02
水曜日は7限まで授業がある日だ。
7限の授業が終わって、僕は音楽室へ直行する。
音楽室が好きなだけで、別に音楽が好きではないんだ。だから音楽の授業は取っていない。
つまり僕は、音楽の授業でしか使わない音楽室が好きな、音楽の授業を取っていない変な人なんだ。
そんなことを思いながら僕は音楽室のドアを開けた。
音楽室の少し思い扉を開けて漂う、あの独特な匂い。少し金属っぽいのか、少し木っぽいのか、そんな匂いはセピア色の匂いとでも表現しようか。
そんな匂いに包まれながら僕は音楽室に入った。
「あ…」
見渡してすぐ、いつもとは違う違和感に気づいた。無いものがある、いない人がいる。
ピアノの椅子に一人の女生徒が座っていた。
鎖骨下くらいまである黒髪に、綺麗に作られた前髪。第一印象、育ちが良さそうなお嬢様。そんな生徒に僕は何か見えない糸で視線が固定されているのか、目が離せないでいた。
止まってしまった僕に動くことを促したのは、その女生徒であった。
「あなたは…?」
そんな至極真っ当な質問に僕は動揺していた。
だが、数秒の思考の後、それはこっちのセリフだと反論したくもなった。
「僕は…藤井」
「下の名前は?」
「亮太」
「リョータか!ふぅ〜ん」
「ふぅ〜んって何だよ」
初対面…なはずなのに、距離が近い彼女に僕は戸惑っていた。
今度は僕の番だ。
って言っても、彼女のように僕らそんなにグイグイいけない。ちょっと悔しい…。
「あなたは?」
「私!?」
そう言って、自分のことを指差しながら驚く彼女。逆に私以外誰がいるのかと言いたい。
だが、そのことは言わず静かに頷く僕を見ると彼女はゆっくり口を開いた。
「詩菜。霧島詩菜」
「へぇー」
「なんか興味なさそー。自分から聞いといて、そんな興味ない感じだと、嫌になっちゃうよ?」
「別に構わん、」
「何それ!亮太面白いね!亮太クラスは?」
いきなりの下の名前呼びには流石に動揺を隠せなかった。
言葉が詰まる、そんな感覚を覚えながらも、押し切って言葉を絞り出す。
だが…それにしてもこの子は何なんだ。
何でここに…?
……それはあっちからしても同じか。
「2A」
「2年生なの!!!」
「ああ」
「私、亮太のこと知らないんだけど!!」
「ってことは、君も…?」
「うん!私は2C」
去年1年あって、まだ知らない同学年の生徒がいることに驚きだった。
それも僕だけが相手を知らないのではなく、相手も僕のことを知らない。
出会わないという運が強すぎたのか、はたまた僕が、彼女の影が薄すぎたのか。
ーーその場合僕の影が薄いと考えた方が良さそうだ。
だが、実際問題体育祭や文化祭、そういうイベントごとで大抵の人とは出会ってる、そう考えるのは普通だ。
話したことがなくても、顔くらいは見たことあるはずなのに、僕は彼女の顔すら見たことがなかった。
「君のこと、全然知らないや」
少し笑いを含んだ、物言いに対して彼女も同じ感じで、私も。そう短く返した。
「まあいいや」
そう言って話を改めた彼女は僕の目を見つめた。
「なに、?」
「私のことは、君。じゃなくてし詩菜、そう呼んでよ」
「何でだよ」
「何でも何も無いよ!私が亮太って呼んでるのに、おかしいじゃん!」
「それは君が……君が勝手に呼んでるだけだ」
「ほらそうやって!!!勝手に呼んでるだけだけど!!お願い!!」
「何だそれ」
話にならない。そう感じた僕はそっと踵を返す。
彼女に背を向けて、音楽室の扉に手をかけた。そして重い扉をゆっくりと開ける。
「帰っちゃうのー?」
「ああ」
「えぇ、つまんなーい」
「知らん」
ドアをそっと閉めた。
5分にも満たない詩菜との邂逅。それはあまりにも悪すぎる第一印象だった。
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