③ある男
ある男は真夜中に目を覚ました。
上半身を起こして、自分の鼓動の速さを抑える為に胸に手を当てていた。
ある男は深呼吸をし、しばらくして鼓動が元のスピードに戻ると、額にじんわりとかいた汗を手の甲で拭った。
久しぶりに蘇った記憶だった。
どうして今でも思い出すのだろうか?
大抵、夜中にフラッシュバックする事が多いのだ。
あの時の感情が、今でも昨日のことのようにして蘇る。
「怖い...、嫌だ...、もう嫌だ」
あの時、
何度お尻や腹を殴られ、蹴られたのだろうか?
何度暴言を吐かれ、水を掛けられたのだろうか?
乱雑にノートに書かれた罵詈雑言を今でも覚えている。
多分、この傷は癒える事はないだろう。
そのせいで、俺の人生は滅茶苦茶になってしまったからだ。
全部、あいつらのせいだ。
薄いカーテンの隙間から月明りが、テーブルの上にあるノートパソコンに落ちているのをある男は見た。
ある男はそれを見るとまだなんとか出来ると思い直し、再び布団の上で身体を横にし、眠りの中へと戻っていった。
「まだ若いから、いくらでもチャンスがあるわ」とある男の母は会うたびに言う。
母の事は嫌いではないが、年の離れたす弟にすっかり目にいっているのが、傍からも分かっていた。
弟は優秀で、尚更俺は惨めだった。
父は昔から寡黙で、というか俺にも、弟にも興味があるようには思えなかった。
そして、もう何年もちゃんと向かい合って話すことをしていなかった。
当時、俺は何度も救いを求めたが、母も父も、担任の先生も誰しもが上っ面な言葉だけを言ってきて、結局何にも解決はされなかった。
その時、自分の非力より、周りの人間の非力さ、無関心さに打ちひしがれた。
みんな、俺がどうなっても、構わないんだ。
あの時からずっと、苦しい日々が数年も続いていた。
長く暗いトンネルの中にずっといたのだ。
だが、ある日を境に少しづつ自尊心が回復できていた。
ここ半年ぐらいで、俺はいい人間になろうと思っている。
こんな晴れやかな気分は小学生以来だった。
自分からそうしようと思ったのではない。みんなの声援が、俺をそうさせてくれているのだ。
それに少額だが、自分の力でお金を稼ぐこともできるようになった。
ある男が目を覚ますと、既に太陽は高く昇っていた。
父が所有するアパートの一室で1人暮らしをするある男は、部屋の中で自分が投稿した動画を見直していた。
登録者数はここ1週間で2千人増え、
高評価数、コメントは過去最高になっていた。
なぜなら先週、初めて急上昇ランキングに乗ったからだ。
画面の数字、
13万再生、これは幻ではない。
「主の声、癒される」
「この人、絶対優しい」
「次の投稿まってまーす」
先月、勢いに乗って、1度だけ勇気を振り絞ってライブ放送もした事があった。
その時、人生初のスパチャ、1万8千円が飛んできた。
それは何より価値のあるお金だった。
だが、男は動画投稿をお金の為にやっている訳ではない、もはや自尊心の為だった。
「これも全部、せっちゃんたちのおかげだよ」とある男は部屋で1人呟いた。
けど、せっちゃんたちはどこに行ったのだろうか?
いなくなったと分かれば、ある男の行動は早かった。
この好機を逃すわけにはいかない、これが唯一、俺が生きる道なんだ。と強く思ったある男は、財布を握りしめ、散らかった部屋を出て、ショッピングセンターへと向かった。
まだ続きます。
誤字脱字などがあれば、教えてくださると助かります。
ありがとうございました。




