76.縁を結ぶキツネ
「涼葉ちゃん?大丈夫、どうしたの?」
涼葉の肩に手を置いて、背中をさする。それでもこちらを見ようともせず、涼葉はただ涙を流している。
さすがに何かおかしい事に気付いた篠部が涼葉と父親を交互に見る。怪訝そうに自分を見る篠部を見て父親は、今度ははっきりと笑った。
「ふふっ。涼葉は少し疲れているようだね。さあ、車に乗りなさい。家に帰ろうじゃないか」
父親がそう言って車を指すが、涼葉は表情が抜け落ちた顔のまま、ふるふると首を振る。そこで篠部も気づいた。涼葉は諒一と同じ施設から学校に通っているのではなかったか……
しかし父親は家に帰ろうといい、涼葉はそれを拒んでいる。
「じゃあ、ここでまたさっきの男たちに襲われるかい?」
涼葉は俯いて激しく首を振る。
「もう、いいだろう。どれだけ父さんを一人にすれば気が済むんだい?もう涼葉の嫌がる事はしないから……な?」
そう言いながら涼葉の父親は、するっと涼葉の肩に腕をまわした。涼葉がびくっと体を跳ねさせる。
……やっぱり様子がおかしい。
そう考えた篠部は周りに見えないようにスマホを操作しだした。
「聞けば、もう学校に行ってるというじゃないか。それならもうあんな所にいる必要はないはずだ。」
父親はそう言うが、涼葉は頑なに首を振る。
「いい加減にしなさい。子供は親の言う事聞いていればいいんだ。何が自立支援だ!そんなところに入るから、こんな言う事を聞かない子供になるんだ!」
吐き捨てるように言う父親から、涼葉は離れようとしているが父親は強く抱いていて離さない。
「あの!涼葉ちゃん学校で、今すごく楽しそうなんです!その……」
「これは家庭の問題だ、口出ししないでくれたまえ。学校が楽しい?どうせ、すぐに行かなくなるに決まってる。
「え?」
思わず聞き返した篠部に父親はニヤッと笑って話し出した。
「どうせ何も聞いていないんだろう。涼葉は数年前に学校でトラブルがあって、それからずっと不登校だったんだ。今はそうかも知らんが最近まで行ってなかったんだろう?」
するとそれまで黙っていた楓花がこらえきれずに口を挟んだ。
「だからって……そんなの昔の話じゃないですか!今はちゃんと普通に登校してます。それに昔そうだったとしても、わざわざ知らない友人にそんな事言うなんて……ひどいじゃないですか!」
楓花がそう言うと、父親はやれやれという顔をする。
「君たちには分からないだろう、子供が不登校になって私がどれだ苦労したか」
「それは、親なら……」
さらに言い募ろうとする楓花を篠部が止めた。篠部が目線で涼葉を指す。
涼葉はとてもつらそうな表情をしていた。
「ごめん……当事者の前で話すようなことじゃなかったね」
楓花がそう言うと、涼葉は力なく微笑む。
「ふん、まあいい。学校になんか行かなくてもいいんだ涼葉。学校に行くくらいなら父さんと一緒にいればいい。そうだろう?私たちはたった二人の家族じゃないか」
「い、いやです。家族なんかじゃ……家族は」
もう別の所にある。そう言いたかった涼葉の言葉を遮るように父親が言った。
「ちっ……あんな施設にいるよりましだろう!」
少し苛立ちの混じった父親の声に委縮したように小さくなりただ首を振っている。
篠部と楓花は顔を見合わせた。
「まあいい!家に帰ってゆっくり話せばいい。帰るぞ」
そう言って父親は立ち上がったが、涼葉は立ち上がろうとしない。ただ何かを耐えるようにじっと俯いている。
「涼葉ちゃん!そんな顔をさせるような所に帰ることないよ!」
思わず篠部がさけんだ。涼葉のつらそうな顔を見ていられなかったのだ。涼葉も振り返って篠部を見た。
「ほら、諒ちゃんが待ってるよ!」
そう言って手を伸ばすと、ぐっと口を結んだ涼葉が手を伸ばそうとして……降ろした。
「涼葉ちゃん!」
手を取らなかった涼葉に、愕然とする篠部。涼葉は視線を落とし、何も映していない目をして申し訳なさそうに言った。
「ごめん、なさい。今戻らなくても……こうしてお外に、行けば……きっとまた。その度に迷惑を、かけてしまうので……その、こうなるかもって……。学校に、行きだせば、こうなるって……」
言葉に詰まりながら、涼葉は話した。オートロック付きのマンションから一歩出れば、結局自分はこうなるのだと。
篠部の申し出を断った涼葉に、父親は満足そうな顔をする。
「そうだ。お前は稼げる武器も持っているんだから、さっきみたいな馬鹿に付きまとわれたりして、価値を落とす必要はない。いいか、お前は「かわいい」んだ。父さんの娘として一緒にやって行こう。」
