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26.総一郎の願い

 あじさいの事務所あるフロア。つまりマンションの六階を諒一は歩いている。事務所には寄らずに、つい先日訪れた部屋の扉をノックする。


「失礼しまーす……」


 今日は総一郎が授業をしてくれたが、そのあと諒一だけ呼び出された。先日面談を受けた部屋に来てほしいとの事で、やってきたのだ。


「申し訳ないね、呼び出してしまって。別に何か咎めたりといった要件じゃないから楽にしてくれていいよ」


 いつものように優し気な表情の総一郎がそう言って、諒一にソファを勧める。諒一がそれに応じると穏やかな雰囲気のまま「飲み物は何がいいかな?」と聞かれたのでお茶を頂いた。


 お茶をもらって、一口飲むと総一郎は話を切り出した。


「今日きてもらったのは、君たちの普段の様子を知りたかったのと、この前急にここに来る事になった諏訪崎さんの様子を聞きたかったんだ。」


 普段の様子を聞きたい。という総一郎の言葉に少しだけ緊張が薄れるのが分かった。わざわざ呼び出されるというのはいつになっても胃痛案件なのだ。


「それはいいですけど……なんで俺なんですか?」


 諒一が不思議に思った事を聞くと、総一郎は穏やかに微笑む。


「それはね、君が頼りになりそうだからだよ。僕たちが聞いていた話とだいぶ違ってしっかりしているように見えるし、事実卯月さんもだいぶ君を信用しているようだしね」


 涼葉が信用してくれているというのはうれしい事だが、それで頼りになるという評価になるのは疑問だ。諒一がそう考えているのを読み取ったような顔で総一郎は微笑んで話しだした。


「その顔は納得していないね。そうだな……あまりこう言う事は言ってはいけないんだけど」


 穏やかな微笑のなかにほんの少しの茶目っ気を混じらせた顔で総一郎は話を続ける。


「君が来てから卯月さんはすごくいい方向に変わってくれた。からを破ってくれたと言っていい。」


 そう言われて少し驚いた。諒一からしたらここに来た時には今の涼葉だった気がするので、実感はない。またもや諒一の考えを悟ったのか、総一郎は少しだけ苦笑を浮かべた。


「実際の所、卯月さんは君が来るまでは、ほんの少ししか話せていなかった。ほとんど部屋から出てくる事もなかったからね。卯月さんがここに来るきっかけは聞いているかい?」


 そう言えば聞いたことないなと、諒一は首を振る。


「君や諏訪崎さんと違って、卯月さんは公的なルートで来たわけではなくてね、彼女の亡くなった母親が亜矢子さんの親友だったという所縁でここに引き取った。やや強引な事をしてね。」


 そう言われて諒一は驚きを隠せなかった。亜矢子が涼葉の母親の親友という事もそうだが、総一郎や亜矢子が強引な手を使って涼葉をここに連れてきたという事がだ。

 

「そうせざるを得なかった状況というのもあるが……この辺はさすがに卯月さんの了承がないと話せないけど、ちょっと他人が信用できなくなるような経験を彼女はしている。だから卯月さんはずっと閉じこもってたんだよ。それが君が来てから表にでてくれるようになった。その事に僕も亜矢子さんもすごく喜んでいるんだ」


 そう言った総一郎の顔は慈愛があふれていて、心からそう思っているんだなと思わせる。そこで初めて諒一がここに来た時の事を思い出した。涼葉が部屋を間違えて諒一の部屋で居眠りしているのを見た時、二人はとても喜んでいる様子だった。それまでは人前で眠っている姿を見せるという事もなかったらしい。


「卯月さんがふさぎ込んでいるままだったら、諏訪崎さんを引き取る事も出来なかっただろうからね」


「涼葉がふさぎ込んでいたら、どうして諏訪崎さんを引き取れないんですか?」


 意味が分からず、オウム返しに聞き返してしまった。諏訪崎さんはだめで、なぜ自分はよかったのか……


「んー、何といえばいいか……諏訪崎さんは君たちと違って人見知りなところはないだろう?割と誰でもすぐに打ち解けるタイプだ。殻に閉じこもってる卯月さんにそんな諏訪崎さんを引き合わせるというのは少々リスクがある賭けになる」


