一日目『であう。』(前)
お姫さまは困っていました。
珊瑚色の髪をゆらゆらと風に揺らして、ちょんこり座って。
城下町全体が見渡せる丘で、ぼんやりと朝日を眺めます。
「空ってこんなに大きかったんだなぁ」
え~、ほっのぼのとしていますが、困っているのです。
実は、お姫さま。
家出しました。
正確にいえば城出ですかね。
何故かと問われれば、まぁ、それは色々な事情が知恵の輪のように絡まっているわけで。
とりあえず、今。
お姫さまが考えなくてはいけないことは一つ。
「どこへ行こう」
ちーん
そうなのです。ザ・無計画なのです。
まぁ、いつまでも間抜け面でいるわけにもいきません。
お姫さまはもっそりと立ち上が――ると見せかけて、ごろんと横になりました。
あぁあ、空色の綺麗なドレスが汚れちゃうこともお構いなしです……。
「逃げないと捕まっちゃう……」
こうして。
切羽詰まったセリフを力なく吐き出すと、お姫さまは夢の世界へレッツゴー。
暖かな日差しと柔らかな風に乗る草の匂い。
眠りを遮るものは何も――
「じぃやぁん~ぷぅ~」
と、急に上から声がして。
お姫さまがその声に反応するより早く、それは、お姫さまの腹部にヒップドロップを食らわしました。
「ふぐぁ」
お姫さまはうめき声を漏らし小さくバウンドすると、息絶えてしまいました。
降ってきたのは黄色いぬいぐるみ。熊だか犬だかわからない容姿に、大きなシルクハットをかぶっています。
お姫さまの上でゆぅっく~り立ち上がると辺りを見渡して、
「かえろ~」
もう、帰るようです。
間延びした独り言を残して、とことこ歩いていきます。
「しっろとくっろをまぜまっぜ! そっらとうっみをまぜまっぜ」
ご機嫌です。
「できあっがる~でっきあがる~」
何がでしょう?
「せっ」
べっしゃ~
盛大に顔から大地へと倒れこみました。足が短いから転びやすいのでしょうか。
ちょっと、歌の続きが聴きたかったような気もします。
「い~た~い~」
痛いそうです。
平坦な喋り方のせいで説得力はありませんが。
「ぬい……ぐるみ、さん」
息苦しそうな小さい声。
何とか復活したのか、お姫さまが地面を這いつくばりながら、ぬいぐるみさんに近付きます。
上にぬいぐるみが落ちてきただけで、弱り過ぎですって。
「せーるすはおことわり~」
ぬいぐるみさんは立ち上がって、お姫さまの方に振り向きました。
「そう言わずにお話だけでも~、じゃなくて。これ」
お姫さまは、ついでにノリツッコミも繰り出しながら、ぬいぐるみさんが落とした木の実を差し出します。
「お~、ありがと~」
素直ににかっと笑うと、ぬいぐるみさんは木の実を受け取りました。
集めてでもいるのでしょうか。
ひょいっと木の実を投げると、シルクハットに当たって――
ぴゅこんっ
木の実がシルクハットの中にすぅっと吸い込まれました。
「ほ~」と、お姫さまが口を開いたまんま感心していると、ぬいぐるみもじっとお姫さまの方をぽかんと口を開けて見つめ始めました。
どうしたのかとお姫さまが尋ねるより早く。
「つらいのか。いざねす」
ガラスの目にお姫さまを映しながら、ぬいぐるみはぽつりと呟きました。
イザネス。その名に、お姫さまは少なからず覚えがありました。
お姫さまが城を飛び出した理由とも関わりがないとは言えないのですから。
けれど、どうして通りすがりのぬいぐるみさんが急にその名を出すのか。
お姫さまは目を点にしながら、慌てて尋ねます。
「どうしてそれを――」
瞬間。
言葉は続きを許されずに。
音は音に掻き消され。