「でも、わたし、は……」
「ちっ……いいから父さんの言う事を聞いていればいい。あとは慣れろ。お前は母さんの代わりもしないといけないんだからな」
父親がつい苛立ちを滲ませて、それに涼葉が委縮するのにまた苛立つ。最悪の関係性だ。
「行くぞ、乗れ」
短く言うと父親はさっさと車に乗り込んだ。
涼葉もそれに続こうとして、首だけ篠部達に向けた。
「篠部さん、楓花さん、お友達になってくれてありがとうございました。港さんや勝俣さんにもありがとうとお伝えください。それと……りょう、いちくんには……何も、言わないでください……もし、聞かれた、ら……」
そこまで言うと涼葉は涙を乱暴に袖で拭って、無理に笑顔を作ると言った。
「私は、自分で望んで行った、と。」
篠部は涙を拭くことできずに首を振る。
「そんなの……言えないよ。諒ちゃんには自分で言いなよ……」
そう言うが、涼葉は悲しそうに首を振る。
「りょういちくんに今の私を見せると……きっと無理をしちゃいますから……それはうれしい事なんですけど……だめです。」
「おい早くしろ!話したいなら友達も一緒に乗ればいいだろう!」
と車から声が聞こえた。その声に過剰にびくっとした涼葉の姿に、涼葉は自分たちを巻き添えにしたくないのではないか、という疑問が楓花の頭に浮かんだ。
「では……行きます。少しですけど学校にも行けて……楽しかったです」
そう言うと涼葉は車の中に消えて行った。すぐに動き出した高級車はあっという間に視界から消えて行った。
急な事に何が起きたのかも理解できず、篠部は思わずその場にへたり込んだ。
しばらくそのまま涙を流しながら涼葉が言った方向を呆然と見ていると、かなりの速度で走ってきたタクシーが、けたたましいブレーキ音を立てて停まった。そのタクシーの後部座席から降りてきたのが諒一だった。
◆◆◆◆
泣きながらこれまでの事を伝える篠部に諒一は奥歯を嚙みしめていた。牛島とまた会ったと聞いた時には無意識なのか、拳を握りしめていたし、涼葉の父親が来たことを話した時は、はっきりとわかるくらい顔を青ざめさせていた。
「それで、涼葉は……父親に連れていかれたのか?」
「う、うん……」
「どこに行ったかとかは聞いてないよな?」
「うん……ごめんなさい」
ようやく涙が止まった篠部は普段から想像もつかないくらい落ち込んでしまっている。
「いや、そんなに謝らなくても大丈夫だから……」
苦笑いしながら諒一が言うが、篠部は諒一の顔色を窺うように見ている。
「だって諒ちゃん怒ってる?」
そう言われ、一瞬止まってしまった。
「俺……が?」
聞き返すと篠部はためらいながら頷いた。
「そう……だな。多少怒ってるかもしれない。涼葉が連れていかれた事には。でも篠部や大野さんが悪いわけじゃ絶対にないから」
「……多少」
なぜか多少という言葉に反応する篠部と、楓花が言いにくそうに言葉を挟んだ。
「水篠くん、さっき人殺してきましたよ、みたいな顔してたよ?」
楓花がとんでもない事を言う。それどんな顔だよ。街歩いちゃだめなやつじゃないか。
「それと……私が誘っちゃったからこんな事に……本当にごめんなさい」
楓花はそう言って頭を下げる。
「いや、それは……「それは違うわよ」
カツカツとヒールの音を響かせてやってきたのは……
「亜矢子さん……」
亜矢子は諒一に軽く微笑むと、落ち込んでる様子の楓花の頭を上げさせると話し出した。
「涼葉ちゃんの父親……卯月信二には借金があるみたいなのよね。今日、諒一くんから連絡をもらって、彼の自宅……涼葉ちゃんが育った家に行ってきたんだけど……競売にかけられてた」
「競売……」
「ええ。競売というのは、主に借金を払えずに担保にしてあった家を取られてしまった時に、取った側が手っ取り早く、少しでも高く売る為のシステムだとざっくり思ってもらっていいわ。」
亜矢子が少し険しい顔をして言う。
つまり家を担保にするくらいの額の借金があった。そして、それを滞納していた。
「え、じゃあ涼葉の行き先は?」
諒一が焦ったように言う。それに対して亜矢子は眉を伏せて視線を下げた。
「……残念ながら今の所手がかりがないの。」
「そんな……家がないならどう追いかければいいか……いや、家もないのに連れて行ってどうすんだよ!」
思わず腹を立てた諒一の言葉は暗くなりつつある街の喧騒に呑まれていった。




