51.お友達
「……ふふ」
「どした?」
急に笑い出した涼葉にそう聞くと、黙って小さく首を振る。
「だって……りょういちくんでもわかるくらいだったのにって」
そう言って笑うが、楽しいというよりも無理をして笑っているように見える。
「俺でもってところに思うところはあるけど……ということはそうだったんだな」
そう言う諒一に悲しそうに涼葉は頷いた。
「その頃の私は……お友達というものをよくわかっていませんでした。今もよくわかっているわけではないですが……お友達が言うなら正しい、お友達が言うなら自分は嫌でもやるべき。お友達が言うなら少しくらい……」
「涼葉」
諒一が呼びかけると涼葉はハッとして俯いた。おそらく無意識だろうが、お友達がを繰り返すたびに、表情が痛々しいものになっていた。
見ていられなくなり、思わず止めてしまうくらい……
「ごめんなさい……とにかく、彼女にとって私は都合の良い存在だったのでしょう」
「涼葉が謝る事なんてないよ。話すのがつらかったら、もう話さなくてもいいし、話して少しでも楽になるのなら話してくれ。俺はどちらでも受け入れるよ?」
涼葉は力のない笑みを浮かべると、小さく「じゃあ、お言葉に甘えましょうかね」と言うと、諒一の腕に頭を預けて話を続けた。
「彼女は、遊びなどに私を連れてくる、という条件で男子からお金を貰ったりしていました。基本私は直接誘われても断っていましたから……時には気になっている男子を連れてくる事を条件にしたり、それは他校の男子にまで及んでいたみたいです」
「……そんな」
「私は友人と思っている人がそんな事をしているなんて、全く疑う事もなく……「友達、友人」という言葉を盾にとった彼女の言う事を黙って聞いていました。私が使ったものを売ったりも……」
涼葉はこれまで考えないようしていた当時の記憶の蓋をゆっくりと開けた。
【ねえ、私たち友達だから一緒に行こうよ】
……だめ、思い出しちゃだめ……やっと深いとこに、沈めてたのに……
【他のガッコの男子もいるけどさ。大丈夫、友達のアタシが一緒にいるんだから】
【急に誘われてもアタシも困ってるのよ。卯月は友達だから断らないよね?】
【ねぇ、卯月!アタシ達友達じゃん?卯月が使ってるもの欲しくてさぁ。あ、そのシャーペンくれない?】
【卯月!かわいいリップ使ってるね?乾燥?いや、どーでもいいんだけどね。アタシも使いたいからそれちょうだいよ】
ある日、涼葉があげたシャーペンなどを売っていたと聞いた時、涼葉の心の中で何かが壊れた気がした。シャーペンなどはまだいい。友人が使うならと、あげたリップを知らない、しかも男子に高額で売っていた。
涼葉の頭の中で、当時の友人の声が思い出されては消えていく。その一つ一つが小さなトゲを持っていて、出てきては消えていくたびに、涼葉の心の中に引っ掻き傷をつけていく。
……それ以上はだめだったら!……
今よりも幼い涼葉の声が静止する。しかし、思い出す声がつけていく傷が涼葉の心をどんどん削っていく。初めはチクチクしていただけだったが、次第にガリガリと削りだす。
「やめて……」
当時の涼葉が懇願しても、声は嘲笑うように脆い心を削る。
「やめて!」
今の涼葉が叫んでも止まらない。友人、友達だから、友達じゃん、友達でしょ?
