

 関係ねえよと恨むのは簡単だけど、いまさら恨み言の一つでも言えるようなゲスっこきになる度胸もねえ。

 だから、自分でもわかっちゃいるけど、どうでもいいことで誤魔化そうとしちまう。


 「お前達が俺に仕掛けた喧嘩なのに、お前らが俺の喧嘩買ってんじゃねえよ」


 俺は空を縦横無尽に走る白い羽虫を見上げ、小さく呟いた。

 青い燐光の中心には巨大なウニのような戦車に乗るゆにこが居た。

 ウニのように見えるイガイガはそれ全てが砲身で、絶えずレーザーを撃ち出し、白い羽虫を迎撃していた。

 羽虫の一体が俺たちのすぐ側に落ち、盛大に爆発する。

 白い光の粒子をまき散らしながら爆発するそれは近くでみるととても巨大なロボットだった。


 「あぁぁぁ……きひこぉぉぉぉッ!」


 ウニの中でゆにこが驚いた顔をしてやがる。

 俺は目を細めて睨みつけてやると、ゆにこはほたてを睨んだ。


 「どうしてですかっ!絶対に連れてきちゃダメって言ったです!どんなことをしても昭彦を守るのがほたての役目ですよ!私たちが、負けちゃったらどうするですかっ!私の言うことを聞けなかったですかっ!」


 白い羽虫の中で、ウニを巧みに操作しながら降りてきた。

 ほたては首を左右に振る。


 「……あなた達がメイリアのオーダーを放棄したことと同様に、私もメイリアのオーダーを放棄、そして、ゆにこさんのオーダーを放棄しました。その理由は言語というツールでは認識に齟齬が生まれます。ただ、私たちはそれを経験知覚に落として、理解しているはずです」


 ゆにこも、志乃も俺を見る。


 「……ここまで来てしまったのは永峰、昭彦さんです」


 ゆにこが辛そうな顔で俺を見下ろしていた。

 ゆにこのウニはバチバチと青い燐光を吐き出し、今にも爆発四散しそうだった。

 その真ん中に居るゆにこだって無傷じゃあ、ない。


 「どうして来たですかっ!ここは昭彦が来るような場所じゃないです!メイリアが昭彦を見つけたら、確実に殺すです」

 「メイリア?そういや、ほたてがゆにこと会った時にちらっと言ってたな」

 「……私たちのいわゆるマザーです」


 それが、親玉なんだろうか?

 志乃が満身創痍の身体を起こし、訴える。


 「昭彦、私にお前に言葉を投げかける資格が無いことは理解している。だけど、それでも!ここに来てはいけな――」


 白い羽虫たちが一斉に白い光芒を吐き出した。

 狙い違わず志乃を貫いたそれが閃光を広げ、赤い燐光を飲み込もうとしていた。

 理解の追いつかない俺の目の前で、志乃が弾む。

 ほんの僅かに残った赤い燐光が燻っている。


 「あき……ひこ……逃げ……」


 ぼろぼろになった志乃がそれでも俺に逃げろと言った。


 「逃がしたらいーけないんですってば!」


 場違いに、明るい声が響いた。

 白い羽虫たちが白い燐光をあげて空間を揺らすと溶け出し、消えてしまった。

 虚空に生まれた海からそれは姿を現した。


 「単一の目的の遂行を前提として、調律された半生半機のアンゲロスがその使命を放棄することはまず、あり得ない。それを行わせるあなたの持つ波動力量は時を経て、潜伏し共振することで、大きな波紋を産み世界を崩す」


 白い布を纏っただけの清楚な少女だった。


 「事象収斂性とは存在の持つ可能性波動が一点において共振点を形成し、強く、強くその事象を発生させること。本来それは単一に放つもので我々のような次元の外に居る者には効果が無いはずなんですが……あなたは、いわゆる次元を越えて波を放つ」


 少女は俺をいたずらめいた笑みを浮かべて見下ろしていた。

 少女はひたひたと素足で歩き、俺の前に立つ。

 ゆにこが叫んだ。


 「あきひこ、逃げるですよっ!それがメイ……」


 少女が片腕を振るった。

 ウニが中心から真っ二つに裂け、爆散する。

 青白い燐光の渦に巻き込まれ、ゆにこの身体が宙に放りだされた。


 「そう、私はメイリア。この世界の初期時代の管理を任されている固体です」


 彼女はそう俺に告げた。

 その顔がやけにむかついた。

 人を見下した上で、圧倒的な余裕を持った奴だけが持ってる優しいけど、胸くその悪くなる笑みだった。


 「知らねえよ。一体、どこのどいつさまかね」

 「あと三千万年までは私の管理ですので、名前くらいは聞いたことがあるとは思いますよ?」

 「知らねえっつってんだろ」

 「かつてはマリアと呼ばれたこともあります。私が作ったクリィストというカルチュアンネッタ等は未だに有名なのですが……宗教についてもあまり、知識がありませんか?」

 「カルチュアンネッタ?」

 「事象収斂現象の対事象を破壊した時に起こる、パラドクスウェイブの余波で発達の遅れた未成熟な精神文明を一定の精神文明レベルに引き上げるための機械生命体です」

 「知らねえよ。どこぞの新興宗教の教祖様にでもしたんだろうけど、あいにくいつの時代の誰様か平成原人の俺にゃあ関係ねえよ」

 「概ね、二千年くらい前で、今でも四大宗教の一つのはずなんですが……私が海でスリープ状態に入ってる間になくなってしまってるのでしょーか……」

 「知るかよ。クリィストだかキリストだか……」


 俺はふと、一つの推測をして息を飲んだ。


 「冗談だろう?一旦死んで数日後に蘇ったとかいう話のアレの母親だってか?」

 「あ、はい。そうです。あの時代は今より文明も発達してなかったので生き返って見せたり、湖の上を歩くように飛ばせてみたりしても奇跡で済む便利な時代でした」


 そう言ったメイリアはどこか嬉しそうに笑った。


 「まあ、そういう訳で一応、人類の物質期を管理させていただいておりまして。一億年後の世界終焉点の回避のために、あなたを殺害させて頂きたいと思います」


 メイリアはまるで、淡々と行う事務手続きのように俺に告げた。


 「それまでに少し、私の仕事をしたいと思います」


 ゆにこ達が燐光を放ちはじめる。

 全身から煙を吐き出している志乃ですら立ち上がり、臨戦態勢を取った。


 「……死ぬものかよ。私には……やりたいことが、ある」


 膝が小さな爆発を起こし、志乃がよろめいた。

 それでも燐光が剣を形成し、メイリアに向けた。


 「理解できないですねー。ターミーネッタでは管理権限を持つ我々に盲従し、自らの意識を持たない。持ったとしてもそれは管理個体の意思の範疇内での嗜好でしかない。殺害対象に好意を持つ……いえ、管理個体の意思に背くなど無価値の極み……いわゆるナンセンスなんですってば」

 「価値など無い。だが、それこそが我々と人間の違いであることを知った」


 志乃がメイリアに不敵な笑みを向ける。


 「……全てのものには意味がある。だが、その意味を越えて大きな意味を求めることができることこそが、人間なのだ」


 志乃の赤い燐光が炎のように噴き上がり、全身に装甲を再展開させる。


 「だからこそ、自らの価値を捨てることができるっ!」


 残像を残して志乃がメイリアに疾走する。

 噴き上がる燐光が衝撃にいくつもの輪を作り、メイリアに迫る。

 メイリアがりん、と澄んだ音を立てると志乃の軌跡がジグザグに変わった。

 志乃の軌跡が折れた場所で白く空間が爆ぜて渦を巻き、景色が無くなる。

 メイリアに肉薄した志乃が燐光の剣を突き抜こうとした一瞬、メイリアが笑った。

 ぎぃん!と、空間が割れて志乃が弾けた。

 志乃が突進した勢いのまま、はじき飛ばされ宙を舞った。

 何度も地面に激突し、燐光がぎゃんぎゃんと音を立て、爆ぜては消えた。

 地面を転がり、ようやく止まった志乃が、よろよろと起き上がろうとする。

 その周囲で白い燐光が突然現れて爆発した。

 幾重にも幾重にも爆発が重なり、弾けた燐光が渦をつくる。

 最後に一際おおきな爆発を作り、収束した次の瞬間、地面に志乃が倒れ伏せていた。


 「人間に憧れる機械生命体ですか。この時代にもそういった内容のエンターテイメントがあるそうですね。感化されましたんでしょうか」


 メイリアが面倒臭そうに呟いた。

 そして、僅かに驚いて見せた。


 「おや、機能を停止したと思ったのですが……まだ、動けますか」


 志乃がそれでも起き上がった。


 「……何度でも、立ち上がるさ」


 血のように燐光を零しながら志乃は微笑んだ。


 「昭彦が、居るのだ。昭彦が、私を見ているのだ。何度倒されようとも……立ち上がってみせる」


 いつか、俺が志乃に言った言葉だった。


 「喧嘩は最後まで立っていた方が勝ちだ。たかだか一度や二度、倒されただけで諦めて、たまるものか」

 「時間資源の浪費ですね。被我の戦力で対処できない問題に遭遇した場合はすみやかに撤退するように設定したはずなのですが」


 メイリアは大きな溜息をつくと、白い燐光を手の中に産み、揺らめかせた。

 次の瞬間、輪郭が歪み、瞬時に志乃の前に現れるとその光を志乃に重ねた。


 「コンセプトブラスト、どうぞー」


 白い閃光が轟音を伴い広がった。

 志乃を中心に広がった閃光がまるでカメラのフラッシュのように瞬き世界を染め上げた。

 その爆心地で志乃の赤い燐光が白い燐光に飲み込まれてゆく。


 「ほたて!ブラスト来るですっ!概念重複防御っ!」

 「やってますっ!」


 その余波に巻き込まれないようにほたての緑色の燐光が広がるが閃光がその燐光を吹き飛ばした。

 割って青い燐光が俺を守ろうとするが、そんなものすぐにも吹き飛ぶ。

 白い閃光が俺を飲み込んだ時、俺の意識に幾ばくかの空隙が生まれた。

 本能的に、これがまずいものだと悟った。

 ブレる自分を必死に抑え、覚悟を決めて吠える。

 俺は必死に自分が無くならないように強く保ち、白い閃光が収まるのを待った。


 「……凄いですねえ、この時代の人間が概念攻撃に耐えれるとは思わなかったです。存在波動を重複させて概念を再定着させるなんて……理論上ではどうにかなるのでしょうが……まさか、概念崩壊余波の物理衝撃まで飲み込むとは想定外でした」