唸り声のような轟音に激しい揺れ。
お姫さまは這いつくばったまま草にしがみ付きますが、耐えられるわけはなく。
体は空間に持っていかれました。
抵抗は悪あがきでしかなく、何度もバウンドしながら、お姫さまは崖へと転がって行きます。
このままあっけなく落ちるわけにはいきません。
お姫さまは全身の力を指先に集中させて、何とか崖にしがみ付きました。
しかし、どれだけ頑張ってもお姫さまの華奢な腕では、ぶら下がっているだけで精一杯です。
と。揺れが収まりました。
お姫さまは一息つくと、しゃがみこんでいたぬいぐるみさんを呼んで、引っ張り上げて貰うことにしました。
「ぬいぐるみさーん」
「お~」
呼ぶと、ぬいぐるみさんはすぐに来てくれました。
ぬいぐるみさんは、お姫さまの腕を、掴むと言うよりは自分の腕に張り付けました。
そして、小さい体に似合わない怪力でお姫さまを持ち上げた、その時。
遊んででもいるのでしょうか。
大地は再び揺れ始め、あっさりと二人は放り出されてしまいました。
轟音の中、悲鳴は誰にも届かず。
二人は、一つのボールのようになったまま崖を転げ落ちて行きました
「頼みましたよ」
見慣れた背中に手を振って、私は一人ため息をついた。
「平和な世界を誰より望んだあの人を。私たちは守り抜く……」
世界の闇を一人で背負うと言った背中を。
邪魔はさせない。
けれど。
この歪みさえも答えの一部であることが。
私の甘さを痛感させる。
虚しくさせる。
あぁ、それでも。
引き返すわけにはいかない。
愚かにも私は期待をしてしまう。
傍で眠るこの小さな籠の鳥に――。
答えはそこにあるから。
さぁ、目を開けて。
「お姫さま。旅に出ましょう」
お姫さまが最初に目にしたのは、自分の着ていたドレスの切れ端。
お姫さまが次に目にしたのは、指のない黄色い手。
お姫さまがその次に目にしたのは、道行く巨人たち。
お姫さまはその三つの情報から、ある結論に辿り着きます。
「こ、ここは! 天国っ!」
そうでしたか。ここは天国でしたか。
天国というのは随分と生活感のある街並みなのですねぇ。
お姫さまは更にきょろきょろと辺りを見渡すと、ちょうど横にあったパン屋さんの窓ガラスに映るぬいぐるみさんを発見しました。
「ぬいぐるみさんが囚われている……」
ほうほう。ガラスの国にでも連れて行かれたぬいぐるみさんが、ガラスの中からお姫さまに救いを求めてでもいると。
「大変だ! 助けに行かなくちゃ!」
ごんっ
と、まぁ。阿呆な解釈のせいでいらないダメージを受けながら、少し時間も経てば。
さすがに鈍感なお姫さまも何となく状況をわかってきました。
「そうか。ぬいぐるみさんが天国に……」
わかってきましたって言っているでしょうに。
「まぁ、焦っても仕方ないや。ご飯でも食べよう」
さすが一国の姫。肝が据わってらっしゃる。
考えることを放棄して、お姫さまは城下町を歩き始めました。
それにしても足取りが重く、とてもふらふらしています。
もう、お姫さま。お酒の飲みすぎですよ。なんてボケても誰もツッコミがいないので止めましょう。
「前が見えないなぁ」
頭を下げてタックル姿勢のまま、右に左に歩くお姫さま。少し辛そうです。
どうやら、シルクハットの中にずっしりと何か詰まっているようです。これじゃあ、ちょっと危ないですね。レストラン周りは人通りが多いのに――。
どんっ
……フラグを立ててしまいましたか。
「ん? 何だ? ぬいぐるみ?」
無精ひげを生やした男は、お姫さまをしげしげと見つめると、訝しげな表情を浮かべました。
