75.縁を結ぶキツネ
固く目を閉じた涼葉は、今すぐにでもここから消えてしまいたかった。でも少し先では篠部と楓花も、牛島と似たような格好のガラの悪い男に腕を掴まれている。
負けたくない!そう思って精一杯の勇気を振り絞って声を絞り出す。
「な、なんです、か!人を呼びます、よ」
必死で出した声は、震えていて、弱々しそうで悲しくなってくる。当然牛島が近づいてくるのを止める事もなかった。
そしてとうとう牛島の手が触れてきて、反射的に身をこわばらせる。
「いや、だ……」
「なあ、涼葉……俺の家、この近くなんだ。よかったら来てくれないか?ウチなら今度こそ邪魔が入る事もないだろうしさ。この前みたいに、あいつが来たら涼葉泣いちゃうだろ?こんなところに来るわけないけどさ、涼葉だって邪魔が入るの、嫌だろ?」
それを聞いて、涼葉は全身の毛が逆立ったと思うほどゾッとした。目の前の男は、どこまでも自分の都合のいいように解釈している。
この前も諒一が来たから泣いてしまって話が出来なかった。涼葉も話ができないのは嫌なはず。牛島の言い方を聞いていたら、そういう事になる。
だめ……きっと何を言っても通じない。 もう言葉も出なくなり、体が後退りしようとするが、牛島が強く引き寄せようとする。
「い、やだ……りょう、いちくん……」
もう何も見たくなくなり、固く目を閉じた涼葉が無意識に諒一の名前を口にする。すると、目の前で舌打ちの音がした。
次の瞬間、涼葉は両肩を強く掴まれて、揺さぶられた。びっくりして目を開けると牛島が怒りのためか、顔を紅潮させていた。
「なんだよ!なんであいつなんかの名前を呼ぶんだよ!お前の目の前にいるのは俺だろ!俺の名前を言えよ!」
「い、たい」
比較的体格のいい牛島の手は、涼葉の細い肩をすっぽりと包んでしまっている。本人は手加減しているつもりなんだろうが、男の力で掴んで揺さぶられれば、当然かなり痛い。
しかし牛島はそんなことなど気にもならないのだろう。それよりも涼葉が自分の思い通りにならないのが悔しいのか、激しく諒一を罵倒しだした。
「あんなひょろい奴のどこがいいんだ!体も弱そうだし、俺なら右手一本だって勝てるぞ?お前だって守ってくれる人がいいだろうが!あいつは優しいか?気が弱くて言いたいことも言えないだけなんじゃないか、それに俺も涼葉にはこんなに優しくしてるじゃないか!何が不満なんだよ、言ってみろよ!」
涼葉の両肩を掴んだまま、牛島は口から泡を飛ばしながら自分勝手な妄言を垂れ流す。言い返したいところはたくさんあるのに、もう喉もこわばってしまったのか、声も出ない。ただ怖い。もう泣きじゃくるしかできなかった。
自分の行動がそうさせているのに、慮る事ができない牛島は、涼葉のそんな態度すら苛立ちを増す一因になっていた。
「泣いてないで、なんとか言えよ!俺がいいのか、水篠がいいのか。はっきり言えよ!」
りょういちくんがいい!心の中では大声で叫んでいるのに、怖くて強張ってしまった体は、自分の物じゃなくなったみたいに言う事をきかない……。言葉は喉の奥でせき止められているかのように出てこないし、呼吸すら満足にできていない。
「言わねえんだろ?水篠がいいなんて、あいつがいないと!いいから本音を出せよ!」
言わないのは乱暴な扱いをされて怖くて言葉も出ないだけなのに、牛島はまた都合のいい解釈をする。まるで、この前のは諒一が言わせたもので、本音では違うと……
本気でそう思っているようで、その事も怖さを増しているのだ。
やだやだやだ……こわいこわい……いやだよ……
頑なに目を閉じて、肩を掴まれてなかったら耳も塞いでいただろう。涼葉は自分の中に引き籠って、ただこの恐怖の時間が早く終わってくれることを祈っている。
牛島は言いたいことを言ってしまったのか、涼葉が目を固く閉じて反応しないからか、荒い息をついているが怒鳴る事はやめた。
「……俺の家にいくぞ。本音で話し合おうぜ」
涼葉の肩を掴んだまま移動しようとしだした。
「ちょっと涼葉ちゃんを離しなさいよケダモノ!あなたホントに日本人なの?涼葉ちゃんはあんたなんか嫌だって言ってるのよ!」
両手を掴まれて動けない楓花が顔だけを牛島に向けて、泣きながらそう言った。
「ああ?」
涼葉を掴んだまま、楓花に近寄った牛島は、そう言って楓花を睨むが、楓花もにらみ返す。
パン!