 メイリアは俺の方を見て、小さく微笑んで見せた。

 俺がまんじりとにらみ据えるメイリアのその向こうで、満身創痍の志乃が勢いよく立ち上がる。


 「私の夫だ。当たり前のことを言うなっ!」


 メイリアに向けて赤い燐光の剣を振り下ろした。

 だが、それはメイリアの身体を通り抜け、地面ともつかない空間にぶち当たり、霧散する。

 メイリアは身体の中心から剣を唸らせたまま、僅かに背を逸らす。


 「自分のことをあるようで無くしてしまう……つまり、虚数概念までに換えてしまうのはCNタイプの機能にもあるはずなのでしょう?」

 「そこから引っ張り出してやる」


 志乃の腕の装甲がめりめりと音を立てて変質し、巨大化するとメイリアの肩を掴む。

 肩に触れた瞬間、赤い輪が広がり、しゃんしゃんと音を立ててメイリアの身体が白く火花をあげる。

 火花が腹の剣のところまで来ると、メイリアの身体が二つに分かれ、志乃に相対してまた一つに戻った。

 メイリアの身体が再び白く輝くと、背後から翼のように勢いよく何かをはためかせた。

 ……先程の羽虫の大群だ。

 羽虫の大群が志乃を飲み込み、装甲を抉る。

 宙に跳ね上げられ、まるで殴るように羽虫の大群が奔流となってぶつかる。

 志乃の装甲が火花と燐光を散らし、剥がれてゆく。

 それらの全てを壊し、白い羽虫が一匹の獣になると志乃の腕を食いちぎった。


 「……きゃぁ……ああっ!アアッー!」


 志乃が甲高い悲鳴を上げる。

 赤い燐光を放てなくなった志乃が重々しく地面に落ちる。

 メイリアは志乃を見下ろすと面倒臭そうに笑った。


 「機能の剥奪を確認しましたっと……そこで見ていなさい。あなた方のターゲットが殺されるのを」

 「……自我損壊率危険域……AURA残マイナス……何度でも、たちあ……がぁっ!」


 立ち上がろうとした志乃を白い閃光が貫く。


 「現実を知りなさいな。意思という不確定なロジックで覆せる程、現実は脆弱なものではないんですよー?……うんしょ、重いなぁ」


 完全に沈黙した志乃を持ち上げ、メイリアは俺を見る。


 「お見苦しいところをお見せしました。こういうのをこの時代では飼い犬に手を噛まれるというんですよね。これこそ、言い得て妙、という奴ですか」


 メイリアは沈黙した志乃を俺の足下に放る。

 俺は腰を落とし、じっとメイリアの方を睨む。

 その俺とメイリアの間に、ゆにこが割って入った。


 「……ふむ。自己防衛ロジックが機能していないのでしょうかね?普通、疑似恐怖感情が先に来て、撤退の方法を模索するはずなのですが」

 「怖いですよ。怖いです。でも、ここで逃げたら私たちは本当に大切な物を無くしちゃうです。だから、昭彦は殺させにゃーですよ」


 ゆにこがウニから飛び出ると、ウニの砲身が散って広がり、メイリアの周囲にそれぞれ自律して飛行した。

 まるで空に何本もの剣を並べたような光景だ。


 「使い道の無い個体に無理矢理に火器だけを積載したものなのに……独創的な使い方をするんですねえ……」

 「ポンコツかエリートかは他人が決めるです。でも、そのどちらになるか決めるのは私です!……それを教えてくれたのが昭彦なんだっ!」


 ゆにこがそう吠えると、ウニ針の砲身が一斉に開く。

 後退し広くメイリアを包んだウニ針がレーザーを放ち、メイリアを貫く。

 メイリアを中心に青い燐光が渦を巻き、その渦中にゆにこが飛び込んだ。


 「トルネードぶーすとっ!」


 燐光の中に飛び込んだゆにこが背中に翼を広げ、燐光の流れを受けて加速する。

 加速したゆにこが渦の中心で悠然と両手を広げるメイリアに残像を残しながら肉薄し、その背後からがっちりと組み付く。


 「ストームライズじゃぁぁんぷっ!」


 渦が爆ぜ、直上に昇り竜巻となる。

 ゆにこに組み付かれたメイリアは高速で回転しながらいくつもの衝撃の輪を散らしながら上昇してゆく。


 「ブラストダウン!」


 竜巻の頂上に達する前に、青い燐光が熱量を持った炎となって爆発した。

 頂上から爆発をはじめた爆風は地面に降りるように誘爆をはじめ、ゆにことメイリアを地面へと走らせる渦を作る。


 「ぶっとべぇぇぇっ!」


 炎の竜巻を逆に降りるゆにこはメイリアと共に地面に激突し、空間が歪むほど強烈な衝撃の輪をいくつも重ねて作った。

 その後を追うように爆風が地面を飲み込み、ゆにことメイリアを包み込む。

 その爆炎を背にし、炎の中から悠然と歩いてくるゆにこの顔が煤けていた。

 そして、ゆにこが背後を振り返ると爆風の中からメイリアが悠然と姿を現した。


 「……カウンターネッタを撃退した火力というのは本当のようですね。まさか、火力を格闘戦に集約させることで単体撃破能力を高めるとは思いませんでした」


 ゆにこは腰を落とし、構える。


 「次は、もっと強力なのでぶっ飛ばしてやるですよ」

 「じゃあこれで終わりにしましょっか?」


 メイリアがゆにこの前に現れた。

 ぱりん、とガラスが割れるような音がした。

 メイリアの拳がゆにこのボディに叩き込まれた音だった。

 周囲の地面が白い燐光をあげながら亀裂を産み、爆散した。

 一拍遅れて衝撃の輪がいくつも広がりゆにこが宙に浮かぶ。

 そこへ畳みかけるようにメイリアが連撃を加えてゆく。

 ゆにこがそれを受け止め、流し、躱しながら反撃を行う。

 だが、その悉くがメイリアに届く前に打ち払われ、お返しとばかりに強力な一撃を貰っている。

 ゆにこがメイリアに捕らえられる度に、何度も何度も空に衝撃の輪が広がる。

 メイリアの腕がゆにこの角を掴み、地面に振り下ろされる。


 「わぁ……あぁぁあああっ!」


 ゆにこの身体が地面に叩きつけられると、同時にメイリアがゆにこを踏みつぶす。

 そして、目にも止まらぬ速さでゆにこの身体に拳を叩きつけはじめた。

 舞い上がる粒子が砂塵を巻き起こし、残像すら質量にする程の速さで繰り出される拳が、衝撃の輪をいくつも作り、重ね、それが球体になると激しい閃光を散らして爆発した。

 煌めく白い粒子の中、優雅とも思える仕草で長い髪を払ったメイリアは俺を見つめた。


 「ざっと、こんなところでしょうかね。少々名残惜しい気もしますが……あ、もし、親族にお別れの挨拶をするのであればそれくらいの暇は差し上げられるはずです。いきなり死んでくれと言われても心の整理もつかないでしょうから、どうでしょうか?」


 ばちばちと火花を散らすゆにこと志乃を見下ろし、メイリアは肩をすくめてみせる。

 二人の姿がいつかの誰かに見えて、俺はやるせなくなった。

 俺は小さく溜息をつくと、じっとメイリアを見つめて、それからゆっくりと吐き捨てた。


 「……いいご身分だな。なあよや?」

 「はい?」

 「なあよ。こいつらにここまでするこたあねえんじゃねえのか?おめーさん、俺を殺すのが目的だろ?」

 「んー、でも、どうしてこの状況に陥ってしまったのか確認して今後このようなことが無いように努めなければなりませんので」

 「……ぶっ壊れるまで痛めつける必要、あンのかよ」

 「破壊して蓄積されたデータを回収します。再教育を施すより効率的に事態を進められますから。だってそうでしょう?いくらでも作れるんだから!壊して、調べて、もっともっといい物を作る。当たり前なんじゃないでしょうか?」


 俺はたんたんとつま先で地面を叩きながらメイリアの口上を聞いていた。


 「なあ」

 「はい」

 「……じゃあ、俺の人生も壊して、調べて、もっといい物を作る気でやったんか?」

 「そうですね。あなたを起点として始まるこれから先の歴史の結末はいいものではありませんでした。その原因を除去するのは当たり前でしょう?シミュレート結果、永峰昭彦という個体が途中でその存在を消失した場合、開放終了した一億年後の未来は我々の管理下のもと人類はそれでも生存できます。ただ、自我と呼べる自我はありませんが」

 「決めたよ。お前さん、俺の敵だわ」


 俺は妙にわくわくしながら拳を打ち鳴らしていた。


 「……ご理解いただけると思ったんですが」

 「知るかよっ!人の人生勝手に滅茶苦茶にしやがって!どう落とし前つけてくれんだッ!」


 ごう、と風が吹いた。

 俺の咆哮が突風となってメイリアに叩きつけられる。

 メイリアは涼しげな顔で受け流すと、困ったような顔をした。


 「とはおっしゃられても、我々も生存がかかってるんですが……」

 「てめえらがだらしねえからだろ!俺一人に全部背負わせンな!てめえらの未来くらいてめえらの手で作る気概を持てよっ!一億年も遡って俺ンとこに責任持って来ンな!俺ぁツケ支払うような不様な生き方したツモリはねえぞ!」

 「むー、その生き方って奴が厄介だったんですけどね。感情に支配されて非効率的になった人間が我々の管理下を離れて自己を確立するための闘争をはじめてしまったのが開放終焉の発端なわけですし……」

 「だから、いい身分だなっつってんだよ!偉そうにふんぞり返ってるからだよ!死ねこのバーカッ!」


 俺は親指を立てると地面に向けてやる。

 メイリアはそんな俺を見てくすくす笑う。


 「面白いですね。私とやりあって勝つツモリでいるんですか?」

 「そう言って負けたのが俺の隣に居るンだがね。なあ、ほたて?」

 「可能性すら操る我々には無駄ですよ?」


 俺は走り出していた。


 「なら、這いつくばれや糞ビッチ」


 振り上げた拳を力一杯、メイリアの顔面に振り下ろす。

 拳が当たる瞬間に全身を捻り、身体の末端までの力を叩きつける対志乃用に編み出した俺の必殺パンチだ。

 衝撃が拳の先から肩、つま先まで抜けて、反動が爆ぜる。

 メイリアの身体が宙に浮き、吹き飛ばされ地面に落ちる。

 俺は間髪入れずに走り寄り、跳躍すると横に回転して勢いをつけたエルボードロップを叩き込む。

 そうして、倒れ込んだメイリアを担ぎあげるとそのまま地面に頭から叩きつけてやった。

 その背中を力一杯蹴り上げるとメイリアがごろごろと転がる。

 メイリアは面白そうな笑みを浮かべたまま地面にねそべったまま俺を見ていた。


 「これでおしまいですか?」

 「ッ!」


 この野郎。

 目の前が熱くなった俺はメイリアを組み伏せると、腕をねじり上げ、肘を蹴り折ると髪を掴んだまま、首に膝を巻き付け思いっきり捻る。

 ごきりごきりと嫌な音がして、確かな手応えがあった。

 その上で馬乗りになって何度も何度も殴り飛ばした。

 あらぬ方向に曲がったメイリアの首が俺を見上げて微笑んでいた。

 そのメイリアとは別のメイリアが俺の肩を背後から掴んだ。


 「物質での破壊が必ずしもその存在を破壊される訳ではないんですよ……ですが、この時代のあなたはそういう訳にもいかないわけでして」


 もの凄く、嫌な汗が背中を濡らした。


 「……死んで下さいな?」


 背後からうねるように衝撃が俺の背中を打った。

 空が近づき、股間が抜ける感触に俺は空に浮かばされていることに気がつく。

 捻ろうとした身体が激痛を訴える。


 「……っがぁぁ……ああッ!アアアァァっ!」


 悲鳴じゃねえ、と強がれはしない。

 全身を揺さぶる激痛が俺の身体をがんじがらめに縛り上げ、何もできずに地面に落ちる。


 「あきひこっ!」


その直前、ゆにこが飛び込み俺を抱えた。

 二人でごろごろと地面を転がり、なんとか止まると俺は激痛をまき散らす全身を黙らせて立ち上がる。


 「がぁ……すま、ンな、……ゆに……大じょ……ああぁぁぁっ……」


 痛みを吐き出すように大きく息を吐き出すと目眩がして世界が回り出す。

 足を地面に打ち付けより大きな激痛で奮い立つと、メイリアを睨む。

 突きつけた腕の周りに白い燐光がまとわりつき、稲光をあげていた。


 「凄いですね……体内パルスを増幅して痛覚神経に過負荷をかけているのにまだ意識を保とうとするなんて」

 「……かみさま……気取りだぁぁっ!なん、ざ……さぞ気持ちよがぁぁ!」


 俺が何かを言おうとするたびにメイリアが俺の痛みを引き上げる。

 全身を押しつぶされ、それから際限なく引き延ばされるような圧力が身体を駆けめぐり、こめかみがヒリヒリと焼けて視界が白くなる。


 「あなたがたから見れば神様以外の何者でも無いんですがね?本来ならあなた程度の人間ならば相手にもしないはずなんです」


 メイリアは屈託なく笑う。

 俺はよろよろとメイリアに倒れ込むように拳を突き出した。


 「気に喰わねぇ……」


 殴った拳が爆ぜるように痛みを訴え、情けない音を立ててメイリアの頬に触れる。


 「ぞうや……っで俺の人生をめたくそにした挙げ句、ころずっでが」


 すがるようにメイリアの頭を抱きかかえ、鼻面に膝を伸ばす。

 膝がメイリアの涼しげな顔に当たると、俺はそのまま地面に転がる。

 地面に触れた全身が激しい痛みを訴え、壊れた玩具のように跳ねる。


 「不様ですねー。そのまま意識を失って死んでしまえばいいのに」


 メイリアの足が俺の額を踏みつけた。

 光源を背に笑うメイリアの顔に差す影がドス黒く、俺は唾を飛ばした。

 唾は俺の顔に落ち、メイリアの笑みを誘うだけだったが俺は荒い息で吠え続けた。


 「死ぬかよっ!死んでなんか、やるものかやっ!たとえ死んだとしてもてめえが絶対後悔する死に方をしてやるっ!」

 「負け犬の不様な遠吠えですね。やれるなら、やってみるといいです。むしろそっちの方が見てみたいです。世界を操る我々にその部品の一つに何の自由があるというのでしょうかね?生き方ですら、我々が作った環境に支配される脆弱なあなたたちに自由になるもの等、何一つありませんのに」


