33.夏休み
「りょういちくん、ドーナツ買ってきましたけど、食べます?」
涼葉は何か買い物をしてきたらしく、自分の部屋に荷物を置いてくると諒一の部屋に戻って来て言った。
「ほんとに?珍しく運動したからな。食べる」
「ふふ……晩御飯食べれる程度にですよ?」
そう言いながらお湯も沸かしはじめる。そこで会話は途切れてお互い別の事をしていたのだが、静かな部屋にやかんの沸騰した音が大きく聞こえた。
ふと見るとお湯が沸騰しているのに涼葉は止めようとしない。
顔はやかんの方を向いているのに意識が別の所に行ってしまっているようだ。
「涼葉。お湯沸いてる」
そう言ってコンロのスイッチを切ると、そこで初めて気づいたのか慌ててやかんを持とうとしたので止める。
「ちょ、落ち着いて。どうしたの涼葉らしくない」
「ごめんなさい……」
諒一はそう言ったものの、涼葉がおかしい原因に心当たりはあった。
「コーヒー作ってくるから。ドーナツ持って待ってて」
そう言って涼葉に皿を渡し、背中を押すと素直にリビングに行く。
(……どう言ったもんかな?)
変な事をいうと、今の関係が崩れてしまいそうで怖い。そう思うくらい心地よいという事だが……ただ、別の自分が涼葉になら言ってもいいんじゃないかとも言ってくる。どっちにしても何かしら納得できる答えは必要になるのだ。
「はい、コーヒー。ドーナツあるから甘めにしたよ」
「あ、ありがとうございます……」
涼葉の前にカップを置くと息を吹きかけながらそっと口をつけている。テーブルの上にはチョコがトッピングされた普通のドーナツと期間限定ドーナツが一個ずつ置いてある。
諒一が食べ物にはあまり冒険しない、オーソドックスな物を好むということを把握しているのが分かる。
それを見ると嬉しくなって笑ってしまった。
「どうかしました?」
「ん?んーとねえ。どう言おうか迷ってる」
あえて軽い口調で言ったのだが、涼葉は表情を硬くした。
「あの……りょういちくんが大丈夫ならいいんですけど、少しでも気が進まなかったら私は聞かなくていいですよ?その……誰にも秘密の一つや二つあるでしょうし」
そう言うとまたコーヒーに口をつけた。気を落ち着けるためにコーヒーを飲んでいる事が丸わかりだ。いつもならもっとゆっくり飲むのだ……。
「いや、なんとなくなんだけどさ。涼葉ならいいかって思ってるんだよな。ぶっちゃけ気になる事はあるでしょ?」
そう聞くと涼葉は少し悩んだ後、静かに言った。
「気になる事っていうか……少しだけ。」
「うん」
「りょういちくんは、りょういちくんですよね?どこかにいったり消えたりしないですよね?」
それなんてドラマだよ。と突っ込みが浮かんだが涼葉の目を見たら言えなくなった。
「うん、それは大丈夫。」
コーヒーカップを見つめてそう返すと、隣でホッと息をつく気配がした。そして座った位置をすこし諒一の方に寄せてきた。それに苦笑いして話す。
「えっと、馬鹿にしても信じなくてもいいけど一旦最後まで聞いてくれるか?」
「……私りょういちくんの事、馬鹿にしたりした事ありませんけど。…………それに信じてますよ?たとえ誰も信じなくなっても私だけは信じてますから安心してください」
馬鹿にするのくだりでは固くなった口調も最後の方はとても柔らかいものになり、諒一の肩もスッと力が抜けるのが分かった。自分でも思っていた以上に緊張していたらしい。正直なところ、諒一自身具体的な答えは持ち合わせていない。なんで二度目の人生を送れているのか、実はこれは死に際した長い夢で、ふとした拍子に何もかも消えてなくなるんじゃないかといった漠然とした恐怖はいつも感じていたのだ。
でも今、涼葉がそう言ってくれた事で、不思議とそうしたものが薄らいでいた。
「えっとね。まず俺は一度50歳まで生きて死んじゃいました。」
