42. トラブル発生
頭を拭きながらリビングに戻ると、少し落とされた照明の下でテレビは金融関係の情報を流している。
微動だにせず、それを見ている様子の涼葉にそんなのにも興味があるのか……と思いつつ、邪魔をしないようにソファの後ろを回っていくと……
「いやいや、寝てるし」
涼葉は安らかな寝息を立てていた。ソファの背もたれに身を預けているとはいえ、とても綺麗な姿勢で。
まぁ、それなりに時間も遅いし、変なトラブルがあって疲れていたのは理解できる。できるが、ここで寝られると困るのだ。
涼葉がここに泊まる可能性は考えていた。今、涼葉の家はトイレも使えないわけだし、夜中にトイレに行きたくなってしまったら我慢するか、夜中に諒一の部屋に入ってするしかない。
そうするくらいなら、今日は諒一の部屋に泊まる。その可能性は頭にあったのだが、それでもその時は寝室のベッドを使ってもらって、諒一がソファに寝るつもりだったのに……
「おーい、涼葉?」
軽くゆすって声をかけても起きる気配はない。
いっそこのまま、毛布だけかけて……とも思ったが、ここはリビング。言ってしまえばオープンなスペースだ。
寝室はキッチンの上にあるロフトなので、諒一がトイレに行こうとすればリビングを通る事になる。
そんなところに女の子を寝かせるのはダメだろうと思う。
「仕方ない……気持ちよさそうに寝てるけど」
そういえば初めて会った時もこのソファに寄りかかって寝てたんだよな……
あの時はすぐに起きたんだけどな。
そんな事を考えながら、今度は強めにゆすって声も大きくしてみる。
「おい!涼葉?こんなとこで寝ちゃだめだ。ベッドで寝るんだ。起きろ」
「うう……」
反応はあったが起きない。
「どーすりゃいいんだよ……抱えてベッドまで連れて行くのは無理だし……」
寝室がロフトという事は階段を登らないといけないのだ。
「なぁ、涼葉。起きてくれよ」
困りながら、横に座り肩を揺らしていたのが悪かった。
揺らされた涼葉がバランスを崩して諒一の方に倒れてきた。
「ちょ、待って!」
倒れないように支えたつもりが、諒一が抱きとめるような形になってしまう。力無くもたれかかる涼葉の顔は諒一の肩のところで寝息を立てている。
「……〜っ!」
声も出せずに諒一は体をこわばらせる。涼葉の匂いがふわりと香り、柔らかい女の子の体が自分に寄りかかっているこの状況は非常に良くない。
諒一は起こす事もベッドに行ってもらう事も諦めた。そっと体を入れ替え、ソファに寝かせる。持ってきた毛布を涼葉の上にかけて、その場に諒一はへたり込んだ。
「もう……頼むよ。」
「むう……おいし、いです」
頭を抱えた諒一の言葉に反応するように寝言を言う。
「何食べてんだよ」
腹いせに涼葉の鼻をちょんちょんとつつき、せめてもの抗議をする。
「疲れた……俺も、寝る」
自分だけベッドで寝るのもはばかられて、毛布だけ持ってくるとソファとテーブルを挟んだ反対側に寝転んでテレビを消した。
ひどく疲れた気がするが、なかなか寝付けない。もう寝息すら気になってしまう。
「ああもう……」
頭まで毛布をかぶって反対側を向いて、ようやく睡魔が訪れた。
「ひゃああ!」
涼葉が叫ぶ声が聞こえて、眠っていた諒一の意識が浮上していく。
寝ぼけた目で声の出どころを見ると、朝日に照らされて、艶やかな黒髪を拡げて、毛布で顔の半分くらいまで隠して震えている涼葉がいた。
それを見て諒一は昨夜の事を思い出す。
「……おはよう」
「おはようございます……じゃなくてですね」
「言っとくけど涼葉がそこで寝たんだからな。俺は起こそうとしたんだぞ?」
「ここで寝ていた事も驚きましたが、隣にりょういちくんが寝ていた事に一番驚きました。」
その涼葉の言葉に諒一はぎょっとして言った。