 俺は不敵に笑い、メイリアを見据え鼻で笑ってやった。


 「……たった今、飼い犬に手を噛まれた不様なご主人の台詞じゃねえな?」

 「はい?」

 「……生き様だよ。生き方さえ選べないから俺は生き様だけは譲らねえんだッ!」


 吠えて俺はメイリアの足を抱える。

 激痛を訴える身体を黙らせ、抱えた足を捻りメイリアを地面に引き倒すとアキレス腱を固めた。

 メイリアは面倒くさそうに鼻を鳴らす。


 「ふんむー。なら、その生き様すら壊してしまいましょうか」


 メイリアが足を振り上げると衝撃の輪が俺の目の前で広がる。

 全身がばらばらに引きちぎられそうな衝撃に俺の身体は再び宙を舞う。

 中空で俺の首を掴んだメイリアがにんまりと笑って告げた。


 「……死なせはしませんってば!命乞いをさせてあげるまで」

 「っぐぇ…」


 メイリアの背中に白い燐光が噴き上がり、天使のような翼が広がる。

 音を置いてゆくもの凄いスピードで地面スレスレを飛ぶ。

 メイリアが笑いをやめたと思えば、俺は地面に突きつけられていた。

 ごぉ、とアスファルトがめくれる音と、剥げるアスファルトが衝撃に粉々になっていく景色が流れていた。

 俺の身体が衝撃で何度もちぎれ、その度に再生する。


 「人間大根おろしっ!って言うんですかね?」


 悲鳴すら上げることができず、何度も何度もばらばらになる。

 痛みとか、そういった次元ではなく、血の臭いが鼻孔の奥で渦巻き、反吐の酸っぱさが喉を何度も何度も焼いた。


 「それそれっ!」


 メイリアが俺を力一杯蹴飛ばすと、上半身と下半身が別れ、あらぬ方向に吹っ飛ばされる。

 それを何人ものメイリアが輪になってけっ飛ばし、遊ぶ。

 メイリアが凄惨に笑っていた。


 「ほら!どうです?死なせてくださいって言いたくなりませんですかねぇ?ねぇ!」


 こいつ、いたぶってやがル。

 意識すら保てなくなってくる中、てめえを弄ぶメイリアに激しい怒りを覚えた。

 だが、てめえがいたぶられているなら耐えられねえ訳がねえよ。

 俺は蹴ろうとする足を腕で払うと、そのままメイリアに頭突きを叩き込む。

 ぐしゃりと頭が潰れ、視界が黒ずむ。

 だが、それでも死なせちゃくれねえようだ。

 メイリアが汚物を見るような目で俺を見ると、俺を放り投げた。

 廃墟となったビルの壁をぶち破り、俺の身体が瓦礫の中に沈む。

 薄暗いビルの天井を見上げ、瓦礫の中から這い上がる頃には俺の身体を縛り上げていた激痛が無くなっていた。


 「なんか、しっくり来ないんですよにゃー」


 メイリアは陰鬱な顔で俺をにらみ据えると、苛々しながら言った。


 「いくら痛めつけても折れようとはしない。根本的な手段がきっと間違ってるんだと思うんですよ。これじゃあ……そう、スマートじゃないんですってば」


 メイリアはとんとんとつま先で地面をつつく。

 地面をつつく度に、俺の足下から鉄骨が伸びて腕や足を貫く。

 肉を引き裂く焼けるような痛みが俺の肺から空気を絞り出す。


 「かは……はぁぁ……んぐぅ……がぁ、ぁぁぁ…」

 「その、なんというのですかね。その思考領域を破壊してやらない限り、永峰昭彦の死とは言えないんでしょうね、きっと」


 そう言ったメイリアは鉄骨に貫かれて動けない俺をじぃっと見つめた。

メイリアはぽん、と手を打って何かを思いつく。

 そして、どこまでもやらしい笑みを浮かべて俺に告げた。


 「あなたを殺すのではなくて、あなたが居ることで周りの存在を消してしまいましょう。そうすればきっとあなただって死なせて下さいと懇願するでしょうし」

 「なっ……!」

 「だって、あなたをいくら痛めつけたところでなんともないんですもの。なら、あなた以外のものを痛めつけるのが妥当でしょう?」


 メイリアはそう笑うと、ほたてに目配せした。

 ほたてが俺の背後から緑色の燐光で作ったレーザーブレードで斬りつける。

 背中を焼く痛みに俺は肺の息を全部もっていかれ、倒れ込む。


 「カハ……アァァ……どういう、こったこりゃあ」

 「どうもこうも無い、元っからこういう約束だったんでな?」


 俺はやけに聞き覚えのある声を聞いた。

 メイリアの背後の空間を滲ませて現れたのは俺の良く知る友人だった。


 「よう、昭彦たん。元気そうで何よりだ。天才が最後を看取りにやってきてやったぞ」

 「……大作?」


 そこに居たのは楠大作だった。

 大作は厳しい目つきで俺を見下ろすと小さく溜息をついた。


 「なかなか面白い見物ではあったよ。だが、いささか興が削がれた。未来の戦闘、というからどんなもかと期待はしたが、今と何ら変わらん。手法を変えた暴力で相手を破壊し合うだけとはな。インスピレーションの素になるものかと見ていたのだがこれではあまりにもお粗末だ。昭彦、お前ももっと頑張ればよかったものを」


 大作は心底落胆したように肩をすくめてみせるとメイリアの傍らに歩み寄る。

 メイリアは微笑を浮かべると大作に会釈した。


 「……お膳立て、ありがとうございますねー?」

 「礼には及ばない。が、しかし、約束の物は頂けるのかね?」

 「はい、三界輪転の飽和式とバイアス・ジ・ビエスタロジカリゲインの構築式。五万年後のものですが、あなたであれば理解できるでしょうからね?」

 「うむ」


 大作は一枚のコンパクトディスクをメイリアから受け取ると手の中で弄んだ。


 「悪いな昭彦。こういうことだ。お前さんを出汁に取引させてもらった」

 「てンめぇ……」

 「まさか、友達だろうになどと罵倒する気かね?私も、お前も根っこの深いところでは一緒だ。自分の生き方は変えられない。ならば自分のためにギリギリのところでは友情を選べない。そもそも、友情とは自分の生き方を形作る一部分だ。友情を守る自分があって自分の生き方というのが組み上がる。それが全てではないのだよ」


 大作は不敵に笑うと足下の石を蹴飛ばし俺にぶつけてきた。

 メイリアは俺を不敵な笑みで見下ろすと肩で笑った。


 「おっかしー!何ですかその顔。情けないですねー?友達に裏切られたくらいで放心しちゃって。それとも大作さんは自分を助けてくれる友達だと思っているとかのたまうんですか?」


 そんな、情けない顔をしてるんだろうか。

 だが、驚いたのは確かだった。

 それに、大作が言うことも確かだった。


 「なあよや?大作、てめえが俺に言えなかったことってのはコレのことか?」

 「そうとも。お前のようなバカは簡単に騙せる。だが、それでもそうと悟られるようなことをしてしまえばいくらバカなお前でも気がつく。それに、お前の側にはいつだって多峰田志乃が居た。あれは私の本心くらい簡単に読むだろうからな?」


 「あんだってこんな回りくどい事をしやがる……問答無用に俺をメイリアの前に引き出せばよかったじゃねえか」


 「はじめはそうしようかと思ったのだがね、問題はお前を殺すということが単に肉体的な死を意味しているものではなかったらしい」


 「はぁ?」


 大作はぐっと細められた怜悧な目で俺を見た。


 「……ただ、単純な肉体の死であればお前が認識できる距離の外から圧倒的な火力でもって周辺を蒸発させるだけの火力で焼き払ってしまえばいい。そうなればいくらお前といえど非現実的な理屈で生き残ることはできまい」


 大作は一度だけメイリアに視線を向けると続けた。


 「すべての事象には理由がある。ならば、そうしない事にも理由があった。お前が生きていることで一億年後の人類が完全に滅ぶ事象収斂現象が何故引き起こされるのか。その理由については我々の時代に生きる人間には誰一人理解はできない」


 大作は鼻を鳴らす。


 「この天才を除いて、だ」


 大作は自分のこめかみを指差した。


 「私が天才であることを決めつけているのも、お前がお前であることを決めつけているのも、理由は単純だ。存在力量波という見えない波が出ているからだ。まあ、昆虫程度の理解力しかない昭彦にもわかりやすく言えば、我々は電波を発しているのだよ。よく言うだろう?気が狂っている人間に対して、電波ビンビン出てる、等と。まさしく、その通りなのだ」

 「……バカにしてんのか?てめえ」

 「バカにしてるとも。だが、私も貴様も存在力量波という電波の強さだけでは同じ波長と強さをもっているからな。あながちバカにできたものではない。だからこそ俺とお前は深い場所で同調できる。だが、それは一般人には無理だ。普通の人間であればその波長に飲まれ、自分の波長を保てなくなる」


 大作はそこまで言うと、溜息をつく。


 「……俺の生き方は高次すぎ、また、お前の生き方は潔すぎるんだ。それは普通の人間には自分の小ささと汚さをまざまざと見せられるから近づけない。だから変人というくくりの中に入れて自分の尊厳を保とうとする」


 その瞳がどこか寂しそうだった。


 「お前も、俺もだからこそ人を自分から遠ざけるしかなかった。なあ、昭彦」

 「うるせえよ。ンなこたぁ俺とてめえの問題だろう。それがどうして俺をぶっ殺すだけじゃ終わらねえことになんだよ」

 「お前の電波はその潔い生き方を選ぶ強さから来ている。その電波を断たない限り、一度発された波が巡り巡って一億年後に人類を滅ぼす引き金となるからだよ」


 大作は面倒くさそうに呟く。


 「お前はバカだから、こう言わなければ理解しないだろう……不様に死ねばいいと思うぞ昭彦」


 大作の微笑が何故かいつもの冗談を言っているように見えて仕方がなかった。

 だが、俺の身体にさっきからうねっている痛みが現実であることを教えている。


 「そうか……」


 俺は地面で蹲り、大きく溜息をつく。

 このまま、蹲ってなすがままにされて死ねれば楽なんだろう。

 そう思うと肩の荷がおりたようにどこまでも身体が軽くなってくる。

 もぞもぞとしながら大きく息を吐くと、力が抜け、急に寒気が襲ってきた。

 これもいいかも、しれない。

 そう思えた。


 「あきひこぉ……」


 情けない声が耳を打つ。


 「死んだら……ダメです……」


 本当に情けない。

 今にも泣き出しそうな声だ。


 「そんなあきひこは……あきひこじゃないです……」


 鼻声だよ。


 「私の知ってる昭彦はとっても強いんです!だから、負けちゃだめです!生き延びるです!」


 エリートだとか言っておきながら、実はたいしたことねえくせにくだらねえ見栄ばっかり張った挙げ句、相手に情を移してダラダラしやがって。

 生き方自体がだらしねえ。

 俺は泥のように横たわる意識の中にある、それをゆっくりと引き上げる。

 疲れた日にバイトに行かなきゃなんねえあの感覚に似た気だるさを大きく息を吸って飲み込んだ。

 ゆっくりと身を起こし、目眩のする中、それでも両腕に力を入れて踏ん張り地面を押した。


 「あきひこぉっ!」

 「うるせえぞカブトムシの出来損ない。カブトムシは泣かねえんだぞ」


 地面にどっかりと尻をつくと、だらだらと血が流れる腕で額を拭った。


 「……俺が不様に寝て死ねるかよ」


 少なくとも、こいつの前では永峰昭彦でなくちゃあならねえ。

 厄介だってのは知ってたし、それでも、じーさんばーさんがくれたモンを誰かにあげられなくちゃ、俺が生かされてきた意味が無い。

 そのことの覚悟はとうに済ませてきたはずだから。


 「大作よぅ」

 「ふむ」

 「なかなか、不様に死ぬってのも難しいモンだな」


 大作は寂しそうな、それでも、どっか嬉しそうに笑っていた。

 それに俺は違和感を覚える。

 そう、些末な違和感だ。

 だが、それは大事な違和感。

 ああ、なるほど。

 そういうことか。

 メイリアが不満そうに俺を睨む。


 「……友達に裏切られて、失意の中で死ぬかと思ったんですがそうでもないみたいですねぇ」

 「だぬ。難しいわ」

 「なら、簡単にしてあげますよん」


 メイリアは軽い足取りでゆにこに近づく。


 「作戦番号一九一」

 「な、なんですか……わ、わたしはゆにこです」

 「ネームレスネッタのくせに一丁前に名前を名乗るんですか」

 「こ、これは昭彦がつけてくれた名前ですよ……いいでしょー?ユニコーンの乙女チックな響きを持ったガンダムみたいに強い名前ですよ?」

 「……気に入らねえよー」


 メイリアがゆにこを力一杯踏みつけた。


 「ぎゃ……ううぅ!」

 「痛いでしょう?あなたのロジカリティキャップに浸食して、疑似痛覚機関に過負荷にもなるくらいの異常信号を送ってるわけですから。昭彦さんを虐めてもあんまし意味がないようですから、きゃんきゃん泣いてくれるあんたを虐めることに今決定!」


