14.父親
「ごめんなさい涼葉ちゃん。まさかこんな事するなんて……大丈夫だった?」
さっきの父親とはまるで違う、心から慈しんでいるような眼差しをした亜矢子が眉を落として涼葉の肩に手を置いた。
それにピクリと軽く震えた涼葉だったが、すぐに力を抜いて少し強張っているものの、笑顔を見せた。
「だい、じょぶです。その、水篠さんが……」
「あらー!諒一くん、涼葉ちゃんを守ってあげたの?でも変に恨まれるかもしれないから、次からは私か総一郎さんを待つのよ?」
亜矢子はニコニコとした笑顔の中にわずかに硬さを見せて言った。諒一としてもすき好んで関わりたいわけではないので、できればそうしたい。
「あ、あの……私のせいで……。その、すごく怖かった、から……」
亜矢子の言葉の中にほんのり含まれた硬さを気づいたのか、涼葉は諒一が関わってきたのは自分のせいだと言う。
「ふーん……。怖そうにしていた涼葉ちゃんを放っておけなかったと?」
「いえ……今日は、あの人がすごく近くて……肩に手をまわされて、離れることも……できなくて…………。私が泣きそうにしてたから」
先ほどを思い出したのか、涼葉は両手で自分の肩を抱くようにしながら体を震わせている。
「……裁判所から接近禁止が出たらもう少しやりようはあるのに……」
儚く消えてしまいそうに己をかき抱く涼葉から目を逸らすようにして小さく呟いた亜矢子は、確かに険のある眼差しをしていた。
裁判所、という思っていたより大事な単語が出て思わず亜矢子を見つめていると、その視線に気づいた亜矢子は眼差しを和らげて、今度は困ったように言った。
「親の持つ権利って強いのよね」
と。
そこに緩やかな靴音と共にやってきた総一郎がそっと亜矢子の肩を抱いた。
「そうだね。私達が介入したくても親が頷かない限りなかなか手を出せないのが現状だ。諒一くんみたいに本人の意思もはっきりしてて証拠もあるとすんなり行きやすいんだけど……」
二人ともつらそうな表情になっている。涼葉も悲しそうに視線を下げている。思ったよりも深刻そうな事態に諒一すら眉を下げて唇を噛んでしまうほどだ。
少しの間そうしていると、服の裾をそっと引かれる感触があった。
「……」
引いていたのは涼葉で、悲しそうな申し訳なさそうな顔で見ている。諒一にまでそんな顔をさせてしまっていることが申し訳ないといった感じだ。
涼葉は立ち上がって空閑夫妻にもペコペコと頭を下げると、消え入りそうな声でお礼の言葉を言って、諒一の服を引く。
見ると指で上を指しているのでもう帰ろうという意味なんだろう。
「あ、うん……」
諒一も二人に頭を下げると立ち上がった。
「涼葉ちゃん、辛い時は言うのよ?……私達にできる事は限られているかもしれないけど、できるだけの事はするからね?」
心配そうな亜矢子に、困ったような嬉しいような複雑な顔を少しだけした後、涼葉はもう一度お辞儀をしてエレベーターに向かって歩いていった。
エレベーターを待つ間も上に上がる間も無言だった。涼葉はただ俯いているばかりだ。七階について諒一の部屋まで来た時ようやく顔をあげて少しだけ微笑んでみせた。
「ありがと……」
無理しているのが丸わかりの笑顔だったが、諒一にはかけてあげる言葉がどうしても出てこなかった。かろうじて、微妙な顔をして首を振っただけ……
涼葉はそんな諒一を見て、もう一度無理した笑顔をみせて、軽く手を振ると自分の部屋に向かっていった。涼葉が部屋に入るのを見届けて、諒一も自室に入って……大きなため息をついた。
「……親ってなんなんだよ。」
自分と涼葉の親の事を考えながら諒一はソファに倒れ込んだ。今日はもう何をする気にもなれなかった……
幸いなことにそれから涼葉の父親はなりを潜めた。きっと迂闊な事をすれば手痛いしっぺ返しを食うのは分かっているのだろう。
