118.程よい温度の車内と三人
席に着いた諒一と涼葉は、真っ先にジャケットを脱いだ。防寒使用の熱を逃がさない暖かいジャケットではあるのだが、今回ばかりはそれが仇となった。
ここまで全力で走って、おまけに重い荷物を持って階段まで上り下りさせられて、ジャケットの下は汗をかいてしまっていた。
「よかったです、車内がちょうどいいくらいの温度で……。汗かいちゃってお外の気温じゃ脱いだら風邪ひきそうでしたから」
涼葉がそう言いながら脱いだジャケットを窓の所に掛けている。っていうかハンガー持ってきてるんだ。
諒一が驚きながら見ていると、涼葉が手を伸ばす。
「ん?」
「ジャケット。下さい、ここに掛けておきますので。」
「あ、ああ。ありがと」
自然にそう言われ、何か照れくさくなり頬を染めながらジャケットを渡すと、涼葉は受け取ると丁寧にしわにならないように形を整えてからハンガーで窓枠に掛けてくれた。
涼葉のジャケットと並んでかけてあるだけなのに、なんだか気恥ずかしくなり、目を逸らすとニヤニヤと見る舞香の目とばっちり合ってしまった。
「……何、じろじろと」
半目になった諒一が言うと、舞香はニコニコとしたままで言った。
「いやぁ、こんな距離間で潤いを身に浴びれて幸せっす。お二人は相変わらずっすね」
機嫌よさそうに笑いながら、いつもの「潤い」発言をした舞香のあいかわらずという言葉に、よせばいいのに涼葉が反応してしまう。
「あら、相変わらずってどういうことですか?」
小首を軽くかしげながら言うと、舞香はむしろ待ってましたとばかりに話し出した。
「やあ、出発する時から思ってたっすけど、さっきの涼葉先輩がジャケットかけてあげる所とか、もう恋人を通り越して夫婦みたいっすね。と思ったっす。もう潤いが絶えずにじみ出てきてるっす」
「ふ!う、ふ……とか、そんな……。わた、おつき!」
案の定真っ赤になった涼葉は謎の言語を羅列した後、俯いてしまった。わけがわからなそうで、なんとなくわかる単語を想像してみる。
(夫婦とかそんな!私たち、お付き合いもしてないのに)
まあこんな感じだろう。一人で納得して、耳まで赤くしている涼葉を愛でている舞香に少しくぎを刺しておく。
「ほら、諏訪崎さん。涼葉をあまりからかわないの!先は長いんだから疲れちゃうでしょ」
諒一がそう言うと、「はあい」と言いながら舞香は座りなおした。それでもチラチラと涼葉を見ながら言う。
「いや、ごめんなさいっす。涼葉先輩があまりに可愛いもんだからつい言ってしまうっす。反省してますもう言わないっす」
あまりに可愛い辺りから顔を上げた涼葉に睨まれた舞香は、即座に反省を口にするが……片道分の時間持てばいい方だと思う。
そう考えていると、今度は諒一の方をじっと見る舞香。
「諒一先輩はなんか慣れてきてるっすね。涼葉先輩こんなに可愛いのに。いた!ちょ、叩かないでくださいっす」
「もう!舞香さん、ばか!」
懲りずにまだ言う舞香に涼葉がパシパシと制裁を加えているのを見ながら諒一は言った。
「そんなに慣れるわけないだろ。涼葉がかわいいのは認めるし、同意するけど恥ずかしがってるのに、面白がって言っちゃダメだろ」
諒一がそう言うと、それまで騒いでいた二人がシーンとなっている。不思議に思って見ると、涼葉はまた真っ赤な顔になって小さくプルプルと震えながら口を開けたり閉じたりしている。その隣では舞香が口と目を大きく開けたまま諒一を見ていた。
「あれ?」
なんか変な事を言ったかな?と首をかしげる諒一に、涼葉がようやく言葉を口にした。
「りょ、りょういちくんのばか!」
「ええ?」
思わず罵倒され驚いていると、舞香からは呆れたような感心したような調子の言葉が返ってくる。
「いや、諒一先輩、ほんと何かあったっすか?さっきの夫婦って言葉にも全く動じてなかったですし……」