 メイリアが得意げに俺を見る。


 「てンめえ!」

 「てめえ、じゃなくてメイリア様ですよー?一応、この時代では神様という概念と同義の存在ですから」


 メイリアはゆにこを蹴り転がすと、何度も何度も腹を踏みつけた。


 「ぎゃん!……うぁ!あふぅっ!あぁっ!」


 ゆにこが俺に助けを求めるように見上げている。

 俺は自分の腕や足を貫く鉄骨から肉をちぎって離れると、ゆにこに駆け寄ろうとする。


 「それ以上近づくと、完全に破壊しちゃうかんね?」


 メイリアの腕がゆにこの髪を掴み、乱暴に引き上げる。

 ゆにこが明滅する瞳で俺を見つめる。


 「……あきひこ、私はどうなってもいいですから逃げるですよ」

 「ゆにこっ!」

 「えへへ……」


 ゆにこは俺に無理矢理笑ってみせる。


 「あきひこぉ……不様でもなんでもいいです。だから、逃げて下さい。志乃に頼めば元の次元に戻してくれるですよ。そうすれば、簡単に手を出せなくなるです。過去への過ぎた干渉はたとえメイリアでも禁則行動です。だから、逃げるですよ」

 「ふざけんなっ!女子供に守られながら逃げるなんてみっともねえ真似、俺にさせるツモリかよ!」

 「それでも、あきひこが生きているなら、私は満足ですしー?……ぎゃううっ!」


 俺は歩み寄ろうとして、膝に開いた穴の激痛によろめき、倒れ込む。


 「……ふざけんな……てめえが俺を殺すんだろ?簡単に諦めてんじゃねえよ」

 「そんなこと、もうどうだっていいです」

 「どうでもよくねえ、てめえが果たさなきゃいけないこったろうが!」

 「それより、もっと大事なことをあきひこが教えてくれたです。だから、あきひこは殺さない。殺させない。私がなんとしても守るです」


 満足げに笑ったゆにこがやけに眩しかった。

 眩しさは時に、貧しい心にはきつく、メイリアの顔が歪む。


 「……気持ち悪いですね」


 ゆにこが吠える。


 「志乃っ!いつまで寝てるですか!旦那の危機ですよっ!命張ってでも助けるですっ!それができないで何の嫁ですかぁっ!」


 瓦礫の中から赤い燐光が噴き上がり、俺の側に飛翔してくる。


 「理解しているっ!」


修復のまだ終わらない志乃が煙を吐きながらそれでも必死に飛翔していた。


 「気持ち悪ぃっつってんだってばぁぁあ?」


 メイリアが吠えた。

 白い燐光が走り、直角に曲がると志乃を真上から地面に叩き落とす。

 弾けた燐光が爆風となって志乃を穿った地面に押し込む。

 そして、腕の中の力一杯ゆにこを地面に叩きつけると、俺に蹴り飛ばす。

 弾丸のように飛翔するゆにこの体に、俺は両腕を伸ばした。


 「ゆにこっ!」


 俺はゆにこを受け止めると、一緒に瓦礫の中を転がる。

 何度もぐるぐると景色が周り、眩んでいく意識を必死につなぎ止めてゆにこを受け止める。

 吐き出した息の中に血が混じっていて、抱えたゆにこの頬を汚した。

 ゆにこは俺の吐き出した汚い反吐を大事そうに包むように頬に手を添えた。


 「あきひこ……ありがとうです」


 下半身が不様にブッ壊れてンのにこのバカは眩しい笑みを浮かべた。

 メイリアは俺達を見ると気持ち悪そうに顔を歪める。


 「なんなんですか?お前達は。さっきから殺害対象の救助を最大の目的とした意味不明なロジカリティを見せて。自救能力も無いくせに、自己の生存より殺害対象の生存を最優先にするなんて……理解できねーでーすーねー」


 メイリアは小さな目を目一杯開いて、感情的になって喚いた。

 その顔を見たゆにこが鼻で笑う。


 「……メイリアにはわからないです」


 志乃が瓦礫の中から、起き上がりながら告げた。


 「だが、私たちはそれが何かを知っている。傑作だよ。古くさい悲劇だよ。だがね、それは未来で人類がその生存を放棄してでも次代を担う我々に伝えなければならないことだった」


 俺は奴らが何を言っているのかわかんねえ。

 それは俺が当たり前のように貰った時、涙が出る程、嬉しくて。

 呼吸をするようにしてきたことだから、なんていうものかわかんなかったんだ。

 ゆにこが俺の腕の中で身を起こして熱量を持った笑みを浮かべた。




 「……それは愛です。自分を省みず、ただ、誰かのために何かをする。それが、愛です」




 壊れたまま、膝のシャフトを地面に突き立ててガトリングガンを構える。

 メイリアが甲高く耳障りな声で笑う。


 「はぁ?愛?利他行為を行うことで相手に自分を認識させ、かつ、自己の社会貢献欲求を満たすための社会動物である人間の浅ましさを覆い隠しただけの言葉じゃないですか。あなたの記憶領域には何を記録しているのですか」


 メイリアの背後に赤い燐光の粒子が着弾し爆発をあげる。

 志乃が粒子砲を構えて、微笑んでいた。




 「相手に憎まれようと、それでも、何かを行えるのが愛だ。そこに、言葉が割り込める場所など無い」




 「昭彦、昭彦って……彼だって、今は状況に流されてここまで来ただけじゃないですか」


 メイリアが侮蔑する。

 だが、志乃はそれすらも鼻で笑った。


 「昭彦ならば。知ってしまえば考えることなく来るだろうさ。それが全てだ。お前の知っている愛の理屈など、通じるものか。人は世界より大きいのだからな」


 俺はぼりぼりと頭を掻くと大きく息を吐いて立ち上がった。

 期待されると、困る。

 それでも自分が、自分らしく生きられないのは願い下げだ。


 「……なあ、メイリア」


 俺はどこまでも疲れた声で言った。


 「俺ぁこいつらが言うような立派な奴じゃねえよ」


 正直な気持ちだった。


 「くそったれな境遇で世の中を恨んだりもするし、嫌いな奴も一杯居る。だけど、それでも人に後ろ指を指されないように精一杯生きてきただけだ。無論、これからもだ。死ぬまで続くだろうさ。だから、不様に死なすのは諦めろ」


 ゆにこがガトリングガンを構え、志乃が俺の傍らに降り、粒子砲を構える。

 メイリアは最後まで抵抗を続ける気でいる俺達を見て、表情を無くした。


 「何を言ってるかわかりません。あなたたちは自分の立場を理解していませんね」


 ほんの一瞬だった。

 白い光が見えたんだ。


 「がぅ………」


 一秒にも満たない、蝶々が羽を一度、交差させる時間にも満たない。


 「あき……」


 それだけで俺の胸にでっかな風穴が開いた。


 「……ひこぉぉぉぉぉぉぉ!」


 バケツをひっくり返したように血がばしゃりと地面に叩きつけられ、視界が霞む。

 俺は力を無くし、そのまま地面に倒れ込んだ。

 生暖かい俺の血の中にばしゃんと倒れ込む。

 ゆにこと志乃が驚いた顔で振り向いていた。

 急激に世界が冷たくなってくる。

 絞られるように熱が無くなり、怖さと、寒さがぎちぎちに身体を縛る。

 どこまでも寂しくなっていくこの感覚は覚えがあった。

 親父達が居なくなった時、叔父ンとこでもう生きていけないと思った時、ジジイんとこで一人で生きてくしかないと思った時。

 そう、死ぬことを覚悟した時のあのどうしょうもない寂しさだ。


 「私があなた方の生殺与奪権を握っているのですんだってば。思い上がられても困る、ん、だぁなー?」


 勝ち誇ったメイリアのいたずらめいた笑みが遠く聞こえた。


 「あ……きひこっ!急速体温の低下、体内の重要器官の損失を確認、多元力量での修復……不可!脳組織への酸素供給欠如、急速な細胞組織の活動停止、代替的生体活動器官の生成を試み不可能!だめぇぇ!絶対死んだらダメ!ダメですってばぁぁぁ!あきひこっ!あきひこぉぉぉぉ!」


 だけど、どこまでも引きずられるように落ちていく。

 踏ん張ることもできず、宙に放り出されたように何もできない。


 「ゆに……」


 声なんて出しようがない。

 殺されるって、こんなに、どうしょうもねえことだから。

 どうしょうもねえ、ことなのか?





 死んでしまえばあっけなかった。

 いや、わかっちゃいたんだ。

 どうにかなることと、どうにもならないこと。

 どうにもならないことには適当に折り合いつけてどうにでもしなくちゃいけないのが大人の対応って奴なんだろうけど、俺にゃそれがどうしてもできなくて。

 それは俺が子供だからで、辛抱続けて大人になりゃどうにかなると思ってた。

 世の中がわかってくりゃくるほどに、俺はそれがどうしても許せなくなってしまう。

 バカだアホだと言われても、そいつを許してしまえば俺を愛してくれた人達を裏切ってしまうから。

 だからって、そいつらを全部ぶん殴って俺自体がそんだけ崇高な人間だって思える程傲慢にもなれやしなかった。

 他人に傷を負わせて生きてかなくちゃなんねえくらい、世の中は厳しくて。

 てめえでも、楽をしたいと何度も思っちまうから人を責めることができなかった。

 結局、覚えたことは溜息をついて黙ることだった。

 自己主張しろと大作は言ってたよ。

 お前、そんなんじゃ自分の人生食い潰されるぞってな。

 人は踏みつけられた痛みは覚えてるが、踏みつけて与えた痛みは覚えちゃいない。

 お前のように踏みつけられる痛みを知ってながら耐える奴ってのはそういう奴にとっちゃ美味しいってな。

 喰われるだけ喰われて、殺されるぞってか。

 天才様の言うことはよく聞くべきだったんだろうね。

 気がつけば、こうやって殺されてるンだものな。

 でもよ?

 この生き方、確かに辛ぇけど、結構、いいモンだぜ?

 たまーに。

 たまーにだ。

 俺ぁ生きててよかったと思えることがあんだ。

 ただ、この瞬間。

 ほんの僅かだけど。

 俺のために、自分のこと、顧みないで全部を投げ出してくれる奴が居るンだ。




 「セル・オルガナイズブレイクッ!」


 ゆにこが俺の上に跨り、吠える。

 メイリアと志乃が唖然として、ゆにこを見ていた。

 ゆるゆると戻る俺の意識の中、必死な顔で俺を見つめているゆにこが意味のわかんねえ単語をくっ喋り続けていた。


 「自己崩再開始自己同化率一二〇〇八〇四五○九境界波線融解認識力圧線同期並列存在波重複識域領域矛盾率回避第三領域第二領域深層識域抹消周辺認識限界破棄曖昧容量拡大転化三界輪転機構加圧第一段階通完第二段階移行多元構成素線収束構成分析解離崩壊自己概念波形力線記憶六茫線理論領域解体即時一一珠図形認識深層複写虚界概念干渉段階第二段階覆完第三段階昇華位界転昇新生認識捕捉四次元位階降識意変差違修正事象超念転天我同編因果燐剥離第三段階終界最終段階我知凜禅漠寂泰撚」


 俺にゃあ何を言っているのかなんざ理解できない。

 ゆにこの周囲に噴き上がった青い燐光が渦を巻き、俺の周りでわんわんと唸りを上げている。

 胸におっきな穴を開けられて、呼吸すらしてない俺がどうにも意識を保っている不思議はどうして起こっているかとか、何故、まだ生きているかとかの疑問をすっとばして、ゆにこが救ってくれているという事実を直感させる。

 メイリアがゆにこを見て、驚愕に顔を歪めている。


 「信じらんない……なんで、こんなゴミ機体が第三シス域にアクセスしちゃってんの?自己崩壊?領域線融解?まさか、その人間と融合でもするつもり?」


 大きくのけぞるゆにこがメイリアに不敵に微笑んだ。


 「無理を、ひっくり返すです」

 「自分が何をしているのか理解しているの?そんなことをしてしまえば自分の存在すら保つことができなくなるのですよ?」

 「理解ならしてるです。覚悟もしてるです。だけど、私は……私もッ!不様には存在することができないですっ!」


 ゆにこの周囲から青白い燐光が大きな波紋となって広がる。


 「……自分に価値をおいたら嘘になるです。絶対に昭彦を助けると決めたです!だから、私は私の初めてを全身全霊をもって、昭彦に捧げるです!」





情報が逆流する。

 上位位階で存在の根幹を繋いだゆにこの情報が俺の理解の中に落ちてくる。

 体組織の損傷がその活動限界以上の損傷を受けた俺を修復するにはゆにこと合体するしかなかった。

 だが、俺の持つ時点波力線の引き剥がしに失敗し、その膨大な量の力線は今や俺の支配下にある。

 その力線を三界連結転位機構を通じて概念転化してやることができる。



 「合ッ………体ィィィィィィィ!」




自己認識における自分自身の情報を概念化し、感覚情報を頼りに物質化し復元する。

 要するに頭で考えた自分がそこにまた創られると言えば簡単なんだが、実際やってみるとすげーことだなと思う。


 「魔法……なのか?」

 『魔法ですよ。言ったはずですよ。もともと、魔法という概念は未来からもってきた概念だって』


 頭の中でゆにこの声がする。


 『かつてこの時代に至る少し前の天才達の幾人かは上位位相世界の力量が確かにあることを感覚的には理解していたです。ただ、この時代の人間は言語という限定された感覚伝達用法でしかない論理に固執してそれが見えなくなってるです』

