28.お人形
「それじゃ今日はこれで……また明日っす」
「ああ、また明日」
普段とそう変わらない舞香の挨拶に諒一も普段通り返す。その隣でずっと諒一の袖をつまんだままの涼葉は、何度かためらっていたがここで口を開いた。
「あの……舞香さん、あ、その。うまく、言えないんです、けど」
「はいっす。涼葉先輩」
対する舞香はなぜか視線を諒一の袖を掴む指と涼葉の顔を往復させて満足そうに微笑んでいる。
「ひ、一人じゃない、ので……」
涼葉がそう言うと舞香はぽかんとした顔になって涼葉の顔に視線を固定させた。涼葉は視線をあっちこっちと動かし、恥ずかしそうにしながらもしっかりと言った。
「私も……水篠くんに、色々と助けてもらって……一人じゃないって、思ったらすごく楽になったと言いますか……その、舞香さんも一人じゃ、ないので。私も水篠くんも……いるから。」
たどたどしく、固い口調ではあったが、最後は舞香の目を見て、涼葉はしっかりと言った。ぽかんとしていた舞香の表情に、涼葉の言葉が染み入るように浸透していくと、ゆっくりと舞香の表情が笑顔に変わっていく。
「……ありがとうございます。そんな事を言ってくれる人がそばにいる。とても心強いです……」
少しだけ視線を下げた舞香は、いつもの軽口も姿を消して本音と思えるような答えを返した。そのあとすぐに顔を上げたが、その時にはいつもの笑顔に戻っていた。
「そんな事を言ったらべったり頼るっすよ?」
口調もいつもの感じに戻り、いたずら気に笑ってそう言った。涼葉は小さな声で「うん」と言いながら頷き、笑顔で小さく手を振る。
舞香も笑顔でそれに手を振り返し、諒一の部屋を後にした。
リビングに戻りながら、諒一は涼葉が言った「一人じゃない」という言葉が頭から離れないでいた。
涼葉にそう思わせるだけのことを自分ができていたのか、不安しかないが……諒一にとって涼葉の存在は大きく、頑張ろうと思える力をくれている。そばにいて支えてくれている。
それこそ諒一にとって「一人じゃない」と思わせてくれるものなのだ。
リビングに戻ると、諒一たちも教科書やノートをまとめた。元々それなりにはやった後だったし、今日はこれまでにしても何の問題もない。
片づけながらぽつりと涼葉が言った。
「ところで水篠くん、は……その、本当に二学期から学校に行く、つもりなんですか?」
涼葉は諒一の方を窺うような顔をしながらそう聞いてきた。
「ああ、うん。あくまで目標だけどね……そうできたらいいなって。さっきも言ったけどできるかはわかんないんだけど」
そう言って諒一は笑う。
ここは非常に居心地がいいし、総一郎も亜矢子も親身になって接してくれる。学校の事も決して無理強いしてこようとはせずに、自分で行く気になるように背中を押してくれている。押してくれるが「頑張れ」「勇気を出せ」などと軽々しく言う事はない。
不思議なものでそういう風に接してこられると、頑張ろうと思ってしまうあたり、諒一はだいぶ天邪鬼な性格なのかもしれない。
もうすぐ世間の学生は夏休みに入る。夏休みが明けて、二学期から、転校生として……区切りとしてはちょうどいいんじゃないかと自分なりに頑張ってみようと密かに目標を立てていただけだ。
変に期待させてしまうのが嫌で、誰にもにも言っていない。亜矢子達に言えば非常に喜んでくれるのがわかるだけに、迂闊な事は口にできないと思っていた。
「……水篠くんが」
「うん、どしたの涼葉ちゃん」
「あ、あの……ですね。な、んでもないです」
そう言うと涼葉は、諒一から顔を逸らして教科書をバッグにしまった。
「?」
「そう言えば、水篠くんも舞香さんも気が合うんですね。見てて愉快です。なんか……会って間もないのに、昔から一緒にいる友達みたい、という感じですね」
涼葉がそう言うと、諒一は眉を寄せた。なんか話題を逸らそうとしているような気がするが、あえて逆らうこともないと話題に乗っかる。
「そっかなぁ?まぁ、引っ込み知りの俺にしては砕けた方とは思うけど……諏訪崎さんが気軽に話しかけてくれるからかな?」