「あ、ごめん。大丈夫?」
足にぶつかった衝撃で仰向けになったお姫さまは、立ち上がろうとしながら男に優しく声をかけます。
しかし、頭の重さでなかなか立ち上がれません。お前が大丈夫か? と言われそうな状況ですが、男はそんなことよりも喋ったことに驚いたようで。
「こりゃ、よく出来たからくりだな」
感心しながら、お姫さまを立ち上がらせてくれました。
「ありがとう」
お姫さまがぺこりと挨拶をすると、男はお姫さまの耳元まで口を寄せました。
「兵士に見つかる前に早く帰った方がいい。からくりがこんな所を堂々と歩いていたら、すぐに規制対象だ」
「あ、大丈夫だよ。私はからくりじゃないし、違反なんかしてないよ~。何てったってこの国の姫だから!」
自信満々。笑顔も満開。あら不思議。何も嘘はついていないのに。
「……くく。何を言い出したんだ、一体。お姫さまなら城に戻ったらしいぞ。だからヒメヒメ詐欺はもう無理だ。ははっ」
何故だか、笑われてしまいました。何でしょう、ヒメヒメ詐欺。怪しげです。
お姫さまは心外の反応に目をまん丸くしました。
「お姫さまって私以外にもいたんだっ?」
とんちんかん。
この発言はさすがに男も笑えなかったようで。
「……お前、故障でもしているんじゃないのか?」
怪訝そうな顔で首を傾げました。
その反応に、お姫さまの方も納得がいきません。
「故障なんかしてないよ」
糸でできたまゆ毛を寄せて、お姫さまは俯いてしまいました。
頭の重さで沈んでいくので、とても落ち込んで見えます。
「おいおい、そんな落ち込むなよ。悪気があったわけじゃない」
男もその姿を見て不憫になったようで、シルクハットをぽんっと叩いて慰めました。
すると。
ぴゅこんっ
シルクハットの後ろ側に男の左手が吸い込まれました。
「うわっ」
慌てて男は引き抜こうとしますが、シルクハットはびくともしません。ただ、お姫さまが後ろに引っ張られただけでした。
「どうにかしてくれ!」
焦った様子で男が、前のめりになったままのお姫様に訴えます。
けれど、そう言われましても。
「私にはわからないよ~」
なわけで。
「お前がわからなかったら、誰がわかるんだよ!」
男は明らかに苛立ってしまいました。
声を荒げる男と困った様子のぬいぐるみ。
親切な忠告は仇になってしまったようです。
二人の周りにはすぐに野次馬か集まり始めました。
このままでは、騒ぎを嗅ぎつけて兵士が来てしまう。
そんな状況を打ち破ったのは――。
「何をしているんですか」
拳銃を構えた小さな少年でした。
その少年に二人が反応するより早く。
音もなく男が倒れました。
「うぉあ」
道連れにお姫さまも転んでしまいます。
少年は、小型拳銃を腰の右側に付けたホルスターに素早くしまうと、お姫さまに近付いて。
「ごめんね、おっさんは家ではもう飼えないんだ」
ぽんぽんっと二回シルクハットを叩きました。
すると。
ぴゅこんっ
さっきまで全然抜けなかった男の右手が吐き出され――
ずざざざざざ
おまけに大量の木の実も吐き出されました。
「おぉ~、軽くなったよ、ありが――」
「もう、ダカ! 帰って来ないから心配したよ~。お腹空いてない? 怪我してない?」
ちょ、お姫さまにべたべた触るんじゃありません! 離れなさい! だらしない顔を直ちに止めないと、子どもだからと言って容赦しませんよ!
「あ、うん。何か食べようと――」
「それじゃあ、早く家に帰らないと! さぁ、背中に乗って」
人の話を最後まで聞きなさいな。若いからって勢いで乗り切れると思ったら大間違いですよ!
