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8.部屋の鍵

コーヒーを飲んでしまってからも亜矢子は鍵を見比べていた。ぱっと見でわかるくらい鍵のパターンが違う。偶然で開くということも起こりえないくらいに。


「ふゎ……」

 

ちらりと見ると涼葉が小さくかわいいあくびをしている所が見えた。見ない振りをして壁の時計に視線をやるともうすぐ深夜と言っていい時刻だ。


「げ……」


そりゃあくびもでるよな。


「亜矢子さん、もう十時過ぎてますよ?亜矢子さんはともかく卯月さんは帰さないと……いくらセキュリティ万全のマンションの中って言っても遅い時間にうろうろさせるのはどうかと……」


「え?あら……ごめんなさい涼葉ちゃん!諒一君も……私ったらつい。行きましょうか涼葉ちゃん」


慌ててカップを手に立ち上がる亜矢子を止める。


「ああ、いいすよ。洗い物くらいやっときますから」


「そう?ごめんね。じゃあお願いするわね!」


拝むような仕草をして涼葉の手を取った亜矢子は足早に玄関に向かった。


「ほんとに遅くまでごめんなさいね?」


靴を履いて最後にそう言うと涼葉の手を取ろうとした亜矢子を止める者が現れた。


「おや、今帰りかい?遅いから心配になってきちゃったよ。ほらエレベーター停めとくから」


遅いから気になって様子を見に来たのだろう。

 エレベーターから整った顔だけ出して総一郎が言えば、亜矢子にとっては否やはない。弾むようにエレベーターに向かって総一郎に抱き着くようにして乗り込んだ。


「あっ……」


その時涼葉が小さな声を上げた。思わず見ると手が亜矢子の方に伸びているが総一郎で一杯になっている亜矢子は気付かない。

どうしたのかと思って亜矢子の方を見ると、総一郎に手を伸ばしている逆の手に鍵が握られている。我が家702の鍵と涼葉の701の鍵が……


諒一も急いで追いかけようとしたが、ほとんど着の身着のままでここに来たせいでサンダルなんてないしスニーカーを履いている暇はない。涼葉は手を伸ばしているが、それも遠慮がちなもので亜矢子は全く気付いた様子はない。

 このままではエレベーターはさっさと下に降りてしまうだろう。


「あーもう!」


仕方なくはだしで飛び出して、涼葉の横を抜けてエレベーターのボタンを押して閉じようとしていた扉を止める。


「あら諒一君どうしたの?」


「どうしたのじゃないですよ。鍵持って帰られると困るんですが……」


そう言ってジト目で見ると、ハッと自分の手に鍵を持っている事に気付いて気まずそうに笑いながら総一郎を掴んでいる反対の手を伸ばして鍵を渡してきた。


「ごめんなさい……」


さすがに少し気まずかったのか、テンション低めに謝りの言葉をこぼしている。


「間に合ってよかったです。おやすみなさい」


諒一がそう言うと苦笑しながら亜矢子も「おやすみなさい」と返してきた。ただ、その後に総一郎が


「うっかり物の亜矢子さんもかわいいね」


などと言うもんだから亜矢子は総一郎にくぎ付けになってしまう。

やがてもうこっちには目もくれることもなく、見つめる二人を隠すようにエレベーターのドアが閉まった。


「はあ……疲れる」


思わずうなだれてそうこぼしていると、遠慮がちにTシャツの裾がひっぱられた。振り返ると涼葉がいつの間にかすぐ後ろまで来ていた。


「う……」


後ろを振り向くといきなりお化けがいるホラー映画は心臓に悪いが、振り向くといきなり絶世の美少女がいても心臓に悪いことを諒一は生まれて初めて知った。


「ごめ…………とう」


多分、ごめんなさい、ありがとう。と言いたかったのだと推測する。


「いや、うちの鍵も持っていかれてたから……。はい、卯月さんの鍵」


かわいらしい何かのマスコットキーホルダーがぶら下がっている鍵を渡し、一緒にそれぞれの自宅に向かって歩く。引っ込み思案の人見知り……略して引っ込み知りとしよう。めんどいから。