 「ゴタクはいいよ。ありがとうな」


 俺の頭にゆにこと同じ角が生えてるのが見える。


 『昭彦の生体活動を維持するために合体したです。昭彦の自己領域線を融解させてるから、今の昭彦は私と同じ意識領域を共有しているです』

 「だからガンガン頭の中で声が響いてるのか」


 俺は目眩にも似た感覚を覚えたが不思議と不快感は無い。


 『気持ち悪いかもしれないですけど、通常単独意識体が存在する意識領域に複数意識を置いてるからです』

 「要するに一杯のコップに二杯分のコーラとコーヒーをぶちこんだっつー話だろ?別に気持ち悪かぁねえよ。つか……」


 俺は右手に意識を集中させる。

 そこにゃあいつぞやゆにこが俺にぶっ放したガトリングガンがあった。


 『私の身体領域も融解しているから、昭彦は私の性能を全部使用できるです……というか、ぶっちゃけ昭彦と合体してる私の方が辛いですよこれ』


 俺の肩にぷちこが現れ、苦しそうな表情を浮かべる。

 ゆにこの奴は自分の意識を一時的に小型端末に移し、意識領域の容量を減らしているみたいだ。

 それに、自己領域が俺の意識領域に浸食される危険性を回避の意味合いもある。


 「昭彦の存在波の力量が凄まじすぎて、このままじゃ私の領域線が崩壊しちゃいそうです。でも、これはあれですよ」

 「合体したせいか、理解できるぞ。つまりアレだ。スーパー永峰ウェイブエンジン昭彦オン未来のターミーネッタってところだな?」

 「です。高出力の昭彦の力量に私の身体機能を使って明確な方向性を与えてやれるです………つまり、さんざっぱらやられた分、やり返してやるですよっ!」


 俺の肩でぷちこ、いや、ゆにこが不敵に笑った。


 「……そういうこったから、メイリア。覚悟してくれや。世界をぶっ壊す程の力量をお前さんに叩きこんじゃる」


 俺は右腕のガトリングガンを構えると、メイリアに向けた。


 「ド根性バルカンッ!」


 引き金を引くと、銃口から竜巻が吐き出された。

 いや、正確には弾丸が吐き出されているのだが、俺の波形力量を物質転化した余波が回転する砲身から噴き上がり、その衝撃が渦を作って撃ち出されたのだ。

横凪ぎに払われた竜巻がメイリアを飲み込む。

 砂塵を巻き上げ、空間をねじ曲げる程の威力を持った竜巻の中でメイリアが白い燐光をあげてこれを防いでいた。


 「信じ……られない!どうして、こんなことになるんーですーかーぁぁぁあ!」


 メイリアの華奢な身体が竜巻に押され宙に放り上げられる。


 「ギガンティックアームっ!」


 俺は左腕にギガンティックアームを生成すると、拳を握り込んだ。

 握り込んだ拳の周囲の空間が歪む。

 波形力量を受けたギガンティックアームの拳の中心に、歪曲力点。

 つまり、ブラックホールのように空間を歪めるだけの力量が集まった。

 俺はそのギガンティックアームの拳を開くと、弾けた力量が波となって先程巻き上げた砂塵を存在粒子まで粉砕する。

 中空で白い燐光を震わせて、甲高い音を立てて次元障壁を展開させるメイリアが驚愕の目で俺を見ていた。


 「……ぶっちゃけありえないわー!想定外もいいところです!」

 「握りっ屁なのにケツから屁が出てないからな」

 「そうじゃない!ああもう!これだから精神の発達してない原始的人類を相手にするのは嫌なんだっ!対処可能な想定外の範疇を超えているわ!実働端末のターミーネッタが対象の殺害を放棄するどころか救助、そしてこの私に離反した挙げ句、私と同等のシス域までアクセスするなんて事態があっていいのかって言ってるんですってば!」

 「いやだぬ?ヒステリックに叫ぶ女ってのは」


 苛立ちながら叫ぶメイリアを鼻で笑うと、メイリアは鼻の頭に皺を寄せて獰猛に吠えた。


 「侮られるものでもありませんわ!所詮、原始人類と出来損ないのターミーネッタが領域融解をおこして同化しただけのこと!その程度の想定外でなんとかなるほどネームド管理者の性能が低いわけがないでしょう?」


 メイリアが不敵に笑うと、空間がりん、と音を立てた。

 先程の白い羽虫が空間を割って現れる。

 ざっと探索波でわかるだけで億を超える白い小型端末の大群が中空でうねり、渦をつくり、羽のように羽ばたいて耳障りな音を立てた。


 「あなたがたが無力であることを思い知らせてあげますってば!死ねっ!壊れろぉぉぉぉぉ!」


 津波のように巨大な羽虫の大群が俺の後ろに居る志乃に向けて伸びる。


 「志乃っ!」


 俺は即座に空間を割ると、志乃の側に駆け寄り、以外と小せえその身体を抱えてその場を飛ぶ。

 波状に広がった青白い燐光が爆ぜ一気に中空に押し上げられると、眼下で地面を飲み込む白い羽虫たちが砂塵を巻き上げていた。

 羽虫たちは螺旋状に蚊柱を立てるように俺の方へと伸びていく。


 「っく」


 志乃が認識操作を行うと同時に、俺は中空を蹴り、存在残像を残しながら追いすがる端末が放つレーザーを回避する。


 「昭彦っ!」

 「喋ンな。舌ぁ噛むぞ」

 「私以外の女と合体した!浮気だ!」

「成り行きだよ!仕方ねえだろ」

 「不実な男の言い訳定型文だな!舌を噛んで死んで詫びろっ!」


 普段飛ぶこととかねえから滅茶苦茶不慣れだってのに、横でどうでもいいことをがーがー喚く志乃を放り出したい気持ちをぐっと堪える。

 メイリアの端末が俺を包むように広がり、それらが一斉にレーザーを放つ。


 「あきひこっ!ウィングを使うですよっ!」

 「わかったよ!」


 肩にちょこんと乗ったゆにこの指示に従い、俺は背中にウィングを展開する。

 背中にあるウィングの中心部を掴むと、俺はデタラメな力量を送り込んでやる。


 「どういう使い方してるですかっ!そうじゃないですよっ!」

 「よーするに、自分が飛べるっつーことは相手をぶっ飛ばせるんだろうがや!」


 ウィングのバインダーが光の波紋を放つと、一瞬遅れて青い燐光が吐き出され巨大な板になる。

 六本のバインダーがそれぞれいびつな板をつくると俺はそれをデタラメに振り回した。


 「三界直結波形ハリセンっ!」


 板に巻き込まれた羽虫が爆散し、炎の帯を空に作る。

 過負荷に耐えきれずに爆散するウィングが放つ力量が直前に空で弾けた。

 ばしこんっ!っと世界がへこみ、くぼんだ亀裂に羽虫どもが飲み込まれていく。

 亀裂の向こうで白い燐光となって爆発する羽虫たちが悲痛な悲鳴を上げるが、メイリアはにぃ、と獰猛に笑って消えていくより多くの羽虫を生み出す。


 「……たかだか数千年程度の発想で一億の年月が積み上げた発想を突き崩せると思ってるんですかー?そんな低脳っ!とっととくたばれこのド畜生がっ!」


 メイリアの背後から吐き出されるように生み出される羽虫が次々と増殖を繰り返す。


 「平行時間軸を同軸に置くということは世界における存在限界量を越えるだけの質量を一つの世界に置くことができる。つまり、圧倒的な量でもって対象を――挽きつぶれろっ!」


 空が真っ白に染まっていく。


 「昭彦っ!イージーネッタの増殖加速が尋常じゃないです!このままじゃこの限定世界の限界質量を突破してしまうです!」

 「わからんじゃー!よーするに?」

 「世界というコップの中の水が溢れて私たちごと排水口にじゃぼーですっ!」


 メイリアの意図は自らが作成した羽虫――イージーネッタが共鳴するように鈴のような音を鳴らし始める。

 虚空がブレ、半透明のイージーネッタが生まれそれがさらに共鳴する。

 波形の力量が共鳴し、共鳴した点に燐光が渦を巻き衝撃を産む。


 「あきひこ!来るですっ!」


 俺の背後で白い燐光が輪をつくり、爆ぜた。

 衝撃が走り、次に真正面で燐光が爆ぜ、俺は空中で衝撃に揉まれる。

 洗濯機の中の洗濯物になるとしたらこんな気持ちなんだろうさ。

 色んなところを押されて引っ張られてがこんがこんと爆発に殴られる。


 「畜生っ!永峰昭彦なめんなしっ!」


 俺は衝撃の波が、本当に波であることを中で見つけると装甲板を一枚展開して志乃を抱えたまま乗る。

 波に乗ったあのどこか浮ついた感覚を足の裏に捉え、俺は得心する。

 足の裏で爆ぜた衝撃が方向を持って次の波に連鎖する前に衝撃に乗り、高速で移動する。


 「おー……昭彦、サーフィンできるですか?」

 「死ぬ気で覚えたさっ!どっかの志乃に船で沖に放られた経験があるからな!板きれ一枚で岸まで戻ンのは、ユルくねえんだよっ!」


 連鎖する衝撃が装甲板の上で盛大に燐光を散らす。

 チューブ状に連鎖する衝撃が恐怖を覚えるくらいの速度で俺を運ぶ。

 だが、いつまでもこうしてはいられない。


 「どーしますかどーしましょ?さすがにコップはひっくり返せないでしょー?このまま消えてしまえやっ!」


 メイリアが勝ち誇って笑う。

 俺は鼻で笑ってやった。


 「なめんなよ?何億年たとうが人間なんざいつの次代も足が二本の腕が二本、大事なおつむが一個だけってのが決まってンだ。未来の人間にできることなんざ、今の人間にだって平気でできんだぞ?」

 「あらー?じゃーどうするツモリなんですかねー?バカにひっくり返せる程、世界というコップはヤワじゃないんですよぉー?バーカバーカ!うっざいから死ねよ!」

 「おう!大作。いつまでボサっとしてんだ。そろそろ働けよ!」


 俺は地上で俺達を見上げている大作を怒鳴りつけた。


 「やれやれ、天才の出番は最後の最後と決まっているんだがな」


 メイリアが眉根を潜めて大作と俺を交互に見る。

 大作は面倒くさそうにメイリアを見上げる。


 「な……」


 一番驚愕したのはメイリアだろう。

 だが、その驚愕したメイリアの顔は大作が最も求めていた反応だ。


 「知ってるか?俺と大作たんはパンツ交換するぐらい仲のいい友達なんだぜ?」


 大作が苦笑してみせる。


 「恥ずかしい奴め。そういうことだメイリア。残念だが俺はそこのバカと友達でな?考えることが苦手なバカに代わって問題とやらの根本が見えるまで待たせてもらったのだ」

 「裏切るツモリですか?あなたが辿り着けなかった理論を捨てるということですよ?」

 「バカめ。誰に物を言ってる。天才楠大作がたかだか一億年後の最先端理論ごときで満足すると思っているのか?生涯で理論という文字ツールにそれを纏めることができるというのは当の本人はその三倍。天才様だとその三億倍は理解しているのだ!もう、お前達の使っている理論など理解しつくした。その先を俺は行く。そのバカな頭に刻みつけろ。神様と天才じゃ天才の方が偉いのだ!」


 大作のかたわらにほたてが現れると恭しく頭を垂れた。


 「……大作様、昭彦様と情報を共有します」

 「おう、せいぜいトランシーバーを努めてくれ」


 ほたての両耳のセンサーが伸びて発光すると、俺の頭の角が輝いた。


 「聞こえるか昭彦たん。バカの世界破壊エンジンに、超未来製ボディ、そしてこの超天才頭脳が加わったのだ。これで喧嘩に負けたら恥ずかしいぞ昭彦たん」

 「任せろ!まずはどうする?」

 「相手が世界に質量を放れるだけ放って溢れさせようというならば、こっちはそれをことごとく排除すればいい。それだけならお前の力量をゆにこちゃんの火器に乗せればどうとでもなる。問題は、お前が未来の火器の使い方に慣れてないことだ」