「ちょっと待って!」
そうです。お姫さまからもびしっと言ってやってください。
「いたぞ~! 捕まえろ~!」
げ。ガチャガチャと音を立てて遠くの方から兵士が二人こっちに近付いてきます。
「見つかった」
舌打ちをして、少年が先ほどの拳銃をさっと取り出します。そのまま、鎧のわずかな隙間へと狙いを定めると――
「君は誰?」
「は」
っと言う間に網の中でした。
冷たい空気の薄暗い牢。
向かい合う一人と一体。
一人は、白銀色のつややかなおかっぱ髪に瑠璃色の丸い瞳をした少年。前髪は、右斜め上から左斜め下へと切り揃っていて、シャキーン。薄水色の半袖シャツに黒のスーツベストを羽織い、下は黄色いハーフパンツ姿。意外にお洒落だったので何もコメントできません。
そして、もう一体は小汚いぬいぐるみ。よく見ると黒い糸で何ヶ所も補強されているのがわかります。斜めにかぶったシルクハットの下から覗く耳は丸く、口は尖り、尻尾は丸く巻かれています。
「あなたの話が本当ならば、あなたとダカが入れ替わり、ダカが姿を消した。と考えるのが自然でしょうね」
少年は冷静にそう結論を出しながらも、貧乏ゆすりを繰り返していました。
気になるのか、ぬいぐるみ――お姫さまが心配そうに少年を見上げます。
「落ち着かないの?」
「え? あぁ、すみません。麻酔銃を奪われたのでちょっと……。ダカもいませんし」
無意識にやっていたことを指摘されて、少年はやっと足の動きを止めました。
「そうだ、銃。何で持っていたの? 銃の所持は禁止されているはずだよね」
お姫さまは街での騒動を思い出しました。城周辺エリアは完全な銃禁止エリアなはずです。
エリア外から持ち込むには関所を超えないといけませんし、もちろんエリア内にも売っているお店なんてありません。日々、国の兵士が取り締まっているのです。
「えぇ~、そうなんですかぁ? 僕の中ではポップな流行アイテムっていうかぁ~」
お姫さまが完全に馬鹿にされています。演技が白々しすぎです。洗剤の宣伝です。もうそれです。
「そっかぁ。知らなかったのかぁ。これからは気をつけてね」
そうですか。納得ですか。じゃあ、もういいです。
「それで、あなた……えっと、何て呼んだらいいですか?」
「あぁ~、まだ自己紹介してなかったね。私、姫! 皆そう呼ぶから!」
そう。お姫さまは自分の本当の名前を知りません。生を受けた瞬間から『お姫さま』だったからです。
「ヒメさんですか。僕は……そうだな。モチでいいです」
自己紹介が少し遅い気もしますが、やっと一段落しましたね。
「本名?」
「いいえ、変態親父が付けた名前なんか使えません。『あの天才ダカ君の持ち主』のモチです」
「へぇ~。そっかぁ。ダカってぬいぐるみさんのことかぁ」
そっちですか。今更な質問ですね。
「えぇ。出会った時、最強にプリティだけど『犬だか熊だかわからないや』って思いませんでした?」
「……なるほど。犬だか熊だか。とは思ったよ」
とは。
「それで、ヒメさん。ダカの行き先に心当たりはありませんか」
その問いにお姫さまはしばらく考えて――。
「ううん。わから――あ、そういえば。城に戻ったって」
男の言葉を思い出しました。
「城?……って、ここじゃないですか」
考えてみるまでもなかったようです。
「そうだね」
そうなのです。違反者は一旦、城の牢屋に入れられるので、実は同じ建物にターゲットはいるのです。
「……まぁ、いいです。城のどこですか?」
少年は何か言いたげな顔でお姫さまを見つめた後、質問を続けました。
「部屋だったら四階だよ」
「四階か……。ぎりぎり登れそうですね――って四階はお姫さまが使われている部屋ですよ。使用人はもっと下の階じゃ……」
あ、結構早く気付きましたね。面白そうだったのに。
「え、だって、姫だよ?」
少年の様子がおかしいことに気付いて、お姫さまが自分を指さします。
「いや、名前の話ではなくて……って、え、本当に?」
