4..自立支援団体 あじさい
あじさいは諒一の家からは少し離れた、これまで行った事がない場所にあるらしい。同じ市内ではあるが、窓の外には見た事がない景色が流れていき、新しい場所で生活が始まると言う事を感じさせる。
外の風景を見ていると、亜矢子がハンドバッグをごそごそしてる事に気付く。諒一は助手席の後ろに座っているため、亜矢子が動くたびに、後ろまで涼やかないい匂いが届いてきて少し気恥ずかしい。
これまで、亜矢子のような大人の女性が近くにいなかったのでつい意識してしまう。
ここで諒一はふと思った。病院で終わりを迎えた事が正しければ、諒一には五十歳の記憶や経験がある。それならば亜矢子は娘と言ってもいい年齢なのに、そんな照れるような感情が浮かんでくるのが不思議だ。
五十歳の諒一の人生の方が夢だったとは思えないし、施設行きを受け入れたこと以外は記憶通りの環境だった。現在中学生である諒一の記憶の方が少しずつ勝ってきているのだろうか?
それほど未練のある人生ではなかったが、それまで生きてきた経験や技術などが失われるのは惜しいと思ってしまう。記憶にある限り、今くらいの頃の諒一は趣味という趣味もなく何に対しても興味の薄いつまらない子供だったが、年齢を重ねていくうちに、意外に手先が器用だった事に気づきDIYなんかもやるようになっていた。最後の方は建築関係の会社に水道の技術者として勤めていたが、大工、電気、左官と広く浅くではあるがそれなりに何でもできるようになっていた。
「…………ん」
誰に習うでもなく、自分で触って覚えた知識は密かに自信となっていたものだ。それらが失われるのは惜しいと思う。
「…………くん」
まあ、記憶を持ったまま過去の自分に戻るという事がだいぶイレギュラーなことだからあまり贅沢は言えないが……
「諒一君!」
ぼーっと窓の外を見ながら色々と考え込んでしまって、亜矢子が声をかけている事に気付かなかった。
「あ!すいません、考え事してて」
亜矢子が何度も諒一の事を呼んでいたのだが、完全に自分の世界に入ってしまっていた。
「それならいいけど……無理しちゃだめよ?辛かったりしたらちゃんと言う事。いいわね?」
運転席と助手席の間から身を乗り出して諒一を見る亜矢子の目には確かに心配しているとわかるものが浮かんでいる。
亜矢子は仕事で諒一に接しているだけの今日初めて会った他人だというのに、親身になって接してくれる。これまでろくな大人を見てこなかった諒一にとって、周りにいないタイプの大人で、少しどぎまぎしてしまう。
「すいません、本当に大丈夫です。その……亜矢子さん?」
「なにかしら?」
諒一が何か質問しようとしているのを亜矢子は嬉しそうに受け止めようとしてくれている。それにもこれまで感じた事のない感情が浮かんでくる。
「あ、あの……変だったり失礼な質問だったら許してください。亜矢子さんは初めて会った僕にどうしてそこまで親身になってくれるんですか?」
少し言いにくそうに質問を口にした諒一をぽかんとした顔で見た後、亜矢子はにっこりと笑って答えた。
「ふふ……それが私たちの仕事だから。そして私はこの仕事が好きだし、本当にやりがいをもっているの。だからその仕事の対象である諒一君に対するのも本気でぶつかっていけるのよ?だから諒一君は何も気にせずに私や総一郎さんを頼っていいのよ?これまで頼れる大人に恵まれてこなかったんだから。せめて、ね?」
おそらくだいぶ失礼な質問をしたと思う諒一の言葉に、本当の愛情がこもっているように感じる深い笑みを浮かべたまま亜矢子はそう言って諒一の頭を軽く撫でてくる。
照れくさいし頭を撫でられるような年でもないと思ったが、振り払おうとは思えなかった。しばらくの間、諒一の頭をにこにこしながら撫でていた亜矢子は思い出したように諒一の前に茶封筒を出した。
「え?これは?」
思わず受け取ってしまった後に尋ねると亜矢子は少しだけ真剣な顔になった。
