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93.居場所

「今日は驚くことばかりだったな」


 夕食を終えてまったりモードになった諒一が呟く。


「ご、ごめんなさい。りょういちくんを驚かせるつもりはなかったんですが……」


「ああ、ごめん責めてないから。驚いたけど、結果が良いものばっかだったから良し!」


 諒一がそう言うと、涼葉は「りょういちくんにもいっぱい助けてもらいましたね」と穏やかに微笑んだ。


 そして少し視線を落とすと、諒一の入れたコーヒーのカップを触りながら話しだした。


「亜矢子さんにも言われたんです。急に苗字が変わるとみんな不思議がって色々聞いてくるって……それに何度も説明するのは結構大変だって。特に私は目立つからより顕著だろうって……」


その言葉を聞いた諒一はより深い優しさを含んだまなざしを涼葉に向ける。


「そうだろうな。俺が言うのもおかしいけど、子供って空気を読んだりしないで、大人なら躊躇するような事もズバズバ口にしたりするからな。もちろんみんながみんなじゃないけど……それでも何度も説明していると嫌になった。確かに」


 その諒一の言葉を聞いて何か察したのか、涼葉がバッと諒一の方を向く。



「りょういち、くん?」


 涼葉の顔を見ながら諒一は苦笑を浮かべる。


「俺も似たような事を経験済み。前の時だけど……多分それは今回もかな?」


「え?……」


「俺の両親も離婚して、俺は父親に引き取られたわけじゃない?そんで今名乗っている水篠ってのは父親の姓。高校入試の前だったかな?担任の先生に呼び出されたんだ。そこで、ものすごく言いにくそうな顔で言われた。「水篠……お前の苗字、水篠じゃないぞ」ってね」


「ええ?」


 涼葉の声がだんだん大きくなり、比例して真ん丸になった目も大きくなる。


「かわいいなぁ……」


「は?」


「いや、その驚いた顔も改めて見ると可愛いなぁって……」


「……!」


 叩かれた。まあまあ痛かった。


「もうっ!お話っ!続きです、早く!」


「いや、今日はこれくらいにしとこうか?また今度ってことで」


「何言ってるんですか?」


「そんな座った目をしないで……。や、今日は涼葉にとって良かった日じゃない?うっかり変な事を言い出した俺が悪いんだけど、せっかくのいい気分を暗くすることもないかなって。また今度話そうかな?」


「怒りますよ?」


 口調は静かだが、目は結構マジだ。失敗したなぁ、と諒一は悔やんでいた。せっかく涼葉があいつから解放されたいい日なのに。詰まんない話で雰囲気悪くさせる事ないのに……つい話してしまった……


「うん、ごめん。怒られてもしかたないよね?俺がつい言い出しちゃったから……」


「泣きますよ?」


「泣かれると弱いなぁ……」


 諒一が眉を下げながら涼葉を見ると、確かに瞳の表面には膜を張っている。もう一押しでこぼれてきそうだ……


「はい……わかりました。話します」


「……わかったならいいです。じゃあここに……」


「は?」


 涼葉が言う「ここ」とは自分の太ももを指している。なんか要求が増えてる⁉


「ちょ、涼葉さ「こ、こ、!!」 


「はい!」


 取り付く島がないとはこの事か……


「うう……お邪魔します」


 そうっと、衝撃を与えないように、ゆっくりと頭を乗せる。


「はい、どうぞ♪」


 そっと上を見ると、涼葉はとてもにこにこしながら諒一を見下ろしていた。


「……涼葉さん?さっきの怒ってたり、泣きそうだったのはもしかして演技ですか?」


 おそるおそるそう聞くと、涼葉の笑みが深くなる。


「さあ?今の機嫌よさそうな顔が演技かもしれませんね?」


 とても演技とは思えない機嫌のよさを滲ませて涼葉はそう言った。


「こえー……」


「そうですよ、りょういちくん。女の子という生き物はすごく怖いんですからね?気を付けた方がいいですよ?それはそれとしてお話の続きをどうぞ」

 