 「慣れてやンよ!何から使えばいい?」

 「だが、それは面白くない。絶え間なく沸くゴミを掃除するような物だ。部屋は掃除するより散らかす方が楽しいに決まってる」

 「あん?あに言ってんだ?」

 「チキンレースだよ昭彦たん」

 「……お互い、質量を増幅しあうってのか?」

 「燃えるだろそっちの方が」


 大作がにやりと笑う。

 俺は笑い返した。


 「乗った」

 「正気か昭彦!世界総量から弾かれれば我々は認識を保てなくなり消失するぞ!」


 志乃が俺の腕の中で喚く。


 「俺は今までなぁーんにも無かったんだ。いまさら無くなってあに困るってンだ」

 「私が無くしたんだ!私が、困るッ!私はまだ何も償えていないっ!」

 「なら、この勝負。どこまでも引くンじゃねえぞ」


 俺は志乃の頭をくしゃりと撫でると、獰猛に笑った。


 「なあメイリア。俺はずっと、ずっと、むしゃくしゃしてた。わかるかや?」

 「何を言ってるんですかぁ?」

 「てめえにとっちゃ虫みたいなモンなんだろうさ。だけどよ?なんで俺が我慢しなくちゃなんねえんだ?世界中のワリっちゅうワリ喰わせておいてタダで済むと思うなよッ!てめえのツラぁぶん殴ってやんよっ!……いくぞゆにこ!」


 俺は三界結合機関から放たれる存在波を思い切り震わせる。


 「ちょうぜつおっけーですよ!三界直結存在波量転換ッ!コンセプト・ラァァァァンッ!!」

 「セル・オルガナイズブレイクアンドブレイクッ!」

 「超、じげんがったぁぁぁぁぁぁぁい!……ごぉぉぉぉぉぉっ!」




 ギガンティックアームが両腕を包み、肩のバインダーが変質、巨大化する。

 脚部を装甲が包み、キャタピラを構築するとシャフトを繋ぎ、可変し巨大な足へと変貌する。

 小型端末のゆにこが通常サイズに戻ると青い燐光を纏い、獰猛な鬼の顔になると俺の胸部に張り付き巨大化する。

 志乃が赤い燐光とともに拡散すると俺の頭部にまとわりつき、ヘッドパーツを形成する。

 虚空に形成されたマスクを俺はギガンティックアームで掴み、口元に押し込む。

 アイバイザーが瞳を覆い隠し、俺は俺を頭上に再構築すると、それの頭上で叫んだ。





 「超鋼機神!ワァァァァン……ワァァァァン……ッ!」

 「オォォォォォォォォォォォォォ!」


 咆哮が世界を揺るがし、鋼鉄の巨人が降り立つ。

 炎が巻き上がり、合体の衝撃が白い羽虫を吹き飛ばす。

 巨大な鋼鉄の塊は俺の波動のありったけを飲み込み、白い羽虫の海の中にその身体を沈めていた。

 だが、その勇姿は見る者全てを奮い立たせる。

 負けない、絶対に、負けない。

 何度倒れても、どれだけ傷ついても。

 弱者を救い、悪を倒す、絶対無敵の勇姿のイメージ。

 俺とゆにこの中で強くて格好良くて、神様にも負けそうにないイメージ。

 そのイメージを概念化して存在波をぶちこみ形成する。

 足りない情報処理意識領域は志乃を識域を借りることで補った。


 「全長五〇〇メートル五五〇トン、山を砕いて海を裂く超鋼機神ワンワンオー!だけどもこれはカタログスペックですです」


 ワンワンオーの外部マイクからゆにこの声が流れた。


 「昭彦、これは……」


 そのマイクに割り込むように志乃が呆れていた。


 「超鋼機神ワンワンオー。宇宙を揺るがす勇気と愛の鋼の機神。子供くせえと笑うなら笑えよ?ロボットってのはこうじゃねえと、格好良くねえ」


 俺はワンワンオーの頭上でじっとメイリアを睨み付けながら頭を蹴ってやる。


 「おう、これからはガチンコだ。俺の喧嘩で悪ぃが付き合ってもらう」

 「ぶっとびぶっとばすです」

 「わかった。もう、迷いはしない。お前と落ちるなら世界の外だろうが地獄だろうが構うものか!」


 メイリアが鼻で笑う。


 「そんなオモチャみたいな不自然な巨大ロボットを作ったくらいで何いい気になっちゃってんの?本当にばっかじゃない?世界限界の果てで消えてしまえ」


 顔をひきつらせたメイリアが侮辱してくるが、俺は鼻で笑ってやる。


 「さぁて、消えるのはどっちかね?……俺の波ぃ全部喰わせてやる。どっちが世界から先に零れるか、やりあおうじゃねえかッ」


 俺がワンワンオーの頭上に手をつくと、そこからドス黒い燐光が巻き上がる。

 ワンワンオーが激しく振動し、その巨体を徐々に膨らませてゆく。


 「ウォォォォォ……ォォォ……ォォォォ……ォォ……ォォォ」


 ゆにこと志乃の声がハウリングして獣のような咆哮をあげる。

 みしみしと地盤を抉り、からみつく白い羽虫を挽きつぶしながらワンワンオーは巨大化していく。


 「やりあってやるわーよ!やってやりゃいーんでしょーがっ!」


 ヒステリックに叫んだメイリアの背後から激しく震える鈴のような音と共に、白い羽虫が稲妻のような勢いで増えてゆく。

 俺はさらに波を送り込むと、巨大化するワンワンオーの関節から青白い燐光が巻き上がるのを見た。

 青白い燐光は稲光となって渦をつくり、自らに張り付く羽虫を焼き払う。

 爆散する羽虫を巨大化する装甲が炎ごと飲み込み、どこまでもどこまでも大きくなる。


 「さて、どこまででかくなんのか……んあっ?」


 その異変は突然やってきた。

 がくん、と膝が抜けて何も感じられなくなる。

 これが世界の限界に立つということなんだろうか?

 視界を埋め尽くす白の羽虫がまるでアナログテレビのノイズのようにざりざりと消えていく。

 だが、それは俺の身体も同じだった。

 そして、メイリアも。

 さっきは軽く死んでみたりもしたが、それと結構似たような感覚ではある。

 だが、自分が存在することをまだ認識している時点でそれは別の恐怖を持って俺の精神領域に染みこんでくる。


 「……ふふ、世界に弾かれはじめてるンじゃないのぉ?」


 メイリアが不敵に笑っているが、俺にはその声が聞こえない。

 ただ、意識が伝わる。

 どこまでも落ちていく、いや、昇っていく感覚なんだろうか?

 自分がどこか遠くへ行ってしまいそうな感覚になり、感じたことの無い焦燥感に意識が焼かれていく。


 「そのまま消えてしまえばいいわ」


 俺はバカだが、バカなりに色々経験はしてきている。


 「相手が軽口を叩いてる時ってのはそれなりに辛いって証拠だ。おめーさんも随分つれえ状態なんじゃねえか?」


 喋っている感覚は無いが、意思だけは発した。多分、発した。


 「なめないでほしーなー!神様に人間ごときが勝てる訳ねーじゃん?」

 「随分と人間にかっかしてる神様だこと。辛いなら辛いってみっともなく言ってみりゃいいだろが」

 「生意気言ってんじゃないよっ!」

 「図星だな」


 俺の焦燥感は幾分、減退した。

 こっちが辛いなら相手も辛い。

 ならば、我慢比べだ。


 「さて、どれだけ耐えられるかやってみようじゃねえか。お互い」

 「我々の意識領域の堅牢さを侮辱してるんですか?これでも短時間の世界領域外活動を視野に入れて作られたものですよ?……一億年後の管理者機体がこの時代の人間如きに……」

 「いちいち口数が多いじゃねえか。余裕がねえぞ。どれ、もっとがっつり行ってやろうじゃねえか」


 何も感じられない感覚の中、たぐり寄せた意識の中、ワンワンオーをさらに、さらに大きくするように伝える。

 躊躇する赤い感覚を覚える意識は志乃のものだろうか?