舌打ちを一つして、牛島は楓花を殴った。平手ではあったが、女性の扱いができていない奴だ、楓花の頬がすぐに赤くなって腫れだすが、楓花は睨むのだけはやめなかった。
涼葉も楓花を殴った事に目を見開き、手を引かれるのに踏ん張っていたが、男の力にはかなわず、引きずられるようにして、連れていかれる。
楓花の隣では篠部も、男の手を何とか振りほどこうとあばれるのだが、男はニヤニヤしながら抑えている。
もうだめだ、連れていかれる……
楓花は牛島を睨み、篠部は悔しさに歯噛みする前で涼葉は抵抗もむなしく連れていかれようとしている。
そんな時だった。
激しい音を出しながらすぐ近くに車が停まった。そして、その車から降りてきた男が牛島に向かって言い放つ。
「おい、その手を離さないか」
またしても自分と涼葉の仲を邪魔しようとするやつが来た。まるで、恋人どうしが逃避行をしようとしているのを邪魔されたような気持になった牛島は、もう相手を確認しようともせずにケンカ腰で振り返った。
「ああ?……誰だアンタ」
牛島を止めたのは、高級乗用車の後部座席から降りてきた年配の男性だった。車を停車しなおして、運転席からも見知らぬ男性が降りて来て、牛島を睨みつける。
相手が誰かもわからない男性に対しては、さすがに牛島も警戒している。
そして牛島を止めた男性は、近づきながらもう一度言った。
「その手を離せ。私はその子、涼葉の父親だ!」
「ちっ!親か……」
父親が現れて、さすがに牛島も怯んだ様子で、涼葉を掴んでいた手を離す。
もうだめかと思っていたところに父親が来てくれて、よかったと篠部と楓花は安心した。まずいと思ったのか、篠部と楓花を捕まえていた高校生たちはいつのまにか姿を消している。
牛島は残っているのが自分だけと気付いて、腰が引けているが、未練はあるようで涼葉をチラチラと見ている。
「お、俺は涼葉の友人で……その、好き合っているっていうか……これからウチに遊びにいくんすよ」
諦めきれなかったのか、あろう事かそんな事を言い出して、なんとか涼葉を連れてこうとしている。
「ふざけないで!アンタなんかを好きなわけないじゃない」
自由になった楓花が牛島に詰め寄る。さすがに涼葉の親の前で暴力に訴えるような事はできないので、そんな事をいわれても睨むことしかできない。
「さっさとどっか行きなさいよ!」
友人の親が来てくれたことと、抑えていた高校生がいなくなった事で、楓花と篠部に詰め寄られてさすがの牛島も無理だと悟ったらしい。
舌打ちを一つすると足早に立ち去って行った。
ようやく牛島から解放された涼葉の所には父親と名乗った男性が近寄って、涼葉に何か話しかけている。
「よかったぁ……もう最悪。あいつに会うなんて……大丈夫、すず……」
篠部が、胸をなでおろしながら涼葉を見ると、様子がおかしい。心ここにあらずといった様子になっていた。
「ちょ、……どうしたの涼葉ちゃん!」
それに気づいた楓花も慌てて涼葉に近寄って声をかけるが、涼葉はそちらを見向きもしない。ただ、虚空を見ているような、そんなまなざしで動きもしない。
「なんで……」
ただ小さくそう呟いた。
涼葉の頭の中では義父がさっき自分に言った言葉がこびりついている。
(今日がだめなら明日も来る。学校はほとんど毎日あるもんなぁ涼葉。お友達をうちに呼んでもいいぞ?きっと楽しいはずだ……ははは)
「涼葉ちゃん、どうしたの?」
篠部も楓花も戸惑っているばかりだ。父親が来て安心して気が抜けたとかそういうんじゃなさそうだ。そして、そんな心配そうな顔を向けてくれる友人にも義父は何かするような事を匂わせた。
「なんでこんな……」
つう。と瞳から涙がこぼれる。
「す、ずはちゃん?」
涼葉がそんな様子だというのに、父親という男性は涼葉を案じる事もしないでただ見ているだけだった。……いや、よく見ると、口元にうっすら笑みが浮かんでいた。
お前は自分の手の中にある。いつでも捕まえに来る事ができる。なんなら周りの人間にも手を出しそうな事を言われ、涼葉の心はすっかり折れていた。
さっきまで牛島にだいぶ心を削られていたのもあったかもしれない。今の涼葉に義父の言う事に逆らう気力は全く残っていなかった……
そんな涼葉の様子を、篠部も楓花も不安げに見つめている事しかできなかった。




