15.父親
……涼葉が何か言いたそうな顔をしている。
「い、いや。ちゃんと作るだけましと思ってくれ!腕前が急に上がるわけじゃないんだから……」
あまり多くを求められても困るのだ。少ないバリエーションの中から作っているので、まだまだ完全にバランスの良い食生活とかがてきてるわけではない事は自覚している。
涼葉は仕方ないなぁという表情をしていたが、何か思い出したのか足早に離れていった。
すぐにパタパタと、小走りで戻って来た涼葉は、お一人用の野菜サラダのパックを諒一のかごに放り込む。
「…………」
あまり野菜が得意ではない諒一が顔を引き攣らせていると、涼葉はにっこりと笑顔を向けてくる。……無言の圧を感じる。涼葉の目から見て、野菜が不足していたらしい……。
「…………ハイ」
圧に押され、おとなしくそう言った諒一に涼葉は満足そうに頷いた。
二人とも買うものは揃ったので、並んでレジを済ませる。せっせとエコバッグに品物を詰める涼葉を横目で見ながら諒一はあっという間に自分の分を終わらせた。
一人分だというのに、涼葉の買った品目の多さに「これがバランスのいい食事か……」と密かに戦慄している。
涼葉の炊事技術は亜矢子をして合格レベルに達しているらしく、それについては全く心配されていないどころか、時々献立の相談をしているくらいなので、主婦と同じレベルにあるのだろう。
ただ、それなりに重そうな物もあったので、せっかく偶然会った事だし、荷物くらい持ってあげたほうがいいかなと思った諒一は涼葉が詰め終わるのを待っていた。
外は雨こそ降っていないが、重たい空模様だ。なるべく急いで帰った方がいいかもしれない。そんな事を考えていると、いきなり後ろから声をかけられた。
「諒一!」
そこそこに賑わっているスーパーの喧騒のなかでもよく聞こえる無駄に大きい声。
あまり聞きたくなかった声に咄嗟に反応できずに固まっていると、隣で涼葉も目を丸くしているのが見えた。
そんな事などお構いなしに近寄って来た諒一の父親「諒」は、諒一の肩をバンバンと叩きながら話しかけてきた。
「おお、諒一!元気にしてるか?心配してんだぞ?何、昼飯か?」
矢継ぎ早に話しかけてくる諒の肩に置いた手を煩わしそうに振り払った諒一は「そうだよ」とだけ返事をする。
チラリと隣を見ると諒の勢いに涼葉は明らかに引いていて、「この人水篠くんのお父さん?」と目で問いかけている。
市役所での一件はもう本人の頭の中から消えているのだろう。いつもの事だけど……と諒一は嘆息しながら、涼葉に頷いて見せた。
口から出まかせ、いつもその時に都合の良い事を言ってしばらくすると忘れる。そんな事言ってないと言い張る。
共に暮らしている時に何度もやられた事だ。約束などあってないものと思っていい。
それにしても……と諒一は改めて訝しげに諒の顔を見た。
諒の行動範囲は自宅〜パチンコ店でだいたい完結する。あじさいやこのスーパーがあるエリアは同じ市内といってもだいぶ離れているので、この辺りに用事はないはずだ。
……少し嫌な予感がしながらも諒一は何をしに来たのか探る事にした。
「そっちこそ何してんの。仕事は?」
愛想もくそもない言い方を気にする事もなく諒は事もなげに答える。
「おお、お前はそんな事心配しなくていいんだよ。先週から働いてる。もうお前も帰ってきてもいいぞ!」
「どこで?」
「心配しなくていいって言ってるだろう!」
その言い返し方で嘘と判断する。本当に働いているのであれば、そもそもこんな時間にうろついている事がおかしいし、どこそこで働いていると普通に言うだろう。
「心配しなくていいって言ってるだろう!お父さんが嘘ついた事あったか?」
「しょっちゅう嘘つかれた記憶があるけど?」
そう言い返すとムキになっている。
「お前、お父さんの言う事が信じられないのか!」
むしろどこを信じろと……。そう思ったが、みっともない言い争いに発展するだけなので、この辺でやめておこうと、ため息をついて返事の代わりにする。自分達よりも隣で涼葉がおろおろしているので、そっちの方が可哀想だ。
スーパーの出口で立ち止まって話していると周りにも迷惑だろうし、とりあえずさっと涼葉の荷物を持って、帰る方向に歩き出す。涼葉は何か言いたそうな顔をしているが、諒もいるので口を挟みにくいのだろう。
