125.旅館すわの
諒一が運転するワンボックスカーは、実にスムーズに山道を登って行った。
万が一にも事故など起こしてはいけないと考えた諒一が、以前日常的に車を運転していた時よりもずっと安全運転を心がけたからだ。
「お、見えてきたぜ。あそこに見えるだろ。あれが我が家、旅館すわのだ」
山道をゆっくり一時間近く走ったところで、十郎が窓の外を指差しながらそう言った。
これまでずっと登ってきた道が少し下った先にそれは見えていた。
「すごい……なんというか、趣があるっていうんですかね?」
涼葉がそう言って、感心したように見るくらいにはその建物は立派な雰囲気を出していた。
遠くからでもわかるくらいの純和風の造りで、一つしかない道を進むと、まずは白壁の塀が見えてくる。
その塀沿いにしばらく車を走らせると、古いお寺みたいな門があった。
「すご……このまま車で入っていいんですか?」
門の手前で車を停めた諒一は、少し圧倒されながら振り返って十郎にそう尋ねた。
幅も高さも全く問題なく、車でも通れるくらいの広さがあるけど、一応聞く必要があった。
「おう!その門を潜ったら右手に駐車場があるからよ。なぁに、立派に見えるかもしれんが、古いだけだ。気にしないで入ってくれ」
それでも自分の旅館を褒められて嬉しいのか、上機嫌で十郎はそう言った。
諒一は頷くと、再び車を発進させてゆっくりと門をくぐった。
十郎の言うように、門を過ぎると外灯と看板が立っていて駐車場の場所を示している。それに従って諒一は駐車場のスペースに車を停車させた。
「ついたぁ!」
エンジンを切って、シートベルトを外すとそう言って諒一は思い切り背伸びをした。いくら以前運転の経験があったとしても、今は中学生だし人を乗せている。
なんだかんだ言っても緊張していたのだ。
「お疲れ様ですりょういちくん!ちゃんとみんな無事に着く事ができてよかったです。さすがですね!」
ずっとニコニコしていた涼葉が、背伸びする諒一を見てそう言った。
涼葉は、山道でほとんど木々に覆われていたとはいえ、外の景色には目もくれず諒一の運転するのを見ていた。
どうも涼葉は、諒一の技術が人の役にたったり、褒められたりする事が嬉しいみたいで、ずっとニコニコしていたのだ。
「お疲れですよね?後でマッサージしてあげましょうね!」
そう言って車を降りて行った涼葉に諒一は思わず苦笑するのだった。
「いや、にいちゃん。悪かったなぁ、俺がドジ踏んだばっかりに。この礼は宿泊中にしっかりと返させてもらうからな?とりあえずは今日の晩飯は期待しててくれ」
十郎もニッカリと笑ってそう言うと、片足をかばいながら歩いていく。
「ああもう、じーちゃんちょっと待つっす!肩貸すから無理しないで」
それをわたわたと追いかける舞香を見て、諒一と涼葉は笑い声をあげるのだった。
「荷物は……全部持ったよね?忘れ物はない?」
諒一は車の後ろのスペースに積んでいた荷物をおろすと、中を見ている涼葉に声をかけた。
「ええ、だいじょぶみたいです。ごみも残ってません」
舞香が自動販売機で買ったコーヒーの空き缶を置いてたままにしていたくらいだったので、それだけ持って涼葉も車を降りてくる。
「あー!ごめんなさいっす!ジブンの荷物まで……」
ちょうど車に鍵をかけたところに舞香は走って戻ってきた。
「いえ、こっちはだいじょぶですよ?おじいさんは平気ですか?」
涼葉がそう聞くと、舞香が目線を逸らして頭をかいた。
「いやー、それがっすね……と、とりあえず中に入るっす。ばーちゃんも待ってるっすから!」
舞香はそう言うと自分の荷物を掴んで、引きながら玄関の方に行くよう諒一達を促してくる。
舞香がなぜそんな顔をしているのかわからない二人は首を傾げながら、荷物を持って舞香の後について行った。
駐車場から「すわの」の玄関までは、立派な植木が並んでいて、諒一達を迎えてくれている。
