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11.引っ込み知り

 昨日のうちに洗って、乾かしておいたおにぎりが乗っていた皿は、朝の光を反射して、繊細な模様が入っている事に気づいた。かわいらしい模様はなんとなくだが涼葉らしいチョイスだと思った。


玄関のドアが開いて、緊張した様子の涼葉が顔を出した。


「ありがとう、卯月さん。とてもおいしかった」


諒一は昨日もらったおにぎりの皿を返しに朝から涼葉の部屋を訪ねた。チャイムを押して出てきた涼葉は朝日に照らされて、整った目鼻立ちを浮立たせている。

あまりジロジロ見ては失礼だと思いながらも、つい目がいって気後れしてしまうのはやはり十三歳の諒一に精神にだいぶ引っ張られているようだと改めて思った。


「ぃえ……」


小さくそう言って、うつむきながら皿を受け取った涼葉だったが諒一が手を離すタイミングが早かったのか、涼葉がうまく掴んでいなかったのか皿を落としそうになってしまう。


「あ」


「っ」


二人の手から逃げようとでもするようにお皿が落ちるのを二人とも慌てて掴もうとする。


「!」


「っ!」


結果的にお皿は無事だった。一度は二人の手を逃れたお皿だったが落ちる前に掴むことができた。ただ、諒一がお皿を落とすまいとして、両手で上下から挟むように持った時、同じく落とすまいと手を伸ばした涼葉の手まで挟んでしまっていた。

 諒一の物より小さいが柔らかくかぼそい手は、決して大きいほうではない諒一の手でもすっぽりと包めてしまいそうだ。


(なんてべたな事を……)


諒一は心の中でそう思っていたが、実際は思いっきり涼葉の手を触ってしまって思わず赤面してしまっている。一瞬手を引こうとしたのだが、そうするとお皿を落としてしまう。諒一の冷静な部分が落ち着けと言っている。手を挟んだ瞬間涼葉の方もビクッとしていたのを感じたのでびっくりさせてしまったに違いない。


「ご、ごめん……」


「…………」


諒一が謝りの言葉を口にしながらお皿をひっくり返し、涼葉の手を挟んでいる方の手をゆるめると涼葉はさっと手を引いた。

今度はゆっくりとお皿を手渡すと、ひったくるように取られてしまう。


(怒らせてしまっただろうか……)


昨日会ったばかりの男に手を触られて不快に思ったのかもしれない。


「ほんとごめんなさい」


諒一がもう一度謝ると、涼葉はお皿を持ってない方の手を前に出して小さく振っている。そして


「ち、ちが……その、すいません」


なぜかお互いに頭を下げ合っている。え?と諒一が下げていた頭を上げると、ほんのり頬を染めて視線をそらした涼葉が申し訳なさそうに言った。


「ごめ……なさい。あ、その、私、とても人見知りするので……慣れてなくて……」


片手でお皿を抱いて、片手は違うと手のひらを振っている。その様子を見て、不快に思っていたのではなかったと思い諒一はちょっと安心した。

ただ、頬を染めて視線をそらしながらすまなそうにしている涼葉はとてもいじらしくて直視できず、おもわず目をそらしてしまい、今度は涼葉が首をかしげる。


「あ、えっと……俺も人見知りっていうか……慣れてないんです。ごめん」

 