「で、何か用事なの?」
話題を変える為にそう聞いてみると、当たり前のようについてくる諒は少しだけ言いにくそうな雰囲気を漂わせる。これは嫌な予感が当たったか?と思い、涼葉の方を向いて言った。
「涼葉ちゃん、悪いんだけど先に帰っていてくれる?荷物は後から持っていってもいいし、急ぐなら今渡すよ?」
涼葉に聞かせるような話ではないと思った諒一が涼葉に先に帰るように言ったのだが、涼葉は荷物も受け取らなければ、先に帰ろうともしない。
ただ真剣な顔でふるふると首を振った。
そしてチラリと諒の方を見て控えめな口調ではあるが強い意志を感じる眼差しをしながら言った。
「そ、その……そんな顔した、水篠くんを……置いていけない、から」
そんな顔。今自分はどんな顔をしているのだろうか……親の情けない所を見て呆れた顔?そんな顔ならそこまで涼葉も心配しないだろう。いったいどんな顔になっているのやら……と、心の中で自嘲してしまう。
「諒一、その女の子と仲いいみたいだけど、施設に入ってるような子と深く付き合うなよ」
黙ってしまった諒一を見て何を思ったか、諒はそんな事を言い出した。がっちり偏見に凝り固まった言い方に、知らず拳を握りしめてしまう。お前やお前の周りにいる奴らより数十倍ましな子だよ。そう叫び返したくなるのを止めたのは、小さな手だった。
握りしめて力の入った諒一の手に、そっと遠慮がちに添えられた涼葉の手。細く折れそうな繊細な指の感触が諒一の怒りを払い落としてくれた。
「まあ、それはいいんだけどさ。」
しかしそんな諒一の心情などお構いなしに諒は近づいてくる。そして諒一に顔を寄せると小さい声で言った。
「来月くらいに返すからさ、ちょっと金貸してくれ。」
「は?」
まさかとは思ったが、最悪の用事だった。小さいころから幾度となく言われた言葉。もちろん返すなんて約束は反故にされるまでがワンセットだ。
「……ない」
この「ない」は持っていないという意味ではなく、貸すような金は「ない」という意味だ。そもそも誰のせいで生活費を支給されるようになっていると思っているのか。
「は?無いって……使ってしまったのか!なんに無駄遣いしたんだ!一昨日支給されたばっかりだろ、そもそもいくらもらってるんだ!」
今日一番感情をむき出しにして諒が叱るように言った。これには黙って様子を見ていた涼葉も理解が及ばなかったのか、口を開けてぽかんと見ている。
昔からこうだった。定期的な小遣いはなかったが、時折機嫌と懐がいい感じにある時、諒一にも好きな物を買え、とお金を渡してくることがあった。ただ、毎度一~二週間もしないうちに、ちょっと貸しといてくれ。と持っていき返ってこない。
もう使ったなどと言うと、烈火のごとく怒りさっきのように無駄遣いして!と言い出す。それが何度もあるので学習机の鍵がかかる引き出しに入れておいたら、寝ているうちに鍵は壊され近くには凶器らしき千枚通しが転がっている。ということもあった。
そんな事が次々と思い出されて情けなくなってくる。もう一度大きなため息をついた諒一は一応もう一度だけ、言語での相互理解を試みてみる。
「あのね……俺が貰ってるのは俺の生活資金なんだよ?それを貸せって言うの?だいたい、いっぺんでも返した事があった?」
呆れた顔でそう言うと、赤い顔のまま諒は言う。
「お前の金なんだから、なんに使おうがお前の勝手だろ!それにちゃんと返すって言ってるのに、お父さんの言う事が信用できんのか」
うん、やっぱり言語では理解することは無理みたいだ。そのまま無視して帰ればよかったのだ。相手をしても、言葉を尽くしても勝手な言い分を並べられるだけだと何度も味わっていたはずなのに……
それでも我慢ができなかったのか、諒一は言葉を落としてしまった。
「信用なんてできるわけないだろ」と。
諒が下唇を噛み、手を振り上げる。あ、また叩かれるな。と他人事のように思っていた。昔から話がこじれるとよく叩かれていた。それは懲罰とか指導とかいう感じではなく、癇癪を起して叩く、というのが近い。
まあ、平手で叩かれるだけでそう被害はない。そう思いながら諒一は黙って衝撃がくるのを待った。
……それがいけなかった。




