第十話 後片付けで疲れ果て
気がついた。
全身が痛すぎて、死にそうだ。
かつ、息も儘ならない。
誰も見てないから、泣きながら鼻水飲み下して一所懸命に息をした。
痛みだけではない全身の震え。
グローブを外した。
ヘルメットを脱いだ。
ゴーグルとマスクを毟り取った。
途端に酷い悪臭で咽せたので、またマスクをつけた。
マスクしててもあの臭さだったからな。
目も痛くなってきたので、ゴーグルもつけた。
まだ泣き続けていて涙が流れていたので、割と早く痛みは消えた。
暫くして息が落ち着いてきた。
俺は、とりあえずは勝ったのか。
一方では俺はまだこうして生きているし、他方で鮫野郎どもはどれも完全に安全にくたばってる。
だが、身体は酷い消耗と痛みと痺れだし、暑いし色々キツくてフラフラ。
紙おむつもずっしり重く垂れ下がってる。
早いとこ引き揚げないと、長居してたら俺も仏さんの仲間入りだ。
扉は開いてるか?
退路は無くなってない、よし。
必死に、最低限この部屋の外、つまり【訓練場】へと、総てを抱えて投げ出し、或は蹴り出す。
最初、立てなかったので、ずりずりと肩を軸に腰を持ち上げて後ろに引いて動く「海老」と呼ばれる寝技の動きで必死に動いて扉に辿り付くと、まず扉を開放する為に、扉によりかかってずりずり身体を持ち上げて、そこからまだ痛みでとても手を伸ばせない儘だったので、扉にしがみついて身体を引き揚げてよろめきながら立ち上がり、暫く呼吸が調うまで耐えて、それから頑丈なシャックルを外し、鉄鎖を解いて、片方の把手からは抜いた。
これだけで立ち続けるのが我慢できなくなり、震える身体を横たえて少し休み、それから撤収作業を再開した。
扉外に転がってる死体が邪魔だから、扉に足を向けて、背中で地面の上をずりずりと扉から遠くへ押しやった。
この時点で、照明に違和感を感じたので足を探ると、両足にダクテで貼り付けておいた筈の軍用L字ライトが、既にダクテが切れて左側はぶらぶら垂れ下がっており、右側のはどっかで紛失したことが判明。
ともあれ扉前の障害物をどかすと、再び部屋、地獄の惨劇で今や汚物まみれの悪臭紛々たる部屋にずるずると這い戻り、部屋の中に転がってるものを全部、外へ蹴り出した。
敵の槍、俺の持ってきた武器類や散らばっていた色々。
全部抱えたり蹴り転がしたりして、外へ出した。
死体以外は。
やっと外に這い出ると、寝ころがったまま扉を蹴り閉めた。
肩を軸に回り、肩を扉に押し当てて這い上がる。
隅に置いておいた鉄パイプで閂を掛けた。
やっと。
やっと一安心。
目の前の死体が起き上がらないか、迷信じみた不安が襲ってきたが、自棄っぱちな気分でそれを嗤い飛ばす。
死体どころか今の俺は小学生のガキでも殺る気になりゃ殺せるだろう。
俺はそこで、また気絶した。
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全身が痛むし、鬱血が酷い感じだ。
防具を装着したままだからな。
フラフラの俺は武器や道具ごとベルトを外して身軽になると、地面を転がり、這って、自作の罠を避けて転がり進み、どうにか押入れへ這い登った。
新聞紙の上にブーツを脱ぐ。
汚いが、もうなんだか何にも気にならず、そのまま放置。
それどころじゃあない。
限界越えてんよー
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家族は俺が戻ってからやっと気づいてくれた。
俺が戻ってるのに気づいただけで、こちらを見に来ないのは有難い。
「新聞散らかしちゃ駄目だよー」
との有難いお言葉が、開いてるドアの向こう側から飛んできた。
それだけかい……でも、俺の状態が分ってないのは、嬉しい誤算だ。
気づかせないように、声を作って、
「ゴ……ごめん、テキトーに食べといてー」
とだけ言って、自室へ引き揚げる。
階段を登るのに歯を食いしばった。
這い登ったりすれば、折角気づかれてないのに、バレてしまうから、白く灼きつきそうな意識をどうにか保ってやり遂げた。
部屋に転げ込みそうになるところを我慢して、ゴミ用の50リットルのポリ袋を何枚か取り出し、その中に装備を全部脱いで放り込み、一先ずシャワーだ。
あの魔法使いの小鮫が二度叩きつけてきたのは、雷撃というべきか。
電撃と、衝撃波のコンビネーションアタックっぽかった。
全身に軽い火傷と打撲傷が残った。
ぬる~いシャワーをたっぷり浴びた。
家族に
「なんだか臭い~」
と云われたので、辛い身体に鞭打って、必死に押入れと和室と自室の片づけをした。
具体的には、汚れ物を総てポリ袋に放り込んで、袋の口も締めずに、ダンジョンに蹴り込んでおいた。
どうも向こう側とこちら側で空気の行き来が無いらしいというのは最初期に分かっていたので。
片付けは明日以降に丸投げ!
