第1話 最強の神域スキル
「……おい、盤古。聞こえてるか、盤古」
薄暗い洞窟の奥、アルトは震える声で背後に呼びかけた。
目の前には、体長三メートルを超える狂暴な魔獣「レッド・ベア」が、よだれを垂らしながら今にも飛びかかろうとしている。
平民出身の冒険者アルトにとって、これは明らかにキャパオーバーな相手だ。だが、彼には切り札がある。世界に数人しかいないと言われる【神域級】のスキル——万物を再構築する権能『盤古』。
本来なら、指を一振りするだけでこの魔獣を素粒子レベルで分解できるはずだった。
「…………」
返事がない。
アルトが恐る恐る背後を振り返ると、そこには半透明な美少女の姿があった。
彼女は宙に浮いたまま、どこから持ってきたのか、「月刊・魔導具トレンド」という雑誌を熱心に読み耽っている。
「……あの、盤古さん? 今、俺の人生最大のピンチなんですけど」
「んー。……あー、ごめん。今、そのページいいところだから。っていうか、熊ごときで私を呼ぶのやめてくれる? 恥ずかしいんだけど」
盤古はページをめくる手を止めず、冷淡に言い放った。
「恥ずかしいとかそういう問題じゃない! 契約しただろ、俺を守るって!」
「守ってるじゃん。私の精神体が展開してるだけで、微弱な加護は出てるよ。その熊の攻撃、三回くらいなら耐えられるんじゃない? 知らんけど」
「知らんけどって言ったな今!?」
レッド・ベアが痺れを切らしたように咆哮し、丸太のような腕を振り上げた。
死を予感させる風圧。アルトは本能的に横へ飛び退く。先ほどまで彼がいた地面は、熊の一撃でクレーターのように粉砕された。
「おい! 今の掠ったら死んでたぞ!」
「よけたじゃん。やるじゃん。アルトは体術の才能あるよねー。じゃあ私、ちょっとお昼寝するから。終わったら起こして。晩御飯は肉がいい」
そう言うと、盤古はパチンと指を鳴らした。
彼女の姿が消え、アルトの目の前には「本日、有給休暇につき終業しました」という、空中に浮かぶ文字だけのプレートが残された。
「この……ぐうたらスキルが……ッ!」
アルトは悪態をつきながら、腰のなまくら刀を引き抜いた。
期待するだけ無駄だ。いつものことじゃないか。
彼は神域スキルの持ち主でありながら、結局のところ、自分の筋肉と泥臭い経験だけを頼りに生きてきたのだ。
「……ふぅ、やるしかないか」
アルトの瞳から、諦めと、それに相反する鋭い闘志が宿る。
彼は低く構えた。盤古が動かない。それは裏を返せば、盤古が「アルトならこれで死なない」と判断している証拠でもある。
歪な信頼関係。
アルトは地面を蹴った。神の力を借りず、ただの一人の人間として、彼は魔獣の懐へと飛び込んでいく——。




