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8.5 卯月 涼葉

 「ふう……」


 自分の部屋に戻ってきて、自然に息がもれた。まだ心臓がドキドキしている……。


「なんで、違う部屋で寝てたんだろ……」


 私は、ほとんどお家を出ない。今日も一階までゴミを出しに行っただけ……

 そして自分の部屋に帰ってきたつもりが、隣の部屋に入ってしまうなんて。

 しかも、今日から新しい人が入るという時に……


 普通自分の部屋を間違う事なんてないし、まして違う鍵で開くなんて、そんな事があるのか。


「あ、亜矢子さんを待たせてるのか……」


 亜矢子さんは気の許せる少ない人ではあるけど……まだおうちに入れるのには抵抗がある。ここは私にとって最後の逃げ場所なんだから。

 

 呟きながら自分の姿を見下ろす。ゴミを出しに部屋を出ただけだったから、私の格好は部屋着のまま。


「もう……ホントに恥ずかしいです。」


 今日来たばかりの人に、部屋着で気の抜けた情けない顔を見られてしまい、涼葉の顔はまだほてっている。


 本当は頭から布団をかぶってベッドに逃げ込みたいくらいだけど、このままというわけにはいかない。


「水篠さん……でしたっけ?内気な方って聞いてましたけど……」


 涼葉も人見知りが激しく、慣れない人とはまともに話す事もできない。亜矢子さんから聞いた話では、彼も似たような人らしい。


「どうせ……お隣というだけの間柄ですし……お詫びだけはちゃんと言っておきましょう……」


 思い気持ちを引きずりながら、部屋着から着替えた涼葉は、亜矢子が待つ玄関に向かうのだった。


「涼葉ちゃん、大丈夫?」


 玄関を出ると亜矢子が気遣わしそうな顔で涼葉を見る。

 大丈夫じゃないです。と言いたいが、代わりに苦笑いをしておく。


「ホントに涼葉ちゃんの鍵でこの部屋が開いたのよね?」


 702号室の前までくると、また同じ事を聞かれた。それに頷いたが、亜矢子はいまいち納得していない様子だ。


 それを見た涼葉はポケットから自分の部屋の鍵を出した。


「あ、そうね。実際してみたほうがいいわね」


 亜矢子もそう言ったので、涼葉は自分の部屋の鍵を702のドアに差し込む。


 ちりん


「……?」


「どうかしたの涼葉ちゃん?」


 鍵を差し込んだきり動きを止めた涼葉を見て、亜矢子が不思議そうに聞いてくる。


 確かに何か聞こえた気がしたんだけど……。


 少しだけ首を傾げ、差し込んだ鍵を回した。


 がちゃん


「……開くわねぇ」


 亜矢子がそう言ってノブを回してドアを開けた。


「!」


 目の前に水篠さんがいた。びっくりしすぎて声も出ない私がを見て、水篠さんも目を見開いて驚いていた。


 ◆◆ ◆◆


 あれから鍵の業者さんを呼んで、実際に二つの鍵を差し込んでみたが、私の鍵で702が開く事はなかった。

 今も二つの鍵をテーブルに並べて亜矢子さんはしきりに首を傾げている。


 業者さんを呼んだり、実際に試したりして結構時間がたった。

 亜矢子さんが帰ろうとしないから、自分だけ帰ると言い出しきれずに、ずっと下を向いていると、目の前にカップが置かれた。


 顔を上げると、水篠さんが私と亜矢子さんにコーヒーを入れてくれていた。


「あ、あり……ぅ…………す」


 咄嗟にお礼を言おうとしたけど、まともに声も出なかった。こんな時に喉に何かがへばりついたように声が出ない。そんな自分が嫌でたまらなくなる……。

 そんな私の言葉でも理解してくれたのか、水篠さんは軽く微笑んでくれた。


 もしかしたら似た者同士だから理解してくれているのかもしれない。

 それに亜矢子さんが言ってたほど、内気な人には見えないんだけど……


 テーブルの上のカップをジッと見つめる。正直に言えばコーヒーは苦手だ。自分では好んで飲む事はない。

 でも準備してくれたものを苦手だからと言う事もできないし……


 そう考えて涼葉はそっとカップに手を伸ばす。暖かい温もりが手に伝わってきて、ほんのり緊張を解いてくれる。


「あ、れ?おいしい……」


 ポツリとこぼした言葉は誰にも聞こえなかったようだ。


 好みなんて何も言ってないし、知らないはずなのにほんのり甘く、苦味を抑えたコーヒーだ。

 さりげなく亜矢子のものを見れば、真っ黒の苦そうなコーヒーが入っている。

 チラッと水篠さんを見る。水篠さんも照れているのかほんのり頬が赤いのを見て、なんだかやけにホッとしてしまった。


「……ふぁ」


 噛み殺せなかったあくびが私の口から漏れる。亜矢子さんはまだ帰る様子はない。

 その時一瞬、水篠さんと目が合った気がした。


 ……あくびしたの、見られたかな?