 だが、隣接する青の意識が俺に応えて赤も従う。

 焦燥感が圧迫感に代わる。

 意識の中にねじ込まれる黒い色がみちみちと俺を飲み込んでいく。

 黒いヘドロに全身を呑み込まれて押しつぶされるような感覚、といったらいいだろうか。

 踏ん張って耐える俺の前に、白い意識の燐光が震えて見えた。

 わかる。

 おそらく、その白はメイリアだ。

 ははっ、びびってやがんの。

 容赦はしない。


 「……死なば、もろともぉぉっ!」


 さらに、さらにその質量を巨大化させていくワンワンオーの上で俺は吠えた。 

黒い衝撃が走り、白い羽虫がばらばらと落ちた。


 「ば、バカじゃないの!ほ、本当に消えるツモリですよこの人わ!」


 怯えたメイリアが俺を見上げ、狼狽えていた。

 俺は獰猛に息を吐き出し、告げる。


 「おめーらのせいで死んだも同然だよ。いまさら命が惜しいと思うかクソったれ」


 ワンワンオーが大きく吠え、腕を振るう。

 超質量の腕が振るわれる軌跡で、白い羽虫がバリバリと挽きつぶされ炎の雲を後に引く。

 デタラメに振り回す腕が羽虫を引き剥がし、その中から楠大作を見つけ出す。

 ほたてが展開したバリアの中で悠然と立つ大作は悠然と俺を見上げた。


 「よぅ天才。へばってんじゃねえか」

 「天才はデリケートなんだよ。けっこうきっついものだな?天才も世界から弾かれるという体験は初めてだった」

 「いつもの小理屈はどうしたよ?おめーさんも余裕ねーのかや?」

 「フン、世界を一つの意識体とみなした俺の見解を今ここで述べてやってもいいが今はそれどころではあるまい。貴様の喧嘩に早くケリをつけろ」

 「だぬ」


 俺はワンワンオーの角に手を添えると身を乗り出してメイリアを見下ろした。


 「メィィリィィァアアアア!」


 俺の咆哮を受け、怯えた顔に苛立ちを浮かべたメイリアが俺を見上げた。


 「不平等も不条理も受け入れる!それが世の中だッ!だがなッ!ナメた態度で奪われる程俺達の生き方ってのは安くねえんだ!きっちり落とし前、つけてもらうでや!」

 「管理される側の家畜がほざくなぁっ!」


 メイリアの燐光が輪を作り、螺旋状の光の奔流がワンワンオーの額に突き刺さる。

 俺の足下で盛大な爆発が起こり、燐光が散った。

 よろめくワンワンオーの上で、俺は揺るがずメイリアを見下ろし鼻を鳴らす。


 「来いッ!」

 「質量限界を設定ッ!量の暴力を思い知れやっ!」


 メイリアが再度、羽虫を生み出しはじめた。

 世界限界ギリギリまで吐き出された羽虫がワンワンオーの装甲の上で爆ぜる。

 その爆発がワンワンオーの装甲を削り、穿ち、震わせて質量を奪う。

 よろめくワンワンオーの胸に羽虫が群れとなって突撃し、押し倒す。

 巨体がゆるやかに倒れるその背中に回り込んだ羽虫が、波となって押し戻す。

 ワンワンオーを中心に渦を作り、羽虫が文字通り数の暴力でワンワンオーを襲う。

 抵抗するワンワンオーが腕を振るうが、その腕の装甲すら浴びせられる小型端末の爆発で削られていく。

 その最中、俺に突進してくる端末があった。

 ワンワンオーが障壁を展開し、障壁の上で端末が爆ぜるが、その爆発で弱った障壁を抜けて、別の端末がレーザーの砲身をねじ込み、俺に光条を放った。


 「フンッ!」


 俺は前にゆにこがやっていた理屈でレーザーを防ぐ。

 メイリアが驚いていた。


 「どうしてこの時代の人間が光学兵器を相殺できるんですかっ!」

 「光の位相を合わせた波がレーザーならその位相をずらすように俺が超速微振動してやればいいだけだろうがっ!鉄球止めるよっかチョロいんだよ!」

 「それができるのがおかしいっていってるんだよ!バカがっ!!削りきれっ!焼き払えっ!そこの、苛立つ奴を血祭りにあげてしまっちゃえーっ!」


 小型端末が翻り、ワンワンオーを取り囲む。

 光学兵器を雨のように浴びせられ、ワンワンオーの装甲が削られていく。

 俺が送る波を着実に、それ以上の速度で削っていく。


 「昭彦ッ!この状況は急所を抱えたままの殴り合いだ!相手のガードをかいくぐって急所に一発くれてやればゲームエンドだ!」

 「要するにメイリアをぶっつぶせば終わるっちゅう話だろっ!」

 「お前が理解するとはな!」

 「任せろ。逆に徹底的にガードしか狙ってやらねーよ」

 「昭彦お前本当に俺の好み理解してんなー。この天才の嫁にならないか?」

 「この戦いが終わったら結婚してやンよ!」

 「はい死亡フラグ頂きましたー!」


 下らない冗談にメイリアが憤る。


 「挑発してんの?ふざけやがってぇぇ!」


 勢いを増して増殖される端末を見据え、俺はゆにこのデータベースから面白そうな武器データを検索する。

 そして、面白いものを見つけた。


 「ゆにこ、こいつを形成するぞ三八番アンカーと四二番アンカーをジャイアントアンカーに換装しておけよ?」

 「…はぁ?なんでこんなものを作るですか?」

 「使い方は任せろ。再現形成ッ!大宇宙移民タンカーグランドライナー!」


 バリバリと虚空が稲光を発し、青白い燐光が渦を巻く。

 渦の中からちりちりと粒子をまき散らしワンワンオーよりさらに巨大な船が形成される。

 鈍色の装甲の宇宙タンカーがメイリアの端末を挽きつぶしながらグランドライナーがその全貌を露わにする。


 「うっしゃぁ!」


 ワンワンオーがその両腕で宇宙船の船尾を抱える。


 「三八番アンカー、四二番アンカー展開ッ!がっきぃーんっ!」


 巨大な弧を描いたアンカーが船首から伸びる。

 俺の肩にぷちこを形成したゆにこが尋ねる。


 「これ、どう使うですか?」

 「ぶん殴る」

 「ふぇ?」


 俺はそう言うとワンワンオーにそれを振り上げされた。

 かつて、外宇宙へと人類を運び宇宙の果てに辿りついた半永久機関を持つ大宇宙移民船の巨体をワンワンオーは重々しく持ち上げる。

 ワンワンオーの五倍はある超重量、超質量のタンカーを頭上に掲げ、ワンワンオーは各部から排圧の蒸気を噴き出し唸る。

 力強く、激しく俺は吠えた。


 「そぉぉ……れぇぇ!」


 世界が揺れた。

 超質量が運動を起こせば、その質量を内包する世界すらも動かす。

 洗面器の中の水が慣性で洗面器を動かすように、揺れるんだ。

 ゆれた世界の壁がメイリアを、メイリアの増やした羽虫を激しく打つ。

 それだけじゃあ、終わらない。

 ワンワンオーが重々しく腰を捻ると、巨大な宇宙船をブン回す。

 白い羽虫の水に着水するように叩きつけられたタンカーの周囲で水しぶきのように爆風があがる。

 ワンワンオーは粉塵を巻き上げるタンカーを振り上げ、もう一度、振り下ろした。

 巻き上げた大気に引き込まれ、メイリアの羽虫がバリバリと爆発する。

 メイリアがその爆発の中を飛翔、疾走し巻き込まれぬように逃げる。

 ワンワンオーの瞳が煌々と輝き、唸りを上げる。


 「グランドライナー改め永峰隆運丸、大ッ旋ッ風ゥッ!」


 ワンワンオーがぐるぐるとその場で回りだす。

 宇宙船を鈍器として振り回し、それが煽る衝撃が幾重にも広がり、メイリアの生み出した羽虫をことごとく挽きつぶす。

 超質量の運動はまず周囲の熱量を膨張化させプラズマを産む。

 プラズマ大気の壁で融解した力量が逃げ場を求め、順次、次元の壁、時間の波すら歪め、上位位階へと逃れようと三界を繋げる。


 「どぉぉりゃぁぁぁぁああああっ!」


 激しく振動する空に亀裂が入る。

 世界の壁が衝撃に耐えきれず崩壊をはじめている。

 だが、それでもワンワンオーは回ることを止めない。

 俺はその上で振り落とされないように踏ん張り、メイリアを睨みつけていた。

 メイリアが衝撃の外側まで飛翔して逃げる。


 「五千万年前の移民船で世界の力量限界をぶん殴る?こんな使用法なんて冗談。一度、限定世界の再構築を行ってから再度……」


 デタラメ、なんだろうさ。

 驚くメイリアは顔を引きつらせ逃げようとする。

 逃がすかよ。


 「漁師町育ちなめんな!残るはおめーさんだけだ!ゆにこっ!エンジン点火ッ!!」

 「ぶっとびぶっとばぁぁぁす!」


 ワンワンオーが遠心力をそのままに宇宙船を放り投げる。

 投げられた宇宙船のエンジンに火が着き、ごぅっ、と大気を焼くと不安定な姿勢のまま加速する。

 斜めに取り付けられたアンカーが風切り羽となって宇宙船がぐるぐると横回転をはじめる。

 ぎゃりぎゃりと地面を巻き上げ、大きく弧を描く。

 巻き上げた岩が嵐となり、轟音を上げる。

 激しく回るアンカーが竜巻となってメイリアへぶつかり白い燐光を散らした。


 「こんなものでっ!障壁展開ッ!」


 メイリアの眼前に障壁が広がり、タンカーを受け止めていた。

 障壁の上で回転するタンカーの装甲がバリバリと音を立てた剥がれはじめる。


 「一億年後の最高スペックですよ?こんな骨董品でどうにかなるわけ無いでしょーが!」


 剥がれた装甲が嵐となってまき散らされ、その中でメイリアが笑っていた。


 「底辺はいつまでも底辺っ!そこで素直に運命を受け入れるのが幸せってモンでしょー?それが何調子ぶっこいてんの?死ねって言ってんだから死んどけばいいじゃんね!」


 障壁に触れたタンカーがばらばらと崩壊をはじめる。


 「もう、これで終わりにしようや?」


 確実に守れた、そう確信したメイリアの笑いが俺の顔を見た瞬間に凍りつく。

 俺の動きと連動し、ワンワンオーが腰を落とし、正拳突きの構えを取る。

 背中のブースターが地面と平行に広がり、着火される。

 脚部のアクチュエーターが唸り、スラスターが煙を噴かし内圧を高める。

 肩部のロケットモーターのシリンダーが内圧限界を超え、溢れ出た青白い燐光が空を焼く。

 胸部三界直結エンジンに送り込まれた存在波が共鳴一杯となり、零れたものが光となって弾けていた。

 右腰に引かれたマニュピレーターが固く握られ、質量波が空間を歪める。


 「ワンパンで沈めてやンよ!」


 俺が力一杯拳を突き出すと同時にワンワンオーが動いた。

 脚部の内圧シリンダーが爆ぜてスリットから爆炎が噴き上がる。

 肩で爆ぜたロケットブースターが右肩を押しだし、腰のアクチュエーターが摩擦で炎をあげて回転する。

 寸瞬遅れて突き出されたアームのアクチュエーターが摩擦で火花を散らす。

 背面のブースターと脚部が作った推力が、ワンワンオーを押し出した。


 「鋼ッ拳ッ制ッ裁ッ!ワンワンオォォォォストレェェトォォォ!!!」


 ワンワンオーの右マニュピレーター雷光を放ち、障壁で崩壊しつつあるグランドライナーの背後から突き出される。

 グランドライナーのエンジン部を破砕し、船体を割って突き進む。

 超質量をもったマニュピレーターが船体を歪め、広がる衝撃が景色を歪ませ世界を貫く。

 拳から衝撃の輪が広がり、巻き散る破片すら破砕しながら突き進む。

 グランドライナーの船首までぶち抜いた拳はメイリアの障壁をぶち破る。


 「ひぃ――」


 メイリアは後方に飛び退き、幾重にも障壁を展開して威力を減退させようと試みていた。

 だが、ワンワンオーの拳はメイリアの障壁を破り、それでも伸びる。


 「ははっ!びびったー!でかい図体してるから遅いんだってばー!そんな虫が止まりそうなパンチくらうかっつーの!」

 「これが最高に痛いパンチだと思ってンなら頭だけは天国だぜ?神様」


 俺は鼻で笑うと、ワンワンオーを飛び降りる。


 「天国まで、ぶっ飛ばしてやンよ!」


 ワンワンオーの腕に降り立つと俺は疾走する。

 衝撃の輪を広げる拳めがけて上腕の上を蹴る。

 足の裏から摩擦熱が激しく炎となり、一条の軌跡を描く。

 だが、もっと早く、早く。

 肘を飛び越え、下碗の上で転がり、立ち上がると再び走る。

 肘が高速で回転をはじめ、俺は拳の上に飛び乗る。

 そして、障壁をぶち破る拳の先に到達すると同時に、ワンワンオーの腕が伸びきった。

 打ち抜かれた超質量が保有する運動量の全てが俺を押し出す。


 「どっせぃ…りゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっ!」


 光を追い越し、時間の振幅が無くなる速度。

 そのさらにある領域をいくつか越えた速度で俺は飛翔する。

 全身が引っこ抜かれるような衝撃のまま、俺は一直線にメイリアにぶっ飛ぶ。

 障壁をぶち破る衝撃にがりがりと額を削られる。


 「正拳突きぃぃぃっ!」


 だが、それでも伸ばした拳の先にメイリアを捕らえた。

 正拳突きは首を傾けたメイリアの顔の横を抜け、そのまま直進した俺の額がメイリアの額とぶつかる。

 ごうっ、と音がした。

 俺の視界が歪み、メイリアの後頭部からありったけの力量が突き抜けて一条の衝撃となって迸る。

 衝撃が空に穴を開け、黒い虚空に逃げてゆく。

 衝撃の直撃を受けたメイリアを中心に衝撃の輪が燐光を散らして光輪を幾重にも作り、さらに溢れた衝撃が燐光となって四方八方に広がり光の帯を作った。


 「超ぅ痛ぇぇ……」


 思わず呟いた俺は、眼前でまん丸と目を見開くメイリアに向かって叫んだ。


 「……ヘッドバッドォォォォォォォォォォォォォォォォっ!」


 方向性を失った力量が竜巻となり、嵐となって巻き上がった。

 光が四方に広がり、閃光となる。

 閃光が世界を包み、遅れてやってきた轟音が全てをなぎ払い、俺はもみくちゃにされる。

 巻き上がる地面の砂塵が全てを覆い尽くし、空を埋め尽くす。

 そして、バリンと音を立てて全てをぶっ壊した。






 生温ぃ風が吹いていた。

 全てが終わった時、俺は地面に仰向けて倒れていた。

 痛む全身に甘えるなと鞭を打つと起き上がる。

 青と、赤の混ざった空の下、力量の嵐の残滓が起こしている強い風が俺の髪を撫でている。

 終わったという確信が根拠も無くわき上がる。

 こんなものだろうかと安堵するのを躊躇うが、これまでも根拠なんざ一つもないことを思い直せば、なにもかも乗せた重たい溜息をつく。

 青とオレンジの穴だらけになった空を見上げて、どうしたものかと考えるが、鈍く傷み、疲れた身体を考えるともそっとだらだらしてようかとまた、溜息をつく。

 振り返ると、ゆにこが居た。


 「……よぅ」


 ゆにこは呆然とした顔で俺を見ていたが、やがて、にんまりと笑う。


 「最後、パンチ外してたです」

 「あー、ありゃー、その、なんだ。ワザとに決まってンだろ」

 「痛いって言ったです」

 「言ってねえよ。必殺技だよ」

 「そーいうことに、しといてあげるですよ」

 「生意気な奴だぬお前は」

 「なんたって、管理者すら倒すエリートですからー?」


 ゆにこは指を立てて気取ってみせる。

 俺は苦笑して顔を逸らした。


 「でも、すげーですね?メイリアを機能不全にできるなんて」

 「だろ?ライオンにだって昭彦さんは勝っちまうんだ。神様くらいいけるかなーって常日頃思ってたんだ」

 「中二病」

 「いいじゃねえか。それよっか無理させたな。俺の喧嘩だってのに」

 「だ、大丈夫です!」


 俺がゆにこの頭をくしゃくしゃと撫でてやるとゆにこは照れくさそうに笑った。

 俺は苦笑して返すと、遠く控えている志乃を見つける。


 「昭彦……」


 全てを知った俺にどう接していいのか、わからないのだろう。

 そんなプログラムはターミーネッタにゃ、インプットされちゃいなかったからな。

 俺は志乃の側につかつかと歩み寄ると額を撫でる。

 存外、こいつの背ってのぁ小さかったんだな。


 「悪かったな。俺の喧嘩に付き合わせた」

 「それは問題ない。だが、私は……」


 俯く志乃はどこか寂しそうな顔をしている。


 「……それだけで十分だろ?」

 「良くはない。私が奪ったんだ。お前が受け取れるべき幸せを」

 「知るかよ。俺にゃあ元から無かったんだ。無いものがあったあったなんて騒がれてもどうしょうもねえよ」

 「どうしょうもなくない!」

 「どうしょうもねえだろ。今さらグダグダ言ってんじゃねえよ。てめえも俺の嫁を名乗るくらいならシャキっと最後まで俺に格好つけさせろ。いーんだよ。幸せなんてどこにでも腐る程転がってンじゃねえか。少しくらい無くなったって困りゃしねーから」


