106.冬はおでん
「じゃあ、明日。お昼前にお邪魔するね?よろしくぅー!」
金曜日の放課後、篠部はご機嫌な様子で帰っていった。一歩間違えば、補習と変わらないレベルの地獄が待っていることも知らずに……
「ふふ……みんなでお勉強。少し楽しみですね、りょういちくん」
諒一の危惧する事など知らない涼葉は、少し楽しそうですらある。楽しそうに教えてくれるからこそ、逃げにくいのだが。
「ま、篠部が望んだ事だ、うん。」
きっと、明日は篠部の悲鳴が聞かれる事だろうが、もう諒一にできる事はない。
「明日のお昼ご飯何つくりましょうか?みんないるなら多めに材料買っとかないといけませんね?」
対して涼葉はあくまでご機嫌な様子で、昼食まで準備すると言って、篠部達を喜ばせていた。
なので、帰りに少し回り道をして、「てんてん」で買い物をして帰ることになった。
てんてんの店内に入ると、風が遮られる事と買い物客の熱気で外と比べるとだいぶ暖かく感じる。
「りょういちくんは何か食べたい物はありますか?」
壁に張り出されている本日のチラシを眺めながら涼葉が聞いてきた。
「食べたい物か~……。うーん、そうだなぁ」
「そんなに悩まなくても……。なにかあればと思って聞いただけですから」
腕を組んで真剣に考えだした諒一を見て、涼葉は苦笑して言った。
「ああ。ごめん、食べたい物ってなると、まだなかなか浮かんでこなくってさ」
諒一が申し訳なさそうに言うと、涼葉は諒一の背中に軽く手を添えて言った。
「大丈夫ですよ?りょういちくんが食べ物に興味がない事は十分に理解してますので。それを改善するために私は頑張るのです」
むん!と両手を握って気合を言える涼葉を見て、今度は諒一が苦笑する。そして陳列棚を見渡して、何かないかと視線を巡らせた諒一の目にあるものが止まった。
「ねえ、涼葉。確か、今日の晩から明日にかけて冷え込むって言ってたよね?」
今日の朝になんとなく見ていたテレビの天気予報でそう言ってた気がする。急に気温の話をしだした諒一だったが、涼葉はきちんと把握していたのか、棚の野菜をチェックしながら返事を返す。
「そうですね、寒くなるって言ってましたね。それがどうかしたんですか?」
見ていた野菜を丁寧な仕草で棚に戻した涼葉が諒一の顔を見て聞いてきた。そんな涼葉に、諒一は心なしかどや顔になって言う。
「おでん」
「え?」
「おでんとか、いいんじゃないかな?って。寒い時に食べるおでんっておいしいじゃない?」
諒一は、前の人生で冬の仕事中に、寒い中外の水漏れ修理をして手の感覚もなくなってしまった時に、先輩がコンビニで買ってきてくれたおでんが、すごく暖かくておいしかった思い出が浮かんでいた。
「……そうですね。今夜から仕込んでおけば、明日のお昼にはしっかりと味が染み込んでいるでしょうし、みんなでお鍋をつつくのも楽しそうですね」
「ね!よかった。あっちにおでんの材料を集めたコーナーがあったよ」
そう言うと、さっそく諒一は涼葉の手からかごを取って、おでんコーナーに向かって歩き出した。
「あ、もう。かごくらい私が持つのに……」
そう言って軽く頬を膨らませる涼葉に微笑みかけて諒一は涼葉の手を取って歩いた。
諒一としては食べたい物を聞かれるたびに、少しばかり悪いなと感じていたのだ。涼葉に任せておけば、おいしいごはんを作ってくれるのは分かっているが、まかせっきりになってしまい心苦しく思ってしまっていた。毎日の献立を考える大変さは何となく理解できるだけに、せめて自分があれを食べたいと言う事ができたら、参考にはなるだろうにと。
なので、少しでもアイデアを提供できた事が純粋に嬉しかったのだ。涼葉の方も諒一がそれらしいことを考えているのは見てわかっていたので、足取りが少し軽やかなった諒一の横顔を、微笑ましく見ながら、黙ってついていくのだった。
「……おでんって、地味に材料の種類増えちゃいますよね」
おでんの具をあれこれ言い合いながら、かごに詰めて言って会計を済ませたあと、パンパンになったエコバッグを眺めて涼葉はそうこぼした。