と、諒一は返した。舞香は初めて会った時からあまり遠慮というものをしなかった。本人的にはしていたのだろうが、諒一たちのそれとはだいぶ温度差があった。
そんな風に気軽に話しかけてくる舞香だが、決して気分を害するような事や嫌がるような事を言わないので、諒一も涼葉もあっさりと受け入れる事が出来たのだろう。
「ふふふ……見ていてなんだか、うらやましいです」
そう言って微笑む涼葉の様子からひがみとか妬みのようなものは見えないので、本当にそう思ってくれているのだろう。それに安心したものの、諒一は少し納得いかないものがある。
「うらやましいって……俺としては涼葉ちゃんの方が話しやすいんだけどな……」
そう言うと涼葉は小さく「えっ……」と言って、わずかに頬を染める。
「諏訪崎さんは、たぶん誰でも話しやすいって感じるだろうし、本人も意識して、そうしてるんだとは思うけど、なんていうか……普通に友達と話す感じって言うか……。涼葉ちゃんとは、その……もう少し深いとこで話せるっていうか。その、何言ってるか分かんないと思うけど……」
話しているうちにしどろもどろになってしまい、こんな時にうまく話せない自分が嫌になる……。ただ、なんとなく言いたい事は涼葉には伝わったのか、涼葉は頬を染めたまま「そうですね」とつぶやくように言うと視線を下に向けてしまった。
ただその顔からは嫌な感じはしない。
「あの……り、」
「ん?」
顔をあげた涼葉が何か言おうとして言葉に詰まったので、黙って待ってみる。
涼葉はしばらく何かに耐えるような表情をしたかと思うと、ため息をついて項垂れた。
「ど、どうかしたの?」
何か涼葉の気に触るような事を言ったか?と不安になり、そう聞いたが、涼葉は黙って首を振った。
「いえ……その、私は臆病です。」
「え?」
どうしてそういう話になったのか分からず動揺していると、涼葉は「何でもないです」と言う。
「ええ……」
なんでもなくはないような気がするが、深く追及して聞く勇気もない諒一にはそれで納得しておくしかない。
涼葉はそんな諒一をしばらく見つめていたが、しばらくして口をきゅっと結ぶと真剣な顔になった。
「あの……私も、水篠くんに相乗り、してもいいですか?」
「相乗り?」
「嫌じゃなかったら、でいいんですけど……水篠君の目標、二学期から、私も、その一緒に。い、行こうかなと……学校に」
涼葉の言った言葉に諒一は驚いた。涼葉がそんな事を言うとは思っていなかったからだ。実は総一郎と亜矢子に諒一はあるお願いをされていた。
それは涼葉に学校に行くように言ったり、勧めたりしないでほしいという事だった。諒一は知らないが、諒一が来る前の涼葉はひどくふさぎ込んでいて、亜矢子たちともろくに会話すらせず、部屋からもなかなか出てこないという状況だったからだ。それだけ心の傷が深いのだと慮った亜矢子たちは、諒一にも無理に言わないでほしいと思っていた。
涼葉が自分の足で前に進めるようになるのを見守るつもりだったのだろう。
「私も……一緒になら、きっと」
きゅっと両手を握って、静かに、でもはっきりと涼葉はそう言った。
「それは……でもだいじょぶ、なの?」
思わず不安になり、そう聞き返してしまった。それは亜矢子たちから聞いていたからだったのだが、涼葉は少し違うように受け取ったみたいだ。
少し目を伏せて涼葉は話し出した。
「その……だいじょぶってわけじゃ、ないです。ここを出たらあの人と会うかもしれませんし……」
涼葉の言うあの人というのはきっと父親の事だろう。確かにこのマンションはセキュリティがしっかりしているから、涼葉が否と言う限り入ってこれない。この前はイレギュラーな出来事だったのだ。それに亜矢子たちもいる。なんなら諒一も涼葉の盾の一枚にでもなるつもりだ。
だが、学校に通うとなれば、学校は親が子供に会う事を拒否できないだろうし、通学時に待ち伏せする事もできる。この前の雰囲気から涼葉は父親と会いたくない事ははっきりわかる。諒一もできれば諒に会いたくないので、気持ちはわからなくもない。ただ、その熱量の違いは大きいように感じている。
そんな諒一の考えている事を察したのか、力のない微笑みを浮かべた涼葉は静かに話し始めるのだった。




