23.三人目
かつて、初めて諒一があじさいのあるマンションの702号室に来た時、部屋に見知らぬ女の子が寝ているというハプニングがあった。
その後も、なぜか開く鍵のこともあり、亜矢子と涼葉が割と長い時間諒一の部屋にいたので、落ち着かなかったのもあり、諒一はコーヒーを入れた。
自分がコーヒー好きだというのもある。有名なメーカーのコーヒーに少しだけ牛乳を入れて砂糖多めの甘めのコーヒー。
勝手な想像で、亜矢子はブラックで涼葉は甘い方がいいかなと思った。結果間違いはなかったようで二人ともうまそうに飲んでいた。
だいぶ後になって聞いたのだ、涼葉はコーヒーが苦手だと……
しかしその時は美味しそうに飲んでるように見えたので、聞いた。
「あ……いえ。おいしかった……ですよ?」
いまいちわからなかった……。本当に美味しかったのか、遠慮してそう言っているのか……それがわかるほどの関係を作ってなかった。
それでも、それから涼葉が諒一の家に来た時にはコーヒーを淹れると飲む事が多くなった。
ミルクと砂糖多めの甘いコーヒー。
最初は、お互いに目線すら合わせる事ができてなかったのに、最近普通に会話しているなぁと、ふと思って……なんだかおかしくなってくる。
なので、改めて聞いてみたくなったのだ。
「ねえ、そういえばコーヒー苦手って言ってなかった?大丈夫?」
諒一がそう聞くと、涼葉はカップを手にしたまま目をぱちくり。
そしてにっこり。
「水篠くんの入れてくれたコーヒーはおいしいですよ?なんか……ふんわりしてて、苦さも甘さも優しくて。……うん、おいしいです」
缶コーヒーとかは飲めないんですけどね。と笑った。
とりあえず遠慮して言ってる感じはしなかったので、安心した。
「別に俺がコーヒー飲むからって遠慮して合わせなくていいからね?他にもジュースとか、お茶もあるし……」
諒一がそう言うと、諒一とコーヒーの入ったカップを何度か見た後、にっこり笑って涼葉は言った。
「いえ、水篠くんが淹れたコーヒーは、なんていうか……暖かくて、好きです……。あ、暖かいと言っても温度じゃないですよ?水篠くんって、何も言わなくても相手に合わせたコーヒーを淹れようとするじゃないですか?亜矢子さんにはブラックで出すし、私には甘いコーヒー.相手の好みに合わせようっていう水篠くんの気持ちがコーヒーに出てます。暖かくて……甘くて、なんか柔らかい……私に淹れてくれるコーヒーはそんなコーヒーです。だからきっとおいしいんだと思います。」
そう言って優しく微笑む涼葉から、目を逸らすようにして諒一は短く返す。
「そ、そうかな?そこまでは気にしてないんだけど……」
少し頬を赤らめながら、ドリッパーを洗う諒一を見て涼葉はクスクスと笑うのだった。
◆◆◆◆
その日から一人増えたあじさいでの暮らしはそう大きくは変わらなかった。
いつものように、亜矢子達の授業も受ける。ホワイトボードと亜矢子達の説明が二分割されただけだ。
諏訪崎舞香。背は涼葉よりも少し低いが、体の起伏はこちらが富んでいる。ただ、少々身なりには無頓着なようで、よく涼葉の指導を受けている。
髪は無造作に伸ばした感じで肩くらいの長さだが、雑に一括りにしている事が多い。腰ほどまである涼葉と比べても舞香のほうが重そうに見えるのは、量が多いのか整えてないからなのか。
きさくで飾らない性格をしていて、引っ込み知り二人ともすぐに親しく喋るようになった。ずけずけとした物言いをするが、二人が嫌がる事や傷つくような事は決して言わない。
嫌がる、または怒られるラインを読むのが絶妙と言うか……そこを踏み越えてまでこないので、まあいいか。となる。
本人はどちらかと言えば飄々としているが、それだけになんであじさいに来る事になったのかが想像もつかない。直接聞くのは憚られるし、本人が話してくれるまで待つしかない。そう思っていたが……
「え?ここに来たわけっすか?別に離してもいいっすけど、何もおもしろくないっすよ」
と、今日の授業が終わって、そのまま教室代わりの部屋で舞香は実にあっさり話してくれた。
