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29.お人形

 涼葉が真剣な様子だったので、諒一は姿勢を正して真っ直ぐに涼葉を見た。

 

「さっき、舞香さんが話してくれた事……私も同じっていうか……水篠くん、私も「お人形」だったんです」


 涼葉は微笑みの中に悲しみを混ぜたような顔になってそう言った。


「涼葉ちゃんも?」


「はい。あの人が私をそう呼びました。お人形みたいにしてればいいって……そうしていると昔のお母さんみたいだって。……あの人は義理の父親なんですよ。母の再婚相手で家族ですらありません。本当の父は私が幼い頃に亡くなったと聞いています。母は女手一つで私を育ててくれました。昼だけじゃなく、時には夜まで働いて……無理をしたんでしょうね、倒れてしまいました。」


 初めて聞く涼葉の家庭の内情に諒一は言葉も挟めずに聞いていた。ただ、そばにいて聞いていると、それだけは伝えたくて、黙って涼葉の手を握った。

 涼葉は少しだけ驚いた顔をしていたが、すぐに小さく微笑むと諒一の手を握り返してきた。


 「倒れる前から家庭の事まで手が回らなかった母は、私を母の母、私からしたら祖母の所に預けていました。私を育ててくれたのはちゃんと母ですが、祖母でもあります。祖母の元で私は育ったんです。働けなくなった母は、多分私の事が不安だったんだと思います。義父は母の昔からの知り合いで、ずっと言い寄られていたみたいです、断っていたんですけど、母は倒れてしまい、残った私の事を考えて……あの人お金は持ってるみたいですから……そして再婚したら、私も祖母の元から連れ戻されたのです。」


 涼葉は話し方や所作がとても丁寧だと常々思っていたが、それは祖母を見て覚えたということだろう。もしかしたらそう教育されたのかもしれない。


「でも義父は倒れた母より私を見るようになりました。悪い意味で……義父の、私に対しての接し方を知った母は、すごく責任を感じてしまって……何度も何度も私に謝りながら亡くなってしまいました。私は義父がもっとも焦がれた頃の母にそっくりなんだそうです。」


 俯いた涼葉の目からぽとりと涙が落ちる。諒一にはどんな慰めの言葉をかけていいのかもわからず、ただ握った手にほんの少し力を込めた。少しでも涼葉の心が楽になれ、と祈りながら……


「それから私には地獄でした。髪型や服装など、義父は私にかつての母を求めてきました。乙葉……それが母の名前です。義父は乙葉ならこうする、乙葉ならこう言ってくれる。そんな事を私に強要してくるようになって、……泣いて嫌がる私に義父は言いました。お前は「乙葉のお人形」でいいと……何も考えずに笑ってればいいんだって……笑えるはず、ないじゃ、ないです、か……お母さんも、しんじゃって……そんな、義父の所、で……」


 言葉を詰まらせながらそう言う涼葉を見て諒一はひどく胸を締め付けられた。無意識に背中をなでていたが、その背中がひどく小さいものに感じる。そんな小さな体にそんな過去が詰まっている事がとてもつらかった……


「涼葉、ちゃん。つらいだろ?もう、その辺で……」


 諒一も言葉を詰まらせながらも話を止めようとしたが、涼葉は小さく首を振る。話しても話さなくても、涼葉が壊れてしまいそうな錯覚を覚えて、諒一は思わず肩を抱いて引き寄せた。

 なんの抵抗もする事なく、涼葉は諒一の体にもたれかかり頭を肩に乗せてきた。

 呟くように話していた涼葉の声がすぐ近くから聞こえるようになって、少しだけ安心した気持ちになる。


「ここに来るきっかけは母が亡くなる前に、親友だった亜矢子さんに相談していたから、です。亜矢子さんは義父から私を引き離そうと色々してくれたみたいです。でも義父は聞き入れません。ある日数人の男の人が家に来ました。みんな昔の母を知っているようで、私を見て笑っていました。気持ち悪い目で。その中の一人と食事に行けと言われたんです。何もしなくていい。ただ食事をするだけでいい()()って……。私は売られたんですよ。お金を受け取ってましたから……」


 そう聞いた瞬間、体の毛が逆立った気がした。()()の真意は涼葉の義父のみが知る事だろう。絶対にいい意味ではないだろうが……義理とはいえ、娘に言っていい言葉じゃないし、お金を取って食事に付き合わせるなんて……。

 腹の底から熱いものがせりあがってくるような感じになり、思わず力が入ってしまった。


「水篠くん、ちょっと痛いですよ?」


 涼葉が困ったような顔で諒一を見ていた。

 

「あ!ごめん……」


 知らず知らず涼葉の手や肩を抱いている手に力がこもってしまっていたようで、諒一は思わず離そうとした。でも握っていた手は涼葉が離さなかった。寄り添った体も、預けていた頭もそのままで涼葉は少しだけ笑った。


