第2話:行動に欠けるもの
アインタル王国は、広大な国土に比べ、列車の歴史が浅い国であった。敷設された鉄路は、主に各地への補給品、鉱石、そして軍事品の輸送に利用されており、国民の移動手段としての役割は二の次であった。
人を乗せた旅行列車はごく少数しか運行されていなかったが、その運行規定には、例外なく警備員の配置が義務付けられていた。
配置される警備員の数は決して多くはなかったが、それを補うかのように、搭乗駅における検査は非常に厳格であった。旅に出る者は皆、危険物とみなされる武器や道具の類を所持していないか、精密な鑑定機による検査を受けねばならない。
搭乗前にそれらを確実に防ぐべく、厳重なチェックを行っていた。国民は皆、この厳しさに慣れっこになっており、安全な旅のためには必要な儀式として受け入れていた。
実際に列車に乗るのは初めての経験だったが、この国の徹底した安全対策には感心していた。長年使い慣れた愛剣すら、私とは別の輸送経路で、遅れて目的地に到着する手筈になっていたからだ。
「これなら安全性についてはよくできているね」と、思わずにはいられなかった。たとえ万が一、何らかの危険品がこの列車内に出現したとしても、これほど多くの乗客が、皆一様に武器を持ち歩いているわけがないだろう。
安全性は、一体どこに行ってしまったのだろう……
目の前で繰り広げられる光景を、信じざるを得なかった。安全であるはずだったこの旅は、もはや絶望的な危険な状況に陥っているとしか受け取れない。
(どうしたことだ、お姉ちゃんは無事なのだろうか? もうずいぶん時間が経っている。まだ戻ってきていないということは、このハイジャック騒動に巻き込まれ、私と同じように身動きの取れない状態になっていると見るべきだろうか……無事でいてください)
私の切実な心配をよそに、男たちは次の行動へと移り始めた。
「おい、お前はここに残れ。どデカい態度の乗客どもにサービスしてやろうぜ。他の奴らは俺に続いてこい」
仲間たちの中でも一際凶悪そうな男が命令を下す。やはり彼がこの一味の親玉か。
「うっす。でも本当に何してもいいんすか?」
「ああ、標的のやつ以外なら何してもいいって話だ。どうせ最後には全部無かったことになるさ」
「ヒュッ、そうこなくっちゃな!」
彼らの言葉を聞き、背筋に戦慄が走った。すべてを無に帰す。その言葉が意味するのは、この悪人どもがどんな非道な行いに及んでもおかしくないということだ。
親玉らしき男が仲間を引き連れて、私の横を通り過ぎていった。奴らは、これから自分たちが起こすであろう凶行の結果について、何も考えていないのだろうか?
この世に生を受けてから十五年。決して長いとは言えない年月だが、世の中に悪い人間などいないと言い切れるほど、私も甘くはない。
だが、これほど平然と悪事を働こうとする人間は、生まれて初めて見た。一体何の根拠があって、自分たちは罰せられないと言い切れるのか? それとも、罰されることすら構わないというのか?
彼らの行く末など分からない。けれど、このままではいけないということだけは分かっていた。
そんな考えに沈んでいるうちに、その場に残された男が、にやにやと下卑た笑みを浮かべて動き出した。
「さてと、何からしよっかなぁ〜」
まるでこれから散歩するようなご機嫌さ、いや、実際もそうだろう、刀として見える凶器を手にして、男にとっては、周りの人が自分の庭にある動物のように見えただの、これからする事は庭で散歩するような事た。
張り詰めた危険な雰囲気に耐え切れなかったのだろう。一人の乗客が、男がすぐ横を通り過ぎた直後、彼に背を向けて列車の出口へと一目散に逃げ出した。
だが、男はまるでこの時を待っているように、すぐに追いつき、刀を逃げ出した人の背中に振り下ろした。
(なっ!)
目の前で起きている事に思考が停止し、頭が真っ白になった。あまりに早すぎた。考える暇すら与えられず、この暴行をただただ目に焼きついているしかなかった。
「てめえ、俺の同意もなしに、どこへ行こうってんだ? 自分の立場が分からねぇのか? てめえらもよく聞け! この列車はここから地獄行きだ、もう終わりだぜ! 残されたほんのわずかな時間で、せいぜい俺を楽しませるのが、てめえらの役目だ!」
こいつは狂っているのか? 同じ言葉を話しているというのに、まるで理解できない。それでも、止めなければいけないことは分かっている。
分かってはいるのだが、何かが体の動きを止めている。いつも使っている剣は手に持っていないし、理性はこれが無謀だと告げている。先生からは武器無しでも立ち回る術をこの身に教わったはずだ。それなのに、動けない。
(あ……私は、怖がっているのか)
いくら訓練を積んでも、本気の殺し合いなど理解できるはずがなかった。失敗することなど、考えたくもない。
これだけの大騒ぎだ、このまま待っていれば、救助がもうすぐ来るのではないか? 自分の身を危険に晒して、一体何が得られる? これからはお姉ちゃんと一緒に生活するんだ。
お姉ちゃんを泣き顔にさせるなんて、考えたくもない。これでいいんじゃないか? 安全な場所に身を隠して、時が過ぎるのを待つ。それが、最善の選択なのではないか。
恐怖と理性が、私の体を縛り付けた。
「こんなの嫌だ、怖いよ、ママ、おうちに帰りたい」
突然現れた声の方向を見ると、隣にいた母親の胸に抱かれて泣いている幼い少女がいた。当然、この音は男にも届いた。
「なんだ。しつけの悪いガキだなぁ!」
「やめてください。この子はただ怖がっています。もうすぐ収まるのでどうか許してください。」
「はぁ?収まる必要ねぇでしょう。」
「え?」
「その泣きは死への恐怖だ。収まったら、自分が死なないと錯覚するだろう! もうすぐ死ぬ運命のてめえらには、そんな錯覚こそが必要ねぇんだよ!」
「何を…」
「てめえらはまだ死ぬことを意識してねぇ! 恐怖こそが死への尊敬だ! そんなに収まりたいのなら、死ぬことこそが、最大の敬意を表す唯一の道だ!」
「そんな…」
「手伝ってやろう、恐怖を終わらせるよな!」
「どうか許しを…」
「やめろ!!!」
あたりを一瞬で沈黙に戻すほどの大声だった。誰の声かと思い、意識が戻るまで数秒経ち、ようやく自分の口から出た声だと認識した。
(やっちまった……)
たとえ事後に「有勇無謀」と評されることになっても、人は衝動に駆られて行動するものでしょう。これは真の勇気ではないかもしれませんが、少なくとも「あの時行動しなかった」と後悔せずに済むはずです。