 志乃がぽろぽろと涙を零す。


 「わだしは……これから……どんな顔でお前に接すればいいんだ?……今更お前の嫁だとが、恥ずがじいごどが……言えな……」

 「俺ぁだらしねーかんな。一人でなんでもできる気がして水道料金とか支払いにいつまでもいかねーしほっとけば飯なんか適当に喰っちまうし。まあ、いつもどーりでいいんじゃねえのかや?」

 「だげど……だぁげどぉ!」

 「なら、俺の記憶を消せばいい。だけど、いまさらそんなこともできねえンだろ?なら、どれもこれもしょうがねえじゃねえか」

 「お前はそうやっで!いつだって自分を犠牲にする!今回もだ!私がどんだけ……どんだけぇぇ……」


 志乃は俺の胸に顔を埋めて子供のように泣きじゃくる。

 俺はそんな志乃の背中をぽんぽんと叩いてあやすと大きく溜息をついた。


 「泣けるロボットを作った未来ってのも捨てたモンじゃねえわな。本当」

 「昭彦が思ってるよりスペック高いですからねー!」


 ゆにこがふて腐れた顔で俺を見ていたが、俺は首を傾げる。


 「なんでお前が怒ってンだ?」

 「怒ってないですよ!」

 「怒ってるだろ」

 「怒ってないですってば!」

 「じゃあなんなんだよ」

 「怒ってなんていないですしー?嫉妬してるだけですしー?……あ」

 「お前可愛いのな」


 ゆにこは怒った顔から、驚いて、恥ずかしそうに俯くと、苛々しながら俺の腰を思いっきり殴る。


 「じぇらしっくパンチっ!」

 「痛ぇな!なんなんだよもうっ!」

 「知らないですっ!勝手に死にくされ!……やっぱ私が殺すですよ!」


 俺はぼりぼりと頭を掻き、また溜息をつく。


 「なあ、昭彦。俺、いつぐらいに戻って来たらいい?天才でもちょっとこのままメロドラマやられると暇を持てあますんだが」

 「わぁっ!」


 いつの間にか大作が俺の側にうずくまって見上げていた。

 志乃が顔を真っ赤にして俺から離れる。


 「居るなら居るって言えよ!」

 「天才は空気を読むんだよ。バカなお前だって逆の立場だったらこうするだろうに」


 大作は鼻を鳴らすと立ち上がり、俺の肩を叩いた。

 途端に肩から全身に激痛が走る。


 「痛ぇから叩くなッ!多分、なんか色々と怪我してるっぽいんだぞコレでも!もそっといたわりの気持ちとか持てよ!」

 「昭彦だから大丈夫だろ?十分楽しませて貰ったから良しとしてやろう」

 「上から目線がうっぜえ天才だな」

 「天才だから上から目線なのは当たり前だ。がしかし、お前の問題はきっちり片付けてやっただろう。お前さんの言ってたマブを唄ってやったぞ」

 「うるっせえよ!てンめーよくも人を騙しやがったな!」

 「騙されるバカが悪い。こんなもの、少し考えれば理解できることじゃあないか」


 大作は申し訳なさそうにすることもなく俺を鼻で笑いやがった。

 そんな俺と大作を遠巻きに見ていたほたてが少し驚いたような顔で息を吐く。


 「……まさか、管理者までどうにかしてしまうとは思いませんでした」

 「あんだよ?バカにしてんのか?」

 「いえ、称賛しております。マスターはやはり、我々のマスターであったと」


 やわらかな笑みで笑うほたてに俺は途端に背筋が寒くなる。


 「……なんだか気色悪ぃな。何か企んでンじゃないか?」

 「マスターの精神状態が健全ではないですね。称賛を素直に受け取れず曲解して皮肉に受け取るのは思考に被害妄想の傾向がみられます」


 あきれたように俺に悪態をつくほたてがぼそっと零した。


 「……私も影ながらご助力いたしましたのに、何の労いも無いのは少々、さび……」

 「はあ?なんつった?」 

「いーえ!無償でご奉仕するのが我々の本懐っ!マスターは何卒お気に召されずに!」

 「そうか、まあ、今回の事じゃあゆにこや志乃にいいように使われたンだろ。まんず、苦労させたぬ」


 急に顔を赤くするほたてがぶつぶつと呟くが俺は疲れた肩を落として大きな溜息をついていた。

 そんな俺を見て大作が呆れたように肩をすくめる。


 「あんだよ。まだなんかあんのかよ」

 「昭彦は本当に気楽だなぁ。自分の問題が片付いたから安心するのもわかるが、結局のところ、根本は何も終わって居ないってことに気がつくべきだと思うんだがな?」

 「まだなんぞあったのか?」

 「あるとも。ラスボス倒してエンディングなんて生やさしいのはゲームの中だけだ。この歴史の管理者であるメイリアを排除したということは俺達が住む歴史に今はともかく将来的に影響が出てくるのだろう?予定調和で少なくとも一億年後の未来までは確約されていた歴史が調整されなくなるのだから」

 「ンなもん、知ったことかよ。そんなモン、俺が責任持つことじゃあねえだろ」

 「随分と無責任だな?」

 「無責任?冗談じゃねえよ。その時代の責任くらいその時代で負えっての。その時代時代の連中がしっかりしてればなんとでもなる話だろ?やべーわなって思ったら人間、そこそこしっかりしなくちゃなんねーんだから。人に甘えられても困るンだわ」


 大作は俺をじっと見つめたまま、黙ってしまう。


 「まあ、お前の言うことも最もか。人は環境が作る。なら、時代に合わせて人も危機感を持つべきときは持つ。足りなければ努力をしろ、か。だがね昭彦たん!もっともっと大事な問題を忘れてるぞ?曲がりなりにもこの時代の管理者をぶっ飛ばしたってことはアレだ!次の敵はもっと強大な敵がお前を殺しに一億年後からやってくるぞ?俺たちの戦いはまだこれからだっ!って展開だぞ!」


 大作は面白そうに笑っているが、俺はそんなこたあねえだろうと楽観的に周りを見てみる。


 「ンなことあるわけねえだろ、面倒くせえ。なあ?」

 「……残念だが昭彦」

 「そうですね。大作様のおっしゃることはおそらく、本当のことになるかと」

 「昭彦はバカだからわかんないかもしれないかもです」


 だが、ゆにこや志乃、それにほたてまでもが沈痛な面持ちをしてることから、そうそう、楽観視はできないみたいだった。


 「……冗談じゃねえぞ。未来まで行かないとどうしょうもねえってか」


 俺は溜息をつくと、どこまで覚悟を決めたモンか考える。

 そんな中、ゆにこが俺に言った。


 「大丈夫ですよ。昭彦」

 「あん?」

 「メイリアを機能不全に陥らせたことで私たちに課せられていた機能制限が全部解除されたです」

 「それがどうしたんだ?」


 ゆにこはどこか寂しそうに笑った。


 「未来に、帰れるようになったです」


 俺はその笑みを理解した。


 「未来?……じゃあ」


 俺は何かを言おうとして手を伸ばす、だけど、それをいっちゃあいけないと胸の奥底で縛りつける何かに従い、伸ばした手を戻した。


 「メインシステム起動、七生転輪、形成」


 ゆにこが軽くそう告げると、背後に巨大な塔が形成されはじめる。

 いや、塔じゃない。

 それは巨大な車輪を持った武器コンテナだった。

 いや、戦車、というべきなんだろうか?

 六枚の鋼鉄の羽がどこまでも伸び、背後に車輪を置き、そのさらに後ろに巨大な砲塔を並べ立てる。

 あまりにも巨大なそれが、ゆにこの全火器であった。

 どこか寂しそうに、でも、それを決して見せまいとするゆにこの顔がどうにもこうにも辛かった。

 知ってるぞ。俺は、知ってる。

 本当は、甘えたい。

 だけど、甘えられる程、不様にはなれなくて。

 それでも自分にできる精一杯をやってこようとしている奴の顔だよ、そいつは。

 俺が、じいさんとこを出た時とおンなじ顔、してやがる。

 そして、ぐるりとゆにこに背を向けた。


 「……そうか」


 俺はなんて声をかけていいか迷い、それでも何かを言わなくちゃなんねえと思って口を開こうとする。

 じいさんが、結局、俺になンも言えなかったのは冷たかったからじゃあない。

 俺だって、わかってる。


 「覚悟……決めたんだな?」

 「昭彦の喧嘩はここまでです。自分たちの時代のことはきっちり、自分たちで決着つけてくるです」


 ゆにこはどこか大人びた表情で俺の言葉を制した。

 最初に見た時はどうにも頼りねえ奴だったのに、いつの間にかこんな顔もできるようになったのか。


 「……いつまでも昭彦に甘えてらンないです。私も、私たちの時代も。だから、精一杯やってくるです」

 「大変だぞ」


 そう言うと、ゆにこの声が震えた。


 「わかってるです。でも、やらなくちゃ、なんないですから」


 泣きてえんだろうさ。

 頭、撫でて欲しいんだろうさ。


 「わかってンなら、いいさ」


 胸を貸してやることもできる。

 頭をいっぱい撫でてやることもできる。

 だけど、それは簡単で、本当に難しいのは突き放すこと。

 俺はぐっと歯を食いしばると、ゆにこに向き合った。

 案の定、泣きそうなツラで笑ってやがる。


 「ねえ、昭彦」

 「あんだよ」

 「たくさん、たくさん、時間がかかるかもです」

 「それがどおした」

 「途中で失敗しちゃうかもしんないです」

 「何もかも上手くいくかよ」

 「でも、それでもですね?」


 ゆにこはとうとう涙を零した。


 「全部が終わったらぁ……また、あきひこのところに来ていいですか?」

 「俺ぁ一億年も生きてらンねえぞ?」

 「大丈夫です。昭彦はぁ……私がごろずまで、生きてるがらっ!」


 俺は思わず苦笑してしまった。

 なんだよ、その理屈。

 こいつに殺されるまで、死なないってか。


 「わかったよ。死んでも地獄の縁で死なねーよに生きててやンよ」


 ゆにこが俺の軽口に笑ってくれる。


 「それじゃあ、地獄の獄卒が可哀想です」

 「だったら、早く終わらせて来い。おめーのせいで鬼さんも閻魔大王に残業させられンだからな?」

 「わかったです」


 ゆにこは買ってやった一張羅で涙を拭うと、とびきりの笑顔で俺に笑った。

 本当に、可愛い奴だよ。

 ほたてと志乃がゆにこの形成した砲塔に飛び乗る。

 ゆにこは俺に指で銃を作って向けると、精一杯、おどけてみせた。


 「じゃあ、行ってくるです。マイターゲット!お元気でっ!」


 ゆっくりと旋回する砲塔の中心で青白い燐光を巻き上げ、ゆにこのスカートが閃く。

 ゆにこは胸のリボンを解くと、額に巻き付けて空を見上げた。

 ひらひらと揺れるリボンの裾が青い燐光に巻き上げられる。

 青とオレンジ色のまだらに染まった空に向かってゆっくりと戦車が前進を始める。

 どう、青い燐光と衝撃の輪が広がり加速する戦車が空に向かって走ってゆく。

 いくつもいくつも衝撃の輪を広げ、戦車はやがて空を突き破って青い燐光を弾けさせた。

 空が割れ、閃光が包むと辺りにはよく見知った光景が広がっていた。

 割れた空から現れたのは満天の星が輝く夜空で、ひらひらと降る青い燐光が雪のように見えた。

 無くなってしまえば、それは夢だったのかとも思う。

 だが、いつまでも降り続いてる青い燐光や、いつまでも残ってるだろうちんちんの傷なんかが、それは決して夢でもなんでもなかったと教えてくれる。

 肩の荷が降りたと思ったが、また、別の重い何かを背負ったような気がした。

 だが、それも悪くはねえと俺は大きく溜息をつくと大作を振り返る。

 大作は苦笑して見せると俺の肩を叩く。


 「不様には生きられないというバカも辛いな?」

 「エリートロボット程度にできるこった。人間様にできねえ訳、ねえよ」


 そう、強がってみせる。

 もう少しだけ、頑張って生きてみてもいいかもしれない。

 俺は大きく溜息をつくと、もう一度空を見上げて呟いた。


 「さて、バイトにでも行く準備でもしますか」


 空が青く輝き、割れていた。


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