時期的に青々しているわけではないが、植木に関心のない諒一にもなんとなく風格があるように感じられる。
そんな植木と枯山水や石灯籠を涼葉が写真におさめたりしながら、「旅館すわの」の入り口に辿り着いた。
そこには、確かに舞香の面影を感じさせる着物を着た老婦人が立っていた。
「いらっしゃい。聞けば大変だったそうじゃないの。ささ、中にお入り」
柔らかく微笑んでそう言った老婦人は、ガラス製の入り口のドアを開けて諒一たちを中に促した。
「うわあ……」
中に入ってみて、諒一たちはまた驚きの声を上げた。入り口こそガラスでできているが、中に入ってしまえば再び純和風の光景が広がっている。
広めの玄関は大人が五六人並んでもまだ余裕がありそうなくらいあり、正面と右手に黒光りする廊下が伸びている。左手は壁になっているが、その壁には受付らしき窓がある。
靴を脱いで上がらなくても受付ができるように横に広くとってあった。そのそばに上品なたたずまいでさっきの老婦人が立っていた。
とりあえず諒一はその老婦人に近寄って、話しかけた。
「僕は諏訪崎さんの友人で、水篠諒一といいます。お言葉に甘えてお世話になります」
そう言って頭を下げると、ハッとした顔で涼葉も隣に並んで頭を下げた。
「わっ、私は卯月涼葉といいます。そのりょういちくんと同じ舞香さんの友人です。よろしくお願いします!」
二人並んで挨拶するのをにこやかに見ていた老婦人は、口に手を当てて上品に笑う。
「あらあら……ご丁寧に。こちらこそ、申し遅れてごめんなさいね。私は舞香の祖母の諏訪崎佳乃と言います。そんな、お世話だなんて……舞香ちゃんのお友達なんだから、気にしないで自分の家だと思ってくつろいでくれていいのよ?こんな遠い所まで来てお友達も疲れたでしょう。特にうちの主人が迷惑をかけちゃったもんだから……ほら、舞香ちゃん、お部屋まで案内して差し上げなさい?お部屋は稲穂の間を準備してあるわ」
佳乃が舞香にそう言うと、舞香は少し目を丸くしていたが、やがてにっこりと笑うと頷いた。
「わかったっす!お二人とも案内するっす。」
舞香はそそくさと二人分のスリッパを並べると、先に立って案内しようとしている。
「あ、ああ。ありがとう。すいません、お邪魔します」
「お、お邪魔します」
諒一と涼葉はそう言って、佳乃に頭を下げると舞香の案内に従って、旅館の中へと進んでいった。
「……すごい、高級そうな感じなんだけど、ほんとによかったの?」
舞香からは古いだけの旅館だから、と聞いていた諒一たちだったが実際に来てみて、古いというよりも歴史を感じさせる風情の建物に、少し委縮してしまっていた。
今歩いている廊下やふすま、その上の欄間などをみると長い年代を大切に使われてきた。そんな感じを受ける。
まるで幕末くらいの映画に出てきそうな雰囲気に、きょろきょろと見回しながら歩いていると舞香は足を止めた。
「さあ、ここっす。ウチの旅館は見た目は古くて、なんか立派に見えるみたいっすけど、じじばばと住み込みの従業員さんでやってる旅館っすからね。広さは大したことないっす。お客さんが使う部屋はここの稲穂の間と他は二部屋しかないっす」
そう言いながら舞香はふすまを開いた。年代を感じさせる見た目とは違い、引っかかることもなくすっと開く。
「きれい……」
部屋の中を見た涼葉がそう呟いた。諒一も全く同感で、こちらは言葉を失っていただけだ。部屋は十畳ほどで、左手にもふすまがあり、奥には障子に仕切られて広縁がある。部屋の中央にはテーブルが置いてあり、お茶の準備がしてあった。
部屋の暖を取るためと、趣を意識してかテーブルから少し離れた所に火鉢が置いてあり、その中では折り重なった炭が低い炎を上げている。
ぱち、という音と炭の燃える匂いは、生まれて初めての経験のはずなのに不思議ととても落ち着く空間だった。




