92.せいで、ために
「先日諒一君も関わった涼葉ちゃんと義理の父親の伸二とのトラブルの事なんだけど、その時の事もあって色々と変化があったのよ」
亜矢子が口にした内容を聞いた瞬間、自然と背中が伸びて前のめりになる。ここ最近で一番大きな出来事だったし、色々な事が心に引っかかっていた出来事でもあるからだ。
「まず私たちは、あなた達の里親という形になるのだけど、この場合、親権は親がもったままなの。だから親の意志というものが子供に大きな影響を与えちゃうのよ。それは、その親が子供を養育するにふさわしくないと判断されたときでも。でもこの前の事件が起きて、私たちもだけど向こうも大きく騒いだの。」
やっぱりあの時の事は亜矢子さん達に大きな迷惑をかけてしまったのだろう。だからといって自分のしたことに微塵の後悔もないが……ただ、総一郎さんや亜矢子さんに大きい負担を強いたのは間違いないだろう。
自然と諒一の頭が下がっていく。同じように涼葉も話を聞くにつれて下がっていく。
「ちょっと二人とも……話は最後まで聞いてちょうだい。私たちもあらゆるルートを使って伸二の元にいるのは問題がある事を訴えた。伸二は私たちを誘拐だと訴えた。ここで問題があったの。」
そこまで行って亜矢子は一口コーヒーを飲む。
「伸二は涼葉ちゃんのお母さんと結婚して涼葉ちゃんの義理の父親になった。そう思っていたみたいなんだけど、違ったのよ。詳しくはややこしいから省略するけど、再婚相手の連れ子を自分の子にするには、ちゃんとした手続きが必要なんだけど、それがされてなかった。だから再婚した時点で涼葉ちゃんのお母さんは伸二の籍に入ったんだけど、涼葉ちゃんはお母さんの籍に残されちゃっていたの。再婚した時はお母さん、乙葉はだいぶ体調が悪くなってたけど……その頃には信二を警戒していたのね。私に相談があったのも同じくらいの時期だし……」
諒一は何となく知っていた。自分も親が離婚して姓がころころ変わった身だ、前の諒一の時に、それでトラブルがあって調べた事があったのだ。
「だから涼葉ちゃんは結局、一度も「卯月涼葉」にはなっていないの。お母さんの旧姓である「結城涼葉」のままだったのね」
驚いて諒一の口が開きっぱなしになる。それを見て亜矢子も眉を下げて頷く。
「驚くのも無理はないわね。結婚しておいて、相手の子供を自分の子にしていなかったわけだから……まぁ、それでも夫婦の片方と考えれば親権があると解釈できるらしいんだけど、そこで問題になるのは養育状況。今現在養育するにふさわしくないとうちにいるわけなんだから、伸二に育てられるとはだれも判断しない。まあここでも色々あったんだけど、結果的に涼葉ちゃんは親権を持つ者がいない未成年ということで、私たちが監護権を取ったの。乙葉が私に残してくれた書類が色々と役に立ったわ。いわゆる未成年後見人というやつね」
「え、じゃあ涼葉は……」
諒一の問いに亜矢子はにっこり笑って答えた。
「伸二は義理の親でもなんでもないわ。母の再婚相手というだけ。そして、私たちが後見人として涼葉ちゃんの保護者として成人するまで親の代わりを務めることになったわ」
亜矢子の言葉に諒一も上気して腰を浮かせる。
「良かったじゃない涼葉!」
諒一の心からの言葉に涼葉はうれしいが戸惑っているといった顔をしている。
「あ、ありがとうございます……私もお話を聞いてまだピンときていない状況でして……でも、亜矢子さん達にすごくご迷惑をかけてしまった事はわかります。ほんとにすいません、私なんかのために……」
「ちょっと何言ってるの?あなたがそんな遠慮する必要ないの!むしろあなたが一番迷惑を被っていた立場なんだから……乙葉の望んだことでもあるしね。あなたはようやく少しまともになったか、くらい思っておけばいいのよ」
「それは……はい、ありがとうございます……」
涼葉は目の端に涙を貯めて、微笑んでそう言った。
「まあ、ピンとくるまで少し時間がかかるのはしかたないわ。無理もないもの。でもね?涼葉ちゃん、これからは私たちは正式に親の代わりなんだから。存分に甘えていいのよ?そうしてくれないと、いつか私が乙葉に怒られちゃうもの」
「亜矢子さん……」
耐え切れずポロポロと涙をこぼす涼葉の肩を亜矢子はやさしく抱き寄せた。
「いままで苦労したんだもの。私たちができる限りの事はさせてもらうからね?」
