109.嫌がられても
「なんでぇぇぇ!合ってるでしょ?ちゃんと解いたもん私、数字が頭の中でバク転し始めても、記号が世界水泳自由形メドレーやりだしても頑張って解いたのにいぃぃ~~」
「お、落ち着いて下さい、るみちゃん!」
涼葉がなだめるように言うと、篠部はしゅんとしてしまった。
「だってぇ……」
「だいじょぶです。るみちゃん、ここの記述をちょっと間違っただけです。それ以外はあってますから」
涼葉がそう言うと、篠部の表情がだんだん明るくなっていく。
「ホントに?できてる?」
「はい、式や答えの求め方はあってますから」
にっこりと笑った涼葉がそう言うと、篠部は心から安心したように息をついた。
「よかったぁ……」
それを見て、楓花や壮太も安心した様子で笑っている。
「じゃあ、これ。つぎのプリントですね」
「え゛?」
「さっきの問題、間違えやすいところなんですよね。だいじょぶです、応用問題がいくつかありますから、それも解いておきましょう」
「……え゛え゛?」
「さっきのが解けたなら、これも行けるはずです頑張りましょう!」
むん!とガッツポーズを作って見せる涼葉に、あんぐりと口を開けていた篠部は……泣きを入れた。
「すぅちゃんのおにぃ~~~!」
「も、もう昼も近いからさ、ここらで休憩にしょう」
見かねてそう提案した諒一の意見は、涼葉を除いた満場一致を受けて可決された。
「……ここで忘れないうちに解いておいたほうが身に付くと思うんですけど」
微妙に納得できないのか、涼葉が用意していたプリントを眺めながらこぼしている。ちなみに諒一と涼葉を除いた他のメンバーは買い出しをすると言って飛び出して行った。
「まあ、それは確かだけどさ。そこまで集中力を持続できる人ってそういないんじゃないか?」
以前涼葉に同じように教えてもらった事のある諒一は、苦笑しながら言った。
「でもりょういちくんはできましたよね?」
首をかしげながら涼葉はできたというが、その時は同じようにガッツポーズを作って頑張ろうと言ってくる涼葉がかわいらしくて、嫌と言えなかっただけである。
当時は脳みそがショートするんじゃないかと思った記憶がある。
おかげでしっかりと身に付きはしたが……。
「みんな帰って来たら、もうお昼ごはんですね……。私おでんを温めておきます」
そう言うと涼葉はキッチンの方に歩いていく。心なしか、その背中がしょんぼりしているように見える。
――涼葉も悪気があったり、嫌がらせであんなことしてるわけじゃないしなぁ。むしろ頑張って覚えてもらおうと、わざわざプリントまで作って……。
そう考えていると、無意識のうちに諒一は涼葉を追いかけていた。
「どうしたんですか?りょういちくん」
足音に気付いて振り返った涼葉が諒一に訊ねる。ただ、諒一も何かをしようと考えてした事じゃないので、答えに窮していた。
「りょういちくん?」
何も言わない諒一に涼葉は首をかしげる。
「ああ、えーと……。その」
うまい言い訳も出てこないで、口ごもる諒一を見て、涼葉はくすっと笑った。
「変なりょういちくんですね。」
そう言うと涼葉はおでんの味を見ている。それを諒一が黙って見ている状態だ。
――何を言いたかったんだろう。涼葉の何を見て、思わず立ち上がって追いかけてきた。
諒一は、自問自答を繰り返してようやく一つの答えらしきものにたどり着く。少しピースが足りないけど、伝えるべきだと思った。
「ね、ねえ涼葉」
おでんの味を微調整してふたをずらして置いた涼葉は諒一を見る。
「ありがとう!」
「え?」
いきなりお礼を言い出した諒一に涼葉はポカンとしている。
「あ、いや。ごめん、いきなり。えっとね?俺も前に涼葉に数学を教えてもらったことあるじゃない?」
諒一がそう言うと、涼葉の肩がぴくっと跳ねた。心なしか不安そうな顔をしている。
それでも言うだけは言おうと話を続ける。
「あの時も今回と同じみたいに、涼葉はたくさん例題と応用問題作って、プリントにまとめてきてくれたじゃない?いっぱい手間かけさせたのに、お礼もろくに言ってなかったなって思ってさ」