「お願いだからよそでそんな事言わないでくれよ?知らない人が聞いたら大惨事だからな?」
隣で寝ていたなんて聞いたら一緒に寝ていたと思われる。テーブルを挟んで隣と正確に表してほしい。
諒一がそう言うと、涼葉は昨日の事を思い出そうとしたのか、少し間があってがっくりと項垂れた。
「りょういちくんの部屋は何かが出てるのかもしれないです。特にこのソファ周りとか……」
項垂れたながら言う涼葉。
「いや、何かってなんだよ」
思わずツッコむ諒一に涼葉は答えた。
「催眠ガスとか……」
突拍子もない答えに諒一は目を剥く。
「そんなもん出てたら、ここで暮らしてる俺はどうなんだよ」
「だって……初めて会った時もここで寝てましたし……も、もしかして寝顔を見ました?」
毛布を目の所まで引き上げて涼葉が恐る恐る聞いてくる。
寝顔を見たどころか、寝ているところに鼻をつついたりしていたけど、言わない事にしておく。なんか大変な事になりそうだから。
「そりゃ、起こそうとしてたから……ジロジロは見てないけど」
「ううぅ……」
諒一がそう言うと、とうとう頭まで毛布をかぶってしまった涼葉は毛布の中で変な声を出している。
「……一生の不覚です。」
毛布にくるまったまま涼葉はそうつぶやいた。
「寝顔を見られたくらいで、そんな大袈裟な」
「大袈裟じゃないです……締まりのない顔を、人に見られるなんて」
毛布から鼻まで出した涼葉の目の周りは赤くなっている。
「締まりのないって……そんな事なかったよ」
「しっかり見てるんじゃないですか!やっぱり不覚です。……今りょういちくんの頭を掴んでグラグラと揺らしたら、記憶をなくしてくれないか本気で検討しています!」
諒一を睨む……というか、じっとりとした視線で見る涼葉に、頭を殴るという発想がないところが可愛いと思う。が、突っ込まない。ぜひともそのままの涼葉でいてほしい。
「そんな物騒な事、検討しないでくれ。大丈夫だって、締まりのないとかじゃなくて普通にかわいかったから。涼葉は普段からかわいいんだけど、寝顔はもっと柔らかい可愛さがあるというか……」
諒一の言葉は、最後まで言わないうちに涼葉からクッションが飛んできて中断させられる。
「そんな冷静に品評しなくていいです、もう!」
とうとうソファにうつ伏せに丸まってしまった。
「ああ……ごめんって。もう言わないから」
「知りません」
「ごめんなさい、もう思い出さないようにもするから」
そこまで言って、ようやく涼葉が顔を上げる。
「もう、忘れましたか?」
「今はちょっと無理」
「もう!ばか!!」
叩かれた。痛くはないけど……
◆◆◆◆
「あら?二人ともどうしたの?」
しばらくして諒一の部屋に来た亜矢子が開口一番そう言った。
涼葉が頬を膨らませて、諒一を見ないようにしているのを見たからだろう。
「いや、まぁ……ちょっと」
あれから何度も謝っているのだが、なかなか機嫌を直してくれず、亜矢子が来てしまったので、諒一は苦笑いするしかない。
「ふふ……まあいいわ。仲が良いのはいいことよ」
今の状態はどう見ても仲が良さそうには見えないと思うんだが、亜矢子はそう言って笑っている。
「じゃ行きましょうか?二人とも準備はできてる?」
涼葉はあの後自宅に戻って準備をしてきているし、諒一もその間に準備している。
「はい、大丈夫です」
涼葉も亜矢子相手に膨れていてもしょうがないと思ったらしく、普通に対応している。
密かにホッとしていると、チラリと諒一を見た目はまだ冷たかった。
「悪かった、ごめんなさい」
さすがに出かけるのに怒らせたままだとやりにくいので、頭を下げて謝る。
「……もういいです。思い出さないでくださいね」
そう言ってふいっと横を見る涼葉の頬はまだ少し赤かった。




