第6話 再演
白い鳥の舞う、青く澄んだ空。
遠くに、大きな入道雲が見えた。
空の一点に、亀裂の様な歪みが走る。
それが、次第に形を成していく。
現れた白銀の球体が、青空を映す。
港近くの高台上空に現れたそれは、重力に引かれて落ち、灯台に当たり、港の方へと転がって行く。
突然頭上から殴り付けられた灯台が折れ、空を映す球体の反対へと倒壊していく。
公園として整備されたその高台に、土埃が立ち上り、悲鳴とコンクリートの割れる音が響く。
海を一望する灯台は、公園の展望台として、憩いの場の役目を負っていた。
崩れるコンクリートと共に落下して行く人々と、悲鳴を上げ、それから目を逸らす者。
降り掛かる瓦礫から逃げ切れず、圧し潰される人々。
呆然とその光景を見つめる者。
それらの姿を、土煙が覆い隠していく。
ここに、非日常の舞台が――再び、幕を開けた。
脚で姿勢を支え、周囲をモニターに映す。
崩れていく灯台が正面に見えた。
眉を顰め、自身の成したそれをじっと見る。
ぐっと握られた手は、その震えを隠せずにいた。
灯台から落ちていく人の姿がはっきりとその目に映る。
思わず、目を背けた。
その視線の先に、停泊する大型の客船と、その甲板から双眼鏡でこちらを眺める、白いドレスを着た令嬢の姿が見えた。
「……悪趣味な事だ。」
奥歯がぎりっ、と、軋む。
「予定の座標から離れてしまった。私一人しか居ないようだ。」
「作戦を変更する。ノクティアはそこで魔法少女を阻止してくれ。他の者が音声を接続する。」
「……了解。」
周囲を見渡すと、逃げ惑う人々の姿が目に入った。
「……急いで離れてくれ。……私一人では、被害を防ぐ壁は、張れないのだから。」
俯きながら呟いた言葉は、次第に小さく、震えていった。
センサーが敵を告げる。
顔を上げ、二人の姿を確認する。
「……私は、ここでお前達を止めるだけだ。」
その声は震えてはいなかった。
防災スピーカーから音声が流れ出す。
理想を語る、父の様に慕う者の穏やかな声。
逃げていた筈の者達は、その途中で止まり、魔法少女へと声援を送っていた。
「なぜ……もっと、離れてくれないと……」
留まり、声援を送る人々から、すっと逃げる様に離れていくスーツ姿の男性が見えた。
ぎゅっと口を結ぶ。
「……人々を、巻き込むつもりか……っ!」
怒りに声が震えた。
防波堤に当たる波の音が、周囲に満ちる理想を伝える声と共に、落ち着いたリズムを刻んでいた。
磯の匂いが、悲愴に満ちた頬を撫でる。
離れる気配を見せない、声援を上げる人々の顔を見ることができなかった。
目を閉じた後、正面の魔法少女だけを見る。
集中し、周囲を意識から外す。
「……お前達は、全てを知っても、そうしていられるのだろうか。」
呟いた言葉を掻き消すように、銀の鳥が八羽飛び出す。
それぞれに向けて光弾を放ち、少女たちにも一発、放つ。
迷いを断ち切る様に、眼の前の少女との戦闘を開始した。
高台にある筈の灯台が消えていた。
周囲に土煙が舞い上がっていた。
「展望台、壊したのか?……この時間は、人が大勢……」
理解を頭が拒む。
その顔が困惑を示す。
「相手は一体です。……直ぐに倒して、救護に向かいましょう。」
アカネの声は、普段からは想像できない程低く、力強いものだった。
その怒りを耳にして、改めて敵を見る。
一体。
だけど、前回私を倒した白銀。
「最初から二人です!敗れる事はありません!」
アカネが悲鳴とも思える声で叫ぶ。
敵が銀の鳥に向けて光弾を放つ。
そして、こちらにも一発。
アカネがすっと一歩前に出る。
その手に光が握られ、ステッキが現れる。
ステッキを、激しく踊る様に振るう。
白銀が炎に包まれ、雷撃が貫き、凍結する。
こちらへと向けられた光弾は、より強い光に貫かれ、爆発する。
白銀が双腕を生やし、自身を覆う氷を砕く。
そして、その一方の手を握り、天へと突き出す。
突き上げた拳が、赤い光とプラズマを纏い、垂直に落下してくるものを捉える。
太陽と見紛う光芒が放たれ、群衆が目を瞑る。
空間が歪み、轟音と共に破壊の波が広がっていく。
場に悲鳴が満ちる。
離れていなかった人々を、衝撃波が襲う。
耳から血を噴き、目を開いたまま後ろに倒れていく。
倒壊する建物が、声援を送る人々を飲み込んでいく。
港に大きな穴が穿たれる。
港へと続く舗装路にも亀裂や段差が生じていた。
その穴へと流れ込む筈の海水が、逆に押し出されていく。
客船が大きく揺れる。
窓ガラスが割れ、光として海へと注がれていた。
その中心に、超高速で空から落下してきたアサヒの輝く拳と、それを迎え撃った白銀の拳が拮抗していた。
もう一方の腕がアサヒを掴み、次の魔法を放とうとしていたアカネへと投げつける。
引いた波が、大きな波となり、戻り始める。
迫るアサヒの姿に、アカネが目を見開く。
直ぐに、ステッキの動きを変え、ネットを出現させてアサヒを受け止める。
そして、抉られた大地から空へと跳ぶ。
