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44.夏休みの終わり

 八月も終わりが近づいてきた。世間の学生達はさぞ世の無常を実感していることだろう。

 ただ、これまではあまり気にしていなかったが、もうすぐそっち側に戻るのだ。


 前の記憶があるので、何も問題なく学校くらい行けると思っていたのだが、想像以上に体が拒否反応を示した。

 どんだけ行きたくないんだよ、と自分にツッコミたくなるくらいだ。

 そして、やはり今の諒一にだいぶ寄っている事も自覚している。もはや50歳まで過ごした諒一の人生は、記憶でしかないのだろう。


 細部の記憶はだんだん薄れているし、気持ちも若返っている。 それでも真面目に登校すると決意したし、前とは違い一人じゃなくて涼葉もいる。

 くだらない見栄かもしれないけど、涼葉の前であまり格好悪いところは見せたくなかった。当時の諒一みたいに学校に行きたくないと泣きじゃくる姿なんて、とてもじゃないが見せれない。


 新調された制服も準備して、教科書類も整理してある。あとは気持ちだけだ。ひそかに気合いを入れていると、玄関のチャイムが鳴った。


 涼葉ではない。最近は涼葉が来る時にはチャイムなど鳴らさず普通に鍵を開けて入ってくるからだ。

 それで別に困る事もないし、諒一も良しとしている。


 誰だろうと思いつつ玄関を開けると予想に反して涼葉が立っている。どうしていつもみたいに鍵をあけて入ってこないのか、それは涼葉の姿を見て察した。

 

 きっとワンクッション置きたかったんだろうと。なんとなく浮き立つ心を感じながら諒一は玄関のドアを開けた。


「ど、どうですか?変じゃないですか?」


 ドアを開けた途端、涼葉は少しおどおどしながらそう言った。涼葉は制服を身にまとっていた。諒一達が通う事になる中学の制服だ。

 諒一も涼葉も実家と学区が違うので、あじさいのある学区の中学校に編入する事になっている。


 心機一転するのにも都合がいいし、特に昔からの諒一を知っている同級生などは、今の諒一を見ると違和感をもつだろうし……。


「うん、似合ってるよ」


 そう言うと涼葉は恥ずかしそうに微笑んだ。そしてモジモジしながら何か言いたそうにしている。


「ん?どうかしたの?」


 諒一が聞くと、涼葉はたっぷり逡巡したあと小さな声で告げてきた。


「その……り、りょういちくんのも見たいです。制服……を」


 涼葉の言葉に思わず首を傾げる。

 男子の制服姿なんて見てどうするのか。女子はセーラーだったりブレザーだったり学校によって趣が違う。前の学生時代に高校を選ぶ理由の一つに制服のかわいさを入れている女子がいた事を覚えている。


 しかし、男子の制服は学ランかブレザーにネクタイか。大体そんなもので、しかも見た目はほとんど一緒だ。せいぜい色が違うくらいだろう。

 それでも、黒か紺の二種類くらいだろうし……


「別にいいけど……そんな見栄えはしないと思うけど……」


「そんな事ないです!ち、ちょっと着てみてくれませんか?」


 言いにくそうにしてるから何かと構えていたから少し拍子抜けしてしまう。


「ま、いいか。ほら、入って待ってて?部屋で着てくるから」


 そう言ってドアを大きく開けたが、涼葉は入ろうとしない。訝しんでいると、涼葉はさらに続けた。


「そ、のですね。できれば着て一緒に、下に行って欲しい……んですが……」


「下って……あじさい?」


 そう聞くと涼葉は頷いた。


「??まぁ、うんわかった。ちょっと待ってて」


 不思議に思いながらも頷くのを見て涼葉は嬉しそうに笑顔を浮かべた。涼葉は玄関でこのまま待つと言うので、急いで着替えてくる事にする。


「制服出しておいてよかった……」


 準備をしていてよかったと思った。今から準備するとなったら随分涼葉を待たせる事になるだろう。あの様子なら時間がかかっても待ちそうだし。


 こういう時に男は準備が簡単でいいと思う。サクッと着替えて一応鏡で確認する。


「……少しは髪も整えておくか」


 別に寝癖がついていたり、跳ねたりしているわけではないが、制服を着て涼葉の隣に立つと考えた時に、少しでも見た目が良くなってた方がいいかなという、まあ男の見栄だ。隣の奴がみっともないと涼葉が可哀想だし。