【訓練場】に残してきたものが気になったが、もう限界を超えてるので、どーでもいー明日だ明日と、但し喉がガラガラでカラカラに渇いてたし、自室に常備してある安いアルミチューブ入りゼリー飲料を三つ吸った。
そして遂に寝台に身を横たえると、忽ちカチンとスイッチが落とされたかのように意識が落ちた。
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カチンとスイッチが上げられたかのように意識が戻ってきた。
今寝たと思った、次の瞬間にはもう翌日だった。
夢も見ずにぐっすり熟睡したようだ。
腫れあがってる身体で無理が出来ないので、連絡をしたり雑用延期したり色々あって、それから昼ご飯としてプロテイン入りヨーグルトだけ食べると、昨日の片付けにのそのそとりかかった。
痛む身体をできるだけは労りつつも、すべき仕事はせねばならない。
しかし、昨日のうちにアドレナリンを放出しすぎたのか、どうにもダルくてやる気も出ない。
それでも何しろ臭い物は放置したくないから。
死体なんかその最たる物だし。
ダンジョンに、少なくとも【訓練場】に何故か虫が一匹も見当たらないのは、本当に助かった。
死体は後回し。
まずは物品か異臭。いや回収。たしかに異臭がするけどさ。
だけど、押入れに身を屈める時点で、ああーこれは無理だな、と感じた。
一応、状況だけは確認すべく、観音開きにして、明りで照らして、変化がなさそうだと見て、明日やることにした。
ずっと寝て休んだ。
翌日も無理だった。
むしろもっと辛かった。
一日中寝ていた。
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翌日。
やっと多少マシになったので、皆が留守の間に、押入れへ。
懐中電灯をつけてダンジョンを照らして、変化ないのを確認。
まず左腕だけ観音開きの中へ伸ばして、顔をダンジョンに入れずに、ごそごそ袋の中を手探りで漁り、ゴーグルとマスクだけ回収。
案の定、それだけでなんだか左腕がうっすら臭くなった。
洗面所でたっぷり洗浄して、マスクのフィルターを交換して、それらを装備してからもう一度ダンジョンに戻った。
とりあえず防具だけは総て回収して、洗える布地類は、血などの汚れが酷ければ重曹に漬け置きしてから、そうでなければそのまま、洗濯ネットに容れて洗濯機で念入りに洗浄した。
板金類は汚れていなければ水のみ、汚れが酷ければ洗剤使用して、洗い流す。
合成樹脂の防具類は洗剤も使ってよく洗浄。
革手袋は血液などの汚れが滲み込んで固まってしまってるので捨てるべきか非常に迷った。
(´・ω・`) 買い直すとカネが……
結局洗浄してみることにして、固まった穢い血をオキシフルで丹念に溶かしつつ洗浄、タオルに水気をとり、陰干し。
最後はワセリンをたっぷり塗りこんで陰干し。
全身分の汚れた防具一式の洗浄は、それだけでも充分に、自分にとっては大変な作業だった。
残りの物品や、扉の前に残してきた屍骸の片付けは明日だ。
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翌日。
残る物品やら、何よりも厄介な屍骸をどうにかせねばと思い、一応ダンジョンだから身体の負担を考えて軽めではあるが防具を装着して、叔父の遺品のピッケルを手に、ダンジョンの奥へ。
あった、あった。
うー、新鮮な死体の時にすら耐え難い悪臭だったが、今は腐敗しだしてとんでもない悪臭だ。
出入り口の辺りではそれほど臭ってなかったから油断した。
近寄ったら急激に!
