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31.今後の事

31.今後の事

諒一は一度社会を経験しているから、あらかじめ分かっていた事ではある。でも、涼葉には……結構厳しい現実じゃないだろうか……。諒一は心配になり、そっと涼葉の顔を盗み見る。


「!」


丁度涼葉もこっちを見ていたようで、目が合って驚いた。それはそれとして不安そうな表情を浮かべていて、心が苦しくなった。分かっていた事ではあるが、世の中は厳しいのだ。


「私たちはいつまでも二人のお手伝いをしたいって気持ちはあるの。でも世の中の仕組みがそうなっている以上、どうしようもできない部分は……あるの」


この人達は本当に俺たちの事を心配してくれているんだな。と改めて感じさせられる表情だった。こんな人もいるんだな、と思うと心が洗われる思いだ。


涼葉も同じことを考えたのか、二人の顔を少し申し訳なさそうな様子で見つめていた。学校には行くべきと、理屈では十分に理解できている。ただ、どうしても感情がついてこない。これまでは、今の諒一から五十歳までの精神を引いたらそういう状態だった。たぶんだけど涼葉も同じ感じだと思う。この問題は周りがいくら言っても解決しない。本人が殻を出ないと本当の解決は見せない。それは五十歳までの経験があるから言える言葉ではあるし、こうして決心してここに臨んでいるからこそ客観的に思えるのだが……


 総一郎と亜矢子に感謝しながら、自分たちが決めた事を言おうとしたところで、涼葉が視線を下に向けている事に気付いた。もしかしたら決心がにぶったか、言いづらいのかもしれない。今自分が言い出せばいいのだが、この今も葛藤している少女の決心を見せた方が二人は喜ぶんじゃないか。ふとそう思った。


 諒一は総一郎たちから見えない位置で、じっと考えて小さく震えている孤独な少女の手を自らの手でそっと覆った。ビクッと涼葉の肩が跳ねたが、おそるおそる諒一を見た涼葉は、諒一の顔を黙ってしばらく見ていた。

そして、自然な微笑みを見せてくれた頃には小さな震えは止まっていた。


「心配してくれて……ありがとう、ございます。学校、行きます。がんばって……」


 確かな決意を含んだ涼葉の言葉が、静かな部屋に染み込んだ。

 それを聞いた亜矢子は、大きく目をみはり……涙ぐんだ。


「そう……強いわね涼葉ちゃん。えらいわ。ほんとに。……諒一君はどうかしら?」


「はい、俺も頑張って行きたいと思います。やってみます」


前の諒一の記憶があったとしても、これまでの諒一の精神は学校に行くことを強く拒否していた。でも、不思議な事に、この時はほとんど拒否感はなかった。……力づけようとして、逆に力をもらっていたのかもしれない。左手の小さな温かみに。



「そうか……二人ともよく決心したね。僕たちは君たちのその決心を尊重するよ。そして、できうる限り後押しをしようと思う。これは僕の個人的な意見なんだけど……二人の事は自分の子供みたいに感じているよ。甘えるところは甘えてくれていいから……君たちが本来当たり前に与えられるはずだったものを、僕たちが少しでも与える事が出来たらと思ってる」


目の端に光るものを見せながらそんな事を言われたら信用するしかないのかもしれない。諒一には、五十歳までの記憶はあるかもしれないけど……肉親の情というものは結局あまり感じる事ができないものだったから……。


「嬉しいわ。二人とも!今日はいい日ね、何かお祝いしちゃおうかしら」


「それはいいね、二人とも今日はウチにこないかい?大したものは用意できないが、諏訪崎さんにも声をかけて、心ばかりのお祝いをしようじゃないか」


本当にうれしそうに言う二人の言葉に、諒一と涼葉は顔を見合わせて、笑い合って頷いた。



◆◆ ◆◆


 


おなかをさすりながらエレベーターのボタンを押す。スマホを見るともうすぐ十時になる。


「久しぶりにあんなに食べた……むしろ初めてだったかも……」


「ジブンも、もう限界っす。ほんとにうれしそうだったっすね……」

 

食卓にこれでもかと並べられた料理を思い出して、頬が緩む。二人が言う心ばかりのお祝いは、これまで味わったことのないくらいのものだった。終始上機嫌だった二人にあれもこれもと食べさせられた結果、今まで動けなかったほどで、三人がかりで食べたのに、増えるスピードの方が速かったくらいだ。


