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95.居場所

総一郎は憤慨した様子で、涼葉は想像を超えた内容に声も出せずに、放心したように諒一の戸籍謄本を見ている。

 諒一だけが取り残された戸籍の……


「諒一くんはどうするつもりだったんだい?」


 そう聞かれて、諒一は頬を掻く。正直なところ話が大きくなりすぎてる。


「いや、俺は……苗字が、水篠じゃない可能性があるなーくらいで……」


「そうだね。結果諒一くんは両親の離婚後は一度たりとも水篠姓にはなっていないわけだからね。」


 謄本の一番上に記載された名前。そこには「藤島諒一」という名前が記載されていた。母親の……今は旧姓だ。


「……のって……」


「涼葉?」


「そんな、のって……あんまり、です……」


 その瞳は戸籍謄本に固定されたまま、ぽたりと落ちた雫が書類を滲ませる。そして涼葉は絞り出すように言った。


「自分……の子供を、一人……置いて、行っちゃう、なんて……」


「涼葉……」


 そっと背中を撫でる。


「確かにそうだよ。これはあってはいけないことだ。涼葉ちゃんが怒るのも無理はない。僕も全く同じ気持ちだからね」


 総一郎まですっかり憤慨した様子でそう言った。

 それを見て、実は内容を知っていて当時はショックは受けたけど乗り越えましたなんて言えない。


「すまない……これはちょっと僕にもすぐになんて言ったらいいか……出てこない。」


 見れば総一郎まで、目に涙を溜めている。


「えっと……その、俺もちょっと考えがまとまらないんで、一旦これは預かってもいいですか?また後で相談するかもしれないですけと……」


 このままではどうしようもない。そう考えた諒一は事情を知る涼葉だけの方がまだマシと思った。


「もちろんだよ。なんでも言ってほしい。役立たずで申し訳ない。僕も少し考えさせてくれ」


 真面目にそう言われて、諒一も「よろしくお願いします」としか言えなかった。


 総一郎が部屋を出て行った後も涼葉の状態は変わらなかった。

 戸籍謄本が諸悪の根源みたいにずっと睨みつけている。


「涼葉……ごめん、俺もここまでとは思ってなかったというか……」


 さすがに忘れてたとは言い難い。


「なんでりょういちくんが謝るんですか!りょういちくんが一番可哀想なんじゃないですか!」


「うん、さすがにショックだよ?でも、ほら。2回目だし……ね?」


「これじゃまるで、りょういちくんに居場所がないみたいじゃないですか、ひどすぎます……あんまりですよ……」


 そう言って涼葉はとうとう顔を覆って泣き出してしまった……。


いつの間に時間が経ったのかわからないが、部屋の中はだいぶ暗くなってきている。ただ、なんとなく明かりをつける気にはなれず、ただ涼葉が落ち着くように、ひたすら背中を撫でながら、諒一がひとり取り残されている戸籍謄本を眺めるのだった。


「……りょういちくん。前の時はこれからどうしたんですか?」


 少し落ち着いたのか、涼葉がそうたずねてきた。


「前の時は……そうだな、やっぱり何度も苗字の事を聞かれるのが面倒だったし、なんでそうなったのかもその時は分からなかったから説明もうまく誤魔化す事も出来なくて……先生に相談して、書類上はどうでもいいから学校にいる間は水篠で、過ごせないか聞いた。先生も状況はわかってるから、名簿とかは藤島で、通称水篠でやり過ごした。だから高校にいる間は呼び名も名札とかも水篠にしてもらった。卒業証書授与の時に校長先生が間違えないようにだろうな、俺の卒業証書読む時に貼ってあった付箋を剥がしていたのを覚えてるよ」


涼葉はそれを聞いて、ああ、なるほど……と小さく呟いた。


「卒業するときに記念かな?全員に認めで使えそうな印鑑もらったんだけどさ?先生もうっかりしていたのか、「水篠」の印鑑くれてさ、「卒業したらもう使えないんですけど」って言ったらすごく慌ててた」