結局二人とも楽しくなってしまい、明日はお客さんも食べるからとあれもこれもとかごに入れていたら結構な量になっていた。
なんならパンパンのエコバッグの隣には、入りきれなかった大物……大根や念のために買い足した調味料などを別に入れたビニール袋もある。
「ごめん、なんか楽しくなって、普段買わないようなもんまで買っちゃって……」
諒一も隣で項垂れていた。浮かれたのか、これまでに見聞きした事のある珍しいおでんの具を言って、涼葉が驚くのに気分を良くして普段なら絶対買わないだろうなという具材まで買っていたりする。
「まあ、明日はたくさんで食べるので、余るくらいのほうが……それにそれほどおかしな物はなかったと思いますし」
項垂れる諒一をなぐさめるように涼葉は言ったが、本当は「あ、この材料は別の鍋で煮よう」と考えた物が何点かあったりする。
涼葉も楽しくなっていたので責めるような事はしない。二人で手分けして、普段より重い買い物袋を抱えてマンションへに道を歩く。
すっかり陽が落ちるのが早くなり、薄暗くなり始めている道を二人は少し急ぎ足で帰るのだった。
その日の夕食は簡単な物で済ませ、おでんの下準備をしながら次の日の朝。涼葉は平日と同じ時間に諒一の部屋を訪ね、おでんを仕込みだす。
「なんか本格的なんだな」
昨日の晩から下ごしらえをしていたが、隣で手伝いながら諒一は感心したように言った。
「本格的……なんですかね?ウチではおばあちゃんがいつもこうしてましたよ?まぁ、手がかかるのは否定できませんけどね」
そう言いながらも涼葉は手際よく材料を準備しながら、大鍋でだしを取っている。諒一の少ない知識にあるおでんの作り方は、好きな材料を大まかに切って、鍋に放り込む。顆粒だしとおでんの元を適量入れて、後は煮る。これくらいのイメージだった。
涼葉はきちんと昆布でだしをとりながら、ゆで卵を作る。その間にカットした大根やこんにゃくには切れ目を入れて、ゆで卵を作った後の鍋で先に煮始めて、練り物は熱湯で油を流した。沸騰するかしないかでダシの鍋の火を止めた涼葉は、ダシに使った昆布をぜんぶあげてしまう。
「あれ?おでんに昆布はいってるよね?」
ゆで卵の殻をむきながら、昆布を鍋から出してしまったのを見て疑問に思った諒一がそう言うと、涼葉が楽しそうな顔で微笑んだ。
「ふふ……それ、私が料理のお手伝いを始めた頃に、お婆ちゃんにおんなじこと聞きました」
嬉しそうにそう言うと、続けて話だした。
「これは料理の裏方のお仕事、ダシとしてのお役目を終えたから、お化粧直しをして今度はちゃんとしたおでんの具材になるのです」
諒一に諭すような口調で言うと、涼葉はダシに使った昆布を結び始めた。
「ああ、なるほど……。そう言えばおでんに入ってる昆布って結んであるな。……さっきの口調はお婆さんの真似?」
諒一がそう言うと、我慢できなかったのか少し噴き出しながら涼葉は笑って頷いた。
「わかりました?さっきのは、りょういちくんが言ったような事を私が言った時におばあちゃんが言った言葉です。ダシをとって一仕事終えたから、こうして一手間かけてもらえるんだな。って思ったの、覚えてますもん」
懐かしそうに眼を細めて涼葉はそう言った。きっと料理を教えてくれたお婆さんとの思い出を噛みしめているんだろう。そんな優しい顔をしていた。
その後も真剣な様子で、ダシのお鍋に調味料を入れて味を調えた後に、大根とこんにゃくだけを入れて火をつける。
「ちゃんと煮えにくいものや、味の染み込みにくい具材から順番に入れていくんですよ?全部一緒に煮ちゃうと、まだ味が染み込んでないのに、一部の具材は煮崩れしてぼろぼろになる。なんて事になっちゃいますからね!」
涼葉が諒一の鼻先に人差し指を立てて、教え諭すように言った。ぽろりと諒一が想像していたおでんの作り方を言ってしまったからである。
諒一の話を聞いた時の涼葉は、口をあんぐりと開けたまま数秒固まっていたが……。




