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指輪

作者: るたーのる

 拝啓、君は今何をしているのだろう。



遠い故郷の地で旧友と語り合っているのかもしれない。



それとも一人でひとつまみの豆と一杯の酒を飲み耽っているのか?



はたまた新しい彼氏でもいるのかもしれないね。



できることならばそこには私が居たいものだが、どうやらそれも難しそうだ。



でも、君の事だからきっと前者だと思う。



それと姉さんは元気?



姉さんはどんな時も明るいし決して暗くなるような人ではないはずだから、そこまで心配してはないけどね。



あと、そうだな、母さんの病が今は心配事の種だ。



仕送りは少ないだろうけどどうか頑張って欲しい。



今の季節は花畑が狂い咲いていることだろうと思う。



あの景色はこんな蚤がうじゃうじゃといるところじゃ見れないしね。



全くもって懐かしいな。



久しぶりに二人で見たいものだ。



そうだ、一つ伝えたい事がある。



これで手紙を出すのは最後になりそうなんだ。



航空郵便輸送路が限界だそうで、今日の夕方には締め切られる。これには申し訳なく思う。

 


少し手短に近況報告をしておく。



私のいる街はすっかり生気が少なくなった。



路傍によく居た猫は消え、石畳は軋み、道行く人々の虚な顔といったら、私も釣られて気分が悪くなってきてしまうくらいだ。



今は酒となけなしの配給食が唯一の希望だ。



だがそれもいつ尽きるか。



上官殿が声を高らかに各兵舎を回って叱咤激励をしていた。



いや、あれには力が漲る様だったよ。



そして次の作戦内容を事細かに一般徴兵部隊に教えてきた。



やはり次が最後になるからだろう、だがここが正念場だと思う。



少なくとも私の大隊の部下達は死なせぬよう努力してみる事とする。



そして吉報であるが、私や君と同じ幼馴染のジルが二階級特進したよ。



あいつは勇猛果敢にも敵陣に乗り込み単身敵を粉砕した。



夜に酒を一杯奢ってやったよ。



あいつめ、少ない金を持っていきやがった。



さぞや幸せなことだったろう。



文字が乱れてしまった。



この紙は実に粗悪で困る。



少しの水滴で滲んでしまうのだから。



軍ももう少し良い紙を支給して欲しいものだ。



剃刀の歯もぼろぼろだし、パンもなんと硬いことか。



もうこの街にはろくな物もありゃしない。



チョコレートなんかも食べたいものだが、生憎嗜好品関連もほぼ無い。巻煙草は一週間に二本だと。



まあ私は吸わないのだがね。



と、あれこれ愚痴を書いてしまうと検閲に引っ掛かるかも知れないからこれくらいにしておく。



最後に、伝えたいことがある。これ迄幾度も伝える機会はあったのだけれど云えなかったのだ。



ジルがいない時に云うのはどうも気も憚られるし卑怯だろうけど、それも逢瀬で謝るとしよう。



ああつまりだ、私は君を愛している。



君の美しい黄金色の髪が愛おしい。



君の少しお転婆なところが愛おしい。



君のその碧眼が愛おしい。



そのすべてが愛おしくて私は堪らないのだ。



できるならば君を強く抱きしめてやりたい。



できるならば君と村で子供を二人程拵えて健やかに過ごしたい。だがもう叶わぬ夢だ。



諦めよう。



もう時間の様だ。



手紙にささやかなプレゼントを同封しておく。それで屍となる私をどうか許して欲しい。



君をいつまでも愛している。



……それから三月程が経ち、既に戦争も終結した頃、辺境の村に若い配達員が尋ねた。



万歳、二階級特進といわれているのは、彼女には聞こえ無かった。



ああ、彼が帰って来たんだ、きっとそうよ!



彼女は農具を畑に放り捨て、淑女の嗜みとやらも忘れて一番に走る。



ただ無邪気に、帰ってくるのを信じて止まない。



けれども見えるのは軍服を着たお偉い様とその小間使いに、彼の母と姉の姿のみだった。



お偉い様は此方に気付いて身体を向ける。



「ヴィンセント中尉殿はご帰還なされました」



その言葉に身体は止まる。



何とも云えぬ何かがこみ上げてきていた。



そうと言われても車にも周りに彼はいない。



彼女の白い柔肌はなぜか微かに震えていた。



瞬間彼女は何も考えられなかったのである。



「違います。訂正を、彼は、彼は准尉ですよ。間違えないで下さい」




「ですが……おっと、ええそうでした。貴女はエイジャ様でしょうか。お手紙を准尉からお預かりになっております」



小間使いの男はそう云って少し分厚い封筒を差し出した。



その男からそっと受け取ると、それは重かった。今迄に貰ったどの手紙よりもずっと。



恐る恐る封を破ると、そこには小さな箱が出てきた。



しかしそれを見る前に手紙を見る。読むと同時に膝が地に這い尽くす。



泣き崩れる、という陳腐な表現では表せないほどの酷い崩れ方である。



……あぁ、今迄こんな事は無かった。



胸がぞわぞわと燃えている様な気がしている。



まるでおぞましい何かが身体中を這いずり回るかの様な嫌悪と怒り。



どうしてか周囲の景色が白黒に見える。ああヴィンセント、どうして、どうして!