「そりゃそうですよ、普通デリケートな問題ですからね?」


 ちょっと咎めるような言い方で涼葉は諒一を見た。そして、以前やったように、諒一の頭を抱きかかえようとしたので、慌てて止めた。


「む……なんで抵抗するんですか……大人しくよしよしされて下さいよ」


ムッとした目で見られて諒一は焦って言う。


「や、それはほんとに恥ずかしいんだって!ちょっと効果がありすぎるから、もっと落ち込んだ時にお願いします」


 以前された時を思い出して赤面しながら言うと、涼葉は不満そうにしていたが、しぶしぶ手を下ろしてくれた。


「……膝枕でもいいですよ?」


「だ、大丈夫だから。いや、当時は結構ショックだったよ?誰も俺を気にしていないというか、いてもいなくてもいい存在なんじゃないか、とか考えたし……その時くらいから親に対する信頼とかどんどんなくなっていったし。」


 なるべく深刻な表情にならないように気をつけながら話すが、涼葉の眉がだんだん下がっていくのは止められなかった。


「やっぱ誰にも必要とされていないんじゃないかって考えたら、やっぱへこむしね」


 なるべく深刻な感じにならないように気をつけて話す。

 

「そんなの……当たり前じゃないですか……」


「軽く自暴自棄にはなったし、俺に何があっても俺の後ろには誰もいないからって、そんな考えになってた。でも、やっぱり時間が解決してくれるっていうか……笑い話には、ならないけど、社会に出て独り立ちしてしまえば関係なくなるしね」


 親の庇護を離れ、自分の戸籍を持つような年齢になってしまえば気にならなくなる。

 だからと言って許せるかと言うとそうではないが……


「こうして考えてみたら、親との間に壁があるように感じてたのは、自分が作っていたのかもしれないなぁ」


 過去?を振り返りながら、そう呟くと諒一の手を涼葉がそっと握った。


「誰からも……必要とされてないなんて事は、ないですからね?……その、私はりょういちくんに、い、いてほしい!ですし……ひ、必要と、してますから!」


 決して目を合わせようとはせずに、赤くなりながらもそう言ってくれる。

 前の諒一が五十年生きてきても、こんなに自分を見てくれる人はいなかった。


 そう考えると、涼葉という存在がとても大切な物に思える。


「ね、涼葉。お願いしていい?」


 急に言われ、涼葉は目をぱちくりとさせている。何をとも言っていない。それでも「いいですよ」と言ってくれる事が無性に嬉しかった。


「……じゃ、その……ひ、膝枕……お願いしてもいいですか?」


 恥ずかしかったが、なんとか口に出すと、涼葉はしばらくの間にポカンも諒一を見ていたが、だんだんと口の形を笑みに変えていって、自分の太ももをポンポンと叩いた。


「ふふ……いいですよ?どうぞ。珍しいですね?」


 諒一が頬を赤くしながら頭を乗せると、すかさず頭を撫で出した涼葉は、ゆみなりになった目で、優しく見つめながら言うと、諒一は照れ臭そうに目を逸らしながら言った。


「すっ、涼葉が……甘えさせてくれるから……その、なんというか。……涼葉は俺の本当の家族よりも家族みたいっていうか……」


 諒一がそう言うと、涼葉は嬉しそうに笑って、愛おしそうな手つきで諒一の髪を梳く。


「そ、そう言われると……す、少し恥ずかしいですが、その……嬉しい、です。りょういちくんは……これまで人に甘える事ができなかった分、もっと甘えていいと思います。差し当たって、僭越ですが……この私がりょういちくんを甘えさせるつもりですので……」


 諒一と目が合わないように、違う方向を見ながらそう言ってくれる。


「……さっきの続きだけどさ?やっぱり、俺はいらない子なのかな?とか、俺の居場所はそこにはないのかな?って。そのまま消えてしまっても誰にも気付かれないんじゃないかな?考えちゃうんだよね?」


「そ、そんな事!」


「ああ、今は違うよ?こうして涼葉がちゃんと俺を捕まえていてくれるし……俺の居場所はここなんだなって、実感してるって、そう言いたかったんだ」


 にっこりと笑ってそう言うと、涼葉も穏やかな笑みを返してくれた。

 

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