舞香の言葉に諒一は苦笑して思った。それはきっと前の諒一の記憶があるからだと。五十にもなって、そんな言葉一つで動揺するわけがないのだ、と。
実際は違うのだが、諒一はそのせいだと思っていた。
そして前の諒一の事も今の諒一の事もだいたい分かっている涼葉は、諒一の覚悟の違いだと考えが至って、ますます顔が赤くなる。
「もう!りょういちくんのばか!」
二度目の罵倒に、訳も分からず諒一は訳が分からずに、「あれ、なんで俺怒られた⁉」と口にしている。
そして、そんなほんのちょっとの進展しかしない二人を見るのが、とても楽しみになっている舞香は、どちらの気持ちも察する事ができて、一人クスクスと笑うのだった。
◆◆◆◆
それから涼葉はしばらく窓の外を眺めだした。さすがにそれ以上絡むと本気で怒られる事がわかっているのか、舞香もおとなしくスマホをいじっている。
諒一もなんとなく景色を眺めていた。しばらくそうしていると、車窓に反射した涼葉がこっちを見ている事に気付いた。照れくさくなって目を逸らしたが、しばらくして見るとまた目があう。それどころか諒一の反応を見てクスクス笑っていた。
涼葉の機嫌が戻っている事に嬉しくなって見ていると――――涼葉が口を動かしている事に気付いた。
「?」
何か言いたいことがあれば直接言えばいいのに。と思うが、涼葉は何度も声を出さないで口を動かした。だんだん面白くなってきた諒一も、なんとか読み解こうと、口の動きをじっと見る。
(おなかすきませんか?)
それから何度か繰り返して、ようやくそう読み解いた諒一は、そう言えば朝が早かったし、出発する前はどうしてもばたばたしてしまう。
結局何も食べずに家を出てきたことを思い出す。思い出せば、おなかが減ったような気になるから不思議だ。
諒一が頷くと、涼葉は嬉しそうに笑う。そしてまた口を動かす。
――む、今度は難しいぞ。文字数も多くなってるし……あ?さ?んー?
知らないうちに口元をほころばせながら考えていると、視線が増えている事にようやく気付いた。
涼葉の肩越しに舞香が見ていた。びくっとそれを見た諒一の視線につられ、涼葉もそれに気づきビクッとしている。
「お二人とも仲がいいのはいいんですが、さすがにこの距離で二人だけの世界に入られると、ジブンにはツライもんがあるっす……」
ジトッとした目で言われ、慌てて弁解する。
「い、いや!そんな仲間外れとかそんなんじゃないんだ。これはその……」
「あ、あの舞香さん」
言い訳する諒一と、何か言おうとした涼葉の前に舞香がぴしっと人差し指を出した。
「……サンドイッチ」
「え?」
「だからサンドイッチっす。さっきの答え。「サンドイッチ食べますか?」でしょ?」
ニコッと笑って言った舞香に、涼葉は力が抜けたように「正解です」と言った。
「やたっす!正解のご褒美に一番に涼葉先輩のサンドインチにありつける権利を所望するっすー。ジブンも朝食べてないんっすよね」
正解した事が嬉しいのか、サンドイッチが嬉しいのか、パチパチと自分で拍手をしながらそう言う舞香に涼葉は苦笑いしながら、バッグからバスケットを取り出した。
涼葉の膝の上で開けられたバスケットには、いろんな種類のサンドイッチが詰められていた。
「おお!」
「すご……うまそっす!」
それほど大きくないバスケットだが、しっかりと詰め込まれたサンドイッチは三人で食べても十分な量があるように見える。
――いつこんなにたくさん作ったんだ?
最近一緒に過ごす事が多くなってきただけに、それほど時間的な余裕はなかっただろうと分かる。それと同時に、自分の部屋で作ってくれれば手伝う事も出来たのに……と少し悔しくも思う。
そう思っていると、諒一の考えを察したかの如く、恥ずかしそうに涼葉が言った。
「そ、その……、りょういちくんを驚かせたくて。えーと、びっくりしました?」
上目遣いになってそう聞いてくる涼葉に、諒一は何度もコクコクと頷くのだった。




