19.一回目の面談
「今日、この後用事あるかしら?」
いつもの授業終わり、亜矢子が不意にそんな事を言い出した。
もちろん、こうして勉強に時間は割いているし、復学できるように定期的にカウンセリングなんかもあるが、基本的には時間は余っている。断る理由はない。
「急に悪いんだけど、ウチも法人としてある程度計画を立ててやらないといけなくてね」
法人として活動する以上、しかるべき省庁の管轄下で決められた内容をクリアしている必要がある。
そして、未成年の児童を支援すると言う事は、かなり厳しい制約がある。生活する環境をはじめとして、接する職員や支援していく上での細かい計画書など、提出しないといけない書類も多岐に渡っているそうだ。
自分達で判断できるものは、なるべく諒一達の手を煩わせる事のないように気を遣っているらしく、どうしてもの時だけ諒一達に話がある。
今回はそのどうしてもという事みたいだ。
「そう難しくは……なくもないけど、避けては通れない話だし。大前提というか……」
普段と少し様子が違い、なんとなく亜矢子の歯切れが悪い。妙に気を使っているような気がする。
「とりあえず、涼葉ちゃんからこっちに来てくれるかしら?悪いんだけど、諒一くんはしばらく待っててくれる?」
そう言うと、亜矢子は涼葉を連れ出した。個別に話す必要があるみたいだ。
教室代わりの部屋に一人残された諒一は、やることもないので、教科書を広げさっき習ったところを、繰り返し叩き込む作業に打ち込む事にした。
それから20分くらいで、再び亜矢子は姿を見せて今度は諒一を連れていくのだった。
「ここよ、どうぞ?」
先導していた亜矢子が立ち止まったのは、普段総一郎や亜矢子達あじさいのスタッフがいる、いわば職員室のような部屋の隣にあった。
ドアを開けて、中に入るように促される。
「失礼します……」
一応一声かけて中に入ると、思っていたよりも狭く、普段授業に使っている部屋の半分もない。大体8畳くらいの大きさの部屋で、中央にテーブルが置かれて向かい合うようにソファが置いてある。
そのソファには、すでに総一郎が座っていて手に持っているファイルに目を通しているようだった。
「やあ、諒一くん。さ、座って」
総一郎は入ってきた諒一にすぐに気づいて、自分の向かい側に座るよう促してくる。
そこには飲みかけのジュースが入ったコップが置いてある事から、涼葉がさっきまでここに座って話していたんだろう。
改まってなんの話だろうか……
わずかに緊張しながらも、ソファに腰掛けるといつのまにか諒一の分のジュースを準備してきた亜矢子が、涼葉が使ったと思われるコップと入れ替えて、お盆に取るとそのまま総一郎の隣に座った。
「そう緊張する事はないよ。いくつか質問させてもらうだけだから」
諒一が緊張した事に気づいたのか、いつもの優しげな笑みを浮かべている総一郎がジュースを勧めながら気分を和らげるように声をかけてくる。
「さっきも言ったように、私たちは支援する児童一人一人に対しての支援計画書を提出しないといけないのよ。諒一くんは深く考えないで質問に答えてくれればいいから」
にこやかに言いながら、どこか面倒という気持ちを隠せない亜矢子に総一郎が苦笑しながらファイルを開いて質問を始めた、
「ええと……まず、諒一くん。ここでの暮らしはどうだい?まだそれほど経ってはいないから、今のところでいいけど」
「……はい。ええと、そうですね……とてもいいところだと思いますし、不便は全く感じないです。自宅がアレなんでむしろ快適……です」
諒一がそう答えると、二人は少しだけ悲しそうな視線になる。
「その……どうしても家に帰りたいとか、お父さんに会いたいとかつらくなってないかい?正直に言ってくれていいからね?」
あくまでも優しい目で総一郎は言う。亜矢子も同じような眼差しで見てくるので、余計に諒一の答えは決まっている。