「ほんとですね。私も随分食べ過ぎちゃいました。でも……舞香さんが言うように、本当にうれしそうな二人を見てると、頑張らないといけないなぁって思いました。」


涼葉が優しいまなざしをして言った。たしかに二人の喜びは本物だったし、お祝いにしても業務をはるかに超えている。


「そうだなぁ。あんだけ喜んでくれたら、やっぱダメでしたって言いにくいよな」


「あら、水篠君ダメでしたって言うかもしれないんですか?」


「人生何が起きるかわかんないからねぇ」


わざとそう言うと、「ちょっと年よりくさいですよ」と笑われた。


「そういえば、涼葉ちゃん今日で一気にみんなに慣れたんじゃない?なんか話し方が自然だったっていうか……そんな気がした」


「あ、ジブンも思いました。なんか諒一先輩と話す時みたいになってたっすよ」

 

 総一郎や亜矢子に、そして舞香に対してはやや硬かった口調が、最後の方はだいぶ慣れた感じになっていた気がする。舞香もそう言うなら気のせいではないだろう。


諒一と舞香がそう言うと、ぴたっと動きを止めた涼葉だったが、本人も思うところはあるらしく嬉しそうに微笑んでいた。


エレベーターが七階について部屋に向かって歩く。エレベーターは702と703の間にあるので、舞香とは降りてすぐに別れる事になる。


「それじゃ、おやすみ」


「おやすみなさいっす。諒一先輩、涼葉先輩」


「おやすみなさい、舞香さん」


 少し声をひそめて、声を掛け合うと別れて歩き出す。

 

「慣れました?」


「え?」


いきなり言われて一瞬戸惑ったが、さっきの会話の続きと分かって微笑んで言う。


「うん、慣れてた。」


「じゃあ、水篠くんからもご褒美を貰ってもいいですか?」


「俺から?」


「はい、私頑張りましたすごく。」


涼葉が大変だったと大げさに言うのを見て、諒一もなんだかうれしくなってきた。


「お祝いかぁ。あげたいのはやまやまだけど、あげれるような物を何も持ってないしなぁ」


あらかじめ分かっていれば何か準備したのに、と苦笑いしていると涼葉は微笑んで言った。


「いえ、大丈夫です。水篠くんがいいって言ってくれるだけでいいので」


そんな事を言われると何なのか気になる。嫌だと言って今の楽しい雰囲気を壊すのも憚られるし、そもそもよほどの物でない限り断るつもりもない。


「わかった。俺にできる事なら」


「……いいんですか?」


「そう念を押されると怖くなるね……もちろんいいよ」


「じゃあ、涼葉「ちゃん」を廃止してください!」


かわいい申し出にそれでいいのかと思ったが、それはそれで気恥ずかしいものもある。


「……なんというか、私勝手に皆さんに家族を感じてしまってまして……水篠くんに涼葉ちゃんって呼ばれるのはうれしいんですけど、もう一声ほしいなぁって」


「それでちゃん付けを廃止しろと?」


「だめですか?」


「いや、別にいいけど……むしろそれでいいのかって思っちゃうよ」


「…………じ、じゃあ、もう一声言ってもいいですか!」


「お、おお……うん。」


承諾すると、涼葉の顔に朱が差してきて言いづらそうにしている。それでも黙って待っていると、涼葉は意を決したように言った。


「わ、私も諒一くんって呼んでいいですかっ?」


「…………うん。」


「……あっさりですね。気合を入れた私がばかみたいです」


 昨日寝たふりをしていた時に聞いたから衝撃が少なかったのもある。言えないけど……

 

「いや、本音を言えば俺も「水篠」って苗字あんまり好きじゃないんだよね」


苦笑しながらそう言うと、見る見るうちに涼葉の顔がふくれていく。


「早く言ってくださいよ、もうっ」


「ごめんって。」


背中をバシバシと叩かれながら諒一は言った。


「じゃあ、これからもよろしく涼葉」


正面から顔を見てそう言うと、今度は見る見るうちに赤くなっていく。それをニヤニヤして見ているともう一度叩かれた。そして……


「こちらこそよろしくです。りょういちくん」


ふにゃりと笑ってそう言い残し、部屋の中に消えていった。


……あの気の緩んだ笑顔はやばい。


多分自分も負けないくらい赤くなっているであろう頬をさすりながら諒一も自分の部屋に入っていった。バクバクとうるさい心臓は、これまでと違い、なんだか優しく跳ねていた。

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