本当はそれだけが原因ではないのだが、段々隠せなくなってきた動揺を表に出しながら諒一が言うと、涼葉は少しだけ微笑んでから


「……一緒ですね」


と言ってくれた。普通ならこうなってしまうと照れと緊張で何も言えなくなってしまうのだが、一緒と言われてなんだか安心してしまう。


「はは……引っ込み知りなもんで」


照れながら言い訳をするようにそう言うと、涼葉がきょとんとした顔になった。それを見て諒一は自分が勝手に作った言い方をつい口に出していた事にさらに赤面してしまう。

それでもなんとなく仲間意識のような感覚が生まれていた。


「あ、引っ込み思案で人見知りっていう俺の性格をあらわした言葉なんだ。忘れて」


顔を赤くしながら苦笑いを浮かべた諒一がそう言うと、一瞬考えてなるほどという表情をしたあと涼葉はさっきよりも柔らかく微笑んで


「一緒ですね」


と、もう一度言ってくれた。




何とか無事にお皿を返却して自分の部屋に戻ってきた諒一はどきどきとうるさい心臓と色づいてしまっている頬を落ち着かせようと大きく深呼吸をした。


「いろいろやばいな……」


少し落ち着いてきたところでぽつりとこぼす。完全に若い頃の感覚になってきている。手に触れたくらいでこんなに動揺してしまうところは、五十歳の頃の諒一にはもうとっくに失くしてしまった感情だ。

それは置いても一緒ですね、と言ってくれた時の涼葉の微笑んだ表情も破壊力が抜群だった……思わず言葉に詰まり体が固まってしまうくらいには。

 


◆◆◆◆

 


ある日、少ない荷物を整理していると突然亜矢子が部屋を訪ねてきた。その手にプリントを持って。


「はい諒一君。ちょっとこれをやってみて」


そう言って渡されたプリントには国語と英語、数学の問題が記されている。


「今からですか?」


「ええ、諒一君の学力を簡単に見る小テストみたいなものと思ってちょうだい。今お邪魔しても大丈夫?」


こちらの顔を窺いながら亜矢子があがってもいいかと聞いてくる。もちろん問題はないので「どうぞ」と言うと、嬉しそうに微笑んで優雅な動作で靴を脱いでリビングに向かっていった。

プリントを持って諒一もリビングに行くと、亜矢子はもうソファの前に座っている。そして向かい側に座るように手招きしている。


諒一はさっき片づけた荷物からシャープペンシルと消しゴムだけ持って亜矢子の向かいに座った。


「あら、筆箱使ってないの?」


シャーペンと消しゴムだけを持ってきたのを見て亜矢子がそう聞いてきた。


「……持ってないです。筆箱。そう使わなかったから……」


目を逸らしてそう返事した。ほとんど学校に行ってなかった諒一は頻繁に筆記道具を使う事はなかったので、たまに登校した時もシャーペンと消しゴムだけを制服のポケットに入れて授業を受けていた。なんなら複数の教科用のノートも一つのバインダーにルーズリーフを多めにして使っていたくらいだ。


「そういうところからかしらねぇ」


片手を頬に当て亜矢子はそう言った。


とりあえず亜矢子が持ってきたテストらしきプリントに目を向ける。複数枚あって国語、英語、数学の三教科があった。

促されるままに始めたが、結果は惨憺たるものだった。


「国語はともかく……数学と英語は苦手なのかしら?」


「……そもそも習ってないんで」


 バツが悪そうに諒一は言った。昔から本ばかり読んでたから国語はまだいい。数学や英語は基礎的な方程式や文法などを知らなければ解けるはずかない。

 

「……まあ、英語と数学は習っていないから仕方ないとして、国語を見ると諒一君は地頭は悪くないのよねぇ」


採点しながら亜矢子が呟いているのを聞いて思わず肩をすくめた。実際中学校の時、テストを受けると国語だけ異常に点数がいいのでクラスメイトからよく国語だけいい奴と揶揄されていたものだ。


「うん、だいたいわかったわ。ねえ諒一君?仮にだけど今学校に行けと言ったら行ける?」


さらっと言われた言葉に反射的に体がこわばった。正直なところ大して問題ないだろうと思っていたのだが、改めてそう言われると自分でも驚くほどに拒否反応をあらわしていた。


「……そうね、環境も変わったしいきなりは難しいか。」


諒一の体が分かりやすく強張ったのを見て、苦笑しながら亜矢子はそう言って諒一の肩をほぐしてリラックスさせようとしている。


「すいません……その、人の世話になっていて……行かないとっては思うんですけど」


「うん、今はそう思ってくれただけでいいわ。あと、世話になっているっていうところを必要以上に重く受け止めたらだめよ?」


亜矢子が優しく微笑んでそう言ってくれるので、さらに罪悪感を覚える諒一だった。

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