そしてふと、爆発したかの様に軍人に掴みかかる。



「ねえ会わせて、会わせてください彼に、わたし彼に会わなくちゃいけないの!」



その顔はまさに鬼気迫る表情。



しかし配達員は困惑と同情の眼で見るしかない。

か細く頼りのない手で、配達員の服を何度も乱れさせた。



最早どんな顔をしているのかも彼女にはわからかった。





 ……その日の夜、エイジャは深い碧眼を細めてぼんやりと月を見ていた。



彼女のそばで生ぬるい夜風が吹き抜けていった。



そして指を絡め、惚ける様に神に祈りを捧げる。



できる事なら神様、彼に逢わせてくださいと。



すると何処から背後から人の気配がした。



いつも感じていたあの気配、彼女が見紛うわけがない、そこにいたのは。



「ヴィンセント、貴方が、どうして此処に!」



やっと、会えた。



「すまない、エイジャ。勝手に行ってしまって」



「いい、いいの。貴方に会えただけでも私……」



突然目の前に姿を見せた『彼』は緩く口角を上げて見せた。だけれどその笑顔は私にとって何故か痛く感じる。



そう思うと、現実という言葉が頭をよぎってくる。



そうか、彼は死んだのか。



それでも、そうだとしても私には今目の前にいる『彼』が神様が見せた幻覚、偶像の類でも良い。



今はただ浸りたいのだ。たとえそれが背徳の行為であったとしても。



すると彼はその大きな口をゆっくり開けて、



「エイジャ、私はやり残した事があった。君とゆっくりと話したい所だがそうもいかないらしい、俺たちの信仰する神とやらは理に反することはあまり好きではないらしいんだと……そういう訳だ、仕方のない事なのだが神とは随分空気の読めない奴だがね」



私は確かに、と心の中で主張する。



全くだ。



もし神様が本当に優しく慈悲深いのならば、先での悲劇を傍観し続けるはずもない。 



「本当神様は残酷ね、少しの時間も待てないのかしらね」



「そのようだ。だから君には手紙ではできなくて、口惜しかったことを済ませようと思う」



そう言ってヴィンセントはエイジャを優しく抱き締めた。



彼女の腰に腕を回して、そっと彼女の頬に触れる。



エイジャは何か言い掛けたが、それをヴィンセントは彼女の唇に人差し指を軽く押し当てた。



そして一方のエイジャは白く冷たい柔肌を紅い薔薇色に染め上げて、瞳を潤わせている。



ヴィンセントの顔を少し見るだけで、何かが堪らなくなってきてしまう。



「エイジャ……」



「ヴィンセント……」



抱き締めていた腕を少し緩め、二人はじっと見つめ合う。



鼓動が、まるで本当に痛みを伴っているかの如く早く動く。



今は夜で、此処は光源が月明かりしかない平原。もちろん周囲にも誰もいない。



そう、今は二人を阻むものは何もないのだ、場所も、人も、神でさえも。



「君を、愛している」



「ええ、私も」



そう言ってヴィンセントはエイジャの潤む唇に、そっと優しくキスをした。



熱く、身体が溶けそうになる。



ああ、愛されるとはこういうものかと脳が確かに知覚した。



しかしそんな惚けた私に対して、彼は間髪入れずに激しいキスをしながらずっと長い間続けた。



やがてすべてが終わり、彼は優しい笑顔で話しかけてくる。



「もう行かなきゃな」



「……そう」



私はどこか冷静だった。



「俺は心配だよエイジャ。君ひとりでこの先生きていけるのかって」



「……馬鹿にしないでよ。これでもお父さんの仕事を手伝えるくらいには勉強したのよ?」



「本当か?小さい頃は走るのも鈍臭くて、何度も私に泣かされていた君がか?」



「やめてよ。まあ確かに失敗する事はたまにあるかもだけど」



「……やっぱりか」



「……」



そして二人は微笑み合い、顔を近づける。



今度は私から唇を近づけた。



また頬は紅い薔薇色に染まる。



やはりキスは心地良い。



好きな人が同じ空間にいるだけで心臓は飛び出そうなのに、ましてや隣なんて。



そうあれこれ考えていてやっと唇を離した時、私は不意に微睡の中へとゆっくり意識を落としていってしまったのだった。





「おい起きろ、仕事だ」



父の声が聞こえる。



目をゆるやかに開くと、そこは固いベッドの上。横には誰もいない。



鶏は高らかにていせいをひびかせる啼声を響かせて人々の営みを揺り動かす。



しばらく晴朗な空を眺めて、視線を窓から自身の体に移した。



少しはだけたネグリジェ、妙に乾いた唇、しわくちゃでひどい寝癖のついた髪、妙に汗ばむ体。



その全てが朝というものの到来をただ静かに語っている。



「そうだ、鶏に餌をあげなきゃ」



ネグリジェを脱いで、作業着に。



麦藁帽をかぶって鶏小屋へ。



餌やりの後は小屋の掃除、さらにその後は畑仕事に家畜の運搬。



さて今日は特に忙しい。



何せ都まで作物を運ばなければならない。



道もちゃんと使えるかの確認も怠らず。



そうして私は足早に毎日の仕事をこなしてゆく。



ほらどうだ。



彼が居なくたって私はなんでもこなすことができるんだから。



普段と変わらぬ眩しい日々。



ただ、いつもと違うのは左の薬指で紅々と光る、小さなダイヤの指環だけである。

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