それだけに余計やりづらい所もあるのだが……
いつものように空閑夫妻から勉強を習い、それまでのいつもの暮らしをしていくうちに少しずつ涼葉の様子も元に戻って行った。
◆◆◆◆
「んー……」
諒一は一人自室のキッチンにある冷蔵庫の前で腕を組んで考え込んでいた。
あじさいは自立支援をうたっているだけに、何でもかんでもしてくれるわけじゃない。そこで暮らすうちに一人でも生きていけるようにするための手伝いをするというスタンスだ。
そのため、お願いすれば様々にサポートをしてくれるが基本的には自分でなんでもしないといけない。
その最たるものが毎日の食事だろう。あじさいがあるマンションは普通のマンションだから寮のように食堂があって食事を供されるということはない。基本自分できちんと用意していかないといけない。
その上生活指導はきっちり入るので、乱れた生活をしているとかなり怒られる。
あまり家事が得意でない諒一は最寄りのスーパーで惣菜を買ってきたり、買い置きしているインスタント食品を食べたりが多いが、あまり偏ると指導が入るのでそこそこに自炊にも挑戦している。
もうすぐ昼になるのでとりあえず冷蔵庫を開けたが、見事に調味料くらいしか入ってなかったのでどうしようか考えていたのだ。
前の時の諒一は死を迎えるまで、食事というものに興味をもてなかった。誰に言っても理解してもらえなかったのだが、ご飯を食べる事に楽しみを見いだせない。あれが食べたいとか、極論美味しいものを食べたいという欲が湧いてこないのだ。
腹が減るから仕方なく食べる。そういうスタンスである。
一時期結婚していた時もそれで随分言い合いをしたと思い出して苦笑した。
本人としては正直に言ったのだが、食事を用意してくれている側が聞いて嬉しい事ではなかっただろうと思う。
それの性格は今でも変わらない。
「亜矢子さん、怒ると意外と迫力あるんだよな……」
以前食事を適当に済ませていた事がばれて別室に連れていかれ、食事の大切さを懇々と説かれた。後半は有無を言わせない迫力と圧力で……
自分の事を思っての事なのであまり反論もできず、まいってしまった。
キッチンにあるカップボードにあるかごには袋入りのラーメンが入っている。
ただ、この前「またラーメン?」とやや迫力のある声で言われたからもうそろそろやばいと思う。
「…………仕方ない、何かつくるか」
頭をかきながら諒一はスマホと財布をもって近くのスーパーに向かうのだった。
最寄りのスーパーは県内に展開しているチェーン店で品揃えは良く価格も優しい。
今財布に入っているお金は自分のお金じゃないという気持ちもあるし、あじさいを出た後の事も考えると無駄遣いはできない。
どっちにしても諒一が作れる料理など限られている。
「炒飯と……スープはインスタントでいっか」
呟きながら材料をかごの中に入れていく。そうしながら歩いていると、急に負荷を感じた。誰かが服を引っ張っているような……
振り返ると同じように買い物かごを下げた涼葉が立っていた。どうやら涼葉が諒一の服を引いていたらしい。
「あ、涼葉ちゃんも買い物?」
諒一がそう言うと涼葉は、にっこりと笑って頷いた。その後で諒一のかごを覗き込む。
「あ……炒飯でも作ろうかなって」
少し苦笑いになりながらそう言ってかごを隠すように持ち替えた。ポツポツと炒飯に必要なものだけが入った諒一のかごとは違い、涼葉が持つかごには色んな種類の食品が詰まっている。
涼葉は料理がわりと得意らしく、ほぼ毎日自炊していると聞いている。
諒一のかごと顔をじっと見て、何か言いたげなのはちゃんとましな食事をしろとの圧力に違いない。
少し慣れてきたのか涼葉は諒一に対しての距離が近くなっている。それゆえか、亜矢子と二人がかりで諒一の食生活をチェックしてくるのだ。
チラリと自分の買い物かごを見る。問題ないはずだ……。




