21.三人目
「もしかしたら、もう一人増えるかもしれないわ」
「え?」
「はい?」
その言葉は、いつものように亜矢子による授業が終わり、次の日程などの諸連絡を伝える時に突然落とされた。
諒一も涼葉もそんな反応になるのも仕方あるまい。
勉強に使われている部屋のイメージば塾だ。場所によるだろうが学校で使われている様な木多めの机ではなくて、もう少し樹脂が多用されたどちらかと言えば塾で使われていそうな机が10台ほどある。
正面にはでかいホワイトボードがあり、その隣に総一郎や亜矢子が使う机が一台後ろ向きに置いてある。
机にはノートパソコンが置いてあり、壁にかけられた大きいモニターとつながっている。総一郎は板書する事が多く、亜矢子はデータで作ってきてモニターに映す事が多い。
ポツリと落とされた言葉に思わず前を見た諒一と涼葉は、亜矢子がスマホでやり取りをしていたのだと気づく。
声に出していた事に気づいた亜矢子がバツが悪そうに顔を上げると話してくれた。
「ごめんなさい。つい、口に出してたわね。でも間違いなさそうだし言っておくわね?あじさいにもう一人増えると思う。ええと、諒一くん達の一つ下の女の子ね。704に入る予定よ。仲良くしてあげてね?」
亜矢子はそう言うと片付けて立ち上がった。
「あの、亜矢子さん」
「どうしたの?涼葉ちゃん」
「その……水篠君の時はもう少し情報があったと思うんですけど……」
確かに、一個下の女の子。しか分かってない。
「ああ……諒一君の時は市役所経由で話が来たからね。それなりに時間もかかったし……今回は別の法人からの依頼みたい。こっちとしても、かなり急な話なのよ。ほとんど情報きてないし……」
その表情を見る限り、亜矢子も少々困っている様に見える。
「とにかく、もう少しわかり次第二人にも伝えるから、その時はよろしくね?」
そう言うと亜矢子は部屋を出て行った。
「そんなにいるもんだな」
「え?」
「あ、いや。学校に行けてない人。多分ここに入るって事は家庭環境にも問題があるんだろうし」
「あ、そうですね。」
諒一の言葉に涼葉も頷いた。たとえ不登校の生徒がいても、家庭がしっかりしていればこういう施設に入る必要はないはずだ。
親が面倒見きれてないか、見ようとしてないか。あるいは見るつもりでも明らかな問題があるか……
「また引っ込み知りが増えるんですかね」
涼葉は冗談ぽくそう言って微笑んだ。
親近感の話を経て、先日の面談の日に大泣きをした涼葉は、諒一に対してだいぶ慣れてきたのか、だいぶ普通に会話できるようになった。
元々の性格が真面目で優しく、さらに面倒見もいいのか、世話を焼きたがるところがあり、料理を教えてくれる事も増えた。料理を教えに来た時に掃除や洗濯にまで指導が入るのがどうかと思うが、その辺は諒一もズボラなのを自覚しているので強くは拒みにくい。
「よかったですね、女の子ですよ?」
「なにが……」
「……可愛い子だといいですね?」
「これ以上はいいでーす!」
そう言うと諒一も立ち上がった。帰るべく教科書などをしまいながら話していたのだ。これ以上いいというのはまったくもって本音である。だいぶ慣れてきたが、涼葉がかなりの美少女であるので、諒一としては事あるごとにドキドキさせられて大変なのだ。これ以上は諒一の心臓のためにもご容赦頂きたいものである。
それに涼葉並みの美少女はそういないはずなので、新しく来る女の子には悪いが、どうしても見劣りしてしまうと思う。
つらつらとそんな事を考えながら、先に準備を終えた諒一が自分の机の所で立ったままでいるのを見た涼葉は、急いで残りのノートなどをしまうとバッグを持って立ち上がった。
一緒に戻る必要はないし、無理に待たなくてもいいのだが、何となくいつもこうしてしまう。
(多分、待ってると嬉しそうだからなんだろうな)
最近少し慣れてきたからか、涼葉の表情が豊かになった。
涼葉は待っててほしいとか、一緒に戻ろうとか言うわけではないのだが、待ってると嬉しそうな顔をする。
用事があってさっさと戻ろうとすると少し悲しそうな顔をしたりするのだ。
なので、急ぐ用事がない限りこうして一緒に部屋まで戻る事が当たり前になってきている。
まぁ、用事がある事などほとんどないのだが……
食事の買い物くらいしかほとんど外出はしないし、それまで住んでいたところからそこそこ離れているので、友人が訪ねてくる事もない。
涼葉は学区こそ違うが、家はそう離れていないようで、まれに同級生らしき人が訪ねてきているのを見たことがある。
それでもエントランスで応対しているのを見ると友人まではいかない人たちなんだろう。
「それはそうとして……」
七階についた所で諒一が急に言い出した。それまでは何も話さずにここまで来たからか涼葉がキョトンとした顔で見ている。
「あ……」
自分が考え事をしていて、そのままの流れで口に出してしまったのだが、涼葉にしてみればそれまで無言だった奴がいきなり喋り出したみたいになっているのだろう。
失敗した事に気づいて諒一がうめいていると、涼葉は微笑んで「そうとして、何ですか?」と聞いてきた。
「あー……どうでもいい事なんだけど、その。俺が来る時ってそんなに色々な内容も聞いていたのか?」
少し照れながら諒一が言うと、涼葉は「そうですね……」と少し考えた後、玄関のドアを開けながら言った。
「すごい内向的な男の子らしいから、多分会話は弾まないし話しかけて無視されたと思う事もあるだろうけど、悪く受け取らないでねって言われてました」
「おおう、結構な事言われてるね」
だが間違った事は何一つ言ってないため、苦笑するしかない。
「私は話すまでにすごく時間がかかるだろうけど、向こうも同じだろうからあまり気にしないでいいわよ。とも言われました」
「なるほど。馴染むの割と早かったけどね」
「それはそうですね。亜矢子さんもびっくりしてたみたいです」
そう言いながら涼葉は玄関のドアを開けて中に入ると顔だけを出してくる。
確かに、元のままの諒一なら俯いたまま話しかけられてもろくに返事もしなかっただろう。久しぶりに登校した時に、あまり話した事がない男子生徒に話しかけられた時でさえ、うまく返せなくて、その後ずっと気まずかったと言う経験もあるくらいだ。
見知ってる同性の同級生でさえ、そんな感じだ。見知らぬ女子でしかも美少女の涼葉には近づきもしなかったに違いない。
涼葉も亜矢子達が言うには、今ほど話したりしなかったみたいだから、磁石の同じ極なみに接触しなかったと思う。
「私はこうしてお話しできるようになってうれしいですよ?」
「え?」
涼葉が言った事にびっくりして顔を上げた時にはもう玄関のドアは閉じてしまっていた。
「うれしい?」
涼葉が自分の感情を素直に表す事は珍しい。冗談っぽく言ったのか、むっとして言ったのか……あるいは頬を染めて照れながら言ったのか。
その時の表情を見逃してしまって諒一はしばらくのあいだ、涼葉の声が頭から離れなかった。




