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5.自立支援団体 あじさい

 総一郎が運転する自動車は、滑るようにきれいに舗装されている敷地に入って行った。後部座席の窓から見ていた諒一の目に飛び込んできたのは想像していた「施設」ではなかった。

 

まだ真新しい、七階建てのマンションにしか見えない建物は、諒一が想像していた冷たい「施設」というイメージを覆した。


 町の中心部からは少し離れているが、これから発展しそうな場所で、郊外ゆえに駐車場も広く取ってあり、自然の豊かな公園も隣接している。


 その駐車場に入ると、玄関近くに車を止めた総一郎はトランクを開けて諒一の少ない私物を入れたバッグを取って肩に担いだ。


慌てて車を降り自分で持とうとしたが、優しく押し返された。


「僭越ながら今日から君の親代わりを務めさせてもらうんだ。まずはこれくらいさせてくれよ」


総一郎は爽やかに笑ってそう言った。


「そ、それなら、こっちが迷惑をかけるんですから、そんな事……」


 なおも言い募る諒一の手が後ろに引かれる。

 

「ほら、こっちよ。これからここに住むんだからちゃんと覚えておいてね?」


そんなやりとりは知らないとばかりに亜矢子が諒一の手を引き、マンションのエントランスに入る。


 二人に翻弄されながらエントランスに目をやると、その設備に目を見張る。

 

目の前には自動ドア。左の隅に番号の並んだ機械。その手前には部屋番号の入った鍵付きの郵便受けが並んでいる。右手には小さい窓があり、その向こうには紺色のいかにも警備員という格好をした男性が椅子に座って何か書き物をしている。


 かなりセキュリティのしっかりしたオートロックのマンションだ。

 

「あ……え?」


 諒一の想像していた「施設」と、あまりに違いすぎていて

驚きのあまり言葉が出ない。

 

これだけの設備を整えた賃貸マンション……

 間違いなく高額家賃のマンションだろう。前の経験があってもこういった建物に縁のなかった諒一は足を踏み入れた瞬間からもう気後れしている。


「ちょ、あの……え?」


動揺する諒一を微笑ましそうに見ている空閑夫妻は、バッグから鍵の束を取り出すと、その中から一つのキーリングに鍵が二本ついているものを外し、諒一の手にポンと乗せる。


「え……と?」


 戸惑う諒一を亜矢子がインターホンの所に優しく導く。

 

「ほら、そのカギをここに差して回すの。そしたらそこの自動ドアが開いて中に入れるわ。そのカギは部屋の扉の鍵も兼ねてるからね?はい、やってみよう」


そう言うと亜矢子が諒一の背中をポンと叩いて場所を譲ってくれる。いまだ混乱収まらぬ諒一だったが、言われた通り鍵を指して回すと、すぐに自動ドアが開いた。


「さ、行きましょ?」


まだ思考がついていってない諒一の手を再び取った亜矢子は、さっさと自動ドアを抜けて正面にあったエレベーターの前に立つ。


「え?え?」


「ふふ……亜矢子さん?諒一君はまだ思考が追いついていっていないみたいだよ。ここらで少し説明してあげたほうがいいんじゃないかな?」


 総一郎がそう言うと、亜矢子も少し考えて「それもそうね」と言って今度は左手のほうに諒一を引っ張っていく。


丁度中央にあるエレベーターを囲むようなスペースにはちょっとしたホテルのラウンジのような光景がひろがっていて、壁際には自動販売機がいくつも並んでいる。外に向かっては全面ガラス張りで太陽の明かりを存分にとり込んで明るい空間になっている。

 中から見る事を考慮されていると感じさせる植栽が雰囲気を柔らかくさせる事と外部からの目隠しという役割を両立させているようだ。

 

明るい窓際には柔らかそうなソファとテーブルのセットがいくつも並んでいて、今も住人らしき人が、何人かそこに座って談笑している。


「はい、好みをまだ把握していないからスポーツドリンクにしたけどよかったかな?」


亜矢子に言われるまま、そのテーブルのそばに立って周りをキョロキョロと見ていた諒一に、いつの間に買いに行ったのか、総一郎がスポーツドリンクを諒一に差し出しながら微笑んでいる。