「は?」
「まあまあ。……死んだなと思ったら目を覚まして、目を覚ましたら今の自分だった。13歳の頃に戻ってた。記憶はそのままで」
目をまんまるにしてこっちを見つめてくる涼葉はかわいいなぁと思いながら話を続ける。
「前の俺は、父親を選んであじさいに来なかった。そこから明確にルートが変わったんだ。前の人生は……あまり語るようなもんでもないし語りたくもないな。今の方がずっと充実してるっていうか、幸せを感じてるしな」
つまり俺は二回目の人生を送ってます。
そう言うと涼葉は「はぁ」とわかったのかわからなかったのか分からない返事をした。
「つまり、りょういちくんは50歳なんですか?」
「50歳までの記憶があるっていうほうが正しいね。今の俺は年相応の考えになってる気がする。」
「……どこにもいかないんですね?」
そう言った涼葉は何かを迷うような表情をしている。
「いやさっきも言ったじゃん。記憶が……」
最後まで言葉を続ける事が出来なかった。
「えい!」
小さくそう言った涼葉が左腕に寄りかかってきたからだ。
「ちょっと、涼葉さん?あまりくっつかれると落ち着かないっていうか……その」
「私を心配させたバツです。」
ぴしゃりと言い返された。
「……不思議には思ってたんです。りょういちくんがここに来る前、私は次に入る人だって説明を受けてたんですよ。そこで聞いたりょういちくんは、すごく内向的で……人見知りで話しかけても返事もできないくらいだから、無視されても気を悪くしないのよって。でも実際に会ってみるとそこまでじゃないし、やさしいし……私を助けてくれるし。」
引っ込み知りではありますけど。と少し笑いながら涼葉は続ける。
「最初は、ああ絶対に仲良くはなれないんだろうなぁって思ってました。私も人見知り酷かったですし。そもそも関わる気もなかったですし。……引っ込み知りも、今でこそだいぶマシですが、これはりょういちくんにひっぱられたって事もありますからね。りょういちくん以外にはまだまだですし……」
そこまで言うと思い出したように諒一を見て言った。
「あ!鍵もそうですよ。私の鍵でこの部屋が開くだけでもおかしいのに、私たちが使った時だけって……」
それには諒一も苦笑いを返すしかない。それは本当に知らない。
「いや、鍵はほんとに知らないです。俺もびっくりしてます」
そう言ったものの、涼葉は半分疑ったような目で見ている。
「でも時々ふっと大人っぽいっていうか、そんな雰囲気を出す時があって……さっきもそうです。なんで水道の修理なんかできるんですかって話ですよ?」
「50歳まで建築系の会社に勤めていて、そこで水道の仕事をしてたんだ」
そう言うと涼葉は静かに頷く。
「……分かりました!いなくならないならいいです。正直、信じられない話ではありますけど……りょういちくんが言うならそうなんでしょう……。私は信じますよ?」
涼葉は寄りかかっていた身を起こすとしっかりと諒一の目を見てそう言った。
「寛容だなぁ。」
「あら、そうでもないかもですよ?」
「……と、いうと?」
「黙っていなくなったらひどいですよ?どこにいても探し出して……刑に処します」
「それは、こわいなあ。黙ってどこにもいかないようにしよう。ちなみになんの刑で?」
諒一がそう聞くと涼葉はにっこりと笑って、「内緒です!」というとまた諒一に寄りかかった。落ち着かないと言うと「50歳まで生きておいて何をウブなこといってるんですか?」と急所をえぐってきた。
非情におちつかないのだが……今日は好きにさせておかないといけないかな。と寛容な態度を見せてくれた涼葉に観念するのだった。
目の前のテーブルに置かれた二つのコーヒーカップから立ち上っている湯気が、途中で混ざり合って部屋の中に消えていた。