「アサヒさん!」
「アカネ!後ろ!」
咄嗟に展開したシールドが、七つの光弾を防ぐ。
「もう一つは?!」
鳥の影を地上に見付け、影の主を仰ぎ見る。
空に鎮座する太陽に、思わず目を瞑る。
その隙に合わせ、大量の光弾が降り注ぐ。
「きゃあっ!」
「アカネ!くっ!」
自身を受け止めたネットが消える。
宙に立ち、爆風から顔を隠す。
アカネを包む爆発が絶え間無く続き、接近を許してくれなかった。
爆炎が霧散すると、意識を失ったアカネを片手で握る、空を映す白銀が姿を現す。
「もう、決着は付いただろう。これ以上は無意味だ。」
白銀から明瞭な女性の声が響く。
大波がごぅ、と、地鳴りを伴い迫ってくる。
「巫山戯るなっ!アカネを、放せっ!」
空を蹴り、突進する。
白銀の腕が、こちらに反応するのを確認し、直前で止まり、相手の腕を軸にくるりと回り、上へと跳ぶ。
その本体に乗り、アカネを掴む腕を見る。
踏み出そうと脚に力を入れた瞬間、身体を支えていた床が消える。
「えっ?」
疑問を零した口を塞ぐ様に、鍛えられた長い脚が鞭の様に叩き付けられる。
「ぐぁっ?!」
その蹴りを顔面に受け、地面に弾かれ、転がる。
長い金髪を、後ろで束ねた女性が見えた。
客船が、沖の方に小さく見えた。
そして波が、私の意識を、押し流していった。
波が、瓦礫も、動かない人も、逃げる人々も街並みも、その全てを、押し流していく。
その光景の中に、空と海を映した青い球体が浮かんでいた。
「くっ……」
球体の上で、ノクティアが苦悶を漏らす。
眼下に広がる、全てを押し流していく水。
「これでは、あまりにも……こんな……」
肩を震わせ、その光景を見守る。
そして、押し寄せた水が引いていく。
水圧で崩した瓦礫を、浮かぶ亡骸を、海へと連れて行く。
波は、第二波、第三波と繰り返し、その怒りを鎮めていく。
震えながら、懺悔をする様に、両手を顔の前で結んでいた。
波が落ち着き、何もかもが流された残骸の中、建物の基礎に掴まり倒れている黒い少女を見付けた。
思わず飛び降り、駆け寄る。
「大丈夫か?!」
抱き起こし、脱力したその背中を叩く。
ごぼ、げほげほ、と水を吐き、呼吸が戻る。
その目が開かれる。
「……お……まえ……は……」
ふらふらと、私の手から離れ、震える脚で無理矢理身体を支え、こちらに顔を向ける。
私は、その顔を見る事ができなかった。
「……私達は、いや、私は……」
この惨劇の前で、私に、何を言う権利があろうか。
震える私の様子に、黒い少女がその表情を崩す。
「……震えて?……なんで?」
止まらない震えのまま、少女に顔を向ける。
「……こんな事は、私は、望んでいない……望んで、いないんだ……」
目の奥が熱を帯びる。
「……あ……」
不意に、視界が揺らいだ。
天と地が返る様な眩暈。
無理矢理目覚めさせられる時の感覚。
「な……ぜ……。ル……ミナ……ス……」
身体が引き裂かれ、魂を抉り出される様な感覚。
吐き気を伴う、引き裂かれた意識のまま、私は舞台から降ろされた。
気が付いた時、辺りには何も失くなっていた。
根を深く張った木が、何本か、傾きながらも残っているだけだった。
何が起きたのか、混乱する頭では考えられなかった。
ただ、眼の前の女が敵である事だけは分かった。
その腕から離れ、気力だけで立つ。
そして、敵を睨む。
けれど、その女性は跪いたまま、震えていた。
その姿は、この惨状を招いた、敵の姿とは思えなかった。
「……震えて?……なんで?」
分からず、尋ねていた。
その女性が顔を静かに上げる。
「……こんな事は、私は、望んでいない……望んで、いないんだ……」
今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。
途端、その目が虚ろになる。
跪いた姿のまま、何も映していない目がゆらゆらと揺れる。
「な……ぜ……。ル……ミナ……ス……」
虚ろに呟いた後、彼女の姿を虹色の輝きが、餌に群がる蟻の様に覆う。
そして、その姿は、光に食い尽くされ、消えていた。
呆然と、その様子を見ていた。
「そうだ、アカネ……」
焦点の定まらない目で、辺りを見る。
アカネが、地面に横たわっていた。
覚束無い足取りで、アカネの元へ向かう。
倒れ込む様に、アカネを抱き締める。
その身体は温かく、すーすー、と、穏やかな呼吸の音が聞こえた。
その瞬間、目から涙が溢れた。
「あれ……?なん、で?」
空からポツポツと、雨が落ちだす。
アカネが濡れない様に、と、強く抱きしめる。
雨は、その勢いを増していく。
冷え切った身体には、少し温かい様にも感じられた。
雨に打たれながら、頬を伝う熱と、腕の中の、大切な温もりを感じていた。
私達は、完全に、敗北した。
だけど、何故、あの女性も泣きそうな顔をしていたのか。
なぜ、私達を助けてくれたのか。
私には、何も、分からなかった。
第一楽章 魔法少女の物語 閉幕




