第19話 魔法
私は、引込み思案で、大人しい子供だった。
何をしても、苦笑いを浮かべるだけの私が気に入らなかったのか。
それとも、ただ、反撃をしてこない、お人形に見えたのか。
私は、クラスメイトからの嫌がらせを受けていた。
ある日、机に菊の飾られた花瓶が置かれていた。
「あれぇ?幽霊が登校してきた。」
くすくすと笑う声。
私は、困った顔に苦笑いを浮かべながら、花瓶を机の端に寄せ、授業の準備を始めた。
ガチャン、と、割れる音と、冷たい感覚。
「あら、ごめんなさい。」
花瓶をわざとらしく弾き、私にぶつけた少女が言う。
濡れた制服と、床に散らばる破片。
「そんな端に置くから、ぶつかってしまいましたわ?」
大袈裟に言う少女と、くすくすと聞こえる音。
私は破片を拾い、袋に詰め、ゴミ箱の横に置く。
濡れた服は冷たかった。
ホームルームのチャイムが鳴り、先生が入って来る。
その後ろに、初めて見る子が居た。
それが、私とアサヒさんとの出会い。
アサヒさんは直ぐに皆の人気者になった。
皆が彼女に集まり、楽しそうに話をするのを眺めていた。
私を揶揄っていたグループも、彼女を取り囲んでいた。
私は、私から関心が離れた事に、ほっとしていた。
アサヒさんがクラスに馴染み、一員として溶け込んだ頃、体操着に着替えようと取り出すと、体操着がびっしょりと濡れて、水を滴らせていた。
愕然とする私の耳に、笑い声が入ってくる。
「それ、どうしたの?」
「え?」
アサヒさんが私に話しかけてくる。
これまで、一度も会話をした事は無かった。
「それじゃ、着替えられないよね。私、先生に伝えて見学にしてもらってくるよ。」
アサヒさんが教室から飛び出し、そして直ぐに戻って来る。
「良いってさ。」
笑顔で私に親指を立てて見せる彼女に、私は、一瞬で心を奪われていた。
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げる私に、軽く話をしながら、アサヒさんが着替えていく。
一緒に行こう、と誘われ、校庭へ向かう途中、ずっと話をしていた。
心から安心して笑えたのはいつぶりだろう、と、思った。
それから、アサヒさんは私と一緒にいてくれるようになった。
彼女が居ると、私への露骨な嫌がらせは無くなった。
或る朝、登校すると、アサヒさんと、私に嫌がらせをしていたグループが、私の机の隣で言い合っていた。
私の机には土がかけられていた。
「言わせておけばっ!」
グループのリーダーが激昂し、近くに置かれていた鉛筆をアサヒさんの顔に向けて突き出す。
「アサヒさんっ!」
思わず叫んでいた。
そんな大きな声が、私にも出せるのだ、と、思った。
アサヒさんは両手で咄嗟に顔を庇い、突き出された鉛筆が彼女の左手を貫通する。
「っ!」
思わず目を閉じる。
「……あ……私……」
突き刺した女子の顔が青くなる。
グループの子が、流石に不味いと思ったのか、先生を呼びに走る。
「っつ、いったいなぁ。黙ってやられてるだけで居られる程、上品な育ちはして無くてね!」
アサヒさんが女子の顔を右手で殴る。
女子は簡単に後ろに吹き飛び、ロッカーにぶつかり、座り込む。
アサヒさんが私の顔をちらりと見る。
「あと、これはアカネの分!」
アサヒさんの蹴りが女子の顔面と捉える。
私は、その光景を呆然と見た後、ハッとしてアサヒさんに駆け寄る。
「大丈夫ですか?!鉛筆が、手に……」
貫通した左手から、血が溢れていた。
アサヒさんは平気そうな顔をしていたけれど、私は泣いてしまいそうだった。
私のせいで、アサヒさんを傷つけてしまった。
それも、こんな大怪我を。
先生を呼びに行った女子が戻ってくる。
慌てた先生が駆け込んでくる。
すると、アサヒさんが大袈裟に痛がる。
「アサヒ、鉛筆を抜くな!そのまま病院だ。動かさず、そのまま保健室に。今、救急車を呼んでいる!」
そう言って、アサヒさんを連れて行く。
