第0話 プロローグ
空は、どこまでも高く、残酷なまでに青かった。
この世界には、15歳になった少年少女が、神殿で己の魂に刻まれた「役割」を授かる儀式がある。
──【スキル】。
それは、ある者にとっては一生を保障する宝剣となり、ある者にとっては日々を支える鋤となる。人々はその輝きを見て、自らの人生を悟るのだ。
「......アルト。お前なら、きっと『剣士』や『魔導師』の上級スキルを授かる。そうすれば、こんな貧乏な村ともおさらばだ」
幼馴染の少年が、期待と少しの嫉妬を込めてアルトの背中を叩いた。
アルトは平民だった。代々、土を耕し、汗を流して生きる家系だ。だが、アルトには天賦の才があった。大人顔負けの剣捌きと、何より、誰よりも強い「成り上がりたい」という向上心。
彼は、自分が歴史に名を残す英雄になることを、露ほども疑っていなかった。
だが、運命という名の神は、時として悪趣味な冗談を好む。
「......次、アルト。前へ」
神官の厳かな声に導かれ、アルトは水晶の前に立った。
彼が水晶に触れた瞬間、神殿全体が、いや、世界そのものが一瞬だけ呼吸を止めたかのような錯覚に陥った。
ゴォォォォォォォッ!!
突如として、神殿を揺るがすほどの凄まじい衝撃波が放たれた。水晶は眩い黄金の光を放ち、天井を突き抜け、天空まで届く光の柱を形成した。
人々は悲鳴を上げ、神官たちはあまりの神々しさにその場に膝をついた。
光の中に、浮かび上がる文字。
そこには、この世界の歴史上で一度も確認されたことのない、禁忌の称号が刻まれていた。
【神域級スキル:盤古】
「......し、神域......!? 伝説の『聖域級』を越える、神の領域のスキルだというのか!」
「平民から......救世主が現れたぞ!」
神殿は狂乱に包まれた。
アルトは、自分の右手に宿る、宇宙を丸ごと凝縮したような圧倒的な質量を感じていた。
これだ。俺は、これまでの全ての理不尽を、この力で覆してやる。
少年が、野心に瞳を輝かせた、その時だった。
「......あーあ。最悪。なんで私が、こんな暑苦しいガキの中に収まらなきゃいけないわけ?」
耳元で、ひどく場違いな、気怠げな少女の声が聞こえた。
「......え?」
アルトが周囲を見渡すが、誰もいない。声は、自分の「内側」から響いていた。
「ちょっと、そこのアルトだっけ。聞こえてる? 私、今は眠いから、そういう派手な演出やめてくれる? 恥ずかしいし、魔力の無駄遣いだから」
その瞬間、天空を貫いていた光の柱が、ぷつんと、まるで消灯されたかのように消えた。
神殿を包んでいた神々しいオーラは霧散し、アルトの右手に宿っていた膨大なエネルギーは、どこかへ吸い込まれるように沈黙した。
「おい......? どうしたんだ? 光が消えたぞ」
「判定はどうなった!? ステータスを見せろ!」
困惑する神官たちが、アルトのステータスボードを覗き込んだ。
そこには、確かに【神域級:盤古】という文字があったが、その説明欄には、絶望的な一文が添えられていた。
『——現在、スキルは休暇中です。発動には本人の許可が必要です——』
「......休暇中? スキルが、休暇?」
「何だそれは。不発か? 偽物なのか?」
先ほどまでの熱狂は、冷ややかな疑惑へと変わった。
アルトは必死に右手に力を込め、念じた。出ろ、さっきの力を出せ! 炎でもいい、雷でもいい、何かを見せてくれ!
だが。
「無理無理。言ったでしょ、私、働きたくないの。君が死ぬ間際になったら、一分くらいは考えてあげてもいいけど。今は、静かにしてて」
右手の奥で、少女が欠伸をする気配だけが伝わってきた。
その日を境に、アルトの人生は暗転した。
国からは「期待外れの欠陥品」として予算を打ち切られ、村の期待は嘲笑へと変わった。
最強のスキルを持ちながら、何一つ魔法を使えず、身体能力も「少し力のある人間」程度にしか強化されない。人々は彼を「神に見捨てられた英雄」と呼んだ。
3年後。
アルトは、王都のギルドの片隅で、串焼きを齧っていた。
装備はボロボロ。手入れの行き届かない剣は、かつての自分のプライドのように少し錆びついている。
「......はぁ。今日も依頼は薬草採取か。神域スキル持ちが聞いて呆れるな」
「いいじゃん、平和で。薬草採取なんて、歩いてるだけでお金が貰える最高のお仕事だよ」
背後で、半透明の美少女——盤古が、空中を泳ぎながら楽しそうに笑っている。
彼女はアルトがピンチの時以外、決して姿を現さない(アルトにしか見えない)。そして、アルトがどれほど困窮していても、決して力を使おうとはしない。
「お前なぁ......。俺の人生、どうしてくれるんだよ。15のあの日、お前さえちゃんと働いていれば、俺は今頃、白馬に乗ってパレードでもしてたんだぞ」
「パレード? 疲れるだけじゃない。それよりアルト、あっちの露店で売ってる『王宮の贅沢プリン』、あれ食べたい。買ってくれたら、明日の朝、君を起こしてあげるよ」
「目覚まし時計代わりにもならねえのか、お前は!」
アルトは怒鳴りながらも、財布の底に残った数枚の銅貨を確認する。
確かに、あの日夢見た「英雄」の姿とは程遠い。
だが、この三年間、アルトは独りで戦い続けてきた。スキルが働かないなら、自分の腕を磨けばいい。魔力が使えないなら、誰よりも速く動ければいい。
盤古という「重荷」を背負いながら、彼は泥臭く、必死に、人間としての強さを積み上げてきたのだ。
「......ま、いいさ。いつかお前を、土下座してでも働かせてやるからな」
「あはは、楽しみにしてるよ。ま、100年くらい先の話だろうけどね」
夕暮れの王都。
人混みに紛れ、誰も見向きもしない平民の少年。
その影には、世界を数千回再構築できるほどの破壊神が、欠伸をしながら寄り添っている。
これが、後に「働かない英雄」として歴史に刻まれる、アルトと盤古の長い、長い物語のプロローグ。
最強の力を使わない二人の、不自由で自由な旅は、ここから加速していくことになる——。