「そうでした?でも気にしないでください。私がやりたくてやったことですから」
そう答えた涼葉の顔はやっぱり少し寂しそうだ。
「でも、大変だったろ?相手のレベルに合わせて問題選んで……。その……少し嫌な顔されながらでも、少しでも身に着けてもらえるやり方を考えてさ」
諒一がそう言うと、涼葉の目が見開かれた。
「当時は大変だったって意識が強くて、お礼を言う余裕もなかったなあって……今日篠部を見てて思い出した。……涼葉に教えてもらった事、おかげでしっかりと身についたよ。そこから派生する応用問題まで、すんなり入ってくるんだ。涼葉がしっかり考えて問題を作ってくれたおかげだよ。ありがとう」
そう言うと諒一は腰を曲げて深く頭を下げた。どう言えばいいか迷っていたけど、話し出したらスルスルという事が出来た。
「え?で、でも……それは」
「ある程度理解して分かったんだけどさ、暗記すればいい問題と違って、数学とか英語とかは一日やそこらじゃ身に付かないもんね。しっかりと基礎と応用を身に着けていくしかない。でも教えて欲しいって言われても一日くらいしか時間はない。そりゃあれくらいしないと身に付かないよな」
諒一がそこまで言うと、涼葉はきゅっと両手を握る。その手は微かに震えていた。
「それでも、せっかく教えるんですから……ちゃんとものにしてテストにも活かしてほしいじゃないですか」
「うん」
「私も色々試したけど、その時だけ覚えてても身についてないと応用もできないですし……」
「うん。今は分かるよ」
「……よかった。りょういちくんは身についてくれたんですね?」
「うん、涼葉先生のおかげです」
「先生って……もう」
目の端に光るものを見せながら、涼葉は諒一の肩を軽く叩くのだった。
涼葉もあのやり方は嫌がられることが分かっていたのだ。でもしっかり身に着けてほしいなら、少しつらく感じても繰り返し応用問題を解くしかない。
しかも教わろうとする者のほとんどは勉強が得意じゃない連中だ。反応は決してよくはなかっただろう。
それでも頑張ってほしいから……。自分は嫌がられてもいいから、非情に徹してやらせていた。
「……私も嫌われるのは、嫌ですし怖いです。でも、お勉強したのに、点数が伸びなかったらって思うと……。るみちゃん……頑張ってくれますかね?」
涼葉が買いものに行って、ここにはいない友人の心配をしていた。篠部は放っておけば赤点の確率が高いだけに、余計に厳しく接していたんだろう。
「んー、多分だいじょぶ」
諒一が言うと、涼葉はぷくっと頬をふくらませる。
「もう、そんな適当なこと言って。……赤点だけはなんとか逃れてほしいんですよ」
そう言ってうつむく涼葉に、諒一はまだ通話中になっているスマホを見せようとして……やめた。不思議な顔をする涼葉にも聞こえてきたはずだ。走ってくる足音が。
やがて、足音は諒一の部屋の前で止まった。鍵を開けようと諒一が立ち上がった瞬間、二人しかいない静かな室内に、あの音が聞こえた。
――ちりん……――
「あ……」
諒一は涼葉と顔を見合わせた。
すると玄関の扉が開く音がして、足音が勢いよくリビングに近づいてくる。
「鍵……しまってましたよね?」
涼葉がそう言うと、苦笑気味に諒一は頷く。
「また鈴の音、聞こえたね」
涼葉も頷いた。それ以上はゆっくり話す余裕がなかった。
「すぅちゃ~ん!ごめん!」
リビングに入って来るなりそう言った篠部が涼葉に抱き着いてきたからだ。
諒一はそれを見て、少し笑うとかわりに食器の準備を始めた。
「ごめんね!あたし気付かなくて……すぅちゃんにそんな思いさせてたなんて……あの、ね?あたしバカだし要領もよくないけどがんばるから!もう一回教えてください!」
そう言って頭を下げた篠部に、クスリと笑った涼葉は篠部の頭を優しく持ち上げる。
「当然です。まだ作ってきたプリント、たくさん余ってますから。ちゃんと覚えてくださいね」
微笑みながら涼葉がそう言うのを言いて、篠部は嬉しそうに笑った。
「うん!」
ちなみに、篠部は今期の試験で過去最高の点数を取って、周りを驚かせることになる。




