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116.出発の日

「りょういちくん、お部屋の鍵はちゃんと閉めましたか?」


 まるで母親か姉のような感じで聞いてくる涼葉に、諒一は思わず苦笑いになる。


「確認しました。忘れ物もないです。涼葉の方はだいじょぶなの?」


 逆に聞くと涼葉はわたわたと自分のバッグを開けて中身を確認している。そして問題が無かったのか、笑顔で頷くと元通りに閉じて手に持った。


「ふふ……じゃあ行こっか」


 その様子を見て笑いながらそう言うと、涼葉は少し頬を染めながら口を尖らせた。


「笑わないでください」


 不満げな顔をしてそう言う涼葉に、諒一はさらに笑顔になる。

 

「笑ってないよ」


 そう言うが、涼葉は納得しないのか、半目になって諒一を見る。


「……笑ってます。浮かれてるって思ってるでしょ?」


 ぷくっと頬を膨らませ、そう言う涼葉に諒一はとうとう声を出して笑ってしまった。


「ほら!やっぱり笑ってるじゃないですか」


 パシパシと諒一の肩を軽く叩きながら不満を訴えてくる。


「ちがうよ。この笑いはそんなんじゃないって。なんかいつもと違う涼葉が可愛くってさ」


 諒一がそう言うと、叩いていた手がぴたりと止まった。そして見る見るうちに顔が紅潮していく。少しぷるぷると震えながら涼葉はぷいっと横を向いた。


「違わないです。りょういちくんのばか」


 そう言うとスタスタと歩き出した。笑いながら諒一もリュックを背負ってバッグを持とうとしている。


「違うってば。ちょ、置いてかないで!」


 すると振り返った涼葉はもう笑顔に戻っていて、慌てて荷物を持っている諒一に、冗談ぽく言う。


「もう、りょういちくんはお留守番していてください。私だけ舞香さんと行ってきますから」


 後ろ向きに歩きながらそんな事を言う涼葉に、諒一は苦笑しながら荷物を抱えて追いかける。以前から計画していた旅行の出発の日になったのだ。


「ここまで準備してお留守番はひどいでしょ!嫌だ、絶対に行く!」


 結局二人とも浮かれているのか、そんな冗談を言い合って諒一の部屋を後にした。そして、離れた所でその一部始終を眺めていた人物が少し呆れたように声をかけた。


「お二人ともあいかわらず仲がいいっすね。や、いい事なんですけどね。いつも潤いを感謝っす」


 部屋と部屋の間にあるコンクリートの柱の陰にいた舞香が、にやにやと笑いながら話しかけてきた。


「ま、舞香さん、いたんですか⁉いつから……」


 誰もいないと思っていた涼葉が、恥ずかしそうに言うと、舞香はにっこりと笑顔になって言った。


 「そりゃもちろん最初からっすよ?諒一先輩の部屋から出てくるところからしっかりと眺めさせてもらっていたっす……いた、あいた。涼葉先輩叩かないでくださいっす。ジブン、荷物で両手がふさがっているんで……あいた」


 最後にパシンと舞香の肩を叩いた涼葉は、顔を背けながら足早にエレベーターの方に歩いて行った。……耳まで赤くしながら。


「やあ、涼葉先輩は今日も全力でかわいいっすねぇ」


 全く懲りてない様子で舞香は呟いている。


「諏訪崎さん、涼葉をあんまりからかわないの。かわいいのは同意するけどさ」


 諒一が舞香の脇を通りながらそう言うと、舞香は並んで歩き、諒一の顔をじっと見つめてくる。

どこか、諒一の心の中まで見られているような気になり、胸がどきりと跳ねた。

 

「な、なに?そんな見られると照れるんだけど……」


 そう言う諒一の顔をしばらく見た後、舞香は口を開いた。


「諒一先輩、なにかあったっすか?」


「何かって何?」


 そう返事しながら、内心、そんなにわかりやすいんだろうかと苦笑する。別に何かあったわけではないが、諒一の中で涼葉に対する気持ちが以前よりもはっきりしてきただけだ。

 


 そんな諒一を見て、舞香はなんだか満足したように何度か頷くと、涼葉の方に歩いて行った。


 苦笑して首をかしげながら、もう二人がエレベーターに乗り込んでしまっているのを見て、急いで向かうのだった。


「しかし、篠部が一緒に来ないとは思わなかったな」


 一階のボタンを押しながら諒一がそう言うと、隣にいる涼葉も頷いた。舞香や舞香の祖父母と相談し、出来上がった旅行の計画を篠部達にも伝えた。当初は二つ返事で承諾が返ってきていたのだが、次の日に連絡があり、篠部と大志。それから壮太と楓花は数日遅れて合流すると言い出したのだ。


 そのわけは、その後に諒一に来た大志からかかって来た電話でわかった。


「最初は試験の結果が良かった事を喜んでいた、るみのオヤジさん達はすぐにOKしていたんだよ。旅費もバイトして自分で貯めてたし。ただ期間が長いだろ?冬休みの課題を少なくとも半分終わらせる事も条件だったんだ。それをるみの奴……バイトの方を優先してやってなかったんだ。そして、オヤジさん達にバレて……帰ってきてから絶対にやるからって必死に言っていたが、まぁ日頃の行いだな。そういうわけで、俺と壮太が付きっきりで終わらせて合流する。なに、二、三日で終わるさ。急にすまないが……」


 そう言う大志に、諒一達は苦笑して了解するしかなかった。


「一緒に行けないのは残念ですけど、こればかりは終わらせていなかったるみちゃんが悪いですからね。言ってくれれば、私も手伝ったんですけど…………」


 残念そうに涼葉は言ったが、篠部も試験の時も勉強を教えてもらったから言いにくかったんだろう。


 可哀想なのは、巻き添えを食った壮太と楓花だが、壮太は大志と、楓花は篠部と仲がいい。

 きっとほっとけなかったに違いない。


「あ、そうそう。お二人の分の切符、お渡ししとくっす」


 エレベーターを出て、マンションのエントランスの所で足を止めてバッグから鉄道会社の封筒を取り出して、諒一と涼葉に手渡した。


「ああ、ありがとな」


「ありがとうございます」


 それぞれ礼を言いながらそれを受け取る。最寄駅である「今里(いまさと)」から舞香の実家のある「神麓(かんろく)」までの往復切符だ。


 まとめて買った方が割引がきくのもあり、全員の分のお金を預けて買ってきてもらっていたのだ。


「それにしても、なんか神々しい名前の場所だな」


 封筒から切符をちょっと出して眺めながら諒一が言うと、同じように見ていた涼葉も微笑んで頷く。舞香は地元の事を褒められて嬉しいのか、ニコニコしながら「ただの田舎っすよ」などと言っていた。


 ここしばらく、どんよりとした天気が多かったが、今日は少しだけ太陽が顔を出していた。まるで旅立ちを祝福してくれているようで何とも気分がいい。


「よし、じゃあ行こうか!」


 そう言って、元気もよく踏み出そうとした足がピタリ止まる。


「ええっ!」


 悲鳴にも近い涼葉の声がしたからだ。振り返ると、涼葉は手を口に当てて切符を見ている。

 その手はかすかに震えていた……

 

 さっきまで見えていた太陽まで、見えなくなっている。まるで涼葉の声に驚いて姿を隠してしまったように……

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