65.諒一
「……いやあ、大変だったな」
土曜日の早朝、目が覚めた諒一はベッドの上に座ったまま、昨日の出来事を反芻していた。
牛島と一悶着あって、涼葉を泣かせて……おんぶして連れて帰って、かわいいって言ったら嬉しいって言われた。
端的すぎて自分でもまとまらなくなってきた。
まだ寝ぼけているんだろう。ぼんやりする頭で洗面所に行って顔を洗い、歯を磨くとキッチンに戻り、コーヒーでも飲むかとヤカンをIHコンロにかけると、ぼうっとする頭を振りながらリビングのソファに倒れ込むように座った。
ここまでの時間で、考えるべきは二点に絞られている。一つは牛島。あいつが今後どう言った動向をするか。さすがに昨日の一件で、まだ涼葉に脈があるとはもう思っていないだろう。
まぁ、思っているならいるで構わない。ここまでなったら諒一も遠慮はしない。相手が理解してくれるまで正面から「お話し合い」をするつもりだ。それ以上涼葉を泣かすような真似は許容できない。
もう一点は……先日別れ際に言った涼葉の言葉。あれだけ自分はかわいくなくていいと、トラブルの元になる容姿を厭っていた涼葉が、聞かれたとはいえかわいいと言った諒一に本当に嬉しそうにしていた事だ。
その時の笑顔は、繕わない本心からこぼれた笑顔だったと、これまでの付き合いでわかる。
それが金曜の夕方の事。今日は特に何の予定も入っていないので、のんびり宿題をするつもりなのだが、考えすぎて体まで気怠く感じる。
「あー……なんか、頭痛くなってきた。」
考えすぎていたらしい。本当に頭痛がしてきて、今日が休日で良かったと思った。
色々思う事があって、目眩がするような錯覚がある。
「ふう……」
ため息をついて、ソファの背もたれに体重をかけた諒一は、なんとなく瞳を閉じて、そのまま意識を手放してしまった……
「…………ん」
う……頭が痛い。意識が浮上してきて、まずそれを感じた。
「……ちくん!」
なんか、体もすげー重い……
「りょういちくん!」
ぼんやりとまぶたを開けると涼葉がいる。
「あ、れ……涼葉?……おはよ」
「おはよじゃないです。どうしたんですか、ヤカンかけたまま居眠りするなんて……」
何でここに涼葉が?と思ったが、涼葉は自由にこの部屋に入れるんだった。
やたらと重いまぶたを上げると心配そうに諒一を見る涼葉の顔がすぐ近くにあった。
それをぼおっと見ていると、額に冷たいものを感じる。涼葉の手のひらでおでこにふれていた。
「りょっ!」
涼葉は意味不明な音を出しながら息を吸うという微妙に器用な事をすると、みるみるその表情を変えた。目が座るってこういうことだろうか……
「いいですか、絶対にここを動かないでください。すぐに戻ります。」
初めて聞くような低い声で、微かに震えながら涼葉はそう言った。
「す……「動かないで下さい!」
「……はい」
諒一がそう言うが早いか、スッと立ち上がり足早に部屋を出て行った。いつもより大きめのドアの開閉音を残して……
……よくわかんないけど、なんか怒らせちゃったのかなぁ……
まるで夢の中にいるような、ふわふわする感覚でぼんやりとそう考えていると、しばらくして戻って来たみたいだ……
「これはいけないね……よっと」
涼葉にしては大きくしっかりとした両手で持ち上げられた。
「……涼葉?」
「ははは……残念ながら涼葉ちゃんじゃないよ。」
え、と……誰だっけ?