私とすれ違う際、アサヒさんは舌を出して、片目を瞑って見せた。
私は、何が起きたのかが分かっていなかった。
「っ!悔しい!!あいつも!なんで、私が!」
アサヒさんに殴られ、蹴られ、腫れた頬と鼻血に涙を流しながら、リーダー格の女子が怨嗟の声を上げる。
その滑稽な表情に、くすっと笑いが出る。
きっと睨まれ、しまった、と、後悔した。
けれど、私の笑い声が伝染ったのか、グループの子達もくすくすと笑いだす。
「なにそれ、だっさ。正論言われてキレて、逆にやられて。ちょっと自分のその酷い顔、鏡で見てきなよ。」
リーダーの女子が理解できない、と言う様な顔をする。
笑いがクラス中に広がっていく。
「っ!」
リーダーの女子が泣きながら教室から飛び出していく。
「あー、面白かった。アカネちゃんだっけ。今まで、ごめんね。」
「え……あ、はい。」
「あいつも、もう嫌がらせなんてしないでしょ。」
そう言って、何も無かったかの様に、グループの子たちは自分の席へと戻っていく。
私が、こいつらに、どれだけ嫌な思いをされてきたのか。
それを、ごめんね、の一言で。
しかも、リーダーの女子に全てを押し付けて、自分は無関係だ、と逃げようとしている。
そう思った瞬間、抑えていた感情がふつふつと湧き出てきた。
私の机に置かれた土。
それを握り、グループの女子に声を掛ける。
え、と、こちらに顔を向ける女子たちの顔に土を投げつける。
私はアサヒさんの様には出来ないから、視界を奪い、机に座る少女を押す。
バランスを崩して倒れていく。
担任の代わりに、と教室に向かっていた代理の先生が、騒ぎを聞きつけて慌てて教室に入り、私を抑える。
やられた側も、先生の前では私に手を出せずに居た。
私は初めて、抵抗する事ができた。
私は昂揚していた。
あんなに、何も出来ず、何も言えず、ただ、苦笑いを浮かべることしか出来なかった私が。
アサヒさんが来た事で解放された。
まるで、魔法の様だ、と、思った。
私にとって、先の見えない絶望の闇から、私を救い出してくれた光だった。
その日は、授業どころではなく、当事者たちだけ別室で個別に話を聞く場が設けられ、他の皆は帰宅することになった。
私は、これまで受けていた事を、全て、きちんと話す事ができた。
アサヒさんの見せた、去り際のウインクを、思い浮かべていた。
アサヒさんが居れば、私は負けないで居られる、と、思った。
アサヒさんへのお礼と、傷のお見舞いに、私は彼女の家へと向かった。
チャイムを鳴らし、名乗る。
ドタバタと、足音が聞こえた後、ドアが開き、アサヒさんが顔を出す。
「アカネ、あの後大丈夫だった?」
「ええ。アサヒさんのお陰で。私、強くなれた気がします。」
笑顔を作る。
アサヒさんの包帯に巻かれた左手が目に入る。
申し訳なさが心に満ちる。
「すみません。私のせいで、お怪我を。」
「いやあ、私が勝手にやった事だし、良いって。私もあいつら、丁度気に入らなかったんだ。」
アサヒさんは明るく笑う。
「その、お怪我は……」
「これ、ね。ちょっと、刺さった場所が良くなかったみたいでさ。……親指以外はもう動かないって。」
一瞬、アサヒさんの目が沈んだ気がした。
私は、胸が締め付けられる感じがした。
「……ごめんなさい。本当に、私……」
「良いって。これは私が勝手にやった事だから。」
アサヒさんが苦笑いをする。
そこで少しだけ話をして、私は家へと帰った。
私は、罪悪感を抱えたまま、とぼとぼと歩くしか無かった。
次の日から、リーダーの女子は学校に来なかった。
アサヒさんは包帯に巻かれた手で、授業を受けていた。
私は、お礼をしたいから、と、次の休日にアサヒさんを買い物に誘った。
気にしなくて良いのに、と、言いながらも、一緒に出かける事自体は喜んで受け入れてくれた。
私も、アサヒさんと買い物に行く日を楽しみにしていた。
そして、私達にとっての、始まりの日。
ショッピングモールに着いて、アサヒさんは元気に走り出す。
