80.縁を結ぶキツネ
諒一のスマホに涼葉からの着信の文字。ただ涼葉のスマホも手元にある。
黙って二つのスマホを交互に見ていると、総一郎が言った。
「諒一くん。出てみなよ。そのキツネたちはどうも君たちの手伝いをしたがっているみたいだ。悪い事にはならないだろう」
総一郎は、もうこの不思議なキツネを受け入れて、信用までしているようだ。
ただ、それには諒一も同意見だ。
スマホの通話ボタンを押す。横から手を伸ばした亜矢子が、スピーカーをタップした。
無音。わずかに雑音が聞こえるくらいか?
「一体何が?」
『聞こえますか?……』
肩がビクッと跳ね上がる。スピーカーを通して聞こえてきたのは……今追い求めている涼葉の声だ。
訳のわからない状況だが、総一郎も亜矢子も微笑みを浮かべて諒一の顔を見ている。
お前が話せということだろう。
「もしもし……涼葉、か?」
電話の向こうで息を呑む気配。そしてためらいがちに涼葉も話し出す。
「り、りょういちくん……ですか?」
「うん。そうだよ涼葉。どうして通話出来てるのかわからないけど……今話しているのは間違いなく水篠諒一だよ」
『ああ……りょういちくん…………私もよくわからないんです。りょういちくんからもらったスマートウォッチを触ってたら、ちりんって、音がなって……通信画面になったんです。私スマホ無くしちゃって手元にないのにです!』
「涼葉のスマホは俺が持ってる。ここにあるよ。こっちもそうなんだ。諏訪崎さんからもらった根付。前々から何度も鳴ってた音だ!それが鳴ったら涼葉のスマホが勝手に俺のスマホに電話かけだしたんだ。他にもあるんだこの根付が不思議なところ……」
諒一が根付の事を話したとき、電話の向こうの涼葉が声を出した。
「根付……?あっ!」
確実に何か心当たりがある声だった。でも、今はそれをゆっくり話している時間はない。こうして会話ができるのならやるべき事は一つだ。
「涼葉!聞いてくれ……涼葉が今いる所ってこんな感じの家の二階か?もしできるなら一瞬だけ照明を消してまたつけてくれないか?」
諒一がGPSが指した家の外観を話すと、涼葉はまたしても大きく息を呑んだ。
「どうしてそれを……ち、ちょっと待ってくださいね!」
スマホの向こうで涼葉が動いた音がして、パチっと言う音がスマホから聞こえる。同時に目の前の家の二階の照明が消えるともう一度パチっという音と共についた。
「間違いない!……なぁ涼葉、涼葉にも色々考えがあるだろうし、思うところもあると思う。でもそれを一旦忘れてくれないか?そして俺のわがままを聞いてほしい」
「え?えっ?りょういちくんのわがまま……ですか?」
「うん。俺のわがまま。今涼葉がいる家の外にいる。俺は涼葉をあじさいに連れて帰りたい。また、二人であのマンションに……」
「すっ……わ、わたし、は……」
すぐに湿り気を帯び出した声を聞いて、返事を待たずに諒一は動き出した。
「今からむかえ……攫いにくるよ」
それだけ言うと、通話を切った。そして、総一郎と亜矢子を見る。
もう迷いはない。
サッと助手席を降りた亜矢子が颯爽と玄関に向かって歩いていく。諒一と総一郎は二階のベランダの下へ移動する。玄関の方から「何でここが!」とか「何の用だ!」などの声が聞こえる。
「諒一くん!」
総一郎の声に、諒一が、そちらを見ると、総一郎はバレーのレシーブをするようなポーズをしている。
意図を理解した諒一は体のばねをためて、総一郎の手に足を乗せ……
「ふっ!」
総一郎の上に持ち上げる力と自分の足の力を目一杯使ってジャンプする。
そして手を伸ばしてベランダの手すりを掴んだ。
ベランダによじ登って、手すりを乗り越えると大きな窓がある。その窓を挟んで、涼葉は座っていた。
まるで諒一がそこから来るのを分かっていたかのように、ベランダの方を向いて正座をしていた。
諒一はそのままベランダの窓に手をかける。一瞬抵抗があったが、きっとクレセント錠がきちんとかかっていなかったんだろう。すぐにカララと軽い音を立てて窓は開いた。
「涼葉……涼葉を攫いにきた」
迎えに来たとは言わない。これは諒一の決意も混じっている。
「……はい」
いくらか憔悴しているように見えるが、それでも涼葉はにっこりと微笑んで返事を返す。
「多分もう、ここを出たら、ここには簡単には戻れないと思う。」
「はい」
そう答えて、少しふらつきながらも涼葉は立ち上がる。
「俺と一緒に行こう、涼葉」
そう言って手を差し出すと、それまで堰き止められていたものが溢れるように涼葉の両目から溢れ出してくる。
「……はい!」
泣きながら……それでも一生懸命笑顔を作った涼葉は諒一の言葉に答えると、力を抜いて諒一に倒れ込むように抱きついてきた。
諒一が涼葉をしっかりと受け止めると、どこからか「ちりん」という音が聞こえた。
「俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。いなくなって気づくなんてバカみたいだけど……俺は涼葉の事がやっぱり大切なんだ」
涼葉の体がビクッと跳ねた。そして、小さく、でも確かに涼葉は頷いた。
「りょういちくん、私……もしかしたら五十歳のりょういちくんとお話したかもしれません……」
涙を浮かべたまま、笑顔を作った涼葉がそう言った。
どう言うことか話を聞きたかったが、無粋な音が近づいてくるのが聞こえる。
「涼葉……また後で聞かせてもらってもいいかな?」
涼葉も音には気づいているので、何も言わずに頷いた。
やがて下から勢いよく上がってくる足音が近づいてくる。そして荒々しくこの部屋の鍵を開ける音がして、勢いよくドアが開く。
そこにいたのは怒りの表情を浮かべた信二だった。その後ろには弟だろう。どことなく信二に似ている男が立っている。
「お前……どこから入った。涼葉を離せ」
怒りのためか、微かに震えながら信二が言う。
「断ります」
にべもなく断ると信二は一瞬驚いたような顔をしたが、歯を剥き出しにして諒一を睨んでくる。両手は拳を作ってプルプルと震えている。
「ふっ、ふざけるな!お前に何の権利があって……」
「涼葉が望んでない!」
「っ!」
信二の言葉にかぶせるように、語気を強めて言うと、信二は言葉に詰まった。
「権利なんて何もないですよ。でも涼葉が望まないかぎり俺はいつでも、何度でも来ます。そして攫っていきます」
「な、……」
「攫っていきます」
黙ってしまった信二に、もう一度ハッキリと言うと諒一は涼葉の手を引いて踵を返す。そしてそのままベランダを超えると、涼葉の目を見つめる。
涼葉も何も疑う素振りもなく、ベランダを超えた。
そして諒一が涼葉の手を握ると、涼葉もしっかりと両手で握り返してくる。その目からは全幅の信頼を感じる。
「涼葉、俺の背中に掴まって。おんぶするみたいに……」
そう言うと何も疑う事なく「はい」と微笑んだ涼葉が背中に掴まる。ちょうどおんぶするように涼葉が諒一の首に腕を回すと、信二が走ってくるのが見えた。
「お前ぇ!涼葉をどうするつもりだ!」
そう言って諒一を捕まえようと手を伸ばしてくるが、わずかに諒一の方が早く、手すりの柱を両手で持ってベランダから滑り降りる。
諒一がベランダの床の部分にぶら下がると、下から総一郎が涼葉を支えて、下に下ろした。
「諒一くん!大丈夫だ!」
下から聞こえる総一郎の声を聞いて、諒一は手を離した。ギリギリで信二の捕まえようとする手から逃れる。
「涼葉!戻ってくるんだ!そんな事をして、どうなるか分かっているのか!」
必死にベランダから信二が叫ぶが、涼葉は黙って首を振った。そして、冷たい表情で見上げて信二を見た。
「私は……もうあなたの元には戻りません」
そう言うと、かわいい装飾のしてあるノートを見せる。
「これなんだかわかりますか?あなたが今まで私にした事、言った事、全て書き残してます。あなたが勝手に申し込んだオーディションの用紙とか……あなたが作って渡したデートの予約表。全部ここに残してます」
涼葉がそう言うと、信二の表情が青ざめるのが分かった。そして、総一郎や諒一をチラチラ見る。明らかに聞かれたくない言葉だったのがわかる。
「これまで、私はあなたの言うがままでした。一応あなたの子という事になってるので……他に行く所もないし、信用できる人もいない。そう思ってました。」
そこまで言うと、涼葉は隣にいる諒一に手を伸ばす。躊躇うように……しかし、諒一がその手をしっかりと掴んで引き寄せた。
諒一の腕に支えられるようにして立った涼葉の顔にもう迷いは見えなかった。
「私には行く所……いえ、帰る所もこうして迎えにきてくれる人もいるんです。もうあなたの所には戻りません。今回ここに来て、私の荷物からこのノートを持ち出せた事は、よかったです。次に私の前に……いえ、私の大切な人の前にもです。姿を見せたら、この中身が全て明るみになると、そう思ってください」
「ば、バカな事を言うな!そんなものが何の役に立つ。それにお前も世間から白い目で見られるようになるぞ!」
もう信二の視線は、親が子を見る目どころか親しい者を見るような目ではなくなっている。
諒一はその目を知っている。それは自分に都合が悪くなった時、自分を守るために、切り捨てた者を見る目だ。
諒一もその目で見られた事があるだけに、涼葉の事が心配になり、顔を覗き込んだ。
涼葉は諒一の方を見ると、少し力を下さい。と囁いて手を伸ばしてくる。
諒一はその手をしっかりと握りしめた。
家の中からの明かりで逆光になってその表情はよくわからない。でも諒一には今までのおびえた表情ではない、しっかりと前を向いて微笑む涼葉の顔が見えた気がしていた。