「……今は、このままで……すいません」


「……謝らない、好きにしていいから」


 すいませんなんて言われたくなくて、諒一はしっかりと涼葉の肩と手を掴んだ。


「結局、怖くなった私は家から逃げ出しました。ちょうど総一郎さんと亜矢子さんが義父を訪ねてきていて……その隙に、近くにある母の友人だったおじさんの家に逃げ込みました。母と何度か行った事があったから……泣きながら訳を説明する私におじさんは、大丈夫だって、安心しろって言って家に入れてくれました。そして……そのおじさんは義父に連絡しました」


「は⁉」


 思わず声を出してしまった。母親の友人なんだろ?と怒鳴ってやりたくなる気持ちを押さえながら、ただ悔しくて歯を食いしばる。


「おじさんは義父とも知り合いだったみたいで、迎えに来た義父は笑って言ったんです……ちょうどよかったって。そのおじさん、私を売ったうちの一人がそのおじさんでした。私は呆然としてしまって……よく覚えていないんですが、もう金は払ったとか、管理しろとか話してたのは覚えてます。」


「最悪じゃないか!」


 とうとうこらえきれず、言葉に出してしまう。

 涼葉はそんな諒一を黙って見つめるばかりだった。


「そこからはあまり覚えていいないんです……そのおじさんとでしょうね、食事にいくからって、きれいな服を持ってきて、着替えろって……着替える間、義父は私の体をいっぱい見てました。私はもうどうでもよくなってて……そこに総一郎さんが飛び込んできたんです。おじさんを捕まえて。親がする事かって……あんなに穏やかな総一郎さんがすごい剣幕で……」


 いや、総一郎さんならきっとやる。自分の大切な人が守ろうとしている涼葉を明確に傷つけようとする奴を許すはずがない。

 

 「総一郎さんと義父が言い争っている間に、私は亜矢子さんに連れられてここに来ました。母が亜矢子さんを娘の後見人にするって書類を作ってたみたいで、それを盾にしてむりやり……本当はまだだめだったそうです、きちんと手続きが終わってなくて正式には後見人ではなかったんですけど、二人は無理やり私を義父から離してくれました」


 それっきり涼葉は黙り込んでしまった。諒一も何を話せばいいのかわからず、ただそのまま涼葉の肩を抱いて……


 どれくらいそうしていただろうか、いつの間にか陽も落ちて薄暗い部屋で照明もつけずに……最初に口を開いたのは涼葉だった。


「ごめんなさい、水篠くん。こんな話、聞かせられても困るだけですよね?」


 少し申し訳なさそうに言う涼葉に諒一は静かに言った。


「そんな事ない……つらかったよね。何でも言っていいんだよ、謝ることなんてないんだよ。俺にくらい愚痴ってくれていいから……お願いだから……」


 俯いたまま諒一がそう言うと、涼葉は小さく呟くように「はい……」と答えた。


「ほんとの事を言うと、そう言ってくれる気はしてたんです。水篠くんは優しいから……きっと黙って聞いてくれて一緒につらさを分かち合ってくれるって……私ずるいですよね。学校だって水篠くんが行くなら一人で行かなくていいからって……私水篠くんを利用しようと……」


 涼葉の言葉にゆっくりと顔を上げた諒一はぎこちない笑顔を作って言った。

 

「それでいいよ……利用って言うと聞こえが悪いけど、それこそ「一人じゃない」って事だろ?それに……涼葉ちゃんは真面目だからちょっとくらいずるくていいんだよ。」


 涼葉の言う事を遮って諒一がそう言うと、涼葉がはっと息を飲んだ気配がした。


「そう、ですかね」


「そうだよ」


「…………ありがとう、ございます」


 そう言った涼葉に諒一は肩を抱いた手に少し力をこめて返事にした。


 それからたっぷり……三十分くらいは無言の時が過ぎた。いや、話そうとはしていのだ。ただなんと言葉をかければいいのか、浮かんでこなかっただけで。


先に口を開いたのは涼葉だった。いくらか落ち着いた口調でゆっくりと話した。


「なんか……話したら少しスッキリしました。学校……行けそうです。その……水篠くんと一緒なら、ですけど……一人はまだちょっと……」


「本当言うと、俺もちょっと自信なかったから、涼葉ちゃんが一緒に行ってくれると助かる。頑張ってみようか?……その、さ?俺にはきっと何もできないけど、こうして話してスッキリするんならいくらでも聞くから……いつでもいいから。お隣さんじゃん、鍵かかってたら開けて入ってきていいから」


 諒一がそう言うと、涼葉はクスクスと笑った。


「なんか当たり前になってましたけど……この部屋、私の部屋の鍵で開くんですよね……。不思議ですよね。でも、不用心ですよ?」


 どこか咎めるような口調で言う涼葉を諒一はじっと見る。


「だいじょぶ。涼葉ちゃんの事信頼してる。何か悪い事する?」


「しませんけど……いいんですか?」


少し上目遣いで聞いてくる涼葉に諒一は頷く。それを見た涼葉は弾けるような笑顔を見せて言った。


「ありがとうございます!」

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