 あ、もうこれは言わずにはいられないやつだ。


「りょーかい……」


 せめてもの抵抗に少し不機嫌な声を出してみたが涼葉に笑われた。


「えっとなんだったっけ……ああ、先生から苗字が違うって言われたとこか。えっと……そうだ。俺は両親の離婚時に最初は母親と一緒になった。その時には母親の姓を名乗ってた。んで結局後で父親の所に行くんだけど、ここで手続きをしてなかったんだろうな。今回の事で初めて知ったよ。「子の氏の変更手続き」かぁ。たぶん父親(あいつ)は自分の籍に入れてそれだけでいいと思ったんだろうな」


 そう言って諒一が、少し元気のない笑いを浮かべる。

 すると、諒一の目が柔らかく塞がれた。温かい手のひらで。


「涼葉?」


「普通気付くでしょう。戸籍見れば苗字が違うのすぐわかるんだし……」


 多少不機嫌そうになった涼葉の声。微かに諒一の目を塞ぐ手からも震えを感じる。

 

「さあ……気づいても、特に問題ないって気にしなかったか、面倒だったか。そんなんじゃないかな?」


 そう言いながらやんわりと手を外そうとしたが、ぎゅうっと抑えるように力が入った。外す気はないようだ。

 

「だって引き取りたくて引き取ったわけでしょう?そこを面倒がるのは納得いかないです」


 「まあそれが父親(うちのおや)のクオリティというか……」


 ポンポンと諒一の目を塞ぐ手を叩いたら、ゆっくりと外れた。視線をあげると案の定、涼葉は泣きそうな顔をしている。


「私……今とっても、りょういちくんのお父さんにお説教したい気持ちが心の中で暴れてます」


「それは、無駄だからやめて。父親(あんなやつ)に涼葉のエネルギーを消費する必要はないよ。何言っても聞きやしないし……」


 視線を外してそう言うと、涼葉が小さくため息をついたのを後頭部で感じた。なにしろ後頭部は今涼葉のお腹と接しているから、呼吸とかまではっきりわかる。


「私の場合ははっきり利用しようという目的が見えてましたけど、りょういちくんのお父さんの気持ちが正直わかりません。」


「たぶん考えるだけ無駄。俺も前の時は20才までは頑張って理解しあおうとしたんだから……」


「だとしても、戸籍の件は確認しといたほうがいいんじゃないです?他の方も混乱しますし……」


心配そうな顔をして、諒一の肩から腕をマッサージしながら涼葉は言う。


「正直、高校に上がる時みたいな、大きく環境の変わる時がいいかな?とは思ってた」


 諒一がそう言うと、涼葉は少し納得したような声を出した。


「それもそうですね。高校に上がれば他の学区からの人も集まりますし……一つの手ではありますけど……」


 そう言って涼葉が諒一の頬を指でつつきだした。


「ちょ、爪がちょっと痛い」


「もしかして、今回はりょういちくんがあじさいに来る事を選んだから、少しはお父さんも考え直しているんじゃないかと期待してませんか?」


 涼葉のその言葉に、諒一がぴくっと動きを止めた。


 それを見て、涼葉はまたため息をついた。


「……気持ちはわかります。私もそうだったらいいのに、とは思います。でも、もしそのままだったとしたら、期待した分だけりょういちくんの心が傷つきます。私はそれを見るのが嫌です」


 しゅんとした顔で涼葉はそう言った。


「そんな期待なんて……」


 してない。そう言おうとしたが、言葉が出てこなかった。本当に期待していないんだろうか?もしかしたら、万が一、億が一可能性があるなんて、心のどこかで思ってはいないだろうか……そう考えてしまったのだ。


「微塵もしてない……ってわけではなさそうですね?……それなら、ほんの少しでも心が傷つくと思うんです。りょういちくん、今度一緒に調べに行きませんか?別にそうだったとしても、高校入試の時まで誰にも言わなければいいですし……。もちろん私は口が裂けてもいいませんよ?」


 その顔は本気で諒一の事を心配している顔だった。そんな目で見つめられると断れないじゃないか……


「わかった。じゃあ、一緒に付き合ってくれる?」


 苦笑いを浮かべてそうお願いすると、涼葉は対照的に輝くような笑顔で頷いてくれた。

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