涼葉の心の、柔らかい場所を守っていた部分は繰り返されるその言葉で削り取られてしまった。そして一人の男の子が涼葉の前に立った。
…………やめて……お願い……
「卯月さん、卯月さんが可愛いのは認めるけど話しかけるのにお金を取るのはどうかと思う」
あの日……朝から重たい雲が空を覆っていて、ただでさえ心が傷だらけの涼葉が憂鬱だと思っていると、比較的よく話す男の子が朝から話しかけてきた。いつもと様子が違う事に首を傾げる涼葉にその言葉が投げつけられた。
何を言ってるのか理解できない。ただ、その男の子が涼葉に向ける視線だけで、傷だらけの心を覆う最後のガラスにヒビが入る。
「僕、卯月さんはおとなしいけど、優しい女の子だと思っていた。」
その男の子は何かをこらえるように両のこぶしをギュッと握り込んだ。
「全部嘘だったんだね。…………これ、足りなかったお金。もう話す事もないけど、借りを残したくもないから」
男の子は涼葉の机に千円札を何枚か叩きつけるように置いていった。
……嘘ってなに?驚きすぎて、手を伸ばしたが男の子には届かず声も出せないでいると、横から伸びてきた手がそのお金を奪った。
「は、みっともねー。振り向いてくれないからってイジケてやんの」
「きた、ださん。何のお金?あの、男の子、は……なに?」
震えながら声を振り絞る涼葉を見て、北田は頭をかく。面倒そうな顔を隠しもしない。
「あー、まぁ卯月は気にしないでいいよ。いつもみたいにアタシがうまくやっとくから」
「うそ、って……」
北田は舌打ちをすると、呆然としている涼葉に強引に視線を合わせた。
「いーから!気にすんなっつってんの。アタシら友達だろ?ほら、これでなんか買って忘れろ」
北田はそう言い残してその場を立ち去った。涼葉の洋服の胸ポケットに男の子が出した千円札を押し込んで……
訳が分からず、どうしていいかも分からないがこのお金は貰うわけにはいかない。
シワを伸ばして綺麗に折りたたんだ千円札。あの男の子に返さなきゃ……
涼葉の、視線があの男の子を探し、ようやく後ろ姿をとらえた。でも、廊下を曲がり行ってしまう。
……だめ……それ、以上は…………
男の子を追いかけて廊下を進むと声が聞こえてきた。あの男の子と北田さんの声。
「なぁお前、ルール違反すんなよ。アタシの許しもなく卯月に話しかけやがって……」
「もう話しかけたりしない。」
「そうかい。その割には色々聞いて回ってたみたいじゃん」
「納得いかなかった……北田さん、あんた友人を餌に使って何とも思わないのか?」
…………やだ、聞きたくない…………
「は?そりゃ、友人ならな。」
「卯月さんは友人じゃないと?」
「はっ!あいつが友人?あいつはただのお人形だよ。みてくれだけはいいだろう?そんで黙って言う事聞くし……言いたいことも言わない。お人形だよ、アタシはお人形を見たいって人に見せて礼をもらってるだけだ。」
「サイテーだな……」
「お前になにがわかんだよ。惚れた奴がちょっと顔がいいだけのお人形に熱を上げて……こっちを見てくれなくなったんだ。あいつは何もしないで人の好きな男を取っていくんだ。他にもおんなじ奴はたくさんいる。あんなやつ……」
…………いや……
「友人なんかじゃねーよ」
その瞬間、涼葉の心を守っていた最後のガラスが粉々に砕け散った。最後の……涼葉の心の柔らかい場所がむき出しになる。
……ああ………………壊れる………………こわれて、いく…………
「涼葉!」
その声が聞こえた時、消えてしまいそうになっていた涼葉の心に灯がともった。温かい、確かな光。壊れてしまった涼葉の心を守る。守ってくれる。
「涼葉!」
「りょう、いちく、ん?」
「よかった……涼葉」
涼葉の頭は諒一に胸の中にあった。遠慮がちに触れるいつもの触れ方と違って、まるで逃がさないとでも言うようにしっかりと抱いてくれている。それが、とても暖かい、心が、安らぐ。
その涼葉の頭にぽたりと水滴が落ちる。諒一の胸の中にあって、それが何かは見なくても分かる。
「りょういち、くん……泣いて……」
「っ!誰が、泣かしたと……」
「……ごめん、なさ「謝らなくていい!」
「え……」
後頭部を優しく撫でられている事に気づき、涼葉は身を委ねて心地よさげに目をとじた。閉じた目の端から涙が流れ落ちる。
「涼葉は何も悪くない。だから謝らなくていい。」
「……うん」
「つらかったんだな。」
「もうだいじょぶ、って思ってた……つらかったけど、忘れた。乗り越えたって……でも、そうじゃなかったの。見てなかっただけ。……全然乗り越えてなかった。でもね?りょういちくんがこうしてくれたから、今の私はここにいるんだって、一人じゃないって、教えてくれた。もうほんとにだいじょぶ……りょういちくんに、話せてよかったぁ」
そう言った涼葉の声は本当に安堵したと思えるものだった。
涼葉に寄り添ったせいか、真上から降り注ぐ照明の灯りは、作り出す影を小さくさせていた。