「帰りたいとは……思わないです……。父親に対しても……この前みたいな事もありましたし、多分何一つ変わってないと思いますし。それに、ここの方が、まだ……その、頑張れる気になれるっていうか」
先日父親の諒が、ふらっと訪ねてきて金の無心をした事は報告してある。二人とも憤っていたし、諒一の事もとても案じてくれたが、本人からしたらそこまでショックは受けていない。そう簡単に変わる事はないと、諒一はすでに一度経験しているのだから。
それに、この前涼葉とも話したが、ここでいろんな事に前向きに挑戦できているのに涼葉の存在が大きい。似たような境遇の涼葉が頑張っていると自分も……と思うところがある。
「そう。まぁそれがいいことか悪い事かは置いておくとして、体調とか、学習面とかでも問題はないかい?」
総一郎は諒一の答えを聞いて、微妙な表情になりながら次の質問をしてくる。
「体調は……特に。今の所は……」
むしろ今の生活は、不摂生な自宅での生活と比べてとても快適で、そのせいか体調を崩す事もほとんどなく生活ができている。学習面だってほとんどマンツーマンに近い形で勉強を教えてくれているので理解度が違うし、これもまた涼葉の存在が刺激になって諒一を真面目に机に向かわせる一因になっている。
「ふむ……では、今のところ問題はないと。」
諒一の答えを聞いて、どこか安心したように総一郎は言った。
「じゃあ、最後の質問だけど……」
そう言った総一郎の雰囲気が少し変わった。どこか探るような目で諒一を見ている。亜矢子の方を見てみると、こちらは心配そうな眼差しを向けている。
「諒一くん。仮に来週から学校に行く。となったら行けるかい?」
総一郎が聞いてきた事を諒一の頭が理解した瞬間、肩が跳ねた。動悸が激しくなって、冷や汗が背中を伝う。
「まだ……難しいかな?」
諒一の変化を見てとったのか、総一郎が苦笑いを浮かべてそう言った。
ただ、この諒一の反応には諒一自身が驚きを隠せなかった。元のままの諒一ならともかく、今の諒一の中身には五十歳まで生きた経験を持つ諒一がいる。
だいぶ今の活況にも慣れてきたし、そろそろ学校にも戻れるだろう。くらいには思っていたのだ。
あじさいに来た事で学区も変わり、元の学校に通うわけではなく、編入生として新たにスタートできる。
環境も比べ物にならないくらい恵まれたものだ。今更学校に行けない理由はないと思っていたのに……諒一の体は予想に反して明らかな拒絶反応を示した。
先日雑談交じりに亜矢子が聞いてきた時以上に……
その事に動揺していると、見かねたのか亜矢子が心配そうに声をかけてきた。
「諒一くん?無理はしないでいいのよ?無理なく学校に通えるように少しずつ頑張るためにここに来たんだから。あくまでも報告書のための質問だから。」
その亜矢子の言葉に、安心したような反応をする自分の体にまた動揺する。
ここまで意思に反する反応をするとは想像もしていなかった。
「うん、諒一くん。大丈夫、少しずつ頑張ろう。まだ来たばかりなのに、こんな事を聞いてすまなかったね。」
本気ですまなそうに言ってくる総一郎にこっちが申し訳なくなる。きっと支援計画書とやらには、いつぐらいから復学できそうかとか、いつを目標として、みたいな項目があるのだろう。
総一郎のおだやかな言葉と共に諒一の体の拒否反応も落ち着いてくるのがわかる。
「涼葉ちゃんもね、最近すごく良い感じで前向きになってくれてるんだけど、まだ行くのは難しいみたいだから。一緒に頑張りましょ?」
「……すみ、ません。自分でもここまでとは、思ってなくて。」
「それをどうにかしていくのが、僕たちの役目なんだから諒一君達は変に気に病まずに前向きに努力してくれれば、それでいいからね?」
総一郎も優しい目で諒一を見て、そう言うとファイルを閉じて資料も重ねてまとめている。
どうやら質問は終わりみたいだと思うと、すごく安心する自分がいる事に情けなくなる。
二人で慰めと激励の言葉をかけてくれてもらいながら、諒一は自分の体には五十歳の自分と、見た目通りの自分が同居している事を痛感していた。