 総一郎が言うには、そんな涼葉に諏訪崎さんを合わせて、もちろんよくなる可能性もあるけど、涼葉が受け入れきれない可能性も高いと二人は見ていたようだ。

 そしてそれは、あじさいという狭い世界で涼葉の少ない居場所を奪ってしまうという結果になっていたかもしれないと総一郎は言った。


 だが、諒一にはどうしてもぴんとこなかった。もちろん今の涼葉しか知らないからであるが、多少押され気味ながら舞香と一緒に勉強をしている姿を思い出すと考えすぎではないのかとすら思ってしまう。


 だが、それは諒一と会う前の涼葉を知らないからだと笑われた。


「そんなに……だったんですか?」


「そんなに……だったねえ」


 穏やかさの中にほんの少し苦みを混ぜたような表情で総一郎はそう言った。


「まあ正直なところ、君の時も不安はあったんだけど、君の資料には内向的で人見知りが激しいとあったからね。あまり接点もないかなと思ったんだ。それが……人見知り同時で気があったのかな?いや、「引っ込み知り」だったかな?」


 そう言いなおして総一郎はおかしそうに笑った。諒一は自分の造語が広まっている事に恥ずかしくなってくる。

 誰だ話したのは……って涼葉しかいないか。


「卯月さんから聞いた時は笑ってしまったよ。卯月さんも今の君と同じように恥ずかしそうにしてたけどね。きっとぽろっと口に出してしまったんだろう。彼女に今の状況を聞くと大体君の話になる。水篠くんもやっているから、水篠くんもがんばっているから……ってね?」


 涼葉は一体何を話しているんだろうか。引っ込み知りの件からどんどん恥ずかしくなっていく。


「ふふふ……君には感謝してるんだ。僕たちでは前を向かせることができなかった卯月さんを、前を向くだけじゃなく、少しだけど進ませてくれたわけだからね」


「特に……何かしたわけじゃ……」


 それでもだよ。と穏やかな微笑みで見つめられれば何も言い返せなくなる。


「少し本音を言っていいかい?」


 急に真剣な顔になった総一郎がそう言った。躊躇しながらも諒一は頷く。


 「できればこのまま卯月さんが立ち直って、一人で生きていけるようになるのが僕たちの願いだ。君と気が合ったのか、卯月さんが前に進んでくれたのはうれしいが、少し君に依存しているようにも感じる。だから、今君に突き放されたりしたら、きっと彼女は元いたところよりも深い所に落ちていく可能性がある。」


 依存しているかは疑問だが、そうなるのは諒一としても本意ではない。


「彼女の力になってほしい。この通りだ。これは亜矢子さんの願いでもある」


 そう言って総一郎は深く、きれいな所作で頭を下げた。いつも穏やかで柔らかい物腰ではあるが、毅然とした態度は崩さない、そんな総一郎に頭を下げられ、諒一は慌てる。


「あ、頭を上げてください!そんな……」


「彼女は亜矢子さんにとっては亡き親友の忘れ形見であって、我が子同然に思っている。立場上、こんな肩入れは許されない事だけど……君を信じて話した。頼めるだろうか?」


 真剣なまなざしで見つめながらそう言ってくる。


 ……ああ、この人はきっと亜矢子さんの事が心から心配で、その亜矢子さんが心を砕いている涼葉の事も同じように心配で……こうして仕事と関係なく、諒一に頭を下げてまで助けたいと思っているんだな。そう受け取った諒一に断るという選択肢はなかった。もとより涼葉の力になりたいという気持ちもある。


「俺に……何ができるか、どこまでできるか分かりません。それでも……俺にとっても涼葉は、その……引っ込み知り同士なんで……突き放す事ような事だけはしないです」


 真摯な総一郎の視線に見つめられ、諒一は何とかそれだけを言う事が出来た。それでも諒一のその言葉を聞いた総一郎の顔は安堵と嬉しさがにじみ出ていた。


「その言葉が聞けてよかった。それではお仕事に戻ろうかな?」


 元の調子に戻った総一郎はそう言って片目をつぶった。


それから、諒一の事や舞香の事を話した。普段どうしているか、どんな様子か。

 総一郎がする、そんな質問に答えながら、そこまで閉じこもってしまっていたと言う涼葉の事が、諒一の頭から離れなかった。

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