52.お友達
涼葉の部屋。照明を少し落としてベッドに背中を預けて諒一と涼葉は並んで座っている。眠っているわけではないが、涼葉は目を閉じうつむいている。ただ、その口元はさっきまでと違い、弧を描いている。
手を握って気づかわし気に涼葉を見る諒一は、声をかける事をためらっていた。
さっきまでの、はかなく壊れてしまいそうだった様子はない。うっすらと笑みを浮かべ、目を閉じてうつむいている涼葉はまるで絵画の中から出てきたような雰囲気さえ出している。耳からこぼれた髪の毛がはらりと頬にかかる様子さえ、どこか触れ難い。
「りょういちくん」
そんな涼葉を見つめていると、急に呼びかけられて、これが現実だという事を思い出す。
「どうした?」
「ありがと……」
「いや、何がだよ」
「話を聞いてくれて」
「聞いただけで何もしてないけどな」
実際に何かしたわけでもない。過去にあったらしき記憶を思い出した涼葉の様子がおかしくなり、そのままだと壊れてしまいそうと感じて、諒一はただ壊れないように優しく抱きとめていただけだ。
諒一が言うと、涼葉はふるふると首を振った。
「私、過去の事は乗り越えたと思ってました。でも乗り越えたんじゃなくて奥底に閉じ込めて蓋をして、気づかない振りをしていただけでした。もうだいじょぶと、思って振り返ったら……もう少しで押しつぶされちゃいそうでした。多分、一人だったらダメだったと思います。また、あの頃に戻って……学校も行けなかった、と思います」
「…………」
「でもりょういちくんが一緒にいてくれて、温かく支えてくれて……今私がここにいるって、「一人じゃない」ってまた実感させてくれました」
「役にたったなら……よかったよ」
「ふふ……きっとりょういちくんじゃなきゃ、ダメだったと思います。一緒にいてくれてありがとうございます。つまらない私の話を聞いてくれて……ありがとうございます」
「そんな事……別にいつでもするし。頼ってくれれば、いつでも」
諒一がそう言うと、涼葉は大きく息をついた。
「はあ……」
ため息じゃない、ほっとした時に出るような吐息。
「そんなこと言うと……頼っちゃいます」
「うん。俺はさ?別に大した人間じゃない。引っ込み思案の人見知りだし……」
「引っ込み知り……」
「……引っ込み知り、だし。学校にも行けていない。このまま進むと社会不適合者まっしぐらな人間だよ。でもさ、何でか知らないけど五十歳までの記憶がある。経験もある。最初はなんでだろうって思ったけど、その……さ?……引っ込み知り仲間の涼葉を支えてやれるくらいには役に立つかもしれないって思った。その記憶がなかった昔の俺なら、支えることなんかきっとできなかったからさ」
「じゃあ、りょういちくんを生まれ変わらせた何かに感謝しないといけませんね。そうじゃなかったら、私は立ち直れないまま、心を閉ざしたまま生きていったと思いますもん」
「そ……か。じゃあ、その何かに感謝だな」
「はい、感謝です」
その何かとりょういちくんに……心の中でそう付け加えた涼葉は、そう言えばあの時、涼葉に真実を知るきっかけをくれた男の子……北田を責めてくれていた。その男の子が、どことなくりょういちくんに似ていたな。と思って、とてもうれしくなった。
「明日から学校ですね。今さらですけど……りょういちくん、寝ないとつらいんじゃないですか?」
涼葉の部屋にあるシンプルな時計は二時半を指している。
「……涼葉は眠れるのかよ?」
「……私は、多分」
「じゃ、涼葉が寝たら俺も部屋に戻って寝る。」
「じゃあ寝ません」
「おい!」
「うそです。今、すごくぽわぽわしてて……なんか、幸せな気持ちなので。もう少ししたら……寝ちゃいそう、です。それはそれとして……一人になったら……眠れないかも、しれません」
「……どっちだ」
「……りょういちくん……も、ここで寝れば……いいと、思い……す」
そう言いつつ、もう限界だったのだろう。涼葉は諒一の腕にもたれたまま寝息を立て始めた。そのまましばらくそっとして眠っているのを確認して、諒一はずれていたブランケットを掛けなおしてやる。
「眠れるわけ、ねーだろ」
安らかで、あどけない寝顔の涼葉の顔がすぐ近くにあり、右手はしっかりと握られている。そっと外そうとしたら、ぎゅうっと握ってくる始末だ。
いい匂いと腕にかかる重みは心地よい。でも、こんな状態で眠れるわけがない。そう思っていた諒一だったが、いまこうしている事に心地よさを感じている。涼葉の寝顔を見ながら、体の力を抜けば、意外とあっさり睡魔が襲ってくる。そのまま涼葉の寝息に耳を傾けていると、いつしか諒一の呼吸も合わせてゆっくりになってゆく……そのまま身を任せるとゆったりとしたまどろみが訪れてきた……
……ここのほうが何か出てるんじゃないか?
