53.久しぶりの登校
味噌汁と卵焼き、シャケに納豆と味海苔とこれでもかとテーブルに並んでいる。シャケや納豆、海苔なんかは味の想像ができるので、まずは卵焼きに手を伸ばす。
涼葉の視線が諒一の箸をずっと追いかけていて笑いそうになるが、まずはしっかりと味わおう。ゆっくりと咀嚼するとふんわりした甘さがあり、実においしい。
卵焼きは結構派閥があるので、どうかと思っていたが諒一の好みと合致していた。
「この卵焼き、俺の好みだ。おいしいよ」
食べた後も視線が諒一に固定されていたので、諒一は正直にそう言った。作った人からしたら、やはり心配なんだろう。
「ほ、ほんとですか?あの……無理しないでいいですよ?好みは人それぞれですし……こういうのが好きって言ってくれればそう作りますよ?」
それはまたこうして食事を振舞ってくれるつもりでいるんだろうか?と思いながら諒一は少し笑って言った。
「作ってくれるなら、次もこれがいいな。ほんとに好みの味なんだよ、気なんか使ってない」
そう言うと、ぱあっと表情を明るくさせた涼葉が嬉しそうにしている。
「それならよかったです。私もこういうのが好みなので。あ、じゃあ次はお味噌汁をちょっと飲んでもらえませんか?」
味噌汁も家庭で入っている具も味も違う。そんな俺に合わせることないのに……と思いながらも涼葉の真剣な様子に黙って味噌汁のお椀を手に持った。
「…………うまいな」
一口含んで、味わってみると自然とその言葉が溢れた。
「り、りょういちくん、お世辞はいりませんよ。その……全体的に薄口だと思いますし……あまり若い人には好まれない味じゃないかと……」
「ああ、そう言われれば。初めの感想はそれだったよ。でも、なんて言ったらいいか……調和が取れてるっていうか。ごめん、俺の語彙力じゃ上手に表現できない。でも、おいしいよ。その……もし、また作ってくれる機会があったら、ぜひこれと同じように……」
まるでまた作ってくれ。と、そう言っているような気になってだんだん顔が熱くなってくる。でも、基本的食べ物に興味がないうえに、幼少時よりレトルトやインスタントばかり食べてきた諒一には、料理の事を表現する語彙が極端に少なかった。
「わ、わかりました。がんばります!」
なぜか、両手をぐっと握った涼葉がやる気を出しているけど、期待していいんだろうか?
期待してもいいのか、聞くか聞くまいか悩んでいると、涼葉がこっちを見て、はにかんだように笑う。
「実は私に料理を教えてくれたのはお母さんのお母さん、つまり私にとってはおばあちゃんなんです。お母さんは女手ひとつで私を育てて、暮らしていくために働きずくめでした。小さい頃の私を育て、家事や料理を教えてくれたのはおばあちゃんでした。だからりょういちくんの口に合うか不安だったんですが……おいしかったならよかったです」
嬉しそうにそう言った涼葉はずっとご機嫌で、後片付けをすると言う諒一を、キッチンから追い出してしまった。
「りょういちくんも早く準備をしないと遅れますよ」
腰に手を当て、諒一の鼻先に人差し指を突きつけながら、涼葉はまるで母親のようだ。と思った。幼い頃に両親が離婚し、母親をあまり知らない諒一にとってそれは気恥ずかしくもあり、どこか胸の奥が温かくなるような気持ちだった。
自分の部屋に戻った諒一は制服に着替えて、ソファで一息ついていた。
落ち着いて考えれば、涼葉の部屋にお泊まりしてしまった。誓ってふしだらな事はしていないが、多分隣り合って夜通し手を繋いで。涼葉は諒一に寄りかかって……その時の、涼葉の安らかな寝顔を思い出すと心臓が暴れ出す。そして、泊まったという事実が、今頃になって嬉しいような恥ずかしいような気持ちが溢れ出して困っている。
「…………っ」
諒一は洗面所に行き、冷水で顔を洗う。
ちなみに三回目である。何度洗っても、顔の赤みはとれそうになかった。
そうこうしていたら、すぐに家を出る時間が近づいてきた。今日は編入初日ということもあり、保護者がわりに亜矢子が二人に付き添ってくれる事になっている。
……実の父親からは、一度たりともそういう事はされていないのに、他人であるはずの亜矢子は当たり前のように来てくれる。
知らない人が見れば、それだけの事。と思うかもしれないが、父方に引き取られてから小学校の卒業式、中学校の入学式。前の諒一の時には、ここから、高校入試への三者面談や中学校の卒業式、もちろん高校の時も父親は来なかった。
さすがに高校の頃にはもう諦めていたが、小学校と中学校と諒一の手を取って歩いてくれる人はいなかった。担任の先生が気を使って繋ごうとしたが、そうしてしまうと誰も来ていない事が知れ渡ってしまうような気がして嫌だったし、担任の先生はクラスの先頭を歩くので、ともすれば晒し者になる。
カチャリと遠慮がちなドアを開ける音がした。
「りょういちくん?」
リビングへとドアから顔を覗かせた涼葉はどこか不安そうに見える。
亜矢子の所にいくには、まだ少し早いから様子を見に来たのだろう。もしかしたら、似たような境遇の涼葉も同じような事を考え、心配をかけてしまったのかもしれない。
「……ちょっと、昔を思い出してた。」
ここで隠しても涼葉にはバレるだろうと思い、正直にそう言うと、苦笑しながら涼葉はリビングに入ってきた。
もはや、定位置となっているソファのいつもの場所に腰掛けると、寂しそうに諒一を見てくる。
「私も……思い出してたっていうか、嫌でも浮かんできたっていうか……」
俯いてそう話す涼葉の手を掴んだ。昨日と同じように。自然とそうしてしまった事に自分でも驚く。
涼葉はパッと顔を上げると、諒一を見て赤くなっていたが、ふにゃりと微笑むと力を抜いた。諒一の手を握る右手以外……
しばらくそうしていたが、少しずつ表情を曇らせる。
「ダメですね、すぐ不安になって……りょういちくんに頼ってしまいます」
眉毛を下げて、情けなさそうに言う涼葉の、握った手に少しだけ力を入れた。
「それは違うよ。俺も考えてたって言ったろ?少し落ち込んでたから涼葉が来てくれて嬉しかったんだよ。俺も涼葉を頼ってる……こうして、力を貰ってる」
握った手を持ち上げてそう言うと、涼葉はまっすぐ諒一を見ていた。
「私は……私も、りょういちくんの事を助けれてますか?少しは支えになってますか?」
「むしろがっつり寄りかかってる。涼葉が隣にいてくれるから頑張れるんだ。俺一人ならきっと……逃げてる。経験者が言うんだから間違いないよ」
かつて、何からも逃げていた。その時と一番違う事は、涼葉の存在だ。似たような境遇にあり共感できる人がいるという事がどれだけ力になっているか。
諒一がそう言った事で、涼葉は嬉しいような照れるようなそんな表情になっている。
そして、小さく呟いた。
「よかった……」
その後は特に何もいう事もなく、黙って過ごした。そして、登校の時間が近づいてくる。
「……そろそろ行こっか?」
「……そうですね。一緒に行く事ができて嬉しいです。」
諒一はそう言われて照れ臭さを誤魔化すために顔を逸らす。ただ、手を握る力は緩めない。
隣で涼葉が笑う声が聞こえた。




