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10.引っ込み知り

「亜矢子さんはどう思う?」


 諒一がいるマンションの6階。自立支援団体あじさいの事務所と空閑夫妻の自宅がある。その一室では控えめに灯された照明の下で空閑夫妻が向かい合ってテーブルを囲んでいる。

 テーブルの上には小学校、中学校から出してもらった諒一の素行や成績などの資料が顔写真付きである。


「正直に言って、予想とだいぶ違ったわね。担任の先生の話やこういった資料から想像していた人物像とはねぇ」


 ネグレクトに近い家庭環境に本人の性格。他人を拒んでいるのか、担任の教師も本音に触れる事はできなかったようだ。父親の事はだらしない部分を厭ってはいるものの、好きではあるようで、依存していると言ってもいい。

 これは自活能力のない児童にとっては仕方ない。


「なんか、「普通」という印象をうけたね」


 滅多なことでは絶やさない微笑みを浮かべたまま総一郎が言うと、亜矢子も同意して頷いた。


 まず馴染んでくれるまでに多大な時間を必要とするだろうと踏んでいたが、実際に会ってみると決して社交的とは言えないが言った事についてはきちんと反応するし、礼儀も弁えている。鍵の問題があったときも、自分の部屋が意に沿わず開けられる状態だというのに、遅い時間と涼葉の事を案じて解散するように誘導してきた。

 これまで住んできた家から一人で連れ出されたというのに、動揺も恐怖も感じない。


「まあ、こちらとしては理性的で助かるんだけど、無理してあんな態度をとっているのならどこかで大爆発しそうでちょっと怖いわね……」


 手元の書類に視線を落としながら亜矢子は苦笑いをする。それは小学校の時の通知表で、出席日数は0。評価の欄には1が並び教師のひとことを書く欄には「評価のしようがありません」と書かれている。

 ただ、この時の担任は諒一を学校に来させようと何かした形跡はまったくない。いくら諒一の家に固定電話もなく連絡に手間がかかるとはいえ、家庭を訪問した事もないらしい。放任主義は構わないが教師が問題のある生徒を無視するのは職務放棄ととられても仕方ない。


「今のところでは、なぜ諒一くんが不登校なのか理由が全く分からないのよね。家庭に問題があるのは前提として外せないけど、それなら逆に逃げ道を学校に求めてもおかしくないのだけれど……」


「それだけ行きたくない何かがあったんだろうね。僕たちは諒一くんではないから、本当の意味で彼の気持ちを理解する事はできないしねぇ。ほんの少しでも後押しできたらいいね」


 そう締めくくるように言った総一郎を見ると、何も言わないがもう休んだら?と語りかけるような笑みを浮かべている。


 基本的に総一郎の微笑みには勝てない亜矢子にはそれに抗うすべはないし、つもりもない。

 ふう。と一つ大きく息をついて書類をまとめる。


「ふふ……何の根拠もないけど」


 一緒に書類をまとめながら総一郎がそう言ったので亜矢子は顔をあげる。


「なんとなくいい方向に向かうんじゃないかって気がするんだ。諒一くんだけじゃくて涼葉ちゃんも」


 総一郎の言葉を聞いて、俯いてしばらく考えていた様子の亜矢子だったが、顔を上げた時には笑顔になっていた。


「そうね。あの涼葉ちゃんが初めて会った人と少しでもお話してたし……」


 慣れない他人、特に男性に対して強い拒絶感を持つ涼葉はいつもなら初めて見た諒一とは距離をとって一言も話さなかっただろう。

 人見知りのうえ、強い拒否感をもつ涼葉の態度は、相手に対して拒絶されたような印象を与える。それゆえにこれまで誰とも打ち解けることができなかったのだから。


「顔を真っ赤にして自己紹介する涼葉ちゃん、かわいかったわ」


 ニコニコしながらそんな事を言う亜矢子に総一郎はわずかに苦笑気味になる。


「本人の前で言うと意識しちゃうからだめだよ」


 亜矢子もわかっていると理解しているがついそう言ってしまい、亜矢子をふくれさせてしまう。


「もう、わかってるわよ。…………諒一くんと打ち解けてくれるといいわね。似たような環境で過ごしてきた二人だもの。他人には言いにくいような事も口に出して、少しでも楽になってくれれば……」


 こう言っている二人が、今上の階では涼葉が自分の意思でおにぎりを作って諒一に渡していると知ったらどんな顔をするであろうか。

 

 それでも亜矢子は心から涼葉と諒一が楽になれる事を望んでいる。亜矢子の表情と言葉を見ればそれがよくわかる。


 総一郎はそんな亜矢子を労るように肩に手を回して寝室へと誘った。


 

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