 軽くワックスをつけて整える。前の人生の時は面倒で仕事もプライベートも帽子をかぶって済ませていた。

 こうして髪を整えるのは実に久しぶりだ。


「お待たせ」


 涼葉は玄関の上がり口に座ってスマホをいじっていた。待たせてしまったかな、とそう言いながら近づくとこっちを見た涼葉がポカンとして動きを止めた。


「涼葉?」


 呼びかけてハッとした表情で涼葉は慌てたように顔を背けた。


「?」


 何かまずい事をしたか、言ったかと考えたがパッと思いつくものはない。どこか気まずそうに視線をさまよわせているのでもしかしてと思って聞いてみた。


「あー……せっかくだからって思って少し整えてみたんだけど、変だったかな?」


 頬をかきながらそう言うと、涼葉は勢いよく首を振った。長い髪が生き物みたいに動いている。


「大丈夫です。行きましょう」


 涼葉は視線を逸らしたまま諒一の手を掴んで玄関の外に引っ張って行く。


「ちょ、ちょっと待ってよ。靴、靴履くから」


 裸足で引っ張り出されてしまい、慌ててそう言うと涼葉はパッと手を離すと両手で顔を隠してしまう。


「ご、ごめんなさい。私そこで待ってます」


 焦った様子でそう言うと涼葉は少し離れた所で外を眺めだした。どうしたんだろうと首を傾げながら諒一は通学用に買っていた靴を出して足を通す。

 しっかりと紐を結んで立ち上がって見ると、涼葉は両の頬に手を当てて何やらもだえている。


今日はどうしたんだろうと少し心配になりつつ玄関を施錠して涼葉の所に行く。


「どうしたの涼葉。なんか変だよ?」


 顔を覗き込むようにそう言ってみたが、チラリとこっちを見てすぐに顔を背ける。


「……な、何でもないです。あまり見ないで下さい」


「ええ……」


 どうしたらいいのかわからずにいると、涼葉はまた諒一の手を握り、エレベーターに向かい出した。


「大丈夫です。行きましょう」


「いや、大丈夫に見えないんだけど……」


「大丈夫です!」


「あ、ああ、うん」


 強めに言い返され、涼葉にしては強引に納得させられた。


 結局訳がわからないままエレベーターに乗り、六階のボタンを押す。その間も涼葉は手を握ったままだ。


「……涼葉さん?別にいいんだけど、手を握ったままで行くの?」


 少し照れながら言うと、涼葉は初めて気づいたかのように繋いだ手を見て赤くなっている。一瞬離そうとしたのか力が抜けたのだが、またすぐに握ってきた。


「大丈夫です」


「いや何が……」


 大丈夫を連呼されても、もはや何が大丈夫なのか……

 ただ、別に嫌ではない。手を握って照れるなんて、まるで青少年のようだと思ってしまい、今の自分は青少年だったと思い直し少し笑ってしまう。


「ど、どうかしましたか?何かおかしいですか?」


 今度は涼葉が慌ててそう聞いてきたので、面白くなってしまい、声を出して笑った。


「もう!笑わないで下さい!」


 赤くなった涼葉が手を離そうとしたが、今度は諒一がしっかり握っていたから離れない。

 結局涼葉は赤くなったまま下を向いてしまった。手はしっかり握ってきたが……


 静かになったエレベーターの中に、跳ねる心臓の音がこだましている。そんな錯覚を感じているうちに、六階についた事を知らせる音が鳴り響いた。

 

◆◆ ◆◆


 

「あら?どうしたの?色々と」


 あじさいの玄関をくぐると、すぐに亜矢子の姿があった。机に座り、書類をまとめていたらしき亜矢子は、諒一達の姿を見るといきなりそう言ってきた。


「色々ってなんですか……」


「だって……二人とも制服だし、仲良さげに手を繋いでいるし、涼葉ちゃんは真っ赤な顔をしているし……だめよ?諒一くん。あまり涼葉ちゃんをいじめたら」


 ひどい濡れ衣である。


「い、いじめられてなんか、ないです。大丈夫です」


 今日は涼葉、何回大丈夫って言ったかな?などとつい考えてしまった。亜矢子に着せられた濡れ衣については涼葉が否定してくれたから何も言わないでおいたが、何をしにあじさいの事務所に来たのか、一向に想像がつかず諒一は首を傾げるばかりだった。

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