半笑いしながらお姫さまのセリフを否定しようとして、目を見開き硬直しました。
「うん」
「はぁあ? な、何してるんですかっ? 馬鹿じゃないですかっ? 脳みそ腐ってるんですか?」
取り乱してる、取り乱してる。のはわかりますが、失礼でしょ。ちょっと。
「うん、ごめん」
お姫さまが俯いて素直に謝りました。
やはり気に病んでいらしたのですね……。
「あなたは青春物語の主人公じゃないんですよ。自分探しの旅だとか、若気の至りだとか、のたまったところで国民は納得しません。しかも、家出中に不注意で崖から落ちてぬいぐるみと入れ替わった……って、何ですかそれ。死んでいたらどうするつもりだったんですか。確かに、無知な人だとは思いましたけど、まさかお姫様だとは……」
怒っていると言うよりは呆れている口調で、少年は正論を繰り出します。
「……嫌だったんだ。城の中で何もできない自分は。何も知らない自分は」
何回も自問自答した内容です。お姫さまの答えは変わりません。
「お姫様は、にこにこ笑って国民の光でさえいればいいんです。それが仕事なんです。あなたが消えたと言うだけでこの国の人たちは大騒ぎなんですよ?」
「ただ高いところから見物なんてしていられないよっ!」
少年の物言いにたまらずお姫さまは立ち上がりました。
けれど――。それを押さえつけるように言葉は紡がれます。
「いつだって、王室は見て見ぬふりじゃないですか。増えている地震も、各地で起きている怪死も。城には不安の声が寄せられているはずです。でも、全然収まらない。今に不満の声は爆発しますよ。それに、さっき言っていた禁止エリアですか? 僕の銃は自作ですけど、手に入れる方法はいくらでもあります。文化が交わると争いが起こる? そんなこと言って禁止法ができてからもう百年経ちますよね? でも、同じくらい昔から裏の社会では、それぞれの技術を組み合わせて兵器を作る研究をしているって、噂があるんです。一体、いつ争いは起こるのでしょう?」
響く幼い声は、微かに怒りの色を含んでいきました。
お姫さまが危惧していたこと。いつもはとんちんかんなのに、こんな時だけ当たってしまうなんて……。
「……私は国の正義を信じるよ。そして、この国を守る。だから」
それでも、お姫さまは。自分にもう一度言い聞かせるように。そっと呟きます。
「行かなくちゃ」
その言葉に少年は深くため息を吐きました。
「言うことを聞きませんね。ダカの体で何をする気ですか?」
そして、立ち上がると。
「その家出。付き合います」
お姫さまに笑いかけました。
その笑顔がとても自然だったので、お姫さまはホッと胸をなでおろしました。
「ありがとう」
嬉しそうに感謝を伝えながら、右手を差し出します。
「後ろ。向いてもらえますか?」
けれど、お姫さまの右手は当然のように無視して、少年は指示だけ出しました。
「あ、うん。いいけど、何で?」
不思議そうにしながらも、お姫さまは素直に従います。
少年はささっとぬいぐるみの背中のファスナーを開けて、中を探り始めました。何か入れているようです。
「護身用にダカの中に入れておいたんです」
飄々と答えながら、少年はそれを取り出すと、ぬいぐるみのファスナーを閉じました。
「お、またすごく軽くなった! 何が入って――」
振り向いたお姫さまは言葉を失いました。
そして、お姫さまが言葉を取り戻すよりも、それが効力を発揮する方が早く。
光と音と煙と風。
一度に襲われて、お姫さまは身動きがとれませんでした。
爆発音が止んで、恐る恐るお姫さまが目を開けると、さっきまであった壁はぽっかりなくなって瓦礫になっていました。足下にはマッチの燃えカス。
「何しているんだ!」
音を聞きつけて、兵士の足音が近付いてきます。
急がないとまた、あっと言う間に捕まりかねません。
「さぁ、行きますよ!」
固まっているお姫さまに、外から声がかかりました。
「あ、うん!」
慌てて意識を呼びもどして、お姫さまも外に出ると、少年が四階の窓へロープを投げ込んだ後でした。