即、退散した。
残してきた物品、悪臭が滲み込んでしまったものは廃棄かな……汚染されてると考えるべきだから。
自室で、数年前に起きた人類史上初の100%人為的パンデミックという歴史的惨禍の時以来の出番となる、個人用化学防護装備を装着した。
面体型のガスマスクもしっかり着けてある。
ただ、当時は対バイオテロ仕様にフィルターを改造してあったので、病原体に対しては有効だが、腐臭を齎しているガスに対してはイマイチ。
有機ガス用吸収缶が残っていたので、それを接続して、更にその外側にバイオフィルターを接続する加工を施した。
まあ何とか有害な腐敗ガスにも耐えて作業できるだろう。
まだ身体が痛むので、それだけでもう寝たくなった。
だが悪臭を撒き散らし続けているのを放置もできない。
身体がつらくて涙がちょちょ切れるが、自分で撒いた種だから、仕方ない。
準備を整えて現場に戻り、まずはダンジョンに荷物を持ち込み、出入り口近くに洗浄場を設置した。
昔うちにもあった空気清浄機があれば電源コードを這わせて持ち込んだだろう。
無いので、汚れた空気に耐えながら作業するのが、回復しきってない身体には辛い。
【訓練場】奥の扉近くに残してあった物品を、出入り口近くに設けた洗浄場へ持ち込んで、洗える物は洗う。
駄目そうなら廃棄物のゴミ袋に放り込む。
木質の金剛杖や突き刺した長柄などは一目見て明らかにアウトだったので、軒並み持って来もせず扉の傍に放置したままだ。長柄の穂先に相当する物品は回収して洗浄に回す。
洗ったものは水気を拭いて、また悪臭が染み付かないようにビニール袋に入れて口を縛ってから、押入れへ押し出す。
最後に、扉の外の屍骸一つと、なにやら古い汚れがこびりついてる槍二本が残った。
重い槍を一本ずつ引きずって洗浄場へ。
一本ずつ洗浄したが、こびりついた汚れがなかなか頑強に抵抗し、しかたがないので漬け置き状態にすることに。
ビニール袋を切って開き、シート状にして、それを下に敷いて、そのうえに槍を乗せる。
泡タイプの強力なスプレーをかけて、ペーパータオルで包み、外側からもスプレーしてびしょびしょに洗剤びたしに。
それをシートで包み、漬け置き一丁上り。
二本ともそうした。
一度ではきれいにならず、二度漬け置き洗浄してやっときれいになった。
屍骸は、燃やす。
今日は準備できていない。
庭の木から薪をとり……足りないだろうな。 裏山で足りない分の薪とってこよう。
あと、灯油は買いに行こう。
それで普通に燃やす。
ダンジョンで燃やして大丈夫か?
火炎攻撃程度とはわけが違うんだが。
まあ、最悪ダンジョンに多少悪影響があったとしても、家の中にまでは及んでこないから、別にいいや。
それに多分、じゃばじゃば洗浄し続けてもドライな空気を維持している空間には、何か好適な空気を維持する仕組みがあるとみた。
熱に関しても、テルミットみたいな高熱でなければ、普通に焚き火し続ける程度ならいけるんじゃなかろうか。
それでできる限り死体を処理して、それでこれ以上腐敗臭が発されなくなれば、それで良しとする。
閂を下ろしてある扉を再び開けるのは、今はまだ恐い。
部屋の中の確認は後日。
悪臭が隙間から漏れ出てくるかもしれないが、仕方ない。