なんでもネットやSNSなどを大嫌いな父親が、学校で習う情報処理の授業とかもいらないなどと言いだして、なんと学校まで行って文句を言ったらしい。いわゆるモンスターペアレントみたいなことをしだした舞香の父親は、自分の意見が通らなかったのと、舞香自身がインターネットやSNSに大変興味があるらしいのとで、怒って学校どころか、家から出さなくなってしまったらしい。
「まぁ、ウチのオヤジ、モンペみたいに言われてたし、その子供である自分まで馬鹿にされるようになってたっすからね。別に行きたくもなかったんすけど、義務教育だから学校や教育委員会とかともめちゃって……気が付いたらここに入らないかってお誘いを受けてたっす。」
何でもない事のように舞香は話した。
「ええ……」
黙って話を聞いていた涼葉は言葉を失っている。なかなか自分勝手な父親だ。自分の父親にも思うところのある涼葉は親近感もあるのだろう。
「最後の方は家からまったく出してもらえなくなったっすからね。いや、あれはもう完全な監禁っすよ」
口をとがらせながら暗い話を明るい口調で舞香は話した。どうして舞香の父親が、そこまでするのか意味がわからないが、舞香が話していない深い事情もあるんだろう。
「あ、そんな心配そうな顔をしないでくださいっす。たぶんここにいる人は大なり小なりそういった問題を抱えた人でしょうし」
心配そうに見てくる涼葉に気付いた舞香が、慌てて体の前で両手を振って、心配するなと言った。
「お二人も大変そうじゃないっすか、自分の事は心配無用っす」
にっこりと笑ってそう言い切られると、それ以上は何も言えないし聞けなかった……
授業で使った教科書やノートなどを片づけていると、その様子を黙って見ていた舞香が突然口を開いた。
「ところで、お二人は付き合ってるっすか?」
いきなりそんな事を言われ、涼葉は見る見るうちに真っ赤になっていくし、諒一もバッグに入れようとしていた筆箱を落としてしまい、筆記用具をばらまいてしまった。
「す、諏訪崎さん?どうして、そんな……いきなり」
しどろもどろになりながら涼葉が聞くと、舞香は平然と「なんとなくっす」と言う。
「違うんすか?いや、なんとなく雰囲気というか、お二人の間の空気って言うか……ま、違ってたらすいませんっす」
いともあっさりとそう言われ涼葉は目を白黒させているし、諒一はやっと筆記用具を集めて筆箱をしまった。
「……そ、そんな、付き合って、とか……そんなんじゃ、ないです」
一瞬チラリと諒一を見た後、涼葉がそう言うので、舞香は軽い感じで「そっすか」と言って自分の片づけを始めた。
舞香が放った一言は諒一たちを意識させてしまうに十分なもので、筆記用具を片づけた諒一が隣を見ると、ちょうどこっちを見ていた顔を赤くしている涼葉と目が合ってしまい、お互いに気まずくなって視線を逸らすのだった。
いつもの流れでは、これから諒一の部屋に移動して、今日学習した所の復習と、参考書などを使って応用問題を解いたりしている。
亜矢子達が教えてくれるのは時間が限られていて、そこで何回も問題を解いたりする余裕はない。
だから、後で習った部分を復習し応用問題を解く事でしっかりと刻み込むのだ。
「ふえー。真面目っすねぇ」
話を聞いた舞香は感心したように言う。
「そうでもしないと学校に行き始めた時に、他のみんなについていけなかったら困るだろ?」
「ああ、なるほど……あの諒一先輩、そういうことなら自分もお邪魔させてもらってもいいっすか?もしよければ勉強も教えてほしいっす」
理由を聞いて、しばらく考えていた舞香はそうお願いしてきた。
「あ、ああ……。俺は構わないけど」
そう言って諒一は涼葉を見る。
「そこで私を見たら、まるで私がダメだって言ってるみたいじゃないですか。水篠くんのおうちなんだから、水篠くんが決めて下さい」
いつもより少しだけ不機嫌そうな顔と声で涼葉がそう言った。
その不機嫌さの理由がわからず、諒一が首を傾げて見ていると涼葉は居心地悪そうな顔になり、さっさと席を立った。
「わたし少しやる事あるので、後で来ます」
そう言い残して、不機嫌さの理由もわからないまま涼葉は部屋を出て行った。