うん。引っ込み知りにそれ以上気の利いた言葉など口に出せるわけもなく、無言で諒一宅のドアの前まで来た。


「あ、じゃあ……お休み」


何とか挨拶だけは口にすると涼葉はあわてたようにぺこりと頭を下げてくれた。そしてなんとなく涼葉が持っている鍵が目に入った。


「…………ちょっとだけ貸してもらっていい?」


鍵を指さしながらそういうと、特に気にすることもなく貸してくれた。さっきまで亜矢子がさんざんやって開かなかったのは隣で見ていた。なんとなく、ほんとうになんとなくだった。


鍵を差し込んでひねる。鍵についているマスコットキャラクターについている小さな鈴がチリ…と鳴る。


それと同時にがちゃん!と鍵が締まる音がした。


諒一は思わず涼葉と顔を見合わせる。


取っ手を引いて鍵がかかっている事を確認した諒一が何度も涼葉とドアの方を見返していると、なんとなく涼葉もやりたそうな気がしたので、半歩ずれるとわずかに表情を輝かせて涼葉も鍵に手を伸ばした。涼葉はそっと一度引き抜いてから改めて差し込んで……ひねる。


がちゃん!


今度は鍵が開く音がした。諒一の部屋である702の鍵は諒一の手の中にある。再び涼葉と顔を見合わせる。


「……どゆこと?」


思わずつぶやくと、隣では涼葉も眉を寄せてかわいく小首をかしげている。試しに諒一は自分の部屋の鍵を持って涼葉の部屋も前に立つ。何も言わなくても何をしようとしているのかわかっているのか涼葉も黙ってついてくる。


諒一が自分の部屋の鍵を涼葉の部屋のドアに差し込む……ぐっと力を入れてみるが鍵は全く回らない。


「ええ……どゆこと」


正直なところ涼葉の部屋の鍵が開かなくてホッとしていた。何かするつもりとかではないがかわいい女の子が住んでいる部屋の鍵を開けることができるというのはなんだかそわそわしてしまう。


しかし、これでなんで涼葉の鍵で諒一の部屋が開くのかが、さらに分からなくなった。首をかしげながら振り向くと涼葉が少し困ったような顔をして諒一が持つ鍵を見ている。

涼葉としても自分の部屋の鍵が他の部屋も開きますよ、というのも気になるのかもしれない。なので、諒一はあえて軽い口調で言った。


「まいっか。とりあえず俺が卯月さんの部屋に入れるわけじゃないし……そこまで大きな問題じゃないね」


軽い口調で言ったが涼葉は顔を曇らせたまま首を振る。


「いや……その、ぶ、不用心?」


「いやあ、卯月さんだし大丈夫でしょ」


そう言うと涼葉は少し目を大きくしながら諒一を見た。


「鍵を開けれるからって卯月さんは何かしそうに見えないし……俺も今日来たばかりで私物とか貴重品とか何もないからぶっちゃけ入られても問題もないし……また明日亜矢子さんに相談する事にして今日はもう休もうよ」


諒一がそう言うと涼葉はどことなく不服そうな表情をしていたがなんとか頷いてくれた。そして涼葉が自分の部屋の鍵を開けて中に入るまで見てから声をかけた。


「じゃ、おやすみ」


それだけ言って自分の部屋に向かって歩き出したところでお腹が鳴った。そう言えば市役所からバタバタして来たから、昼も晩御飯も食べていない。結構大きい音が鳴った気がして、思わず振り返ったが涼葉の家のドアは閉じられている。


……よかった、聞かれなくて。別に聞かれたからどうという事もないのだろうが、少々恥ずかしいものはある。


「確かカップラーメンがあったな。それ食べて寝るかな」


などと言いながら諒一は自分の部屋に入っていった。

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