吸血鬼と猫~ハロウィン
鏡の前に立って、自分の姿をじっと見つめる。
黒いレースのドレスが体にぴったり張り付いて、首元の赤いリボンが少し息苦しい。
吸血鬼のコスチュームなんて、ただの気まぐれだったのに。
唇に塗ったルージュが妖しく光って、心臓が少し速く鳴る。
今日は十月三十一日、ハロウィン。
大学のパーティーに行くなんて、久しぶりだ。
忙しい日々の中で、こんな夜がなんだか特別に感じる。
会場は大学の近くの古い倉庫。
オレンジの照明が揺れて、仮装したみんなの笑い声が響く。
魔女やゾンビのグループが騒いでいる中、私はビールを片手に壁際へ寄りかかる。
緊張している自分が嫌になる。いつも通り、友達と話せばいいのに。
視線が、ふと一人の女性で止まった。
猫のコスチューム。黒いレオタードがしなやかな体を包み、尻尾が優雅に揺れる。
耳のヘッドピースの下から長い黒髪が流れ落ち、目元のウィンクメイクがいたずらっぽい。
あ、桜先輩。文学部の先輩で、一度講義で話しかけられたことがある。
あの笑顔が忘れられなくて、胸がざわついたのを覚えている。
櫻先輩が近づいてくる。グラスを傾けながら、にこりと微笑んだ。
「綾、吸血鬼? 似合ってるよ。血を吸われそうなくらい、魅力的」
その言葉に、頰が熱くなる。ハロウィンの夜、こんな軽い冗談が甘く耳に絡みつく。
「ありがとう、先輩。猫の桜さんも、爪を立てられそうで怖いです。」
冗談めかして返すと、笑い声が音楽に混じって心地いい。
心のどこかで、もっと話したい自分がいる。
自然と、倉庫の隅のソファに並んで座った。
ハロウィンの仮装が、距離を縮めてくれるみたいだ。
桜先輩の尻尾が、私の膝に軽く触れる。偶然? それとも——。ドキドキが止まらない。
「最近、忙しいんでしょ? 綾の小説、読みたいんだけど」
先輩の声が低くなる。私は頷きながら、自分の手が先輩の手に触れていることに気づく。
指先が絡み合った。柔らかい感触に、息が浅くなる。仮面の下で、心臓の音がうるさい。
「私も、桜先輩の詩が好き。静かで、でも熱い感じ」
そう言うと、先輩の瞳が細くなった。照明が私たちの影を長く伸ばす。
パーティーの喧騒が遠くなって、二人だけの世界みたいだ。
先輩が身を寄せてくる。猫耳が、私の肩にふわりと触れた。
「綾、知ってる? ハロウィンは、仮面の下の本当の自分を出せる夜だって」
耳にかかる息。シャンパンの甘い香りが、頭をくらくらさせる。私の視線が、先輩の唇に落ちる。
ルージュの赤が、誘うように光っていた。
まるで幻想のように、理性が溶けていく。
私はそっと、先輩の頰に手を添えた。温かい。
指先から、微かな震えが伝わる。先輩の目がゆっくり閉じた。
唇が重なる。最初は優しく、探るように。
触れては離れ、また確かめる。先輩の唇が私のものを甘くかすめ、熱い吐息が混じり合う。
私は吸い寄せられるように、先輩の背へと腕を回した。
布越しの体温が、指先にやわらかく宿る。
キスは少しだけ深くなって、時間が止まったみたいだった。
体が熱くて、溶けそう。ハロウィンの魔法が、私たちを包む。
やっと唇が離れる。先輩の目が潤んで、まっすぐ私を見つめた。
「これからも、会おうか」
私は頷いて、微笑む。
夜風が扉を叩いた。
外の世界はまだ宴が続いている。
でも私の心には、新しい秘密が芽生えた。
満月の下で、静かに、強く今、咲き始める。