「窓が開いていて助かりました。急ぎましょう」
大して急いだ様子もなく、少年はそう言うとお姫さまを持ち上げました。
ガチャガチャと牢屋のカギを開ける音が、時間がないことを伝えてきます。
「部屋にいてくれるといい――ねうぇえええっだ! 放り投げるなら先に言ってくれないかな!」
「はい、さっさと手足動かして下さい。捕まったらヒメさん腹綿引きずり出されますよ~」
お姫さまを城の三階辺りまで放り投げた少年は、お姫さまの文句にも悪びれる様子はなく、すいすいとロープを登り始めました。
「そ、それは嫌だな」
少年の言葉に苦い顔をすると、お姫さまもちょこちょこ登り始めました。
しかし、元々の体力のなさと小さくて慣れない体のせいで、どんどん少年との距離が縮んでいきます。
そして、二人はほぼ同時に四階に転がりこみました。
ガチャガチャとうるさく音をたてながら登ってくる兵士をロープごと落とした後、捜索を開始した二人はしばらくして、床に座り込みました。
ぬいぐるみさんの姿はありませんでした。
荒い呼吸を繰り返しながら、お姫さまが話を切り出します。
「どうしようか……」
「とりあえず、逃げるしかないでしょう……」
確かに落ち込んでいる暇はなさそうです。
力なく二人は立ち上がると――
「って、そんなもの持っていくのっ?」
お姫さまは、目をまん丸くして、少年の顔と少年の手に持っているものを見比べました。
「そんなもの? 何を言うんですか。このカーテンもシーツも超高級素材じゃないですかっ! どうせ家出するんだからくださいよ」
どうやらぬいぐるみさんを探しながら品定めしていたらしく、少年の周りには部屋の布が大集合です。
「えええ。いや、そうだけど、かさばるし……」
叱られたことに動揺しながら、お姫さまは説得しようと試みますが。
少年は得意げに人差し指を横に振り、
「それなら問題ありません。裁縫リングに入れますから」
左腕にはめていた金の腕輪を外して、右腕に抱えたカーテンに向けました。
すると、また。
ぴゅこんっ
音をたてて、腕輪の中にまっ白なカーテンが吸い込まれました。
「おぉお、これもモチ君が作ったの?」
お姫さま、少年に出会ってから驚くことばかりです。
「えぇ。まぁ、天才ですから」
すらっと自画自賛しながら、少年は次々と布を裁縫リングに収納していきます。
ガチャ
と、扉が急に開きました。
「お姫さま~、食後のお茶をおもっ――」
現れたのは、二十歳前後の女性で、お姫さまの使用人でした。お茶を持ったまま立ちつくした彼女は、お姫さまと少年を交互に見て、ついでに部屋の様子も見まわすと。
「ど、泥棒っ?」
当然の結論へと行きつきました。
「ヒカリさんっ!」
お姫さまは咄嗟に、よく知った彼女の名前を呼びます。
けれど。
「え? どうして――」
彼女は、ますます混乱したようで、目を見開いたまま眉を寄せました。
「逃げますよ!」
見つめ合う二人の間を縫って、少年が廊下へ飛び出します。
「あ、うん! ごめんね!」
ぽけっとしていたお姫さまも、使用人に一礼すると、少年の後ろを付いて駆け足で部屋を出ました。
「ヒメさん! 抜け道とかないんですかっ!」
だだっ広い廊下に足音を響かせてしばらく走った後、巡回している兵士を発見して、二人は壁に張り付きました。
「そんなものあるわけな――あ」
声量は下げながら熱を上げる少年に、お姫さまはまた何か思い出しました。
「なんですかっ!」
少年が詰め寄ります。
「子どもの頃に父さんが、裏門に行ける近道があるって……」
「それです! それ、どこですかっ?」
「えぇ……っと」
目をつむって考え込むお姫さま。
と。廊下の角から別の兵士がこちらへと歩いてきました。
その兵士は少年と目を合わせると、一回目をそらして、もう一回見ました。
そして。
「うわっ、見つかった! 早く!」
兵士が走り出した時には、少年もお姫さまを引っ張って走り出していました。