少し前に涼葉は諒一の部屋のソファから睡眠ガスが出ているのではと言っていたが、諒一からしたらここの方がよっぽど出てそうなくらいあっけなく睡眠に誘ってくる。
そして、右手にある温かさと甘い香りに包まれて諒一の意識はゆっくりと沈んで行った。
近くで誰かが動く気配と物音に、諒一は少しずつ覚醒していく。差し込む朝の光と香りの残滓がいつもの自分の部屋でない事を示していた。そこでようやく自分が寝ていた事に気付いた。
「んん……?」
重いまぶたを開けると、朝日が諒一に降り注いでいた。一瞬ここはどこだ?と思っていると、朝日の光を遮るように、諒一を覗き込む人影がある。
「おはようございます。コーヒー飲みますか?」
ああ、結局涼葉の部屋で寝てしまったのか。と改めて考えて、朝から顔が熱くなる。
「ありがと、もらうよ。……あれ、涼葉、家でもコーヒー飲むようになったんだ」
涼葉は確か家ではコーヒーは飲まないんじゃなかったっけ。せいぜい諒一の部屋に来た時にかなり甘くしたのを諒一に付き合って飲むくらいだった。
「え?ああ……そうなんですよ。」
なぜか視線を逸らして言う。
「?」
首を傾げながら、カップを受け取る。コーヒーの香りが眠気の残っている頭に染み込んで覚醒させてくれる。一口含めば、コーヒーの苦味と、ほんの少しの甘味が喉をくぐっていった。
「美味しい……」
「ありがとうございます。りょういちくんは私より甘さ控えめだったなって思い出しながら入れました」
ニコニコしながらそう言ってくれる涼葉にもう一度礼を言うと、立ち上がりロフトを降りる。
涼葉は諒一がまだ寝ているうちに着替えていた。白いシャツに紺のブレザー。赤いリボンタイが胸元を明るく彩っている。
スカートは膝丈で、規則に従いながらもギリギリ可愛い長さを攻めている。
そしてその上からかわいいひよこが図案化されたエプロンをつけている。
「りょういちくん、朝ご飯食べませんか?」
「え、いいの?そりゃ嬉しいけど……わざわざ大変じゃないか?」
予定してない分までわざわざ作らせるのは悪いと思ってそう聞いてみた。
「だいじょぶですよ?元々家事は苦にならなかったんですが、食べ物に興味のないりょういちくんにおいしいご飯食べさせて餌付けするのは楽しいです」
喜べばいいのか怒るべきなのか分からなくなるようなことを言ってくる。ただ、申し出はうれしい限りなので、頭を下げてでもお願いしたいところだ。
諒一も手伝いたいが、勝手がわからず戸惑っているうちに準備は整ってしまった。
「ふふ……できましたよ。りょういちくん席についてください」
ご機嫌の様子の涼葉は諒一をテーブルの方に押しやると、手際よくできた物を並べてくれる。朝だと言うのにテーブル一杯に並べられた料理は、ザ、朝食という感じのものだった。
「すげぇ……朝から豪華だな。ごめんな手間かけさせて」
出てきた料理をみて、さすがに大変だっただろうと思いねぎらう。
「いえいえ、そこまで手間はかかってないです。そんな豪華な物でもないですよ。さ、食べてみてください」
ニコニコとしながらごはんをよそい、箸と一緒に渡してくれる。
「ありがとうな。じゃ、遠慮なく。いただきます」
「あ……口に合わなかったら残してくださいね?無理して食べたりしないで」
「……涼葉の料理を食べるのは初めてでもないし……信用してる。」
なぜか不安そうな様子をみせる涼葉にそう言うと、少し安心したのか小さく、ありがとうございますと呟いていた。