 少し恥ずかしいと思っていると、水篠さんはパッと時計を見て、少し慌てて亜矢子さんに遅い時間だと伝えてくれた。さり気なく私の事を気遣ってくれているのが、やけに気恥ずかしい。


 亜矢子さんも時計を見て慌て出した。


「やだ、もうこんな時間!ごめんなさいね涼葉ちゃん。諒一くんも」


 そう言って亜矢子さんは残ったコーヒーを飲み切ると、カップを持って立ち上がった。私も同じようにカップを持つ。


「いいですよ、洗い物くらいやっときますから」


 水篠さんがそう言ってカップを置いておくように言う。

 

 そんなのダメです。準備までしてくれたのだから、洗い物は私たちが……


 心の中でそう言った私の意見など関係なく、亜矢子さんがあっさり水篠さんの言う事をと受け入れてしまう。

 もう、亜矢子さん……


 心の中で何度も謝りながら私は亜矢子さんと一緒に玄関を出た。

 ちょうどその時、エレベーターが開いて総一郎さんが顔を出した。総一郎さんも亜矢子さんが遅いから様子を見に来たようだ。


 総一郎さんが大好きな亜矢子さんは、それを見てニコニコしながら挨拶までそこそこにエレベーターに向かいだす。


「あ……」


 鍵!私の部屋の鍵も、水篠さんの鍵も亜矢子さんが持って行っちゃった。こんな時も咄嗟に声を出す事ができない、自分がもどかしくなる。


 すると、私の横をスッと通り抜ける人がいた。

 水篠さんが裸足のまま亜矢子さんを追いかけて鍵を取り返してくれた。


「はい、卯月さんの鍵」


 そう言って私に手渡してくれる。


 ごめんなさい、ありがとうございます。そう伝えたかったのに、実際に出た声は


「ごめ…………、あり…………す」


 情けなくて泣きたくなる。水篠さんは、勝手に部屋に入られた上に、遅くまで上がり込んで……こうして咄嗟に何もできない私の代わりに鍵を取りに行ってくれた。


 ホントに悪いと思ってるのに、伝えきれない。ただ、水篠さんもそれがわかっているのか、ニコリと微笑んで頷いてくれた。

 それに少しだけ安心して、部屋に戻ろうと歩き出す。何も話しかけたりはしないけど水篠さんも並んで歩いている。


 そして水篠さんの部屋の前まで戻ってきた。頑張って挨拶を……と思って顔を上げると、水篠さんは私が持っている鍵を見つめていた。


「ちょっとそれ、借りていい?」


 そう聞かれ、何も言わずに差し出すとまた優しく微笑んでくれる。

 私の鍵を持った水篠さんは702のドアノブに差し込もうとした。


 ちりん


 ……まただ。鈴?のような音が聞こえた気がした。ただ、今度は水篠さんにも聞こえたみたいで、思わず見つめ合ってしまう。そして……


 がちゃん


 702の鍵が閉まった音。鍵屋さんや亜矢子さんが何度も試しても動かなかったのに、簡単に回った。


 やっぱり!どうして開いたり開かなかったりするんだろう……ちょっと私も、もう一度試したい。


 その私の考えが通じたのか、水篠さんはスッと場所を譲ってくれた。

 私は差し込んであるままの、鍵に手を伸ばして一度引き抜く。そして再度差し込む……


 ちりん


 例の音がして……回す。


 がちゃん。と鍵が開いた音がする。


「どゆこと?」


 水篠さんが不思議そうに言うが、私にもわからないから、首を傾げるしかなかった。


 その後、水篠さんは私の部屋の前にに行き、702の鍵を差し込んだが、動かない。


「どゆこと?」


 水篠さんはしばらく首を傾げていたけど、なぜか安心したような顔になった。


「まいっか。とりあえず俺が卯月さんの部屋に入れるわけじゃないし……そこまで大きな問題じゃないね」


軽い口調で水篠さんがいうので、私は首を振る。


「いや……その、ぶ、不用心?」


「いやあ、卯月さんだし大丈夫でしょ」

 

 なんでそんな事が言えるんだろう?会ったばかり私をなぜそんなに信頼してくれるんだろう……

 卯月さんは何もしないでしょ?そう言ってくれるのが不思議でたまらなかったけど……なぜか嫌な気持ちはしない。


 水篠さんはそのまま「じゃあ、おやすみ」と言って帰ろうとする。

 私は頭を下げて会釈して、玄関を閉めようとした。


 ちりん


 ……また。


 音が聞こえた気がして、ドアを閉める手が止まる。その時、水篠さんのお腹が鳴る音が聞こえた。慌ててお腹に手を当てる水篠さんを見て、私はドアを閉めた。


 そして、そのままキッチンに向かう。なんでそうしようと思ったのか……わからないけど、水篠さんがお腹の音を聞いてしまったし、今日はたくさん迷惑をかけてしまった。


 ちりん


 私はその音に背中を押されるようにして、台所に立った。なんとなく、私の心の中の鍵も一つ開いた気がする。

 それになんとなく浮き立つ心を感じながら、私は残っていたご飯をお皿に出した。

 

 

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