「それは支給された諒一君の生活費よ。生活に必要な物とか最低限の洋服、学用品以外の物を買う時や個人的に必要な物を買う時にはそれから出してね。」
真面目な顔そう言った亜矢子は、そこで区切るとニコリと笑って言った。
「お小遣いも入ってるから無駄遣いしちゃだめよ?」
そう言われ、茶封筒の中を見ると一万円がぱっと見十枚くらい入っている。
「こっ!こんなお金!なんで……」
考えてもいなかった事に焦り、無意識に封筒を自分から離しながらそう言うと、笑みをうかべたままの亜矢子は諒一の両手を持ってそっと押し返してくる。
「諒一君はお金を稼いでいるわけじゃないでしょ?そして本来養育するべき人が養育できない状況にある。ここが今の諒一君の状況よ?親が養育できない児童は自治体がみてあげる決まりがあるの。それは本当は諒一君のお父さんが諒一君のためにかけてあげないといけないお金。大金をいきなり渡されて混乱するのはわかるし、申し訳ないとも思うけど……あくまで私達は、諒一君が自立できて一人でも生きていけるようにお手伝いする団体。そして一人で生きていくのにお金の管理というのはどうしても避けて通れないし、間違えやすい道でもあるわ。きちんとした環境で教育されてきた人でもしなくてもいい借金をしてしまったり、無理してほしい物を買ってしまったり、お金の管理というのは案外難しくて重要な事なのよ。もちろんどうしても無理だって諒一君が言うなら私たちが管理する事もできるけど……いつかはやらないといけない事だから早めに慣れておいたほうがいいわよ?」
そこまで言うと亜矢子は優しく眼差しを諒一に向ける。
「相談はいつでも受け付けるから。やってみない?」
亜矢子が言う事は全くもって正論だ。お金の管理ができない人が借金まみれになったり、目先の欲望に負けて借金して……その借金を返すために借金をして。という悪循環に陥ってしまった人を何人も見たことがある。
「わ、わかりました。やってみます」
諒一がそう言うと亜矢子は嬉しそうに笑った。
「きちんと計画を立てて使うのよ?諒一くんがちゃんと自立できて、私たちの所から巣立つ時にもまとまったお金がかかるのだから無駄遣いしないできちんと貯金もしておく事」
笑顔のまま人差し指を立てて亜矢子が言う事に素直に真面目な顔で頷いた。
亜矢子の隣では、そのやり取りを総一郎も微笑ましそうに見ている。その視線になんだか恥ずかしくなって思わず視線を落とす。
そこではっと思った。諒一はこれから施設に入るはずだ。それならばこういったお金は生活の面倒を見る施設に入るのでは……少なくともここから大部分は施設に払わないといけないのでは、と。
「あ、あの質問いいですか?」
「もちろん。何でも聞いてちょうだい」
諒一の方から接すると亜矢子は本当にうれしそうにしてくれる。こんな人は初めてでなかなか慣れない。とりあえず聞きたいことは聞いておかないと……
「あの、これから僕がお世話になる施設って、その料金っていうか使用料って言うか……いくらくらい必要なんですか?」
施設に払うべきお金を何と表していいか咄嗟に思いつかなかった諒一が言いよどみながら質問すると亜矢子は感心したような顔になった。
「諒一君ってほんと聞いていた事とだいぶイメージが違うわ。普通このタイミングでなかなかそこまで考えが及ばないと思うんだけど?」
「でも費用はかかるだろうし……お金を管理するなら多分それが一番大きい支払いになるんじゃないかと……」
そう言った諒一をどこか満足したような顔で見た亜矢子はもう一度にっこりと笑うと、ちらりと窓の外を見ると前に向き直りながら答えを返す。
「もうすぐ着くわね。その答えは実際見ながら聞いた方が分かりやすいと思うわ」
そう言ってパチリとウインクすると前を向く。その瞬間、雲間から光が差した。それはこれから進む道を照らすように、諒一達が乗る車を優しく包み込んでくれていた。