「え、あ、アリガトゴザイマス」


緊張して片言気味なお礼が口からこぼれる。

 それを聞いて、ソファに腰かけている亜矢子がくすくすと笑っている。


「はい、亜矢子さんはミルクティーでよかったよね?」


「ありがと。総一郎さんはいつも私の好みを完ぺきに把握してるわよね?」


「もちろん。愛している人の事を知りたいと思うのは当然のことだよ」


……え?なんだこれ。


いきなり目の前で始まった甘さたっぷりの空間に座る事も忘れ、思わず見入ってしまった。


 しばらくして、立っている諒一にようやく気付いた亜矢子が座るように言ってくる。


「…………。」


何とも言えない顔で見ながら、とりあえず落ち着こうとスポーツドリンクの蓋を開けて三分の一ほどを一気に喉に流し込んだ。


 そして二人で甘い空間を作り出している総一郎と亜矢子を見る。

 

諒一が見ている事も気にせず、くっつくような距離感で並んで座っている空閑夫妻に恐る恐る声をかけるとようやく二人の世界からこっちに帰還してくれた。


「あ、すまないね。君もいつか好きがあふれてくるような相手に巡り合えると私の気持ちが分かるよ」


にっこり笑ってそう言われ、苦笑いをするしかなかった。


「ふふ……総一郎さんたら。まあ、色々聞きたいでしょうし、説明するわね?」


明らかにさっきよりも機嫌のよくなった亜矢子がそう言うので頷いて返すと、ようやく亜矢子は諒一が聞きたかったことを説明しだした。


「まずこのマンションは総一郎さんの持ち物なの。総一郎さんはマンションの半分は賃貸物件として普通の人に貸しているけど半分は「あじさい」の事務所とかキミみたいに自立を支援する子が使えるようにしているの。」


「え……じゃあ、その……家賃は?」


「まぁ半分ボランティアね。市から家賃の補助金として出る分だけ頂いてるわ。だから諒一くんはお金を出さなくていいし、基本的な家具は揃っているからすぐにでも住むことができるわよ?」


亜矢子はサラッと言っていたが、こんないかにも高級そうなマンションをそんな用途に使う人はまずいないだろう。

市からいくら補助金が出るのか知らないけど、物凄い負担をかけてしまうのではないだろうか……

 

 そう考えていると、亜矢子がクスッと笑って言う。

 

「ふふ、諒一くんは結構顔に出るのね?たぶん諒一君が考えている通り、普通はこんな立派なマンションをよく知らない人にただ同然で使わせるのは変よね?でも、実は私も総一郎さんも君たちみたいに家庭に問題があっていろんな人のお世話になって自立して、こんなマンションを所有できるまでになったのよ。」


 亜矢子がそう言うと、後を引き継いで総一郎が身を乗り出して話し出す。

 

「ぼくは君なんかと違ってもっと荒れていたから、福祉の人に随分と迷惑をかけたものだけど……縁もゆかりもないはずの人が僕なんかを一生懸命立ち直らせようとしている姿を見ているうちにすっかり感銘をうけてしまってね。僕も何かしら役に立ちたいとずっと思っていたんだけど……ようやくおととしに自立支援団体あじさいを立ち上げるに至ったんだ。ここにいる亜矢子さんの多大な支援のおかげでね」


「あら、私は総一郎さんの熱量に負けてお手伝いしていただけなんですけど?」


 そう言って見つめあった後、二人揃って諒一を見た。


「こうやってお互いがお互いを思い合って力を合わせる事ができるって素晴らしい事だと思わないかい?」


「いや、いきなりこっちに振られても……」


何とも言えない顔で見ているのに全く動じることなく隙あらば二人の世界に入ろうとする二人に半ば呆れ顔を向ける。


「おっと、話が進まないね。申し訳ない。ほら、亜矢子さん」


今だに総一郎の方を熱っぽく見つめる亜矢子は促されてようやく戻ってきた。


「ごめんなさいね?まあ……慣れてね?」


「ああ、控えるつもりはないんですね?」


 思わず口に出してしまった。

 

「うふふ……話を戻すと、このマンションの六階はすべてあじさいの事務所になっているわ。私たちの住居も六階にあるから相談がある時なんかはいつでもいらっしゃい。歓迎するわ」


 そう言われて、この二人が「担当する職員」ではなく、「共に暮らして後押ししてくれる支え」なのだと知り、新しい居場所を与えてくれた二人の人柄もあって、諒一の胸に暖かいものが宿るのを感じた。

 

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