知ってる……こえ、なんだけど、な…………
「……眠ってしまったようだね。でも本当にいいのかい?」
顔をしかめて、苦しそうに眠ってしまった諒一を抱き抱えたのは総一郎だった。
その横には不安そうにしている涼葉の姿がある。キュッと両手を握り、今にも泣きそうな顔をしている涼葉は、総一郎が言う事に頷くと、先に立って諒一の部屋を出ていく。
「……ふふっ」
その後ろ姿を見て愛おしそうに笑うと、苦しそうな顔をして眠る諒一を抱えたまま部屋を出るのだった。
ぼんやりと意識が戻る。まず聞こえてきたのは、さああ……と言う雨の音。
次に少し冷たい、繊細そうなものが額に当たっている感触。今自分がどういう状況なのか、何をしていたのかも思い出せない。ぼんやりした思考でゆっくりとまぶたを開けると、天井に微かに光る花がある。
ここはどこの夢の国だと、苦笑して視線をずらせば少しの驚きと不安と怒りを絶妙に配合させた表情の涼葉の顔が見えた。
「……す、ずは?」
思ったように声が出ない。そして頭と体が異常に重い。
「りょういちくん……起きましたか?具合はどうですか?」
ぼんやりとしたまま少しずつ動き出した頭で、ようやく自分は体調が悪いという事に気づく。
「あたま、痛くて……おもい……」
そう言うと、重いため息を吐かれた。
「それはそうでしょう……三十九度超える熱があるんですから……」
三十九度……意外な高熱に少し驚いたが、少し懐かしい感覚もある。
「今晩一晩寝て、熱が下がらなかったら総一郎さんが病院に連れていくそうです。……何か飲んだり食べたりできそうですか?」
そう聞かれ、腹具合を探る。お腹はあまり減ってないが喉がカラカラだった。
「のど……かわいたかな」
「わかりました。ちょっと待ってて下さいね」
そう言うと涼葉が立ってロフトを降りていく。
風邪でもひいちゃったかなー。とちっとも働こうとしない頭で考えていると、ようやく違和感を感じてくる。
……ここ、どこだ?
諒一の寝室ではない。寝具の感触も寝心地も……全部違う。
そしてもう一度微かに光る花を見て、ようやく自分がどこにいるのか把握して、慌てて起きようとした。
「もう!りょういちくん!寝てないとだめです」
そこに涼葉が戻ってきて、ベットからでようとする諒一を押し留める。
「や、でも……」
「でもじゃないです」
有無を言わさない口調に、諦めて横になった。
「どうして、ここに?」
見えるのは天井の光る花と、見下ろす涼葉。光る花は諒一自身が付け替えた物だ。ここは涼葉の部屋。自分が寝ているのは涼葉のベッド……
「どうしてもこうしてもないです。りょういちくんの部屋だと看病もしにくいじゃないてすか。今夜一晩ここで休んで、お薬を飲んで様子を見ます」
決定事項である。というふうに言われ、困惑が広がる。
ちょっと待って、それは涼葉に一晩看病をさせるということか。さすがに悪いと思うが、涼葉はきっと譲らない気がする。
「ごめん、迷惑かけてしまって……」
「怒りますよ?病人さんなんですから……迷惑もなにもないです。それとも私を病人のりょういちくんを放っておく薄情な人間にさせる気ですか」
すでにやや怒っているような口調で、そう言われると何も言えない。
口を閉じてもごもご言ってると、ふっと微笑んだ涼葉が諒一を見下ろして言う。
「だから、大人しく看病されて下さい。あまり看病とかした事ありませんから、快適さは保証できませんが」
そう言うと、抵抗を諦めた諒一の背中に手を入れて、身を起こすのを手伝ってくれる。諒一の背中にすっとクッションを差し込むと、ストローの挿してあるコップを差し出してくる。
「はい、どうぞ」
「……あの」
「どうぞ」
「……ありがと」
色々諦めた諒一は、涼葉が差し出すコップのストローに口をつけて飲んだ。程よく冷えたスポーツドリンクが、乾いた喉を潤してくれるのがわかる。
コップ一杯飲み切ると、おかわりは?と聞かれ首を振る。
涼葉はベッドの横に置いてあるローチェストにコップを戻すと、少し眉を下げて言う。
「ごはんは食べれませんか?せめておかゆくらい……」
そう聞かれたが、首を振った。普段から食欲の薄い諒一は、こうして体調を崩すと全く食欲がなくなってしまう。よくないとは思うが、こればかりはどうしようもない。
悲しげな涼葉な顔を見ると心が痛むが、せめてもう少し体調が戻れば頑張って食べるので許して下さい。
「本当は何か胃に入れて飲んだ方がいいのですが……」
そう言って市販のよく見る風邪薬と少なめについだスポーツドリンクを渡してきた。少しだけ触れた涼葉の手がひんやりしていて、まるで諒一の熱を吸い取ろうとしているかのようだった。