そう言って抱き寄せた手で、涼葉の頭をなでる亜矢子。これまではそこまで積極的に触れることはなかったので、何かしらの線引きがあったのかもしれない。やりたくてもできなかった分、甘やかしそうだなと思いながら諒一も笑顔で二人を見つめる。
そして亜矢子の手を見て、もう一つの驚いた部分を口にした。
「じゃあ、涼葉のその髪は……」
諒一が涼葉の髪に言及すると、涼葉がすこし恥ずかしそうに言った。
「あ、これはですね……実は、私が髪を伸ばしていたのは義父……もう義父じゃないのか。あの人に言われてだったんです。きれいで価値が出るから伸ばせって……。まあ、私もそこまで嫌ではなかったんですけど、その決別の意味も込めて……バッサリと切っちゃいました。」
そう、涼葉は腰ほどまであるつややかな黒髪を切っていたのだ。それであまりにも印象が違って、リビングに入ってきた時に諒一が驚いたのだ。今は首くらいまでの長さしかない。
「私も少し勿体ないって思ったけど……話を聞いたら賛成しちゃったわ。あの男、女の子の髪を何だと思って……」
亜矢子が思い出したのかぷりぷりと怒っている隣で、涼葉は諒一の顔をチラチラと見ていた。諒一はバッサリ切った原因が前向きなものと聞いて安心していた。涼葉の決意の表れだというなら応援したい。
確かに涼葉の黒髪はきれいだったし惜しいとも思うが、発端があの男だと思ったら、なんだか素直にきれいと思えなくなる。
まだ伸二はあきらめてはいないらしく、いろんな手段を講じているようだ。腹に据えかねているのか、亜矢子が怒りながら言う独り言で大体察してしまった。
しばらく文句を口にしていた亜矢子だったがハッと我に返ると、二人から見られている事に、気まずい顔になって、残っていたコーヒーを一気に飲むと立ち上がった。
「と、ともかく、そう言う事なの。報告は以上だから。私はお暇するわね?」
「え?あ、はい……」
勢いに押され諒一はそう言うと、見送るために一緒に立ち上がる。そして、「わざわざ俺に報告する必要があったか?」と首をかしげながら亜矢子の後を歩く。
「それじゃ、おじゃましたわね。これで一応伸二は法的に涼葉ちゃんには手を出せなくなったわけだけど、一応気を付けておいてね?」
亜矢子はそう言い残すと去って行った。
リビングに戻ると、ソファのいつもの位置に腰かける。そこから左前に涼葉が座っているのだが、少しうつむいて元気がないように見える。
諒一はそっと手を伸ばすとだいぶ手触りが変わってしまった涼葉の頭を撫でる。手が触れるとビクッと肩を震わせたが、嫌がったりはしない。
「その……りょういちくんは、髪が長いほうが、好きでしたか?」
俯きながら、おそるおそるという感じで涼葉はそう聞いてきた。元気がないのは諒一の好みの事を考えていたのだろうか。
「まぁ、正直にいうときれいだったから惜しいなとは思う、けど、髪が長くなくても涼葉は素敵な女の子だからなぁ。短い髪の涼葉も見れて得した気分かな?……俺はともかく、涼葉が長い方がいいって思うなら、また伸ばせばいいし。今度から自分の好きな髪形できるじゃん」
頭を撫でながらそう言うと、少し不満げな表情で諒一を見る。
「私はりょういちくんの好みを聞いてるんです。」
「ええ?せっかくなんだから涼葉の好きなようにした方が……今も似合ってるし。」
そう言うが涼葉の機嫌はなおらない。
「…………うう、まあ、前の髪のほうが撫でた感触はよかったかもしれない……。けどだな……」
「分かりました!もう一度伸ばしますので、気長に待っていてくださいね?」
「いや、そうじゃなくて……」
「あら、りょういちくんは私の好きなようにしたらいいって言いましたよね?だから好きなようにします。それはりょういちくんにも否定させませんよ?これまでの髪は義父が言うせいで伸ばしていましたが、これからは……」
そこで言葉を止めた涼葉は、かわりににっこりと微笑んだ。
「え、これからは……何?気になる」
「ふふふ……内緒です!」
義父のせいで伸ばしていた髪は切った。これからは諒一にかわいいと思ってもらうために伸ばそう。
結果は同じなのに、過程が違うだけで気分が違う。以前は義父に言われ、作業的に手入れをしながら伸ばしていたが……
内緒と言われて眉を下げる諒一を見て、涼葉はもう一度笑った。
今度はもっと気を使って綺麗な髪になるようにしよう。そして、やっぱり涼葉は髪が長い方がいいなって言わせるのだ。
密かに決意して、涼葉は嬉しそうに笑っていた。