「うごっ」
思考中を急に引っ張られて、風になびくお姫さま。
に、構うことはなくぶんぶん振り回しながら、少年は巡回していた兵士と追いかけてきた兵士を、十字路でぶつけることに成功しました。
「くそっ、無駄に広いですね!」
十字路を右に曲がって、その次の分かれ道を左に曲がると、外への扉がありました。
「お菓子の香りがしていたような……」
とりあえず、扉を開いて外へ出ると、非常階段がありました。
「お菓子? キッチンですか?」
頭を抱えて記憶を探るお姫さまの言葉を、少年は一つ一つ拾っていきます。
「そんな気がするようなしないような……」
けれどお姫さまも自信はなさそうです。
「どっちですかっ! あぁ、もう、とりあえず一階行きましょう」
はっきりしないお姫さまに業を煮やして、少年は非常階段を二段飛ばしで降りて行きます。
すると。
「あ! 三階の休憩室!」
二階を通り過ぎた辺りで、お姫さまがぴこりんと答えに辿り着きました。おめでとうございます。
「三階っ?」
お姫さまの言葉に素早く反応して、少年は三階へと駆け戻ります。
「……えぇっと」
三階の扉をゆっくり開いて中を覗きこむと、お姫さまは口ごもりました。
「もしかして、休憩室って兵士が大量出現しているあの部屋ですか……?」
お姫さまの様子を察して、少年も苦い顔をします。
「……うん」
お姫さまも気まずそうに頷きました。
扉の三歩四歩先には、休憩室がありました。それは、喜ばしいのですが、なにせ休憩室なので、「今日、俺ケーキ焼いたんだ~」「うわ~、すごいなぁ。俺はスポンジがうまく膨らまないんだよなぁ」と、兵士が憩いを求めて集まっているのです。
しかし、二人が牢を抜け出したことでそれも終わりです。このまま、兵士が城の中へと散ってくれれば――。
「わぁあ、しかも、こっちに来るじゃないですかぁ!」
だめでした。
「ど、どうす、どうし、ど、どう」
お姫さま、言葉になっていません。
「お、落ち着いてください。発明リングに何か、何か」
お姫さまよりは落ち着いた口調でそう言うと、少年は左腕から金ではなく銅の腕輪を外し、輪の中を覗きながら万華鏡のように回し始めました。
「そうだよねぇ」
少年の言葉を真に受けて、お姫さまはティータイムのような雰囲気を醸し出して座り込みました。
「落ち着きすぎで――あった!」
歓喜の声を上げると同時に少年が腕輪に右手を突っ込みます。
「来たぁっ!」
お姫さまも、優雅モードから回復し、扉が大きく開かれたことへ悲鳴をあげました。
「ぴかりん君一号!」
アイテム名を叫びながら、少年が銀色のラッパみたいな物を兵士に向けると、兵士を白い光が包み込みました。
「ひっ」
兵士が怯んだ隙に、城の中へと突入します。どうやら、目くらましの道具のようです。
「よしっ!」
発明リングをはめ直しながら、少年はガッツポーズです。
「何者だっ!」
声を聞きつけて、わらわらと兵士が集まってきました。
「おこ、たえ、できません!」
一人一人の体当たりを避けながら、ぴかりん君一号で反撃する少年。
休憩室まで辿り着きました。
少年が扉を開いて、転がりこみ――
ガチャ
おっと。
「って、ちょ」
急に扉が向こう側に開いて、少年は呆け顔の兵士へと体を預ける形になりました。
慌てて、体を引き離します。
そして、体勢を立て直――
せませんでした。
がっこん
「え?」
その場にいた全員の声が重なりました。
兵士たちも知らなかったようです。
休憩室前の廊下に隠し滑り台があるなんて。
廊下に背中を付いた少年と、その少年にしがみついていたお姫さま。
二人は、急に倒れた壁に驚く暇もなく。
仰向けで、しかも後ろ向きのまま、闇の中をかなりの勢いで滑り落ち。
絶叫の行く先は、海の上でした。
お読みいただき、誠に、誠にありがとうございます。
ご意見・ご感想等ございましたらお願いいたします。
主人公が二人揃いました!姫ちゃんとモチ君です。よろしくお願いしますw