こっちと手を振る元気な姿に、笑みが溢れた。
直後、爆発で彼女の身体が吹き飛ぶ。
ショッピングモールの採光窓が割れ、ガラス片が降り注ぐ。
倒れているアサヒさんの上に、その無数の刃が降り注ぐ。
ショッピングモールは混乱に満ちていた。
爆発によって、火災が発生していた。
黒い煙に覆われ始める。
私はアサヒさんに駆け寄る。
アサヒさんにガラス片が刺さり、血が流れていた。
ぐったりしたまま、アサヒさんは動かなかった。
「アサヒさん!アサヒさん!……どうして……私が、誘ったから?……私が、いるから……?」
歪む視界を、服の袖で拭う。
どうすれば良いのだろう。
火災報知器のベルの音が響いていた。
助けを求める声。
泣き叫ぶ子供の声。
私は、無力だった。
ふと、この混乱に似つかわしくない、落ち着いた靴音が、コツン、コツン、と、聞こえた。
茶色いスーツを着た、しっかりした体格と、整った顔の、壮年の男性が立っていた。
「その子を、助けたいかね?」
「……え……」
「私なら、助ける力を与えられる。」
男性の足元に、羽の生えた猫の様な生き物が擦り寄る。
煙と悲鳴に満ちたショッピングモールに、そこだけ静寂が保たれているようだった。
「君たちの事は知っている。大切な友達なのだろう?」
「っ!はい!アサヒさんを、助けられるなら、私に、その力をください!」
男性の口角が上がる。
羽の生えた猫が、私の方に歩いてくる。
「それはミミと言う。それが君たちに、力を与えてくれるだろう。」
男性がそう言うと、ミミが光り輝く。
そして、二つに別れ、私とアサヒさんへと飛び付く。
その光が、私には白いドレスに、アサヒさんには黒いワンピースの様な上半身と膝上までのショートパンツへと変わる。
「これ、は……」
「これが、君たちの使う力だ。試しに、君のパートナーの怪我を治してみると良い。思えば良い。思いが、力となる。」
言われるまま、私は倒れたままのアサヒさんの前で祈る。
私のせいで負わせてしまった怪我を、傷を、全て痕も残さず消して欲しい、と。
アサヒさんの身体が淡い光に包まれ、刺さったガラス片が消え、傷口が塞がっていく。
「それが、君の魔法だ。慣れれば、もっと自由に使えるようになるだろう。」
驚く私に、男性が落ち着いたまま告げる。
「さて、君たちは今、魔法少女となった。そして、今ここで破壊活動を行い、君の大切なパートナーを傷付けた者達がいる。君たちの役目は、その者たちから、世界の平和を護る事だ。」
私は、その言葉を静かに聞いていた。
心音が頭に響いていた。
魔法と言う力と、責任を与えられた。
「その子も直ぐに目覚めるだろう。後は、頼んだよ。正義の為に。」
男性は振り返り、そのまま煙の中へと消えていく。
「……ん、ぅん……あれ?」
「アサヒさん!」
「あれ?アカネ、その格好は……」
「私達、魔法少女になったんです!私の魔法で、アサヒさんの傷を治しました!」
アサヒさんが自身の身体に目を向け、手を動かす。
固まった表情のまま、繰り返し左手を動かしていた。
「……手が、動く。」
その言葉に、私は胸が熱くなるのを感じた。
アサヒさんの姿は、活発な彼女のイメージそのまま。
動き易そうで、恰好良かった。
「私達のこの衣装が、力の源なのだそうです。そして、今、ここが襲撃を受けている、と。」
変わらず、炎と黒煙が上がり、非常ベルが鳴り響いていた。
「……分かった。そいつらを倒して、皆を助けるんだな?」
「ええっ!」
そうして、私達は、魔法少女として、敵と戦った。
初めての戦闘は、あまり恰好良いものでは無かったけれど。
アサヒさんの怪我が治ったことが、それがとても嬉しかった。
アサヒさんが魔法を載せた打撃で戦い、私はサポートや怪我人の治癒。
ここでは、火災を消すために、屋内外を問わず雨を降らせた。
それが、私達の、魔法少女としての、初めての活動。
アサヒさんと、同じ秘密を共有するパートナーとしての、深い絆が結ばれた日。




